閑話 結婚式の概念が存在しない世界
リンドル宮殿の城下市中に、五〇〇〇余の辺境諸侯たち盟主連合が集結した。
閑散とした未開の原風景をまだまだ色濃く残している辺境東部にあって、これほどの軍勢が集結する事はめったとない稀な事であるそうだ。
同時に、大身軽輩の諸侯たちは多くの身内の者を伴ってこの街に集まっている。
交易中継地の拠点を領する諸侯を除けば、ほとんど領主間の交流というものは無い。
今回のリンドル子爵シェーン卿を名目のリーダーとしたこの盟主連合の会談を機会に、その交流を活発にさせようという狙いがそこに存在した。
「何しろ、突然降って沸いたサルワタの女騎士の登場と騎士修道会の電撃的な血縁同盟。しかも今度はサルワタとリンドル子爵家が血縁同盟へと発展しているのですから。これはもう近々、辺境領主間で近々ベビーブームが到来するとぼくは思うわけです」
俺の名は吉田修太、だいたい三三歳前後。
サルワタ外交団の御一行が滞在しているリンドル聖堂の宿泊施設で、肖像画を描かれている男である。
「俺は別にリンドルの御台さまと結婚したわけじゃないから……」
「そうは申しましても、世間は御台さまとシューターさまのご関係を蜜月と思ってますからねえ。ああ動かないで! いまいいところだからっ」
不満たらたらで俺が絵筆を握る芸術家のヘイヘイジョングノーに言い訳をしたところ、ピシャリとお叱りを受けてしまった。
「だいたい誰だよ、マリアちゃんと俺が結婚とか噂を言いふらしたの。そもそも人目を忍んで城館に行ったのに、どうしてこんなに情報が洩れてるんだよ。犯人誰だよ!」
「ぼくですね」
「そうかヘイジョンくん。きみだったか……お前かあ!」
カンバスと俺をにらめっこしていたヘイジョンくんは、激昂して立ち上がった俺を見ても平気な顔をしていた。
つい怒りから掴みかかりそうになったけれど、そこはお貴族さまの態度として頂けないのでぐっと我慢するが……
「シューターさん、あまりヘイヘイジョングノーさまを困らせるものではありませんよ」
「う、うん」
「それにこれは家族のみんなで話し合って、わたしがヘイヘイジョングノーさまに指示した事ですから」
「マジかよ聞いてないんですけど……」
家族のみんなで話し合って。
つまり俺の留守中に家族会議が行われていたのか!
驚愕の表情を浮かべる俺を大正義カサンドラパワーで着席させた正妻は「はい、身だしなみをきっちりしましょう。とっても素敵なハンサム顔です」とニッコり笑ってみせた。
視界の端に、ニヤニヤ顔で俺たちを見ている黄色い蛮族がいたが無視する事にする。
「と、当初の予定ではサルワタとリンドルが堅固に繋がっている事が諸侯たちに知られると、マズいとか言っていなかったっけ」
「情勢を鑑みてそういう助言をカサンドラさんにしたのよ。わたしとッヨイが」
言い訳めいたものを口にしたところで、そこは雁木マリが口を挟んで解説してくれた。
「この男は城府で親子の絵を描いている時以外も市中で写生をやっているからね。それを利用して集まった観衆相手に、情報を流してもらったのよ。政治的判断というやつだわ」
「政治的判断ねえ……」
俺が留守にしている間に、リンドル御台マリアツンデレジアが辺境の諸侯たちに向けて檄文を飛ばした事は周知の事実である。
その際にどうやら、御台のマリアちゃんに相応の後ろ盾が存在している事を周辺諸侯に示す必要性が出てきたらしいのだ。
「リンドルは交易都市なのです。ここには大小の領主が送り出した公商会の商館や御用商人たちの出入りがあるのです。当然それらの公商会や御用商人たちを通じて、ブルカとリンドルの対決が近い事は辺境諸侯たちに、こうぜんのひみつとして伝わりつつあったのです」
「公然の秘密。御台さまは戒厳令を敷いたわけだし、兵士の徴募や物資の調達も始まっていた。つまりッヨイさま、もはや隠す意味がないのだから、マリアちゃんにはサルワタと騎士修道会がバックに付いている事を宣言した方が、連合軍のお味方集めには有利だったと?」
「そうなのです。両者の戦争が避けられないとなれば、勝つ方に味方するのはお貴族さまの当然の常識なのです」
大人しくイスに座っているしかない俺に向けて、朗々とようじょが説き伏せてくれた。
「この土地は結婚式の概念が存在しない世界だもの。結婚します、結婚しましたと宣言して、それが世間に知れ渡れば既成事実となるのよ」
「なるほど。カサンドラと結婚式しなかったもんな……」
何よ結婚式したいの? とばかりモジモジしながら雁木マリが俺を見た。
するとその場にいたカサンドラやタンヌダルクちゃん、けもみみまでがジロリと俺の方を注目するので、微妙な気分になった。
「いやあ。俺が元いた世界で結婚式ってのはさ、女性のためにするものだと思っていたんだ」
「どういう事ですかシューターさん?」
「つまりあれだ、上等なおべべを着て飾り、それを自分の友達に、わたしこんなに今幸せなのって自慢するためにやるんだと、俺の妹は言っていたかな」
「それって、アレクサンドロシアさまが仰ったんですか?」
違います、俺のリアル妹のひとりです奥さん。
随分と了見が挟い様な気がする、俺の上の妹の発言であるけれど、少なくとも雁木マリは共感する部分があるらしい。
結婚式なあ。
俺、この戦争が終わったら結婚式挙げるんだ……
などと口にすると死亡フラグが立ってしまいそうなので、発言するのは手控えておくと微妙に不満顔をした奥さんたちの視線が、ふたたび俺に集中した。
苦し紛れに俺がフラグを避けながら言葉を選んで漏らしたところ、
「ひ、披露宴をやるのであれば、この戦争に勝利して俺たちの平和が不動のものになった時、それを内外に示すためにするのがいいと俺は思うぞっ」
「本当かい、シューターさん?!」
意外にも嬉しそうに食いついたのはけもみみだった。
そう言えば、ふたりきりになる時は誰よりもけもみみはおめかしに気合を入れていたかもしれない。
やっぱり女の子だと自分を自覚したので、かわいくありたいと願っているのかもしれないね。
「お、おう。みんなでお揃いのドレスを着て、その時はヘイジョンくんに家族の集合画を書いてもらいましょうかね」
「そうね。結婚式する習慣が無くても、披露宴をしてはいけないという決まりはないものね」
「なるほどお。義姉さん、今から先々が楽しみですねえ」
「どうしましょう。シューターさんの新しいお召し物も用意しないといけませんね」
盛り上がる奥さんたちが着席する俺に集まってきたものだから、今度はヘイジョンくんが激昂する番だった。
「奥さま方は絵の邪魔になるので出て行ってください! ああもう、戦争がはじまるまでにこの絵を完成させなくちゃいけないのに……キィィ」
◆
ところで。
今俺がせっせと五頭会談や作戦会議の合間をぬって肖像画を作成しているのには、もちろん理由がある。
完成した暁にはこの自分で見るのも恥ずかしいイケメン度五割増しの肖像画が、マリアツンデレジアちゃんの別邸、つまり大本営の御座所に納品される事になっていたのである。
しかもこれ、俺が言い出した事だった。
いや違うぞちょっと待て。
べっ別にナルシスト癖が発露して、かっこいい自分をみんなに見せつけようとか思ったんじゃないんだからねっ。
単純に理由はこうだ。
せっかくこのリンドル市中に多くの諸侯たちの身内が集まっているのだから、ヘイジョンくんを使ってより情報収集を行うためのキッカケ作りにしたいと俺が考えたからである。
それがまわり回って言い出しっぺの自分の肖像画が第一号に使われるとは思いもしなかった。
マリアちゃんの別邸にはすでにヘイジョンが描き散らしていたいくつかの絵画も展示されているので、作戦会議に集まっていた諸侯たちの中でも話題になっている。
いったい誰がこの素晴らしい絵画を?! という具合なのだが、基本はマリアちゃんに対するおべっかもあるのだろう。
だが、ちょっとしたブームの予感がある事は間違いない。
実際にマリアツンデレジアちゃんの肖像画を見たひとりの辺境領主が、さっそくにもリンドル市中にいるヘイジョンとは違う画家に、自分の肖像画を描かせようと動き始めていた。
御台さまにしてもシェーン子爵にしても芸術を奨励する庇護者を気取っていたので、プロアマ混在の芸術家たちが城下で活動をしていたのが幸いしたわけである。
「ギャハハ。しっかし、これはやり過ぎじゃねえか相棒。お前ぇもう少しノッペリした顔の癖に、これじゃ騎士修道会の鷲鼻ジジイみたいな顔じゃないか。ええ?」
ニタニタ顔をしたニシカさんが、俺と俺の描きかけ肖像画を見比べながらそん失礼な発言をした。
俺の居室から奥さんたちが退去したために、せっせと作業をしているヘイジョンくんを除くと護衛のニシカさんだけが残ったものだから、もうこれは言われたい放題である。
「口を慎んだ方がいいですよニシカさん。そういう放言を繰り返していると、蛮族の噂が広まります」
「うるせぇ、オレ様は近頃お前さんのせいで酷い眼に合っているんだ。これぐらいの不満は許容範囲と言うものだぜ」
「酷い眼というのは?」
「そ、そりゃお前ぇ。おっおっオ」
「おっおっ?」
「……オレ様がシューターの嫁さんのひとりだと思われている事だぜ。お前ぇもいいかげん、きっちり否定しておくれよ。オレはまだシューターの嫁じゃないんだからなっ!」
まだですか、ふむ。
などとヘイジョンくんは俺たちふたりを見比べながら微笑した。
「そういえばニシカ奥さまはシューターさまの相棒であって奥さまではないのでしたね」
「だから奥さまって言うなよ」
「それで賭けの進捗はどうなっているんですか。確か結婚相手を見つけたら、閣下が酒を一杯、奢ってくださるのでしたよね」
「酒を一杯じゃねえ、酒樽丸ごとだぜ。だけどあれはもう辞めだ。何しろシューターと結婚した事にされて酒樽をこいつから貰っても、オレ様はひとつも幸せじゃないからな」
フンと鼻を鳴らしたニシカさんは、たわわな胸を抱きしめる様に腕組みした。
隆起したふたつのドッヂボールはまるで「まだ結婚なんてしないんだからなっ」と自己主張をする様に俺へ訴えかけてくる。
近頃俺がニシカさんを夫人とか奥さまと呼んでいる周囲を否定しなくなったのは、もう何を言っても無駄なんじゃないかと奥さんたちに対して思い出したからである。
どうやら家族会議なるものが存在しているらしく、その議事長を務めてるらしい大正義カサンドラがニシカさんの事を奥さんのひとりだと決め付けているからだった。
当然、ハーレム大家族に隠然たる影響力を持っている正妻の決め事なので、タンヌダルクちゃんやけもみみは否定するのもおこがましい事と問題を提起する事は無かった。
「じゃあ聞きますが。ニシカさんには旦那さまである閣下とは別に、これはと決めている意中のひとがおられるという事ですね?」
「いやこれが、いねぇんだなぁ。どいつもこいつも頼りにならねえ男ばかりで、人生の相棒に出来るヤツはいねぇ……」
「いないんですか? じゃあ相棒である閣下でいいじゃないですか。人生には妥協がつきものです」
「うるせえ、ヘイヘイヘイの癖に生意気だ! 何があってもコイツとは結婚しないんだよ。オレ様は幼馴染のカサンドラを義姉さんとか呼びたくなんかないんだからなっ!」
呆れた顔をしたヘイジョンくんの事はひとまず置いておいて、俺はちょっと悲しい気分になった。
「そこまで強烈に否定されると、俺は俺で微妙なんですけどねえ」
「何だお前ぇ、オレ様と結婚したいのか。ん? どうなんだ!」
「どうだって言われてもですねえ……」
確かに俺はニシカさんと結婚する事をあまり真面目に考えてこなかったからな。
素敵な奥さんたちに囲まれて、今のハーレム大家族には満足しているところである。
どういうわけか顔を真っ赤にしたニシカさんの事を見ていると、俺の事など眼中に無いと言われると、それはそれで癪に障るのは事実である。
「どうだって言われてもな。今さらですし」
「そもそもみんなが結婚していると思っているんだから、シューターさまの仰る通り結婚しているも同然なんですよ。諦めて後はニシカさんがその事実を認めれば婚姻完了です。はっはっは」
ここは結婚式と言う概念の存在しないファンタジー世界であるから、世間がニシカさんを俺の嫁と認識しているのなら、もうこれは結婚しているのと同然なのだ。
この場合の世間とは、要は俺たちサルワタの人間や外交使節団と関わりのあったみなさん方の事である。辺境諸侯たちは間違いなく、ニシカさんをそう認識しているのだ。
「なあシューターよう、オレ様にもう逃げ道は無いのか? オレは自力で結婚相手を仕留めるんだと領主さまに啖呵を切ったんだよ。オレの面子はどうなってしまうんだ? オレが諦めて認めたら、お前ぇは嬉しのか?」
「…………」
事実婚だ。事実上結婚していると誰もが思っているので、当然ニシカさんにお近づきになろうなどという異性は存在しにくいわけである。
同じ方法を悪用しているひとと言えば、こちらはカラメルネーゼさんだった。
あのひとはいったい何を考えているのか、俺の事を「主人は」などという言い回しを使って、世間に妻である素振りを徹底している。
だがカラメルネーゼさんは家族会議の議事長カサンドラから認められていない。
「おい何とか言えよ、お前はオレ様と結婚したいのか。どうなんだ!」
えっ。これ俺がプロポーズする流れなの?
ますます黄色い顔を朱色に染め上げたニシカさんが、わなわなと震えながら俺を睨みつけていた。
肩を吊り上げて、よくよく見返すと片眼に涙まで浮かべているではないか。
「さて、と。ぼくは昼食を食べていなかったので、そろそろ休憩を挟んで腹を満たしてくることにします。奥さま方には上手く言っておきますので、後は事実上のご夫婦水入らずで」
逃げる様に絵筆をバケツに放り込んだヘイヘイジョングノーは、ニヤニヤ顔を浮かべて優雅に一礼すると退散した。
ギイバタン、扉の向こうから「これにて一件落着、ははは」などと上機嫌な声が漏れ聞こえてきた。
逃げられない?!
ここで逃げたら俺は最低の人間になってしまう。
そしてニシカさんの射抜く様な視線から俺は眼を逸らす事が出来なかった。
例えるなら蛇に睨まれた蛙である。
「やい、どうなのか言ってみろよ」
ああっ女神様、なんという事でしょう。
拗ねたような顔をしたニシカさんマジかわいい。
「に、ニシカさんの事はとても魅力的だと思っています。も、もちろん素敵な女性だと思いますよ、うん」
「それだけかよ……」
「日頃からですね、俺の事を相棒だと言ってくださる事にいつも感謝しています」
「お、おう。オレもお前ぇには感謝しているけどよ。けけけ結婚となりゃ話は別だぜ。それだけじゃ駄目だ……」
やっべえ。
モジモジしているニシカさんを俺はたまらず抱きしめてしまった。
好きだわ。大好きだわ。
頼りになるとか相棒とか、色々言葉で並べられる事はあるけれど、ここまで来ると言葉で表せない感情が俺の中をうごめいていた。
「け、結婚したい。結婚する。結婚しよう。いいよな?」
「オレ様でいいのか」
「ニシカさんじゃなきゃ駄目なんだ」
身を任せて震えていたニシカさんが、片眼をつむって見せる。
そして何か不思議な表情をして口を尖がらせているのを見て、ようやく理解した。
男は黙って行動で示せ。
ニシカさんがこれだけ勇気を振り絞ってくれたのだから、これ以上は飛龍殺しの鱗裂きに恥をかかせるわけにはいかない。
その愛らしく尖らせた唇を塞ぐと、ゆっくりと俺の背中にニシカさんの腕が回って来るのがわかった。
「け、けどこれは内密だからな。戦争が終わって披露宴とやらが終わるまでは内密にしておくれよ」
ギュっと俺の上衣を握りしめたニシカさんの前髪を持ち上げながら、了承とばかりもういち度、唇を奪った。
俺は奥さんの希望は尊重する男だぜ、内密にな。
(申ω`)♪




