202 五頭会談 3
リンドルの御台さまマリアツンデレジアのプライベートルームを訪れるのは、これで二度目の事だ。
前回は急報を受けてサルワタに引き上げる直前にこれから向かう場所の最奥で過ごしていたのだから、思い出すとちょっと気恥ずかしい気持ちになる。
しかしこの男、どうにかならんものか。
こちらでございます、などと後に続く人間の歩みなどは全く無視する様に先々へと進む新米官憲だ。
愛想笑いと言えばいいのか、その種のものをチラリと浮かべてはいるけれど、眼は笑っていないしある意味で態度は慇懃すぎて無礼だ。
けれども与えられた役割を必死にこなそうという信念めいたものは見て取れて、一見すると悪い様には見えないところにタチの悪さを感じてしまう。
今も俺をマリアちゃんのところに連れていく事だけを第一義とし、階段を上りこの宮殿の支配者たちが生活する館へと踏み入れたところまで、いち度も俺の方を振り返る事は無かった。
軍人としては間違いなく素人だな。
今ここで俺が剣を抜いて斬りかかろうものなら、間違いなく一撃で背中をばっさりと断ち斬る事が出来るだろう。
足運びもせこせことしているが、何だか前のめりな感じで安定感が無い。
意識も向かう先にばかり集中していて、俺がほんの余興で指を繋いで撃剣の真似事をやってみせたところで気付きもしなかった。
えい、死ね! バッサリ。
そんな事を背後でやってみせたところで、急に足を止めた官憲くんが振り返った。
な、何だこの男。
実は武芸の達人で素人のふりをしていたのか?!
俺は空手経験が長いから、ついわかるつもりになっていたのか……
「シューター閣下」
「何ですか……」
「これより先はシェーン子爵さまと御台マリアツンデレジアさまの私用空間となります」
「そうだね」
「つきましては、お腰の剣をここでお預かりしてもよろしいでしょうか」
腰の剣だと?
新米官憲は俺がベルトで吊るしていた長剣を指さしながら、早くそれを寄越せとばかり催促をして来たのだ。
「今までその様な要求をされたことは無かったのだが……」
「これからはルールが変わった事をご理解ください」
「いつからそんなルールが出来たのですかね……」
「この度の諸侯会談を行うにあたってです。少し前にこの先のプライベート空間で、恐れ多くもシェーン子爵さまに無礼を働いた不埒者がおりました故、その様に決まったのです。これも閣下の奥さまであるマリアツンデレジアさまの御身をお守りするためです」
「…………」
「例え閣下の奥さまの前と言えども、マリアツンデレジアさまはこの領地の御台さまであり、間違いがあってはなりません。どうぞルールにお従い下さい」
無礼を働いたと言うのは、たぶん俺に急報を知らせるためにやってきたけもみみが、マリアちゃんのプライベートルームの応接セットでひと暴れした事を言っているのだろう。
憮然とした気持ちになりながらも抵抗する道理が無いので、一応従う事にした。
無造作に腰の剣を鞘ごと外して差し出す。別に剣が無くなったから俺が極端に弱くなってしまうという事はないからね。
するとまだ満足の顔をしていない新米官憲くんは、俺の護身用短剣にまだ視線を向けたままじっとしてる。
「これもか」
「当然でございます」
ニッコリ笑った新米官憲の態度があまりにも腹立たしかった。
ようやく満足した新米官憲くんが宮殿のプライベートエリアに入り込むところで、警備に立っているいかにも弱そうな兵士に俺の剣を差し出して、また先々と歩みを進めるのだった。
「時に官憲くん、君はいつからこの城府に出仕しているのかな?」
「お応えする義理はありませんので、そういった質問はご遠慮ください。それにわたしは官憲くんではありません」
「では名前は何というのかな?」
「お応えする必要がありません。ご遠慮ください」
「…………」
何だコイツ!
この態度をわざとやっているのなら、間違いなくひとを苛立たせる天才だ。
天然なら、いったい誰がこの者を採用したんだよ!!
俺は面接官に思いきり苦情を言いたくなる気分になったが、そんな気持ちは新米官憲に伝わるはずも無く。
黙ってこの男の背中を見ながら廊下をゆっくりと歩く事にした……
相変わらず廊下にはいくつもの絵画が飾られているけれど、その中にヘイヘイジョングノー氏が描いたものと思われるものが、ひとつふたつと見受けられた。
ガッツリ描き込んだというものではなく、ラフ画に色を置いてみたという感じだったけれど、それでも彼はやはり絵が上手いものだなと感心したところで、マリアちゃんの私室に到着だ。
「失礼いたします」
「……どなたですの?」
「ホイヤでございます。ご命令によりサルワタ騎士シューターさまをお連れしました」
「入ってちょうだい……」
扉の向こう側からくぐもった声が聞こえてきた。
マリアちゃんが手前の応接セットで待っている事は間違いないだろう。
結局ここで名前を自ら暴露してしまった新米官憲くんはホイヤというらしい。
こいつやっぱり任務に忠実なだけの間抜けだろ?
「まあ、シューター閣下。首を長くしてお待ちしておりましたのよ」
「ご無沙汰ぶりですマリアちゃん、お約束通りアレクサンドロシアちゃんを連れてリンドルに戻りましたよ。何か俺に用事があるとか?」
「ふふっ、連れない事をおっしゃりますのね。何か御用が無ければ、わたくしはシューターさまをお呼びたてしたらいけませんの?」
官憲くんの開いた扉を潜り抜けたところで、優雅に立ち上がってみせたリンドル御台マリアツンデレジアが微笑を浮かべてくれた。
幼い顔を残した年増女というギャップは、相変わらず男心をくすぐるものだ。
どうして先代子爵ジョーン卿はマリアちゃんを蔑ろにしていたのか理解できないなあ。
「例えたいした用事が無くても、御台さまのお呼びだしであれば喜んで」
「そういう事を、他の奥さまがたにも仰っている事、わたくしちゃんと理解しておりますの」
「ははは、勘弁してください」
お互いに歩み寄って軽い抱擁をしてみる。
たぶんお貴族さまの男女間ではこういう事をするのが習わしなのだろう。
俺も彼女の動きに合わせてそういう事をやってみたわけだけれど上手く自然に振る舞えただろうかね。
扉を閉めた新米官憲くんは、その扉の前に立って俺たちの抱擁と、そこから軽く頬にキスをしてくれるマリアツンデレジアの動きを観察しているではないか。
「ホイヤ。もうあなたはよろしくてよ」
「そういうわけには参りません。ご領主さまよりお側にお仕えする様に命じられております故」
「……ホイヤ、もういち度、いいます。退出なさい」
「それでは本官の職分を全うする事が出来なくなっています。本官の事は路傍の石、その部屋に置かれている不出来なゴブリン人形のひとつとでも思って、どうぞご夫婦の営みをお続けください」
「わたくしは出ていきなさいと言っておりますの」
「すいません、出来ません」
こいつ、このリンドルを支配する御台さまにまでこの調子で接しているのか!
ある意味で馬鹿を通り越して感心すらしてしまった俺だけれど、それで納得のいくマリアツンデレジアではない様だ。
体をぐっと俺に密着させると、耳元にさえずる様な小声で不満を口にするではないか。
「シューターさま、わたくしこの者が嫌いですの」
「奇遇ですねえ、俺もだよ」
「あの者はわたくしの連れてきた配下たちが外交準備で忙しくしているのを見て、シェーンさまが街から雇ってきましたのよ。終始あの調子で、わたくしとっても疲れておりますの」
やっぱり新米官憲はシェーン君が雇ったのか。
あのクソガキ、わざと馬鹿正直に任務を全うする様な人間をマリアちゃんの側仕えに付けたと見えるぜ。
俺に対する当てつけは決定で、離間の計などというよりはただのガキの嫌がらせだ。
「身元は大丈夫なのか?」
「オゲイン卿が調べてくださいましたの。そこだけは間違いのない騎士の部屋住みだという事で、安心ですわ」
「ますますタチの悪い役人だ」
「これより大切なお話がありますので、どうにかこの者を追い払ってくださる事は出来ませんの?」
そう言われたので俺もどうにかするしかない、ひとつ脅してやるか。
ツンデレのマリアちゃんの肩に回した手を解くと、俺はニッコリ官憲くんを見やった。
「何でしょうか」
「ホイヤ君。君はプライベートルームという言葉の意味を理解していない様だね」
「?」
「これから俺とマリアちゃんは、大切な用事があるんだ」
「続けてください」
続けてくださいじゃねえ!
俺が右手を持ち上げて握ったり開いたりして見せると、新米官憲ホイヤはキョトンとした顔をして微笑を少し焦らせている。
ぐっと握りしめたところで、その手をもういち度開いて手刀の形にして見せた。
そしてゆっくり脇を引く。
「用事と言うのはだね、君が奥さまと呼んでいるマリアツンデレジア嬢と俺とで大人の、お話をするんだよ。遠慮してくれ」
「それはご夫婦の夜の営みという事でしょうか? 続けてください」
チラリと背後を振り返ったら、マリアちゃんがうんと頷いてくれた。
すぐさま相手の反応があるよりも早く、俺はひと挙動で手刀をホイヤの首根に討ち込んで見せる。
当てずにギリギリ、脅すだけの事だ。
「ほいやぁ! 何をなさるのです!!」
「……きみは命が惜しくない様だな。俺にこの貫手で喉仏に穴をあけられたくなかったら、素直に退散する事だ」
「それは出来ません!」
「ではお望み通り、喉仏に穴をあけるとしよう。大丈夫だ苦しまない様に一撃で――」
「わ、わかりました。すぐに退出します!!」
新米官憲ホイヤは声を裏返しながら悲鳴を上げて、扉の外に逃げ出していった。
まったく、手間を取らせる官憲だ。
これから辺境の雌雄を決する戦争に向かうという最中に、後方地であんな人間が官憲として幅を利かせるようになるのは問題だな。
マリアちゃんも苦い顔をしながら笑みを浮かべているところを見ると、相当にあの男に苦労していたみたいだね。
「お手数をおかせ致しましたの。それでは奥の部屋にいらしてくださいな……」
「ええと、大切な話と言うのは、その。本当に奥の部屋で?」
「そうですの。うふふ、さあおこしになって」
この部屋の奥にあるのは、ツンデレのマリアちゃんの正真正銘の寝室だ。
つまり立派な寝台と豪華な揺り椅子が置かれていたり、ゆっくりとお茶を楽しむためのソファと椅子もある。まさかこの夜には晩餐会が控えていると言うのに、まだ陽の出ているうちから情事に及ぶ事なんてないよね?
フヒヒ。
しかしマリアちゃんは少しばかり緊張した表情を継続していている。
何事かな? などと俺が首をかしげながら、大きく背中の開いたドレスのマリアちゃんを視線で追いかけると、
「さあ、これでよろしいですの?」
「?」
リンドル御台マリアツンデレジアの表情から微笑が消えて真顔になっていた。
ちょっとマリアちゃんの発言した言葉の意味がわからない。
ついでにその言葉が俺に向けられていないんじゃないかと、ふと気が付いた。
その次の瞬間!
「ほげぇ! 何だいきなり?!」
背後に殺気めいたものを感じた俺は、咄嗟に身を引きながら身構える。
するとそこに巨大なラッセル車の如く急接近しながら、こぶしを送り込んでくるサンタクロースがいた。
違う。サンタクロースではなくドワーフの岩窟王バンダレーンタインおじいさんだ!
まさしく正拳の追い突きとも言うべき、空手スタイルのパンチを繰り出して来たサンタ王に俺は衝撃を受けた。
咄嗟に体が反応してパンチを外受けしたのはいいものの、ついつい反応し過ぎてしまったらしい。
お返しとばかり受けをしながら体重を乗せてしまう。
体を入れ替えながら肩で王様相手に押し返して、ついでに裏拳までしてしまった。
ドワーフ王はその裏拳を上体を逸らして避けてしまい、それどころか避けながら引き構えをしやがった。
こいつはサンタクロースじゃねえ、空手家ドワーフだ!
「か、空手かよ?!」
「そうだ」
俺の呻く様な悲鳴に一瞬だけニヤリとしてみせたドワーフ王は、再び拳を引き上げながらファイティングポーズをとると俺に迫った。
今度は俺の太ももをしたたかに蹴りつけるローキックだ。
すぐさま膝を上げてローをカットしようと試みたが、まるで丸太を叩きつけられた様な衝撃が走った。
痛いどころではない。
鈍痛にたまらず顔が歪んだが、相手が本気で俺を倒しに来ている以上は王だろうが不敬だろうが関係ねえ!
吠える様に気合の声を上げた瞬間。
相手の顔面へ刺し込む様に右突きを見舞いつつ、左はドワーフ王の脇腹を狙った。
どちらも有効打にはなり得なかったが、これでドワーフ王は視線がブレてボディへの攻撃を警戒したらしい。
気が付けば俺は膝を横へ持ち上げる様に、上段のハイキックを見舞っていたのである。
ほとんど俺は意識はしていなかった。
一連の流れを止める事は出来なかったのだ。
俺は空手経験者だからな。空手には空手で反応してしまうものだ……
「す、すいません。つい本気で当ててしまった」
「ふぉふぉ、なかなか容赦がありませんな守護聖人どのは。回し蹴りで鼻血が止まらんわい」
「いったい何の冗談ですかこれは……」
「なに、他意は無かったのだがのう」
ドワーフ王は鼻血を流しながらすっと構えを解くと、そのごつごつした手の甲で鼻をさするのだった。
「その方が、辺境不敗を名乗る聖使徒と聞いたものでな。ひとつわしの手で確認をしようと思ったのだ」
「……では満足いただけたんでしょうかねえ?」
居住まいを正したドワーフのサンタ王バンダレーンタインは、俺の言葉を受けると緊張した顔のマリアちゃんを一瞥した後にこくりと頷いて見せた。
「存分にな」




