祝書籍化決定感謝&記念SS 奥さまの、甘い吐息と生殺し
いつもご愛読くださるみなさまに支えられて、本日まで楽しく更新をつづける事が出来ました。
おかげさまで書籍化決定の運びとなりました。改めて御礼申し上げます。
ありがとうございます、ありがとうございます!
作者は全裸で平伏した。
俺が子供の頃の話をしよう。
小さな頃から空手道場に通わされていると、体中のあちこちに大小の傷や怪我をする事があった。
特に小学生の頃は指導者たちも細心の注意を払って子供たちに稽古を付けている。
それでも受けを失敗してポカリと突きや蹴りを貰う事もあれば、約束組み手がヒートアップしてぶっ飛ばされる事もある。
小学生の高学年頃になればその傾向は大きくなって、中学頃になると体も立派な大人とそん色が無くなるので、体中に小さなあざをつくったものだ。
ところで、実は俺は上段受け恐怖症に一時期悩まされていた事があった。
上段受けというのは、相手が自分の顔面を狙ってパンチしてきたところを、すくい上げる様にして受けるのだが。
ある時俺はそれに失敗して、前歯のどこかを折ってしまった事があったのだ。
顔面を狙われる恐怖が体に身に付いてしまって、しばらく上段突きをされた時は身が縮こまる様な事が度々あったぜ。
そのつど師範代のハゲた先生には「ケツが出てるぞ!」と指導されたが、怖いもんは怖いんだよ!
年齢は、いつ頃だったかなあ……
少なくとも乳歯が一本もげてしまったので、齢は八歳前後ぐらいだったと思う。
歯が折れたのはたぶん生え変わりの時期だったのもあって、ぐらついていたからだろう。
もちろん俺は歯医者さんに行った。
普段虫歯なんかでギュインギュインとドリルで口の中をいじられるのが嫌で、歯医者さんは恐怖の対象だった。
ところがその時の俺は違った。
ある事に目覚めてしまった俺は、歯医者さんが好きになってしまったのだ。
若い歯科衛生士のお姉さんが俺の口の中を治療のために触るのだ。
その吐息はお子様の俺の首筋、耳元、そして頬へと吹きかかる。
女子と言えば母親と、元気を持て余し過ぎているふたりの小さな妹、そして同級生ぐらいしか知らない俺にとって、若い歯科衛生士のお姉さんの優しい笑顔はとても魅力的だった。
「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してね修太くん」
「ふぁい!」
なんだか気が動転した俺は、上手く返事が出来なかったのを覚えているぜ。
ずいぶんと年上のお姉さんも、今にして思えば二〇歳そこそこのお姉さんだったに違いない。
歯医者のおっさんにちょっこちょこ注意をされていたところを見ると、新人だったのかも知れない。
そのお姉さんは熱心に、けれどもおっかなびっくりな感じで俺の歯を治療してくれた。
その度に甘い吐息が俺の顔にかかり、その度に俺はとても興奮した。
しばらくして用もないのに虫歯になったかもしれないと親に架空の自己申告をして、歯医者さんに通った。
嬉し恥ずかし背伸びした、子供の頃の俺物語である。
◆
「旦那さまはずいぶんとお疲れだった様ですねえ」
サルワタの湖畔の城にある別館で生活を始めて、何度目かの夜を過ごした時の事である。
どうやら俺は夢を見ていたらしいね。
ハーレム大家族のみなさんとお布団に入ったところ、確かに誰よりも早く眠りについてしまったような自覚はあるけれども。
しばらくすると眠りから覚めたというか、夢うつつの中で奥さんたちの会話が聞こえてくるのを脳が意識したのである。
奥さんたちは俺がひと足先に寝入ってしまった後も、魔法のランタンの柔らかな灯りを頼りに、奥さま談義を楽しんでいたらしい。
「それはそうだろうの。外交使節団の大使というのは、わらわの代行者であるのだからこれは重責だ。カサンドラはあれで正妻として矜持が身に付いてきたが、元をただせばただの村娘出身だからな。セレスタやリンドルでは、お兄ちゃんとしても妻にばかり頼れる状況でもなかったのだろう」
「なるほどですねえ。こうやってサルワタに戻ってきたものだから、きっと心が安らいで気持ちよく寝ているのですよう」
この声はタンヌダルクちゃんのものだろうか。
仰向けになって眼をつむっていた俺の側に、その声音とともに甘く感じられる吐息がふうとそよいだのである。
いつもの様に香水を振っているのだろうかね。吐息が何だか俺の子供の頃の記憶を激しく思い起こさせたのだ。
きっと歯科衛生士のお姉さんの夢を見たのは、タンヌダルクのこの甘い吐息のせいに違いない。
「それにしてもドロシアさま、旦那さまは気が付かないうちに奴隷騎士から奴隷持ちの騎士に変わっていましたねえ。どこであのひとたちを見つけてきたのでしょう」
「ふむ。そなたの奥でいぎたなく寝息を立てている女魔法使いに付いてはまるで知らぬが、その女については身元がわかっている」
どうらや身を乗り出したアレクサンドロシアちゃんの吐息が、野牛の奥さんとは反対側から吹きかかって来た。
こちらは大人の女だけに備わっている様な艶とも蜜とも言える様な吐息だ。
フェロモンだ。俺が蜜に吸い寄せられる昆虫であれば、間違いなく花粉を雄しべから雌しべに運ぶ事だろう。
「おや、自分の事ですか?」
「……何だベローチュ、そなたは起きていたのか」
「もちろん奥さま方が安心して夜をお過ごしになれる様に、自分の体はいつでも臨戦態勢を維持出来る様に訓練していますからね」
「面倒な体のつくりになっているものだの。それではそなたはいつ、その体をゆっくりと休めるのだ」
「もちろんそれはご主人さまの腕の中に抱かれている時でございます。ぽっ」
「「…………」」
アレクサンドロシアちゃんの言葉の後に、どうやら男装の麗人が反応した様だ。
女領主は寝ていると思ってヒソヒソと話を振ったらしいけれど、どうやらしっかりと起きていた様だね。
いつもだらしなく酔っているニシカさんや、ちょっと人間離れし過ぎているけもみみなんかも、同じ様に寝ていても感覚の一部は常に起きているみたいだったから、ベローチュもその種の訓練を受けているのかもしれない。
問題は最後に余計なひと事を口走った事だぜ。
朝になったら、その事はしっかりと叱責しておこうと俺は思った。
「そなたはどこまでお兄ちゃんと済ませたのだ」
「どこまで、と仰いますと夜伽のお相手でございますか」
「そ、その口ぶりですと、すでに旦那さまとは済ませてしまったのですかあ?!」
「「シーーッ!」」
「あう。ごめんなさいですよぅ……」
何だか上ずり声を強めてしまったタンヌダルクちゃんに、ふたりの女たちが注意を促した。
俺は男装の麗人と夜のお相手をした事などありませんからね。
「自分は旦那さまの忠実な下僕でございますが、あいにく正妻であらせられるカサンドラ奥さまより注意をされていましてね」
「ふむ、カサンドラはお前が暴走しない様にしっかりと釘を刺していたか」
「そうですね。自分の順番は、あくまでニシカ奥さまがお情けを頂いてからだと言われていますので」
ニシカ奥さまじゃねえ!
ちなみにニシカさんは現在この城には不在である。
この村に戻ってからは戦争の準備を見据えて、少しでも食糧を得るためにサルワタの森で猟に出ているからな。
本来であれば俺の新居に居候だった彼女もこの城にやって来て寝泊りするか、妹の嫁ぎ先であるッワクワクゴロさん宅にでも転がり込むだろう。
そのッワクワクゴロさんたちもまた、森に分け入って食糧確保のために頑張っている。
「むむっ、ニシカか」
「ドロシアさまがいいお相手を見つけてこないから、こんな事になったのですよう」
「あの女をその辺りの男に嫁がせれば、その男にわらわが恨まれてしまうではないか。しかしいつまでも独身とうのも問題だ。何とかせねばなるまい」
「そうですアレクサンドロシア奥さま。いつまでたっても自分の番がまだまわってこないのです、自分の後にはマドゥーシャも控えているのですからね」
そんな自己主張が聞こえてきたところで、少し離れたところから衣擦れの音が聞こえてきた。
一瞬にして女たちの声がピタリと止まって、誰かが俺の体に密着をしたのがわかった。
先ほどの甘い吐息のかかった方角から考えれば、それはタンヌダルクちゃんだ。
どうしようもなく膨らんだその胸が、俺の腕をするすると擦るのである。
「モエキーが起きたのかと思いましたが、大丈夫でした。自分が見たところ、彼女も慣れない土地にやって来て疲れているのでしょうね」
「あの女も奴隷の様に扱っているが、一応はリンドルからお兄ちゃんが招聘して来た御用商人の四女なのだろう? 大丈夫なのか」
「そうですよう。後でその御用商人にそっぽを向かれたら大変です」
「何も問題ありません。やはり旦那さまが言うところのハーレム大家族? 一家のルールというのは早いうちに体に染み込ませておかねばなりません」
男装の麗人は、何故かモエキーおねえさんを奴隷の様に扱っているのだけれど。
その理由を聞いて驚いた。
「カレキーさんの了承は得ていますからご安心ください。手籠めにしても問題なしです」
手籠め!
さすがに俺がその言葉に反応して起き上がりそうになったところで、女たちがまたビクリと体を固まらせるのがわかった。
正直を言うと、俺はたぶん体を動かしてしまったと思う。
「これ以上話し込んでいると、お兄ちゃんが起きてしまうだろうの……」
「そうですねえ、このあたりでお休みしましょう」
「了解です。それでは奥さまがた、ランタンの火を落としますので」
そんな小さなささやきが聞こえた後に、瞼の向こう側で揺れているぼんやりとした明かりが消えた。
おやすみなさい、と小さな声が連なった後に、両側から俺の腕を抱く奥さんたちのぬくもりを感じた。
どうやらぎゅうっと抱き寄せられたらしいその腕。
そして規則正しくふたつの吐息が俺のはだけた上衣の隙間から覗く鎖骨に届く。
完全に目が覚めてしまったが、同時に息子も目覚めた様だ。
どうすんだよこれ!
「ベローチュ……」
何となく、まだ確実に起きていそうな気配を感じていた男装の麗人に向かって、俺は助けを求めてみた。
しばらく無言の空間が寝室を支配していたけれど、それもやがてはしゅんという衣擦れの音に静寂は破られる。
「やはり起きておられましたか、ご主人さま」
「助けてくれと言ったら、助けてくれるか」
「カサンドラ奥さまからは、何事も順番は大事だと言いつけられております」
「…………」
何ということでしょう。
俺は朝までたわわな胸を押し付けられながら、甘い吐息に誘惑され続けなければならないのだ。
生殺しだ……!




