閑話 サルワタの優しい掟 4
「義母上、いやアレクサンドロシアさまの居られない時に限って、この様な事が起きるとはな……」
難しい顔をして眉間にしわを寄せた村長のギムルさんは、これまでドロシアさまの執務室だったその場所で、安楽椅子に腰かけていた。
「ガーゴイルを目撃したというのは森のどの場所なのだ」
「鹿の群れが住んでいる開けた場所と岩場がいくつかある湿地帯だ。あの辺りの木を間引くのに、ミノの農夫たちを駆り出して、かなりの材木を城の建設のために運び込む準備をしていたんだがな……」
「すると、湖畔とは反対側の場所という事になるな」
ギムルさんとッワクワクゴロさんを、わたしとわたしが抱いているバジルちゃんは右に左にと交互に顔を見比べている。
さすがッワクワクゴロさんはこの森の事なら何でも知っているというベテランの猟師親方らしく、地図を引っ張り出しながらその場所を指し示しつつ、次の言葉を口にした。
「あの岩場はガーゴイルが獲物を待ち伏せするのにはちょうど良い場所だろうな。やっかいだ」
「岩場だと、何かいい事があるのですかあ……?」
「適度に視界が開けていて、湿地もあり夏は背の高い草が生える。すると鹿の群れが餌を求めて集まってくる場所なんだ。こういう岩ばかりな場所に、あの見た目も岩みたいなトカゲの親戚は擬態している事が多い」
わたしのふとした疑問にッワクワクゴロさんが解説をしてくれる。
ガーゴイルは馬ほどの大きさがあるドラゴンの親戚らしく、ワイバーンよりはふたまわりほどは小柄なんだとか。
体は樹木にも岩にも似た皮膚を纏っているんだとか。
その表面はとても硬くて「矢を通す事も至難だ」と唸る様にしてッワクワクゴロさんが説明をつづけると、それを聞いたギムルさんはますます険しい表情になった。
どうやらギムルさんご本人も、あまりガーゴイルがどういうものなのかを知らなかったらしい。
まだ子供の頃に村長さまだった頃のドロシアさまが、馬に乗って討伐に出た事があった。
それと、常人では考えられないほどの強弓で鱗裂きの二つ名を持っているニシカさんが、強引にガーゴイルを弓で射止めた事があったんだとか。
「でもですよう、大きさがワイバーンよりも小さいんだったら、そんなに苦戦する事も無いんじゃないですかあ? 蛮族猟師のみなさんと、野牛の兵士どもを集めて巻狩りをやればいいような……」
北のミノタウロスたちが過ごして来た故地では、ワイバーンたちの営巣地から近い場所にあったために、長らくその存在に苦しめられてきた。
ワイバーンはとにかく巨大だ。
食糧を収めた蔵ほどもある大きなトカゲの親戚が、空を舞いながら地上を急襲してくるのだから恐ろしい。
野牛の族長だったわたしの父親タンクデサントもまた、やはりワイバーンとの戦いで陣頭指揮を執る中、陣死してしまったのだ。
特に父親が陣死した時に目撃したワイバーンは、普通の個体よりもずいぶんと大きいものだった。
ちょうどこの村の教会堂ほどもある大きさで、それがまるで容赦なく人々の営みを破壊尽くしたのだ。
わたしたちの一族は、あちこちの居留地をやりたい放題に襲われたので、ついに故郷を捨てる決意をして今の場所に引っ越してきたのだ。
「それに、この村には医療従事者もいっぱいいると思いますし……」
誇り高きミノタウロスたちが敗北を認めた最大の理由は、医術魔法がまあり発達していなかった事かもしれない。
野牛の一族には聖なる癒しの魔法の使い手がとにかく少ない。
いない事もないのだけれど、多少の傷を癒し腫れものを小さくする事は出来ても、根治するほどの使い手がミノタウロスの中ではほとんどいないのだ。
メスを片手に医療をする技術ならば蛮族に勝るものがあったのかもしれないけれども。
ワイバーンとの戦いで大怪我をしてそのまま肉を腐らせ、死んでいった兵士たちがたくさんいた。
けれどこのサルワタには医療従事者の司祭さまもいるし、今は騎士修道会のみなさんもいるじゃないですかあ。
「駄目だ」
わたしの疑問と提案に対して、ギムルさんは短くそれを否定した。
「どうして……」
「タンヌダルク義母上、ヤツらは擬態する」
「擬態? というか、はっ義母上?!」
わたしが義母上という言葉に驚いていると、腕の中で大人しくしていたバジルちゃんが「ギュイ?」と疑問符を浮かべた。
擬態って何でしょう。
「タンヌダルク、あいつらガーゴイルというのは、ワイバーンの様に動き回って獲物を探すタイプの捕食者じゃねえんだ。わかりやすく言えば待ち伏せタイプだ。じっと岩場の中で岩になりすまして獲物が通りかかるのをじっと待つ。あるいは朽ちた樹木のふりをしていたり、沼地の泥みたいな色合いに皮膚を変えて見せたり、あいつらはそういう擬態魔法を持っていて周囲の風景に溶け込んでしまうんだ」
「魔法で皮膚を変えるんですか……」
「老獪なヤツは質感までな。ワイバーンよりは確かに小さいが、そもそも見つけ出すのが難しい。その上に、後ろからガブリとやるタイプの捕食者だから、俺たち人間が後手にまわる事も多々ある。さらに皮膚が固いので矢が通らない」
何だか、ワイバーンとは別の意味で最悪なドラゴンの親戚という事をわたしは理解した。
きっと旦那さまが今この村にいたのであれば、蛮族に並ぶ者なき無双者として、槍を片手に大暴れして仕留めたんだろうなあ。
同じことをもしかするとギムルさんも感じていたのかもしれない。
わたしの方を見やるとこう切り出した。
「まったく。こんな時に最も頼りになる鱗裂きの赤鼻と裸を貴ぶ戦士のペアが不在だ。ッワクワクゴロ、お前たちだけで何とか出来るか?」
「まず目撃情報を元にどの辺りに今潜んでいるのかを特定させないといけない。冒険者を集めてくれるか村長さんよ」
「駄目だ、冒険者はこの村にもういない」
ッワクワクゴロさんの質問に、ギムルさんは首を横に振って見せた。
何だか悪い状況であるらしくて、わたしはふたりのやり取りを静観した。
「な、何で冒険者どもがいないんだ。もしかしてご領主さまが他領地に連れて行ったのか?」
「いや、ブルカで雇った冒険者はスパイの可能性があるというので、アレクサンドロシアさまが解雇してしまった」
「何と言う間の悪い。それではガーゴイルを狩るにしても、経験豊富な猟師の数が足りないぞ。この春のワイバーン狩りでずいぶんとベテランが死んでいる。それにユルドラも死んでいるからな……」
「勢子を集めてガーゴイルを狩り出そうという作戦なのか」
「ああそうだ村長さんよ。巻狩りをするにも人間がいるし、潜んでいる場所のアタリを付けられる人間も必要だ」
それならばとわたしは思う。
「かっ数だけは野牛の兵士を使えば何とかなりませんかあ? 野牛の一族にも猟師を生業にしている人間はそれなりにいますから、いっ急いで集めるとか。あとあれです。今は他の領地もアレクサンドロシアさまが支配しているのだから、そこから猟師のひとを集めて来るとか」
スルーヌならば、うちには人質のアンギッタおばさんとクレメンスもいるので、少しはアテに出来るかもしれないと私は思ったのだ。
するとわたしの提案にのっかる様にしてゴブリンの猟師親方さんはわたしに視線を向けてきた。
「時間との勝負だな。ひとを集めているか、あるいはアレクサンドロシアさまがご帰還なさるまでに、村や集落で被害が出なければいいが。俺は今の人数で森に分け入るのはやめておいた方がいいと進言しておくぞ」
「駄目だ、それは駄目だ!」
けれどもそのご意見にギムルさんは強く拒否反応を示した。
そして言葉をつづける。
「俺は村長として村を義母上より任されたのだ。責任者としてこの程度の事も判断できないとあっては義母上を失望させてしまうではないか……」
そうですよねえ。
義母上さまに家督を譲られてサルワタの領地を預かったばかりだから、こんなところで失点稼ぎをしてドロシアさまを失望させるわけにはいかないというのはわかる。
わたしも騎士夫人として旦那さまの留守を預かって、家族を失望させるわけにもいかない。
「ギムルさん。野牛の居留地までは他の領地に使いをやるよりも時間がかかりませんよ。すぐにもわたしが居留地に向けて命令を出しますよ。とにかく、出来るだけ集められる人間に手を回しましょう」
「う、うむ。頼めるか?」
「任せてくださいよう。何といってもわたしは野牛の族長の妹ですからね!」
ドンと胸を叩いて自信のほどを口にしたところで、新婚さんのタンシエルが執務室に飲み物を持って入ってきた。
お盆の上には酒杯が三つと、ぶどう酒の瓶がひとつ。
あわててわたしがそれを手伝おうとすると、
「タンヌダルクお嬢さまはそのままで。みなさん、お飲み物の準備が出来たので、ソファにどうぞ」
「ああすまんなタンシエル。それと仮にもタンヌダルク騎士夫人は俺たちの義母上だ、ちゃんと義母上とお呼びして差し上げろ」
「はい、村長さま。タンヌダルク義母上さま、失礼いたしました」
ペコリと頭を下げるタンシエルに、わたしは困惑してしまう。
だってギムルさんもタンシエルもわたしよりも年上なのに義娘なんでおかしいし、わたしの事をママと呼んでいいのはバジルちゃんだけだし……。
「……あのですね、義母上さまはやめてくれないかしら?」
◆
みなさんそろって喉の渇きを潤したところで、ッワクワクゴロさんにひとつの提案に思い至ったらしい。
新婚のタンシエルも加えて改めて思案を巡らせていたわたしたちを前にして、こう口にしたのだ。
「ギムルの旦那、ひとりだけこの村にベテランの猟師がいる事を思い出したぞ」
妙案が浮かび思い出したという割に、その表情は浮かないものだった。
それはギムルさんも不思議に思ったのか、胡乱な表情でゴブリンの猟師親方を睨み返している。
「それはお前よりもベテランの猟師という意味か」
「まあそうだ。俺なんかよりはよほど腕が確かなベテランだろうな。あと、猟師としての才幹はこれっぽっちも無いが、弓の扱いだけは確かな人間にひとり心当たりがあるぞ……」
そう言ったッワクワクゴロさんは、とても嫌そうな顔をしていた。
何だろう。
実はわたしもゴブリンさんの言葉を聞いて、ひとつ思い当たるものがあった。
でも、もうひとつについてわたしにはまだわからない。
「だいたい想像がついたが、言ってみろ」
「俺から提案させるあたりがギムルの旦那もせこいな。マイサンドラだよ、俺にとっては狩りのイロハを教えてくれた師匠みたいなもんだ。あの女が物見の塔の地下牢に繋がれていただろう、マイサンドラならばたぶん、ガーゴイル狩りの時に確かな戦力になる。実際に単独で仕留めた経験も度々あったはずだ」
マイサンドラ。
それは義姉さんを手籠めにした悪漢オッサンドラの姉だった。
ブルカ辺境伯のスパイで、教会堂の助祭さんや冒険者のカムラおじさんたちと共謀してこの村と義姉さんを滅茶苦茶にするために悪事を働いた人間だ。
いくらベテランの猟師で腕は確かなのかもしれないけれど、そんな信用の置けない人物を利用するべきなのかどうなのか、わたしには理解できなかった。
「ガーゴイルは確かにワイバーンよりも小さい」
状況をあまり理解していないタンシエルの事はともかくとして、ギムルさんもわたしも期待感より不満の方が大きかった。
それでも、平然と無視する様にッワクワクゴロさんは続ける。
「だが擬態するために発見は難しいし、ベテランと言えども必ず怪しい場所を特定するとも限らない。見落とせば背後に回られるので、単独でいるところをやられる。ペアで活動しても似た様なものだ。だからと言って勢子を固まって運用するなどはもっての他だ」
「…………」
「それに、もともとガーゴイルは村の周辺に出没する様な個体ではないけれどな、今は材木を切り出すためにかなりの人間が森に入っている。近づかなければ問題ないと無視できるものではないぞ村長さんよ」
言葉を区切ったッワクワクゴロさんは、改めてギムルさんを諭す様につづけた。
「それからもうひとつ。俺の嫁は鱗裂きの妹だ、猟師としては駆け出しも同然だが、鱗裂きと同じで風の魔法が使える。俺んところは本当は新婚なので嫁を危険な場所に出すのは嫌なんだがな……。選択肢としてはそう言うやり方があるとだけ言っておく」
決めるのは村長の旦那と、警備責任者のタンヌダルクだ。
難しい顔をしたままゴブリンさんはそう締めくくった。
えっ。ニシカさんの妹さんって、ッワクワクゴロさんに嫁いでたんですかあ?!
わたしは小さくつぶやいてしまう。
「はっ初耳なんですけどお……」
【ガーゴイル】
ドラゴン目ワイバーン科に属するトカゲの親戚。
岩や枯れ木、地面などに擬態して単独で獲物を襲う捕食動物である。
個体差はあるが馬ほどの体格をしており、皮膚の上面が非常に硬い。
擬態の際には皮膚の色や質感を魔法で変えてみせる。




