閑話 サルワタの優しい掟 2
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「ちょ、ちょっと待ってください」
作りものの微笑を浮かべたドロシアさまに向かって、わたしは咳き込みながらも抗議した。
「待つとは何をだ。ん?」
「いっいくら蛮族の風習だからって、旦那さまの奥さんが次々と増えるなんておかしいじゃないですかあ。文化的で誇り高きミノタウロスの家庭というのは一夫一妻と相場が決まってるんですよぅ」
「ほう」
犬や牛の種付けじゃあるまいし……
「ではそなたの兄は妻は何人いるのかの?」
「え? いませんよう。兄はまだ若い独身ですし、一族を統べる族長だから、引く手あまたなんですよ」
「わらわたちの夫も同じだ。何しろ聞くところによればお兄ちゃんは女神の守護聖人だと言うではないか。女神の祝福を受け、この世界に降誕したという事を世の貴族どもが知れば、これは引く手あまただ」
「……エルパコちゃんはわかります。あの子はシューターさんの愛人なのだから、何れ奥さんになるのだと義姉さんも言ってましたし。村長さまもわかります、実は旦那さまの前ではいつもおめかししていたし、惚れてるんでしょう?」
「ほっ惚れてなどいないわ!」
「でもガンギマリーさんはどういう事ですか! あのひとは教会堂の聖少女さまなんでしょう。宗教のひとと血縁同盟なんて聞いたことがありません。前からあの変なガラスのアクセサリーは気に入らなかったんです。あのひと変人ですか?」
「む、無視をするでない。惚れてないと言っているだろう。惚れられているんだ!」
「じゃあ村長さまはどうして結婚したんですかあ?」
ギロリとわたしが睨みつけると、しどろもどろになったドロシアさまは視線を外した。
やましい。
やましい想いが心の中にあるから視線を外したのだ。
「わっわらわは惚れた腫れたなどという年齢ではないわ。そう、大年増だからな! そもそもからして、お兄ちゃんはわらわの事を好きだとか、いっ言ってくれた事もないし。妹みたいなもんだし?」
「アレクサンドロシアさまは妹なのに、お兄ちゃんと結婚しちゃったんですかあ?」
「せ、政治だ! 何事も支配者というのは政治向きに物事を見定めねばならん。そうこれは政治だなのだ!」
政治が聞いてあきれる。
いつも身に着けている様な真っ赤なドレス同様に、ドロシアさまの頬は染まっていた。
「そ、そなたこそ。ミノタウロスのルールに従うのであれば、家庭とは一夫一婦でなければならぬのであろう。妻に子供が生まれなかったとき、族長たるタンクロードはどうするつもりなのだ!」
「そ、その時はお妾さんを囲うのです。お妾さんは一族の掟によって許されていますから。現に兄さんはいっぱいお妾さんがいるんです。将来この中から奥さんを決めると……」
「何だつまらん。この国のルールとたいして違いはないではないか」
「そ、そうですかね……。そうかもしれませんよう」
「そうであろう。ではこうしようかの、お前は今後お妾だ。カサンドラが最初に結婚した妻であるから、第二夫人などと言わず今後はお妾という事になるだろう違うか? わらわもお前も、ガンギマリーもだ。エルパコは愛人のままでいいな」
「えええっ? この誇り高き野牛の族長の妹であるわたしが、お妾さんですって?! 駄目です村長さま、訂正してください! 断固抗議します!!」
もう抗議しておるだろうとため息をついた村長さまは、興奮するわたしを見やって諭す様に言葉を口にする。
「この国の高貴な身の上の人間は、みなそうしているのだ。これが貴族社会、そして政治というものなのだからな。そなたは第二夫人であるからよいではないか。それからわらわは村長ではない……」
「す、すいませんでした蛮族の領主さま。するとアレクサンドロシアさまは第何夫人になるのですかあ?」
「わらわは第三夫人だ、義姉ちゃん」
お、義姉ちゃん……。
力強くソファから身を乗り出したドロシアさまは、鋭い眼光でわたしを睨み付けるのだった。
こんな年上の蛮族の領主さまに義姉ちゃんなどと言われても嬉しくない。
エルパコちゃんはもともとわたしが来る前から愛人だったし、変なガラス玉を付けた聖少女さまも悪いひとじゃないし。
けれども、際限なく今後政治だと言って旦那さまの奥さんが増えるのは困りますよう。
わたしの事を見てくれる時間が短くなるじゃないですか!!!
でも、眼の座った様子でドロシアさまが必死で訴えかけてくるので、何だかこれ以上は強く抗議出来なくなってきました。
「第二夫人と言えば正妻が留守中に家を守る大切な役割だ。そなたには苦労をかけるが、わらわたち一家の第二夫人として、しっかりと役割を果たしてほしい。お兄ちゃんもきっと喜ぶぞ」
「旦那さまが喜ぶ……?」
「その通りだ。さあさあ、まずはわらわたち義姉妹の契りを確かめるべく、呑もうではないか。この酒はゴルゴライから取り寄せた上等の酒だ」
さあ呑め、とばかり空いた酒杯になみなみとハチミツのお酒が注がれた。
「よし乾杯だ。わらわとお義姉ちゃんの絆に」
「かっ、乾杯。でも、お義姉ちゃんはやめてくださいよう」
何となく蛮族のご領主さまに丸め込まれた気がしたけれど、これも高貴な身の上にある妻の倣いだ。
お妾さんにされるよりはいいと、渋々納得する事にした。
屋敷に戻ったら、あかちゃんに足を舐めさせて慰めてもらう事にしよう。
あれって癖になりそう……
◆
旦那さまが留守にしていようと、奥さんが増えようと、朝陽は昇り山の向こうに毎日落ちていくものだ。
「はあン、あっあかちゃん、今度は土踏まずをペロペロしてごらんなさい……」
「キュッキュッベー!」
「こら、あかちゃん、まだ終わっていませんよう。最後まで、最後までわたしを慰めて……!」
舌足らずなそれでぺろぺろするのに疲れたのか、あかちゃんは足を舐めさせている途中で遁走してしまった。
まったく、いつまでたってもわたしに懐かない。
今夜はお肉を上げるのはやめて、部族の者が届けてくれたマダラパイクの干し肉にしましょう。
あれは美味しくないので普段は犬のえさにしているものだ。
「うふふっ、お肉をおねだりして来たらおどろかせてあげます」
それにしても。
旦那さまが留守にしている間、わたしはとにかく暇だった。
やる事と言えば新しく引っ越した新居の前にある畑のお手入れを命じる事、それから来る日も来る日もお茶を飲んで過ごすだけ。
気楽なものであるけれど、旦那さまがいないんだからこれは仕方の無い事だ。
わたしが屋敷の外に出ると、どうしても村の人間たちが奇異の眼でジロジロとこちらを見て来るのだ。
特にわたしの豊か過ぎる胸とお尻に視線を向けている事がいただけない。
それから野牛の一族にとっては誇りも同然である角だ。
指をさしてヒソヒソ話をしているのを見かけた時は、頭にきたので「文句があるなら堂々と言ったらどうですか? それとも蛮族の癖に、そんな度胸も無いんですか? 馬鹿にしてるんですか?と言ってやった。
旦那さまが帰ってきたら、ピシャリとひと事お叱りになってもらいたいものですよう……
ちなみに。
前の小屋みたいな家の前に合った畑は、そのまま移民としてやって来たひとに譲る事になったので、改めて耕さないといけない事になった。
もちろんわたしは高貴なるミノタウロスの族長の妹で、蛮族の騎士夫人だ。
畑を耕すのはわたしのお仕事ではない。
「タンヌダルク奥さま。畑の手入れが終わりましたべ」
食堂で高貴な蛮族の嗜みであるというお茶を楽しんでいたところ、そう報告をして来たのはクレメンスという女だった。
ほんの少し以前まではスルーヌという蛮族の村で幹部をやっていたそうだが、村の領主の娘を人質にした際に、付き従ってこのサルワタにやって来たのだ。
本当のところは領主を売って密告したというので、村に居られなくなったのだと思っている。
「ご苦労さまですよう。荒れ放題の畑でしたけど、少しは使えるようになったのですかあ?」
「んだす。ッボロリというゴブリンが奥さまのお風呂を覗こうとしていた事があったろう。んだもんで、罰としてここ数日、畑の石拾いをさせていたんだす」
「ああ、ッワクワクゴロさんの弟さんでしたねえ。まったく! 貴婦人のお尻を見ようなどと不埒な事を考える助兵衛ゴブリンは私刑にすればいいんですよう。私刑!」
「おかげで畑は使い物になる様になっただ。もともと開墾だけはしてあったですし。今から植えられるのはケールとルッコラ、それにホウレンソウだべ」
さっそく根付けをしただす、と訛りの強い口調でわたしに報告をしてくれる。
クレメンスという女は田舎言葉丸出しのお姉さんだけれど、年恰好はわたしや義姉さんよりも上で、身長も高かった。
きっとその田舎言葉さえどうにか出来れば、さぞ村ではモテモテだったんじゃないかしら?
「さ、クレメンスも手足を洗ったらお茶にしましょう。何といっても我が家はお貴族さまの家系ですからねえ」
「お、おらも頂いていいのだすか?」
「当然です! でも助兵衛のゴブリンさんはいらないので、女たちだけでお茶にしましょう」
「んだす。あんな助兵衛はこうしてこうして、ああだす!」
薄い野良着に腰の剣という不釣り合いな格好のまま、拳を握りしめてブンブンやって満足したのだろう。
クレメンスは一礼すると玄関口で手足の泥をすすぎに退出していった。
「キャッキャッキャ!」
クレメンスの後を追いかけて、トカゲのあかちゃんが走っていく姿が見えた。
まったく!
ご飯を餌にして躾けてあげようと思ったのに、足の裏を舐める事ばかり上達して言う事をひとつも聞かないんだからあかちゃんは!
それもこれも旦那さまが甘やかしてばかりいるからだ。
そんな事を考えてフンスカしていると、だんだん旦那さまの事を思い出して寂しい気持ちが募ってきた。
旦那さまは外交の旅にお出かけになってからも、時々短いお手紙を送ってれる。
義姉さんの文と一緒に伝書鳩で届けられるその文は、いつも「俺のかわいい奥さん」と書いてあった。
旦那さまは文字が読み書きできないと義姉さんやドロシアさまには聞いていたけれど、どうやら事情が違うらしい。
全裸を貴ぶ部族の読み書きはちゃんと出来て、もともとは筆まめなひとだったのだとガンギマリーさんが言っていたと義姉さんの手紙にあった。
文字はまだ拙くてミミズが這いずり回った様ないかにも蛮族らしい汚らしいものだったけれど、書かれたそれそのものは丁寧だった。
お返事は二度お送りしたけれど、ちゃんと届きましたかあ旦那さま?
あかちゃんが以前、旦那さまから送っていただいた大切な手紙を食べようとしたので、大騒ぎになった事があるのだけれど、それ以後わたしはきちんと悪戯されない様に隠している。
はじめてもらったお手紙は胸の内に、もう一通は嫁入り道具の行李の中に、しっかりと仕舞い込んでいるので今は安心だ。
毎日寝る前に引っ張り出して、読んでいるのはみんなには内緒。
ちょっとだけ、クレメンスが戻ってくるまでに手紙を眺めていようと思ったところ、
「タンヌダルク奥さま。ギムル村長さんの奥さんというひとが訪ねてき……奥さま。あんたは何をやってるんだすか?」
「キュブー?」
「タンヌダルクお嬢さま、わたしは出直した方がいいでしょうか?」
もぞもぞと胸の谷間に挟んでいたお手紙を取り出そうと、わたしが服の隙間に手を突っ込んでいるところを見られてしまった。
呆れた顔のクレメンス、ギムルさんの奥さんになったタンシエル、それからあかちゃん。
「な、何でもないですよう。あらタンシエルこんにちは!」
「あんまりおかしなことを奥さまがやっていると、旦那さまが戻ってきた時に日頃の素行を疑われますだべ」
「忘れてクレメンス!!」
◆
気を取り直して、わたしたちは女だけのお茶会をする事になる。
お茶会の主催はわたしだ。
義姉さんがいる時はそれが義姉さんのお役目だけれども、義姉さんがいない今は第二夫人のわたしの役目なのだ。
旦那さまはドロシアさまのお話によると奥さんが増えたという事なので、義姉さんが大切にしている何事も順番が大事という家族のルールを考えても当然だ。
わたしがまず、みなさんにお茶を淹れて差し出し、最後に自分のそれに注いで手元に戻す。
蛮族のお作法はよくわからないけれど、きっと誇り高いミノタウロスの所作を見て、みなさんもきっと驚いている事だろう。
「まずいわねクレメンス、あなたが淹れた方がいいんじゃないかしら?」
「な、何ですって?!」
ところがわたしの淹れたお茶に注文をつけた女がいた。
スルーヌという村の領主の娘、アンギッタだ。
「何だかとっても温いですし、ちょっぴり酸っぱい気がします」
「ぐぎぎ……」
「それに、ミノタウロスの淹れたお茶なんて、やっぱりわたしの口には合わないわ」
「はぁ? 何を言ってるんですか? 文句があるならご自分で淹れればいいじゃないですか? お湯も沸かしたことが無い、料理もした事が無いという役立たずの人質の癖に、偉そうですね?!」
「人質ではありません。わたしはサルワタの売女に招かれた客人なのですよ」
食卓に座しておすまし顔をしたアンギッタは、ぷいとそっぽを向いて不満を垂れたのだ。
この女、村に人質として連れて来られてからはこのお屋敷で預かり身分なのだ。
「クレメンス、この高慢ちきな女を無礼打ちにしなさい」
「ま、待ってくださいタンヌダルクお嬢さま」
「いいえ命令です。たちの悪い更年期障害のひとはジンターネンさんだけで十分です。さあ殺してしまいなさいよう!」
わたしはタンシエルとクレメンスにあわてて止められてしまったけれど、腹が立ってしょうがなかったので脅すつもりで叫んでしまった。
特に何をするわけでもなく、今は留守にしているエルパコちゃんの部屋で寝起きし、ただただご飯が不味い、お風呂が無いのは文化程度が遅れている、と日頃から文句ばかり言っている。
しかも文句ばかり多いくせによく食べるし貴重な油もよく使う。
この前なんかは勝手にわたしの化粧品を持ち出して、義姉さんが大切にしている手鏡まで使ってメイクをしていた。
いい齢のくせに、あなたには紅や白粉は似合わないですようと、言ってやりたいぐらいだった。
「クレメンスがやらないなら、わたしがやりますよ。誰か旦那さまの剣かメイスを持ってきてちょうだい!」
いい機会だから誰がこの屋敷を預かる人間か知らしめてやりましょう。
どかんとわたしが食卓から立ち上がって命令を飛ばしたら、どうするか逡巡していたタンシエルが「族長の妹さまで、お義母さまにもあたる方の命令には逆らえません」と言って走っていった。
おろおろしているのは旧主に対する負い目でしょうかあ。
「助けてクレメンス!」
うふふ。困ったさんのアンギッタおばさんは、腰を抜かして平伏したではないか。
すいませんすいませんと、頭を下げるのはちょっといい気味ですよう。
まったく蛮族どもは横柄か陰口を叩くしか能がない連中ばかりだから、わたしはこの際すっきりしたかったのだ。
今では村長夫人のタンシエルを使ってしまった事は申し訳ないけれど、許してちょうだい。
刃こぼれの著しい旦那さまの短剣を受け取って本身を抜くと、平伏したアンギッタおばさんがおずおずと顔を上げた。
「あ、足を舐めます。足を舐めたら許してくれますか?」
「なっなっな、何を言ってるのですかあ、あなたは」
「タンヌダルク夫人は足を舐められるのが好きなんでしょう? わたし、はじめてただけど頑張りますから、命ばかりはお助けを……」
さっきのあの姿、見られていたのだ。アンギッタおばさんに!




