145 そしてその毒は踊りだす 中編
「シェーン子爵は、ギムルお兄さんと同じ臭いがするのです」
休憩室に寝かされたけもみみの寝台の側で、先ほどまで俺の座っていたイスに腰かけたようじょが俺を見上げながらそんな言葉を口にした。
「それは具体的に言うと、よそ者嫌いをこじらせた感じという事でしょうか」
「それもあるのかもしれないのです。けれど、それよりもマリアツンデレジアさまに向ける視線というか、態度というものだょ」
どう説明をしていいのかわからないらしく、もどかしそうに言葉を選びながらようじょが言っている様だった。
「上手く言葉に出来なくてごめんなさい……」
「いいんですよ、直感的にそういう風に感じたんですねッヨイさまは」
「はい、そうなのです」
「ではカラメルネーゼさん、あなたの眼にはどう映りましたか」
ようじょと男装の麗人のサポートをするため、先ほどまでシェーン子爵との歓談の側に立っていた蛸足麗人に視線を向けると、思案気に小首をかしげながら言葉を口にする。
「そうですわね。政治向きの事にはあまり興味を示しておられないという風に、印象がありましたわ」
「その辺りはマリアツンデレジアと最初の会見を済ませた後の謁見で、俺も似たような印象を受けたな」
献上品の目録を読み上げ、自分たち外交団の主要な人間を自己紹介しても「ふうん、大儀」とひと言だけ口にした程度で四六時中、心ここにあらずといった感じだったからな。
それがである。けもみみに魔法の風弾を打ち出した時のシェーン少年は、一見すると感情のこもらない顔をしていたようにも見受けられるけれど、その実どこかに物事を面白がっている様な印象があったのも事実なのだ。
「それから、何かをぼんやりと待っているという風にも、今にして思えば見受けられましたわ」
「何かを待っている」
「ええ、例えばですけれども。エルパコ夫人が騒動を起こす瞬間をじっと待っていたという様な。言ってみれば、養女さまたちがご挨拶と夜会のお礼を口にするためお近付きになった時も、わたくしたちに対して特に視線を向けるという事も無かったものですから」
つまり、早撃ちシェーンはエルパコが誰かを斬り伏せる事を知っていたという事か。だとすれば、それは無視できない事実だ。
「もしもそうなのだとしたら、今夜この舞踏会の会場で、何者かが暗殺事件を行う事を知っていたという事になりますよ」
「どうですかね。わたくしにはエルパコ夫人が剣を抜く事を知っていたとは見えなかったですわ。視線はわたくしたちに向けていないけれど、夜会の開かれた大広間の中で視線を泳がせていたというのが事実ではないかしら。それと、」
「それと?」
「御台さまのマリアツンデレジアさんがシェーンお坊ちゃんを強く叱責なさった時、ちょっと表情が難しい顔をしていたのが気になりましたわね」
傾げていた小首を正面に戻しながら、しっかりと俺を見据えるカラメルネーゼさんである。
「なるほど、そういう意味でのギムルにどこか似ているという事か」
「ギムルさんという方をわたくしはよく存じ上げていないのですけれど、アレクサンドロシアの義息子なのでしょう?」
「そうですね、マザコンのいい齢こいた青年です」
「見たところは顔の表情にあまり気持ちを表していないシェーン坊ちゃんでしたけれど、少しだけあの時は気持ちが入っていた様に感じたのですわ」
シェーン少年について人となりをほとんど知らない俺たちからすれば、カラメルネーゼさんのその言葉には今夜起きた事件の何かしらの解決の糸口があるんではないかと、どこかそんな風に感じた俺である。
「シューター、話し中で悪いのだけれども」
「ん、どうしたマリ。エルパコの調子はどうだ?」
ふとした時、寝台に横たわったけもみみの側で脈を取ったり気付けを嗅がせたりしていた雁木マリが、うんうんと思案していた俺たちの方に視線を向けて言葉を続けてきた。
「脈は正常な数値に感じられるし、後頭部への損傷も聖なる癒しの魔法で回復をさせておいたから。表面上は特に問題があるという事はないと思うわ。目立った外傷も無かったことだし、今出来る事はこれだけ」
「脊髄の損傷とか、そういう事はないだろうな」
「大丈夫よ、あたしの魔法はこれでも騎士修道会で一番の腕なのよ。安心してちょうだい」
この場にカプセルポーションなどの即効性がある薬品類が無い事が俺の中で不安ではあったけれども、ひとまずその点に言及する必要はないらしい。
「時間が経過すれば目を覚ますと思うけれど、いったん宿まで彼女を運んで、それからの事は考えましょう」
「動かしても大丈夫なのか?」
「今はまだやめておいた方がいいわね、しばらくこのまま寝かせておきましょう」
俺と雁木マリのやり取りを聞いていたカサンドラは、心底安心したようにけもみみの側で彼女の手を握りながらほっとため息を漏らした。
「シューターさん。わたしに出来る事はあまりありませんが、エルパコちゃんが目を覚ました時にしっかりとお礼を言えるように側にいようと思います」
「うん、そうして手を握ってあげていてくれると俺もうれしい。目を覚ましたらいつもみたいに頭を撫でてやらないとな」
「はい、思いっきり可愛がってあげてください」
そんなやり取りの最中に、コンコンと少し狭い休憩室のドアがノックされる。
ドアの前で警備のために立っていたベローチュが即座に動いて外の様子を伺うと、果たしてマリアツンデレジア夫人に仕えている女中おばさんが顔を出したのだった。
「失礼します。御台さまが大使閣下おふたりにお話があると申し上げております」
「わかりました、すぐに向かうので少々待っていてください」
この場をカサンドラと雁木マリ、カラメルネーゼさんにお願いした俺は、すぐにも立ち上がってマリアツンデレジア夫人のもとへ向かう事にした。
◆
「ご主人さま。シェーン子爵というのは自分の見たところ、かなりの優良物件と言えると思いますよ」
「ベローチュにはそう見えるか」
「はい、あれは女で人生を駄目にするタイプの人間です。そこのところを上手く手綱を握る事が出来れば、御しやすいかと」
リンドル子爵家の御台マリアツンデレジア夫人が待っているというシェーン子爵の居室に向かうその道すがら、男装の麗人はその外見に似合わないようなシェーン評を小声で俺に語った。
控室の入り口には野牛の兵士タンスロットさんと鱗裂きのニシカさんを、もしもの時の護衛のために残している。
大使おふたりをと呼び出されたのだから、本来はカサンドラも連れて来るべきだったかもしれないが、自分を守って気を失ったけもみみの側に残ったカサンドラの代わりに、今の俺はベローチュだけを連れている状態だ。
「そう思うなら、ご主人さまの鞍替えをするか。俺は別に構わないぞ」
「ははは、それもひとつの将来計画かもしれませんね。けれども、」
大切な家族けもみみに手を上げられたにも関わらず、この様な時に冗談でも軽口の類を口にするベローチュに対して俺は正直不愉快な気分になった。
けれども、どうやらそれは俺の誤解だったらしい。
軽口の類に思えたそれは男装の麗人なりの分析で、話には続きがあった。
「あれは義理とは言え、母親を見る眼とは言えなかったと思いますよ自分には」
「どういう意味だ、それは」
「シェーン子爵が御台さまを見ている視線ですよ。あれは母親に向ける者じゃなくて、何か特別な感情を抱いているものです」
「何か特別な、感情」
「そうです。自分も年頃の女ですからね、恋愛の機微には敏いですよ」
自分で自分を年頃の女などと言ってのけたベローチュは、俺に身を寄せながら上目遣いを向けてきた。
リンドル城の廊下を歩きながら、男装の麗人は生真面目な顔のまま続ける。
「例えばですけどね」
「うん」
「自分の家の場合、父が戦死したために母は別の男性と再婚したのであります。うちは母が騎士で父が兵士だったので、次の結婚相手は戦場に出る事がない街の市民だったんですよ」
「ほう。一般男性の方か」
「しかも新しいお父さんは若い男でしたよ。それもヒト族の。当時の自分はシェーン子爵か養女さまと同じぐらいの年齢だったから、そういうところはわかるんです」
「憧れというやつか」
「そうですね。憧れというか初恋というか。母より若い新しいお父さんなんですから、それはもう母にはもったいないとか、自分はお父さんと将来結婚するんだとか、わけのわからない事を言っていましたよ」
「ふむ」
「そういう視点で見ていてください。自分の言っている事、シェーン子爵が何を考えているのかぼんやりわかってきますよ」
なるほどそういう意味において、シェーン少年にはギムルと同じ臭いがするとようじょが言ったんだろうな。
アレクサンドロシアちゃんとギムルの関係が、マリアツンデレジアとリンドル子爵にそのまま当てはまるのではないかと。
意味深に男装の麗人はそうやって先ほどまで生真面目だった顔を崩した。そしてそこに悪い顔を浮かべる。
「ご主人さま、もういち度言います。あれは女で人生を間違いなく駄目にするタイプですので、その点を突いて味方にする事が出来るかもしれません」
「だがあいつはエルパコに手を上げたという事実がある。何もなしではいそうですかと引き下がる事はしないぞ、俺は」
「何事も政治ですよ」
それが政治で、けもみみに手を上げた事実を無かった事にするというのなら、俺には政治向きの事は向いていないんだろうな。
「復讐するつもりなら、そういう方法でやる事も出来ます。必要になれば自分が何でもしますから、お命じ下さい」
「…………」
先を行く女中おばさんにがマリアツンデレジアの待っているシェーン子爵の居室前に立つと、こちらですと一礼して扉をノックした。
俺はたぶん苦虫を噛み潰した様な複雑な顔をして、扉の前に立っていただろう。
男装の麗人ベローチュの言葉は、悪魔のささやきの様に俺の耳にずっとこびりついていた。
◆
「この度は知らぬこととは言え、義息子がエルパコ夫人に対してとんでもない事をしでかした件について、ともどもに深くお詫び申し上げますわ」
マリアツンデレジア夫人が俺に向かって深々と頭を垂れながら謝罪の言葉を述べた。
その隣には悪戯をしでかしたクソガキが、とても嫌そうな顔をしながら一緒に頭を下げる。
いや、マリアツンデレジアの手でもって強引に頭を下げていると言った方が正確だろう。
「それで、エルパコ夫人のご容態はどういった具合ですの?」
「外傷も無く、命にも別状はないという事であります」
「それは不幸中の幸いですの……」
憮然とした気分のまま謝罪にも返事をせず難しい顔をしていた俺に代わって、ベローチュが回答した。
するとマリアツンデレジア夫人とオゲイン卿が顔を見合わせてホッとした表情を浮かべていた。
両者は互いに派閥の長であり、あるいは代理者である。けれども謝罪をするにあたって呉越同舟とでもいうのだろうか、顔を突き合わせているらしい。
「起きてしまった事をどうこう言うのはあまり好きではないんですけれどもねえ。どうしてこういう事になったのか、原因の方が俺たちサルワタの人間は知りたいわけです」
「そのご意見はしごく最もなものですわ」
「だったら、シェーン子爵の口でそのあたりの事を聞かせていただけませんかねえ」
この場には俺と男装の麗人、そして相対する側にシェーン子爵を挟む様にしてマリアツンデレジア夫人とオゲイン卿が立っている。
互いに応接セットに向かい合う様な格好だが、ここは応接間の豪華なものに比べるとあくまでも簡易的なものしかない様子だった。
ここはシェーン少年の居室という事だったが、部屋にはマリアツンデレジア夫人の趣味である絵画が飾られてはいる。
最初にこの城内に訪れた時だったか、女中おばさんが子爵の趣味は絵画集めなど芸術だ、などと言っていた気がする。
あの時は「あくまでもマリアツンデレジアの趣味を子爵の趣味という風に言い換えている」というニュアンスに俺は受け止めていたけれど、どうやらあながち女中おばさんの言葉は間違っていなかったのかもしれない。
この部屋に向かう道すがら、廊下で男装の麗人が語った事を思い返してみると、面白い様に思い当たるというものだ。
懸想した相手の義理の母親に対して、少しでも近づこうという気持ちがあるのかもしれない。
事実、部屋の絵画のなかのいくつかにはマリアツンデレジアの肖像画がしれっと紛れ込んでいるではないか。
状況が違えば微笑ましい、叶う事がない想いと笑い飛ばす事も出来たかもしれないが、今はクソガキめと内心に思うばかりだった。
そしてすぐ隣で「言った通りでしょう」という顔を男装の麗人がしていた。
ただのドM気質がある奴隷志願者なのかと思っていたが、ベローチュは仕事の出来る人間なのかも知れない。
「僕は悪くない。僕は城内でしかも、舞踏会の最中に剣を抜く様な尋常でない人間を註しただけだからね」
「子爵さま! この期に及んでまだそのような事を言うのですの? どういう了見でこのような事をしでかしたのか、申し開きはないのですか?!」
癇癪を起したマリアツンデレジア夫人に、一瞬だけ身を縮こめてシェーン少年が不満を口にした。
「だって僕はただ、今日の舞踏会で剣を抜く者がいるはずなので、注意してくださいという家臣の言葉に耳を傾けただけだ。義母さまに褒められこそすれ、その様なお叱りを受ける事なんてあるはずがないんだ」
「なん、ですの……」
「事実、舞踏会では剣を抜いてひとを一人斬り殺した殺人犯がいて、それを僕が倒した。そもそも義母さまは忘れているんじゃないですか。このサルワタの連中がゴルゴライでしでかした事を」
いち度は義母の怒りに萎縮したシェーン子爵であったけれど、悪びれるどころか得意そうな表情を浮かべた彼は、俺たちにその矛先を向けて来たのだ。
そう。この瞬間に俺は見逃してはいけないものをふたつ目撃した。
ひとつは一見して無表情に見えるその顔色は、確かに感情の機微が存在していたのである。鼻を少しひくつかせるようにしてその優顔を歪める時は、自信満々の表れなんだろうぜ。
ついでに、このクソガキは「ゴルゴライでしでかした事」と確かに口にした。俺たちがゴルゴライの準男爵と揉め事になった後、フェーデとその後の一連によってゴルゴライ領を併呑したという事実を知っていたのである。
マリアツンデレジア夫人とダアヌ夫人派のオゲインおじさんを見る限り、このふたりは驚いた顔をしていてどうやら知らなかったらしい。
「誰がその様な事を子爵さまに注進なさったのです。婆や、あなたは知りませんの?!」
「いえ、わたくしめは存じ上げておりません」
「ではオゲイン卿ですの?」
「わしもその事は知らん。というか、ゴルゴライの事というのは……」
困惑したオゲイン卿の言葉を遮る様にシェーン子爵は立ち上がった。
「義母さま、おじさま。僕はとても不愉快なんですがねえ。サルワタの蛮族風情に下げる頭などは僕は持ち合わせていないんだよね。こいつらが帰ってくれないならぼくの方から失礼するかな」
お待ちなさい、というマリアツンデレジアの言葉を無視するようにシェーンは部屋を飛び出して奥の間へと閉じこもってしまった。
「……拗ねたな」
「……拗ねましたね」
俺とベローチュは小声でそう言い合った。
「か、重ね重ね甥の仕出かしたことにお詫び申し上げる。改めてエルパコ夫人のところにお見舞いに伺いますぞ。ゆえ、平にご容赦ねがいたい」
「そうですわ。シェーンさまはああ見えて心優しい少年なのです。将来はきっとリンドルをしょって立つ……」
ふたりの謝罪の言葉を聞きながら俺は深いため息を隠し切れなかった。
シェーン子爵から謝罪の言葉を引っ張り出す事は、たぶん何をやっても出来ないだろう。
ついでにあの子爵には俺たちに対する警戒心というか批判めいたものを感じた。
「もういいです、子爵さまに何かを吹き込んだ人間がいるのでしょ? それが誰なのか調べておいた方がいいんじゃないですかねえ。後で知ったらブルカ辺境伯の人間が接近して工作を行っていましたという可能性もある。手遅れになる前に手を打つことだ」
そして俺たちもこの街で出来る限りの情報収集をする。
「これから城下で触滅隊なりブルカ伯についてなり、独自に調べさせてもらいますよ。邪魔だてはしないでいただきたい」
俺はそれだけを言ってマリアツンデレジア夫人とオゲイン卿を放り出して、シェーンの居室を退去した。
こんな胸糞の悪い場所には一秒だって居たくはなかった。
だがシェーンがもし自分たちの領地を守るため、そのつもりで俺たちに対抗心を燃やしているというのならそれは理解できる。
掛け違えたボタンはどこまで行ってもズレているものだし、咬み合わない歯車はどこまで行っても連動する事はない。
「おいベローチュ」
「はい、ご主人さま」
「仲良し外交ごっこをするのはもうおしまいだ。あの早撃ちシェーンの事を可及的速やかに、可能な範囲で徹底的に洗い出せ。君は官憲の出身だったから、調べ物は得意なんじゃないかね」
「任せてください。ご主人さまのご期待に沿える様、ただちに準備に取り掛かります」
廊下を出てしばらく歩いあところで俺はベローチュに振り返って命じた。
「ところでご主人さま」
「何だい」
「シェーン少年を排除するおつもりなのですか?」
「……まだわかんねぇな。必要があり可能ならそうするが、何事も段取りが八割だ。勢いでやるのは馬鹿のやる事だからね」
「ごもっともです。さすがご主人さまです」
「おだてるなよ。どうせ男色男爵に命じられてついてきているんだろう。すぐにセレスタにもリンドルの状況を知らせてくれ、俺もアレクサンドロシアちゃんに現状を報告しておく事にする」
「わかりました!」
男装の麗人は一歩身を引いて見せると、片膝を付きながら騎士の礼をとってみせた。




