悩める少年と首吊り少女
自殺はバカバカしい。
自殺は報われない。
自殺は意味がない。
きっと誰もが理解している。
でも、理解していても、負の感情に支配されてしまえばそういった大切なことがわからなくなる。それは仕方のないことなんだ。
だから自殺は減らないし、減ったとしてもそれは一時的な乱数補正か、あるいは人口の増減に比例しての変化。
僕は絶対に自殺なんかしないけどね。
★
「瀬川くーん」
今日最後の授業が終わった。六時間目に数学ってすごく眠い。途中から内容を覚えてなくて、でも先生が課題を出したことは覚えている。我ながら都合のいい頭だ。便利だけど。
「瀬川くんってばー」
そしてさっきから僕の名を呼んでいるのは、隣の席の女子。黒髪長髪で僕のストライクゾーンど真ん中なのだけど、だからこそ敢えてあまり接点は持たないようにしている。
話しかけられる度に「彼女、もしかして僕のことが好きなんじゃ?」とかなんとか思ってしまう浅はかな僕が嫌いだからだ。
なのに。
「なっちゃーん」
「なっちゃんって呼ぶな!」
「あう、ごめん。でも瀬川くんが返事してくれないからー」
「返事しなかったらなっちゃんって呼ばれるのかよ」
「本当は瀬川くんが女の子みたいでかわいいからー」
「やめてくれよ……」
僕は背が低い。顔が小さい。腕や脚が細い。
まつげが長い。肌もスベスベ。
髭なんか生えてないし、脇も脛も綺麗だ。
一言でいうなら、見た目が女子。
それが僕、瀬川ナツキの悩みだ。
小学校低学年の時はまだ良かった。周りの男子も可愛いやつはいっぱいいたし、僕だけが目立ったりなんかしなかった。
でも、成長するにつれ周りはしっかり男の子になって、僕だけが可愛いまま。
中学に入れば心無いやつがからかい、いじめの対象にされるし。高校に入れば心あるやつまで可愛い可愛い騒ぎ出すし。文化祭では女装しろとか言われるし。
男が可愛いって言われて喜ぶわけないだろ!
「瀬川くん、さっきの数学で出た課題なんだけどー、わからないところがあるから教えて欲しいなー、なんて」
僕が心中でどれだけ悩んでいようと、彼女はのんきに話しかけてくるんだろうな。もういやだ。
仕方なしにちょいちょいっと教えてやる。数学は得意なのだ。
彼女、中尾レナは「えへへー」とか笑いながら頷いて、取り敢えずは理解した様子。まあ、今回はある程度わかれば解ける問題だし、無理に詳しく教えてやる必要もないだろう。
そもそも、彼女とは一秒でも長く離れていたい。
僕は別れの挨拶もそこそこに、鞄を引っ掴んで速歩きで校舎を出た。
★
家から高校までのおよそ二キロくらいの距離を、僕は歩いて登校している。
住宅地の中は比較的新しい家がズラリと並び、外はぐるりと緑でところどころ山や谷がある。
「霧雲」という名のこの住宅地は、いわゆるニュータウン。それも、二つ下の弟の出産を契機に新築に引っ越したので、僕より少しだけ若い。
霧雲のど真ん中には、なぜかちょっとした丘のようなものがある。「なんとか緑地」という名前だったはずだけど(おそらくこの土地に元からあった杉林の残骸のようなものだと思う)、今はとあるジンクスに由来して「首吊り坂」と呼ばれている。
中尾レナに数学を教えた翌日。
僕はその首吊り坂にいた。
いや、別に今から首を吊るつもりでいるのじゃなくて、単に遅刻しそうだったから近道をしようと思っただけなのだけど。
「これじゃ、迂回してんのと変わらんな……」
杉の木が思いのほか邪魔で、近道に苦戦していた。朝から汗で制服が蒸れ、実に気持ち悪い。
腕時計を確認すると、すでに授業開始五分前だった。遅刻確定。僕は無駄な努力で汗をかいてしまったのか。まあ、もとはと言えば寝坊する僕が悪いのだけど。
「ふぁーあ」
あくびが出た。眠い。遅刻が確定してしまったので、さっきまであった緊張感というものがごっそりなくなってしまった。
そもそも、なぜ学校は朝から始まるのだろう。別に昼からでもいいと思う。子どものうちから生活習慣が乱れるのはよくないなんていう正論振り回したって、学生の眠気を除けるわけがない。言い訳だけど。
僕は誰もいない杉林の中でため息をつく。つまらない言い訳よりも、とりあえず寝た方がよさそうだ。
え? 学校行けって?
大丈夫、一眠りしたら行くから。寝坊したら徹底的に寝坊するべきだ。
僕は杉の木の下、ちょうど木陰になるところに場所を見繕い、雑草生い茂る坂にごろんと横になった。
女の子のパンツが見えた。
水色。
「んなっ……!」
驚いて飛び上がり、杉の木を見上げる。
幹、枝、足、脚、スカート、ブラウス、手、腕、ネクタイ、髪、首、紐、顎、唇、鼻、目、髪、紐、枝。
それは女の子。
それは高校生。
それは死体。
僕の通っている霧雲高校の制服を着ている女子高生の首吊り死体。
時折吹く風でぶらぶら揺れて。
僕はまるで白昼夢を見ているような気分だった。
死体を見つけてしまった。
シタイヲミツケテシマッタ。
こういう時ってどうすればいいんだろう。
110番?
ていうか、電話したら僕が第一発見者で、警察がやってきて事情聴取?
あーもう、そうなったら寝坊どころじゃなくなるし、ていうか。
僕が見上げているそれは、生きている死んでいるの差はあれど、僕の隣席のクラスメイトにそっくりだった。
「中尾レナ……?」
いや、彼女は昨日までピンピンしていた。現に、僕が覚えている。僕の名前を何度も呼んで、数学の課題がよくわからないからって僕に質問してきたし。数学は苦手なんだって、照れ臭そうに笑ってた。全部昨日のことだ。
目の前のそれが、僕の記憶を否定しているようで、単純に怖かった。
恐怖で涙が出そうになって、僕はその場にうずくまる。頭を抱える。ガクガク震える。
『あれあれー? もしかして瀬川くん?』
頭上から彼女の声がして、なんだ生きてたのかとほっとしかけた僕は、もう一度それを見上げてギョッとした。
透き通るような白い線と、ぼんやりとした靄のような白のべた塗り。でも向こう側の景色が見えるほどの透明度があって、まるで。
「幽霊……?」
『どろろーん』
それの隣に白銀の彼女が浮いていた。
ぷかぷかふわふわ。
『お化けだぞー』
無駄に可愛かった。