85番、リファリア
「お前ら、新しい仲間だ。丁重にもてなしてやれ。」
「うっ……。」
突然現れた奴隷商は、横にいたみすぼらしい姿の少年を広い檻の中に投げ入れた。
「………。」
獣人族、エルフ族、ドワーフ族、魔族。
檻の中には他にも様々な種族の奴隷が居たが、鉄格子の近くに横たわる少年に手を差し伸べるものは居なかった。
「………お前、人間か?」
近くにいた大柄な狼の獣人が低い声で少年に問いかける。
少年は少しの沈黙の後、小さく頷いた。
その瞬間、声をかけた獣人の横にいた虎の獣人が少年に近づき、その首を掴んで持ち上げた。
「ぐぁっ………や、め……。」
「人間が、なぜここにいる?」
このままではその質問には答えられないが、虎の獣人はお構い無しに首を締める力を強める。
「よせ、殺したらどうなるか、分からないわけじゃないだろ。」
「………チッ…。」
彼はその言葉を聞いて、渋々手を離した。
「っは……ゲホッ、ゲホッ……。」
虎の獣人が苛立ちを隠そうともせず奥の方に歩いて離れていくと、先程の大柄な狼の獣人が近づいてきた。
「人間、一応規則としてリーダーの俺からここのルールを説明してやる。だが先に言っておくが、人間のお前にここに居場所はない。さっさと買い取られるよう努力するか、諦めて自害することをおすすめする。」
少年が放り込まれた大きな檻は、数十年前の戦争の後に生まれ、これまで奴隷商にとって大きな問題を起こしたことのない奴隷が集められている。
ここにいる奴隷は買い取りは高額で、貸し出しとして取引されることが多く、貸し出されていない時は奴隷商が労働力として使うことがある。
つまり、あの虎の獣人が少年を殺していれば、奴隷商にとって不都合を起こしたとして、待遇の悪い買い手に売り裁かれるまで、厳重に管理されることになっていたのだろう。
「俺はクダン。番号は3番だ。お前は101人目だから、101番だな。で、名前は?」
「………名前…?」
少年はぽかんとした表情を浮かべていて、一向に名前を言わなかった。
「ないのか?まぁこんなところに来る人間のガキが、普通の生活なんか送ってないだろうしな。俺は別にどうだっていい。お前がなんでもいいなら101番と呼ぶ。」
「……分かりました…。」
「俺たちは奴隷だ。あの高圧的な奴隷商の言うことは絶対だし、自由に外に出ることすら出来ないが、大人しくしてれば少なくとも生きていける。生きたいなら余計なことはするな。…まぁ、お前が今後受けるだろう扱いを考えれば、死んだ方がマシかもしれないがな。リファリア!」
クダンは振り返り、遠くに座ってこちらを見ていたエルフの奴隷を呼んだ。
「リファリア、明日のお前の仕事にこの人間を連れて行ってくれ。」
「えっと……はい、分かりました。」
リファリアは少し困惑した様子を見せながらも、頷いた。
「悪いな、お前ぐらいしかこの人間を対等に扱いそうなやつが居ないからな。」
「いえ、大丈夫です。」
クダンがその場を去ると、リファリアは少年の前に立って、少し屈んで目を合わせて話しかけてきた。
「初めまして、ハーフエルフのリファリア・ウィルファウルです。」
リファリアは少年と同じようなボロ布の服を着てはいるが、細身で綺麗な顔立ちであり、どんな奴隷として普段扱われているのかは一目瞭然だった。
「私の番号は85番です。それから、母がエルフ族のお姫様で、父が人間、つまり、半分はあなたと同じ人間なんです。あなたは?」
「ひゃ……101番……。」
少年は番号を答えたが、すぐに黙ってしまった。
「………えっと…名前は…?」
「名前は……ない、です…。」
「そう……なら、名前を考えましょう?」
「名前を……?」
「えぇ、せっかくこれから一緒に過ごすんですもの。101番なんて呼んでたら味気ないでしょう?」
「そ…そうですか……。」
リファリアが奴隷であるにも関わらず物腰が柔らかく上品なのは、母がエルフの姫という高貴な血を引くからなのか、貸し出された時の役目の影響なのかは分からない。
ただ、人族への恨みなど感じられないぐらい、少年にも優しかった。
「名前…101………いちぜろいち…ひと……人族……年齢とか、好きな物とか、なにかありますか?」
「年齢は…10歳ぐらい……?…好きな物………あ…赤い食べ物…野菜……?」
「赤い野菜…?…トマトかな…?」
「分かりません…。」
「丸くて、これぐらいの大きさで…瑞々しくて…。」
リファリアが手で丸を作りながら説明すると、少年は頷いた。
「多分…そうです。」
少年のことを少し知れたのが嬉しかったのか、リファリアは軽く笑った。
「もう少し南の方だとよく取れるらしいですよ。前の奴隷商のところに居た時は時々食べれてました。」
「そう、なんですね…。」
「トマトくん…だとちょっと変ですよね……?」
「…いえ、僕はなんでも……。」
「本当に?…なら、あなたのことは今日からトマトくんって呼びますよ。」
リファリアは軽い冗談のつもりだったが、少年は特に嫌そうな反応もせず頷いたので何も言えなくなり、結局リファリアは少年をトマトくんと呼ぶことになった。
翌日の朝、奴隷商の部下が雑に人数分の食事を持って来て、一番近くにいた翼を片方失っている魔族の奴隷に分配を丸投げした。
もちろん少年は知らなかったが、それはその奴隷の役割で、いつもの事だった。
「お前ら、飯だぞ!」
そう言われるまでもなくぞろぞろと集まってきていた奴隷たちは、順々に自分の分を取って離れていく。
「……ありがとうございます…。」
最後尾にいた少年の分は、心做しか小さいような気がしたが、もう残ってないのでどうしようもない。
「おっと悪いなぁ。」
自分の分の硬いパンを受け取った少年が振り返ると、昨日の虎の獣人がわざとらしくぶつかってきて、砂まみれの地面に落としてしまった。
少年が気にせずパンを拾い上げて離れていくと、虎の獣人はその後ろ姿を睨んでいたが、結局それ以上なにかされることはなかった。きっと今より悪い生活を送りたくないのだろう。
「トマトくん、大丈夫ですか?」
「あっ……はい…。」
リファリアは少年に声をかけると、半ば強引に自分のパンと少年のパンを交換した。
「あ、あの……そのパンは……。」
「分かってますよ。でも私なら大丈夫です。ほら…。」
リファリアが反対の手をパンにかざすと、風が起こり、パンに着いていた砂は吹き飛ばされた。
「これは……魔法、ですか?」
「えぇ、正解です。母が唯一私に残してくれたものでした。」
そういいながらパンを一口噛じるリファリアを見て、少年も一口食べた。
とても美味しいとは言えない、見た目通りの硬いパンだが、空腹の身体はそれでも喜んでいた。
「あの……リファリアさん…。」
「……なんですか?」
リファリアは上品に口の中が空っぽになってから返事をした。
「僕と居ると、嫌な目に合うかも……。」
「…ぷっ……。」
「リファリアさん?」
「すみません…、ただ、この檻の中での嫌がらせなんて、私のこれまでの人生での嫌なことに比べたら、なんでもないな、って思ってしまって…。」
「そ、…それは……。」
これまでリファリアが少年に見せていたのは、ただ良い人であるという部分だけだったが、そんなリファリアとて、負の感情を持たないわけではなかった。
「あぁ、いえ、気まずい空気にしたかったわけじゃないんです。すみません。」
「…いえ…大丈夫です……。」
「………ふぅ…。……トマトくん、私昨日一つだけ嘘をついたんです。」
「嘘…ですか?」
しばらくくすくすと笑っていたリファリアは、少し落ち着くと語り始めた。
「昨日、前の奴隷商のところに居た時は、って言ったんですけど、本当は前にいたのは奴隷商じゃなくてある貴族の屋敷だったんです。」
「貴族……。」
「その人は、あるエルフの奴隷をとても気に入っていて、毎晩のように慰みものにしていました。それはエルフの奴隷が妊娠をしても変わることはなく、それどころか生まれてきた子どもですら、6歳の誕生日を迎える頃にはその貴族の夜の相手をさせられるようになっていました。」
きっと言うまでもないだろう。
その子どもこそ、リファリア本人だった。
「その子どもは、それを当たり前のことなんだと思っていました。ある時、母が突然殺されるまでは。………その日、本当はその子どもが相手をするはずだったのに、母が魔法で子どもを寝かせ、自ら貴族の元に向かいました。そして母は行為の末、果てた貴族の寝首を掻こうとしました。ただ、そんなこと、この隷属の首輪が許しません。」
リファリアは自分と少年の首に着いている首輪を優しく撫でた。
「目を覚ました私が貴族の部屋で見たのは、反射された炎の魔法で苦しむ母が、貴族に撃ち殺される瞬間でした。それからすぐに、その貴族は私をも恐れて奴隷商に売ったんです。」
少年が黙って次の言葉を待っていると、悲しい過去でも笑顔を崩さず語っていたリファリアが、少し真面目な表情になった。
「私はここに来てから、落ち着いていて心優しい奴隷を演じています。でも、私にだって、人族への強い恨みが……母をあんな目に合わせた父への強い怒りがあるんです。………トマトくん、もしだけど…。」
リファリアは急に少年に顔を近づけた。
「もし、私も、他の奴隷たちも、奴隷商たちでさえ何も言わないとしたら、私をそういうものにしたい?」
広い檻の奥、他の奴隷たちからも見えない物陰で、少年に覆い被さるように迫るリファリアは、少年の答えを待っていた。
「…あっ、あの、リファリアさん。」
「何?」
「僕は、い…嫌です……。」
「………嫌?」
その答えは、リファリアにとって意外なものだった。
あの貴族や、これまでリファリアを借りた人たちのように獣になるか、まだ幼い少年なら分からないと答えると思っていた。
「それは、傷跡を新しい傷の痛みで誤魔化してるだけ…だと思います。傷は……治さないと………。」
「………。」
「えっと…僕になにか出来るかは…分からないですけど……。」
リファリアは、少年の真っ直ぐな目を見て落ち着き、ある秘密を語り始めた。
「………トマトくん、実は私、ここを抜け出そうとしてるんです。」
「抜け出す……?…でも、それこそ首輪が……。」
「いえ、実は仲間に一人、首輪を解除出来る人が居るんです。その時が来たら、トマトくんも一緒に逃げましょう。種族なんて関係ない、誰もが自由であるべきなんです。」
二つ返事で決められることではない。しかしその提案は、奴隷なら誰しも興味を惹かれるものだった。
「リファリア、101番……ここにいたか。」
少年が返事をする前に、クダンが二人の前に現れた。
「そろそろ時間だ。行くぞ。」
「あっ、はい。行きましょう、トマトくん。」
「トマトくん?」
「名前が無かったみたいなので、私がつけました。トマトが好きみたいだったので。」
「ふん、そうか。」
クダンは特に気にする様子もなく、歩いて去っていった。
「今日の仕事について、説明してなかったですね。と言っても、そんなに難しいことではありませんから、心配しないでください。」
結局、その後はそのまま仕事について教えてもらい、計画について話すことはなかった。
リファリアの仕事は、近くの鉱山で取れた鉄の運搬だった。
一見力仕事のように思えるが、リファリアは魔法でカバーしていた。と言っても、魔法が使えないのならその通りなのだが。
この鉱山には少年たちの居る檻に居なかった奴隷も多くおり、どうやらここに奴隷を派遣することで奴隷商にお金が入っているらしい。
また、奴隷以外にも貧困層の人族も多く働いている。
「よっ、リファリアちゃん、今日も可愛いね。」
「おはようございます、タルバさん。」
仕事場に着いた途端、一人の人族の男がリファリアに声をかけながら、馴れ馴れしく肩を叩いた。
「ん?君は新人かい?…って、君、人族じゃないか?」
「あっ、はい……そうです…。」
「この国で人族の奴隷なんて有り得るんだな……しかもまだ子どもだし。まぁなんだ、何があったかは知らねぇけど、ここでは奴隷でもそうじゃなくても、扱いは変わんねぇ。仕事が出来るなら問題ないし、出来なきゃどうなっても知ったこっちゃねぇ。せいぜい頑張んな。」
「わ、分かりました…。」
「今日はリファリアちゃんに着いていきな。魔法が使える分、この辺じゃかなり優秀なんだぜ。」
「は、はい。」
「じゃあ行きましょうか。」
少年はその日、ほとんどリファリアについて行っただけだったが、きっと明日からは自分でやることになるだろう。
その途中で会う人々は、皆リファリアを高く評価しており、彼女が優秀なのだということはすぐに分かった。
ついでに、そのうちの多くの人がリファリアの身体を見ていた事にも気づいた。
「ふぅ、時間ですね。」
日が傾いてきた頃、遠くから鐘の音が終業時間を知らせてきた。
「そうだな。さすがリファリアちゃん、このペースだと今期も大丈夫そうだ。」
「いえ、これは皆の力を合わせた結果ですよ。」
「だとしても、リファリアちゃんの力は大きいよ〜?じゃ、リファリアちゃん、それからトマトくんだっけ?お疲れさん!」
「はい、お疲れ様です。」
「お疲れ様でした…。」
二人はタルバと別れると、自らの足で奴隷商の元へ帰り始めた。ここで逃げ出せないのも、首輪があるからだ。
首輪は簡単に追跡できるようになっており、最終手段として強力な電流を流して奴隷を殺すことも出来る。
もし本当にこれを外すことが出来るのなら、ほとんどの奴隷は逃げ出し、中にはこの国に革命を起こそうとする者もいるだろう。
「あの、リファリアさん。」
「どうしたんですか?」
「えと…昨日から、色々とありがとうございました。」
「急にどうしたんですか?気にしないでください、これから一緒に生活していくんですから、支え合っていかないと。」
「いえ………。ところでリファリアさん……本当に逃げ出すつもりなんですか?」
「それは……。」
「僕は、今日の仕事…悪くなかったと思うんです。皆、リファリアさんを高く評価してました…。」
「……今日の仕事場は、そうですね。でも、いつもそうとは限りません。特に、私が貸し出された時は、昔のことを思い出して、本当に嫌なんです。」
「…だから、逃げたいんですね。」
「……えぇ。」
少年は、小さく溜め息をついた。
「リファリアさん。」
「どうしたんですか?」
リファリアは相変わらず、優しく微笑みながら少年の言葉を待っていた。
「…短い間でしたが、ありがとうございました。」
「………え?」
「火事か……なんか最近物騒だな…。」
少し遠くに火の手が上がっているのが見える。
すっかり暗くなっているが、そのせいで近くに住んでいる人は避難を余儀なくされていた。
「…えっと、この辺りみたいだが…。"良いもの"って、一体……。」
『この場所に、あなたにとって良いものがあります。興味があれば、今日中にここに来てください。どうするのかは任せます。』
二人と別れた後、ポケットにメモが入っていることに気づいたタルバは、そこに書かれていた場所にやってきていた。
そこは路地裏のゴミ置き場だった。
「うわっ…くっさ……。本当にここに良いものなんてあんのかぁ…?………ん?」
ゴミの山の中、一際大きな何かが転がっているのが見えた。
「………これって、まさか……。」
タルバが近づくと、それはやはり、人だった。
「人っ……、いや、リファリアちゃん!?」
力なく横たわるリファリアに駆け寄ると、背中から鋭い何かで一刺しされたことが分かった。
それ以外は少し前に会った時と何も変わらない。………いや、一つだけ違うことがあった。
「……首輪が外れてる…。」
首輪は追跡装置だ。奴隷がどれだけ酷い目にあっても逃げないのは、これが理由だと聞いたことがある。
とても外せるものではないとも聞いたことがあるが、現に外れているのでおそらく外せると思わせないために広められた噂だったのだろう。
「………"どうするのか"は任せるって書いてあったよな…。」
タルバの頭にある考えが浮かんだ。
「どうせこのままほっといたら奴隷商に死体を回収されるだけだよな……首輪がないなら、奴隷商も追えないはず……。」
タルバは動かないリファリアを抱えて立ち上がった。
「そうだ……きっとそうに違いない…。リファリアちゃん、もう大丈夫だ。奴隷商には回収させないからね…。」
タルバはそのまま、夜闇の中を駆けて行った。
それを少年に見られているとも知らずに。
「…その場でヤると思ったけど、まさか持ち帰るとは。まぁいいや、首輪さえ見つかれば、奴隷商も首輪を外せる誰かが居ることには気づく。」
少年は踵を返し、元の檻に向かって帰り始めた。
「悪いな、85番。僕は全部が人族だ。首輪を外して逃げ出す可能性があって、魔法を知っている。そして人族と敵対する理由も持っている。なら、人族のために、見逃すことは出来ない。」
人間は、エルフ族のように魔法は使えない。
人間は、獣人族のように強い力はない。
人間は、魔族のように特殊な力は持っていない。
しかし人間は、どの種族よりも残酷だった。
「移動中、火事の騒ぎに乗じて数人の男に襲われた……。まぁ、そんな感じでいいか。…あぁ、僕が無事すぎるとおかしいな。」
少年は一切躊躇なく自分の腹部や顔面を数回殴った。
「こんなもんかな。これで信じるだろ。」
水溜まりで自分が酷い顔になっているのを確認して、少年は再び歩き出す。
「よく考えたら、もっと仲間の情報を引き出すべきだったな……まぁいいか、あそこにいればそのうち誰が仲間なのか分かるだろ。」
火事に照らされて、空が曇ってきたのが分かる。
この後は強い雨が降りそうだ。
「………あぁそうだ、そういえば、僕が好きなのは、トマトじゃなくてリンゴだよ、85番。」




