第三十話 陥落の道化札と激闘の開始
ペテラウスが発動させた極義『道化札』。
道化札結界内では、ペテラウスの有利に事が進むようになる。
そんな厳しい状況でも、フィオナとグイルは勝機を見出そうとしていた。
「……何なのですか、その目は!」
ペテラウスは、扇のように広げた手札の奥で、口角を不気味に釣り上げた。
だが、その声は以前のような余裕に満ちたものではなかった。
どこか、苛立ちと、得体の知れない不快感が混じっている。
「くっ……!」
フィオナは痺れる右肩を左手で押さえ、痛みに顔を歪めながらも、その鋭い視線は一瞬たりともペテラウスから逸らしていなかった。
彼女の左指先からは、細い糸が砂利のように床に散らばり、市松模様のタイルの境目、魔力の流れ、道化札の光が届く範囲……あらゆる「情報」を冷徹に収集していた。
その横で、全身血だらけのグイルが、震える両足で辛うじて立っていた。
籠手は砕け、呼吸は荒い。
だが、その瞳に宿る闘志は、先ほどよりも一層激しく燃え上がっていた。
事実、状況は完璧にペテラウスが支配している。
(私の攻撃は必中、私の防御は無敵。ネズミどもの攻撃は届かず、詠唱すら無に帰す……!)
彼は内心で、自分にそう言い聞かせた。
(なのに、なぜ……なぜ、こいつらから『負けの匂い』がしてこない……!?)
ペテラウスの手札を握る指先が、わずかに震えた。
ボロボロのグイルからは、肉体の限界を超えた執念の魔力が溢れ出している。
そして、傷ついたフィオナは、絶望するどころか、まるで難解なパズルを解いているかのような、冷徹なまでの観察眼で私と結界を見つめている。
(ネズミの分際で……私の極義を、恐れないというのですか……!?)
その「折れない心」が、ペテラウスのプライドを逆撫でし、得体の知れない恐怖を植え付けていた。
彼は内心の焦りをかき消すように、手札から『K』を引き抜いた。
「目障りなネズミどもめ……!その生意気な瞳ごと、粉砕して差し上げましょう!」
ペテラウスがカードを放つ。
『道化札』が赤く発光し、二人の敗北が決定づけられた必中の攻撃が、市松模様の戦場を駆け抜ける。
「……フィオナ!」
「ええ、分かってるわ」
だが、二人は動じない。
絶体絶命の攻撃が迫る中で、フィオナの指が床に散らばった糸を強く弾いた。
彼女の瞳は、勝利への唯一の糸口を、捉えようとしていた。
「K・エスカラーヴ!」
結界内に黄金の鎧を纏った騎士のような分霊が出現する。
分霊は即座に大剣を構え二人に襲い掛かろうとした。
だがそれよりも早くフィオナの放った無数の糸が鋭く分霊へと殺到する。
分霊のターゲットがグイルから『目前に迫るフィオナの糸』へと強制的に変更された。
その一瞬の隙を突き、グイルはペテラウスの懐、完全にゼロ距離へと詰め寄っていた。
「無詠唱でも一応、発動できるんだなぁ!これが!」
「なっ……!」
至近距離での無詠唱『共鳴締』。
詠唱を省いたことで本来の精度は落ちるが、ゼロ距離で発動させることで強引に威力を保たせた。
四方八方からペテラウスの肉体を直接押し潰すような凄まじい音圧が襲い掛かる。
分霊はフィオナの糸を薙ぎ払い、すぐさま主の危機を救うべくグイルの排除に向かおうとするが、フィオナが息もつかせず次弾の魔術を仕掛ける。
分霊は再びグイルではなく、最も距離が近く直接的な脅威であるフィオナの魔術を弾き落とす動きに入った。
(やっぱりね。あの自動防衛はペテラウスに対する『一番近くの直接的な脅威』を最優先で排除するようプログラムされているみたいね)
ビキビキ、メキッ……!
「が、あぁぁッ……!」
音圧によってペテラウスの全身の骨が今にもひしゃげようとしていた。
「こ、このネズミどもがァァァァッ!!」
激痛と恐怖に顔を歪めたペテラウスは、震える手で数字の『2』のトランプを四枚同時に引き抜いた。
「四天の裁き《クアッド・ジャッジメント》!!」
四枚の『2』が光を放ち、グイルの放った『共鳴締』の音圧を強制的に吹き飛ばして消し去る。
本来『四天の裁き《クアッド・ジャッジメント》』は相手がどんな魔術であろうと、その場の縁を強制的に自分のものへ塗り替え相手にぶつける『攻撃』の極め手だ。
道化札の結界発動中に一度しか使えない最強の切り札である。
だがペテラウスはこの時、自身の命の危機に対する焦りから冷静な判断を失い、この攻撃札を『防御』として浪費してしまったのだ。
もし本来の使い道である攻撃に回していれば、グイルの命は無かっただろう。
「ハァッ、ハァッ……!流石にこの私でも焦りましたよ」
音圧から解放されたペテラウスが嗤う。
その横でついに分霊がフィオナの牽制を突破し、グイルの背後へと大剣を振り上げた。
「ですがここまでです。ネズミの分際では本当によくやった方でしょう」
「……終わりなのはお前の方だろ」
「何を強がっているんですか!忘れたのですか?この結界内ではどんな魔術も無意味なんですよ!」
グイルは右の拳を固く握りしめ、ペテラウスの顔面に向けて真っ直ぐに振り被った。
「だからどんな攻撃も無意――」
ゴッ!!!
ペテラウスの言葉は、顔面に深々とねじ込まれたグイルの『ただの拳』によって遮られた。
「ぐぶァッ!?」
魔術の防御もジョーカーの結界も一切発動しない。
グイルの重い一撃がペテラウスを吹き飛ばし、結界の境界である窓枠を突き破る。
ペテラウスはそのまま眼下の庭へと真っ逆さまに落下していった。
ドガァァァァン!!
主が意識を失い縁の供給が途絶えたことで、グイルに大剣を振り下ろそうとしていた黄金の分霊も砕け散って消失する。
「……久しぶりに素の拳で殴ったぜ」
「お疲れグイル」
痛む肩を押さえながらフィオナが歩み寄る。
「フィオナ。お前の言う通りこの結界は『縁が込められていない純粋な物理攻撃』には反応しないみたいだったな」
「ええ。だけどただの攻撃じゃあいつを仕留めることは出来なかった。あいつを極限まで削って疲弊させた上で、一発で決めないといけないなんて……とんだ理不尽な魔術だわ」
二人が眼下の庭を見下ろすと、ペテラウスが墜落した瓦礫の土煙の中で人々がパニック状態に陥っているのが見えた。
「グイル。まだ終わったわけじゃないわ。すぐに下に向かいましょう」
「ああ」
◆シエロ視点
スカラルド家の新邸、荒れ果てた中庭。
「お前、これ以上ルイドスに何かしてみろ。お前のその醜い顔ごと消し飛ばす」
ヴィクターさんの声は、静かだが、底知れぬ怒りで溢れかえっていた。
「あら、随分と大口を叩くのね。スカラルドを捨てたお前に、ルイドスがどうなろうと関係ないでしょう?それに、一体誰にここまで育ててもらったと思っているの」
「黙れ。あなたに聞いていない」
「……ッ」
親子の情など微塵もないイザトラの言葉に、ヴィクターは吐き捨てるように言い放つ。
それを聞いたイザトラは苛立たしげに爪を噛み、その不快感を隠そうともしなかった。
「……もう、あなたは母親ではない」
「チッ……!だったら、お前には――」
「ルイドスは俺の弟だ。それはこれからも変わることは無い」
その言葉が、イザトラのプライドの限界を超えさせた。
「もういいわ。そこまで言うなら、私が直々にお前を……今すぐこの世から消し去ってあげるわよ!」
イザトラが扇子を振り下ろす。
高密度に圧縮された巨大な植物の塊が、ヴィクターに向かって砲弾のように放たれた。
ヴィクターは即座に魔術で防御を展開するが、重傷の身体では防ぎきれず、激しい衝撃と共に後方へと吹き飛ばされる。
「ヴィクター!」
兄が鋭く叫ぶ。
イザトラは吹き飛んだヴィクターを執拗に追いかけ、彼が体勢を立て直す前に容赦ない追撃を放った。
「もう二度と、スカラルドに関われない身体にしてあげるわ!」
鋭い鞭のような無数の植物が、ヴィクターに襲い掛かる。
ジャキィィィンッ!!
だが、その植物の鞭がヴィクターさんを打ち据えることは無かった。
「まだ、私とのケリもついてないんだけど!」
凄まじい速度で割って入ったセリナが、巨大な戦斧で植物の鞭をまとめて斬り伏せたのだ。
「……マーガレット家の亡霊め。鬱陶しいわね」
忌々しげに睨むイザトラを前に、ヴィクターがゆっくりと立ち上がる。
「ありがとう。誰だか分からないが、どうして俺を庇ってくれたんだ?」
「私はセリナ。私もあいつとは、まだ絶対に終わらせられない因縁があるのよ」
ヴィクターはふっと口角を上げ、セリナの肩にポンと手を置いた。
「ありがとう、セリナ。俺はヴィクターだ。悪いが、その戦いに俺も加わらせてもらっていいか?」
「勿論よ!あんな人でなし、一発重いのを喰らわせないと気が済まないわ!」
二人がイザトラと激しく切り結び、戦場を中庭の端へと移していく。
一方、僕たちの目の前では――。
「ルイドス様!」
騒ぎを聞きつけたスカラルド家の医療班が駆け付け、血まみれで倒れたルイドスを担架に乗せて運び出していった。
「ルイドス……!」
「大丈夫だ、シエロ」
思わず駆け寄ろうとした僕の肩を、兄が引き留めた。
「お兄様……」
「さっき、あいつが言っていただろう。あの子を殺す気はまだないらしい。……今はそれよりも、目の前のこいつをどうにかしないとマズい」
そう、この中庭の中央には今、あの禍々しい縁を放つ巨大な黒い鎧と――僕、そして兄の三人だけが残されていた。
兄が僕を庇うように一歩前に出る。
「おい、ハイケル。俺は知っている。お前さえここで倒せば、スカラルド家はこれ以上大きく出られないことを。それに、お前達『魔物』が何故スカラルドの裏についているのか知らないが、一体何の意味があるんだ?」
ハイケルは答える代わりに、大剣を持ちながら一歩ずつ、ゆっくりとこちらへ向かって歩き出した。
ズン、ズンという足音。
彼が一歩足を踏み出すだけで空気が軋み、僕の全身が本能的な恐怖でガタガタと震え上がる。
「我々は魔物ではない。――『魔族』だ。そこらの知性のない雑種と一緒にされては困るな」
(魔族……!?こいつに、満身創痍のお兄様と僕の二人だけで勝てるのか……!?)
「それに、我々の目的が貴様に何の関係がある?」
「……友達の為だ」
兄が真っ直ぐに答えると、ハイケルは兜の奥で、心底馬鹿にするように鼻で笑った。
「理解できんな。たかが他人の為に己の命を捨てるというのか?人間というのは、我々には到底理解できない愚かな存在だ」
「お前達には、一生理解できない事だろうな!」
兄が叫んだ瞬間。
実は背中に隠していた右手の指先で、兄は小さく『合図』の印を結んでいた。
直後、ハイケルの上空に無数の巨大な氷塊が音もなく生成され、頭上から一気に降り注いだ。
(お兄様、いつの間に魔術を!?)
「よく縁が尽きないものだ。先ほどから小賢しい真似をするが、私には傷一つ――!?」
「なら、これはどうだ!」
氷塊を目くらましにしてハイケルの背後へ回り込んでいた兄が、両掌を黒い鎧の背中に直接押し当て、ゼロ距離から剣を生成して突き立てようとしていた。
「小賢しい!」
ハイケルは片手で大剣を振り回し、背後の兄を乱暴に薙ぎ払おうとする。
兄は間一髪でそれを後方へと跳んで回避した。
「流石にあのゼロ距離で食らえば、お前もただじゃ済まないようだな」
少しだけ動きの鈍ったハイケルに、兄が不敵に笑う。
苛立ったハイケルが直ぐに兄へ飛び掛かろうと足に力を込めた――が。
「!?」
ハイケルの足元は、いつの間にか僕が生成した硬い岩によって地面と強固に固められていた。
(今だ!)
「炎斬!」
僕はハイケルの背後から、炎を纏った風の斬撃を放った。
斬撃はハイケルの背中に直撃する。
だが――黒い鎧には焦げ跡一つ、傷一つ付かなかった。
(クソッ!僕がビビっているせいで、全然近づいて撃てなかった!)
「ほう?」
背中に僕の攻撃を受けたハイケルは、ゆっくりと首だけをこちらへ向けた。
「ただの雑種かと思っていたが……少し変わった縁の性質を持つ雑種が混ざっているな」
(……!前に森で会ったあの黒い魔物も、僕の縁を見て同じようなことを言っていた。もしかして、さっき無意識に出たあの魔術と何か関係があるのか?)
「『あのお方』にも、随分と気に入られそうな縁だ」
「あのお方って、どいつの事だ!」
「そうだな。お前には知る権利がある。いいだろう、教えてやろう――」
ドガァァァァン!!
ハイケルが言葉を続けようとした瞬間、兄の放った巨大な岩石がハイケルの顔面に激突した。
「悪いが、シエロに変な思想を吹き込むのは辞めてもらおうか」
「……もう、お前には興味はない。死ね」
ハイケルは鬱陶しそうに岩を弾き飛ばすと、標的を完全に兄へと戻し、両手で持った大剣を力任せに振り下ろした。
大剣が空気を裂いただけで生み出された『衝撃波』は、僕が全力で放つ斬撃の何倍もの破壊力を持っていた。
「お兄様!」
ガギィィィンッ!!!
兄は即座に分厚い鉄の盾を生成し、その破格の衝撃波を真正面から受け止めた。
だが、ハイケルの放つ一撃の重さは常軌を逸していた。
ピキ……ピキ、ビキビキビキッ……!
「くそっ……!」
バゴォォォォンッ!!
鉄の盾が限界を迎えて粉々に砕け散る。
その凄まじい崩壊の衝撃と共に、兄はそのまま吹き飛ばされていった。
「お兄様!!」
僕の悲痛な叫びを遮るように、巨大な黒い鎧が、音もなく僕の眼前に影を落とした。
「さて。……話の続きと行こうか」
赤く濁った瞳が、逃げ場のない僕を真っ直ぐに見下ろしていた。
――荒れ果てた中庭で始まった、圧倒的な絶望を誇る魔族ハイケルとの死闘。
その傍らで激突する、ヴィクターとセリナによるイザトラへのケリ。
家族の為、友達の為。そして、謎に包まれた『あのお方』の為。
それぞれの譲れない想いが交錯する凄まじい激闘の幕が開けた。




