失敗から学ぶこと
前半、エリーゼside、後半、アロイスsideになります。
実演販売初日を終え、放心状態のエリーゼは馬車に揺られていた。
色々纏まらぬ思いを巡らせていると、シュピーゲル家に着いた。
差し出されたホフマンの手に、エリーゼはそっと手を添える。
足取り重く馬車を降りながら、エリーゼは堪らず吐露する。
「ごめんね、上手く手伝ってくれたのに、結果を出せなくて……」
すると、ホフマンがエリーゼの指先をぎゅっと握った。
「商品説明を聞いている人々の反応は、良かったですよ。ただ、客層が合わなかっただけです」
慰めているようでそうでない、熱の醒めた様な言葉を投げかけられ、エリーゼはホフマンに反射的に訊いた。
「――――上手くいかないって、分かっていたの?」
「まぁ……、予想はしていました」
「……」
ホフマンの誤魔化さないはっきりと答えに、屈辱感が増した。
何で言ってくれなかったんだと、恨みがましく見てしまう。
「正直な人々の反応を見た方が、良かったと思いますよ。今日の失敗は、今後の糧にすればいい事ですから」
とどめを刺されて、エリーゼの胸に深く突き刺さり傷をつけた。
(意地悪ホフマンの再来だわ! 微妙にへりくだった口調で言うところもムカつくわね、この、したり顔……)
エリーゼが失敗してへこむと分かっていて、傍観していたと分かり、気分は最悪だった。
実演販売の失敗は、エリーゼのリサーチが甘かったのが最大の敗因だ。
しかし、頭で分かっていても、ホフマンの酷い仕打ちに腹が立ち、文句を言ってしまいそうになる。
グッと堪えて、エリーゼは息を吐いた。
「お兄様に報告に行くわ」
「はい、お供します」
「……」
アロイスの執務室へ向かうエリーゼの後を、ホフマンが黙って付いてくる。
アロイスにエリーゼのダメっぷりを披露するつもりかと、悪い方向に勘ぐってしまうが、仕事の報告なのだから、ホフマンが同席するのは自然だ。
エリーゼは、モヤモヤしながら執務室の扉をノックした。
アロイスの入室を許可する声がして、エリーゼは緊張しながら扉を開けた。
「おかえり、エリーゼ」
「ただいま帰りました、お兄様……」
エリーゼは無意識に唇を噛んだ。
「どうした、酷い顔をしているぞ。エリーゼ」
アロイスが、驚きもせず平坦な声で言う。
その態度に、エリーゼはまた確信する。
(あぁ……、やはり。お兄様も今日の失敗を予想していたのね)
「申し訳ありません。成果を上げることが、できませんでした」
「成果、なかったか……」
「はい、全ては私の責任です。ホフマンは良くやってくれましたが、私の見通しが甘かったです」
叱責を甘んじて受ける覚悟で、エリーゼは頭を下げた。
「甘かったとする原因は、分かっている?」
アロイスはただ平静を保ち、エリーゼに訊いた。
エリーゼはその時、自分はアロイスに今試されていると悟った。
これからの領地改革のかじ取りを任せられるのか、見極めようとしている。
ただ静かに挙動を見守るアロイスの姿から、緊張感がひしひしと伝わってきた。
帰りの馬車の中で、失敗の原因をずっと追究していたので言える。
正解であれと祈りながら、エリーゼは口を口を開いた。
「失敗の一番の原因は、人が最も集まる時間を選んだことで、全く客層を考えていなかったことです。あの時間に来店する人々は、良いものを安く買おうとする地元の平民が多いことを、考慮していなかったからです」
「そうだね、目に留まる人数が多くても、高価な包丁を買えない人々ばかりでは、売り上げに繋がらない」
アロイスの同意に、エリーゼは、自分の分析が合っていたと思った。
「……3万5千ヨーロが、あれほど高いと驚かれるとは思いませんでした」
「下級とはいえ、貴族に生まれて、良い条件で働いているエリーゼには、やっぱり分からなかったか……。ハッキリ言うと、平民の月収は、平均5万ヨーロと言うところだ。月収の7割もする包丁は、高すぎると言われてもしかたないよね」
「……」
王太子宮で、月収30万ヨーロもらっていたエリーゼは、息を呑んだ。
身分階級で、給与金額が違うのは何となく分かってはいた。
しかし、実際の感覚では全く分かっていなかったのだと思い知った。
前世は、身分階級なんて廃れて、跡形もなかったから理解出来ているはずなかったのだ。
「エリーゼの設定した価格で買える人に、まずはアピールすべきだ。幸い、あの店は貴族の観光客も、沢山くる場所だ。まず、その客層をターゲットにして、少しづつ売っていくのが良いと思う。平民向けに大量生産して、価格を下げて販売する方法は、クルト独りでは到底できない。だから、まず、確実に売れる道を選ばないといけない」
「――――はい……」
「一度失敗したくらいで、くさっている暇はないぞ。何が何でも、売れるように軌道修正して、実演販売を続けるんだ。あのブースは、1カ月借り上げているからな。すでに金がかかっているんだ。有効に使えよ」
「はい」
エリーゼが澱みなく返事したのに満足したのか、アロイスは微笑んでエリーゼの頭をポンポンした。
「ともあれ、初日、投げ出さずにやりきったな。エリーゼ、あとはしっかり食べて、寝ろ」
「……」
アロイスは、発動させていた結界を解除した。
どうやら、見極めが済んだらしい。
当主らしい威圧から、エリーゼはようやく解放された。
「ホフマンも、ご苦労だった」
「――――いえ……」
アロイスが、実演販売の継続を許してくれた。
一応は、首の皮一枚は繋がったようだと、エリーゼは、音のないため息を吐いた。
「お兄様、失礼します」
「あぁ……、リタが夕食を用意してくれている。後で一緒に食べよう」
「はい」
「ホフマンは、少し残ってくれ。話がある」
エリーゼが執務室を出ると、再び結界が張られた。
どんなに耳を澄ませても、二人の会話は漏れ聞こえてこない。
アロイスとホフマンが、何を話しているのか気になったが、聞こえないのだから仕方がないと、自室へ向かった。
自室に着くと、どっと疲れが噴き出してきて、ベッドに寝転ぶ。
やっと緊張から完全に解放されて、瞼が重くて開けていられない。
そして、エリーゼはそのまま眠ってしまい、朝まで目が覚めることはなかった。
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エリーゼが退室した後、アロイスは消音付与した結界を張り直した。
エリーゼがいる間、出来るだけ沈黙を貫いていたホフマンが口を開く。
「平民に寄ってたかって値段が高いって言われて、エリーゼ様、真っ青になっていましたよ。可哀想で見ていられませんでした」
「貴族との接触は? なかったか?」
アロイスは、ホフマンの苦情は聞き流し訊いた。
「はい、ありませんでした」
「そうか、それは良かった。貴族に実演販売をぶち壊わされる事態にならないように仕向けて、正解だったな。引き続き、エリーゼに寄ってくる貴族が居たら、全て報告してくれ」
「かしこまりました」
ホフマンが何か言いたげな顔をしている。
「何か、不満か?」
ホフマンは分かっているくせにと悪態を呟き、アロイスと対峙した。
「そうですね。いくら貴族とエリーゼ様を接触させたくないからと言って、わざと平民しか来店しない時間に実演する様に仕向けたのは、どうかと思います」
「俺が誘導したからと言っても、エリーゼ自身が間違いに気づけば回避できた失敗だ。失敗しないように手を差し伸べるのは、エリーゼの成長を妨げることになるからしたくなかった。実際、平民の平均月収すら知らない男爵令嬢が、事業改革できるはずない。しかし、エリーゼは俺たちを納得させてしまう豊富な知識でここまでやってきた。エリーゼが、『アル・マハト』の発案者だということを隠して、全ての成果を俺がやったことにして欲しいと言ってきた時、あいつが王都でどんな立場にいるのか、理解できた気がした。危うい立場だということがな」
アロイスは、エリーゼのことは独りで抱えきれないと判断し、すでにホフマンに洗いざらい話している。
「エリーゼを利用しようとする輩が、これから湧いて出てくるだろう。そんな奴らから守ってやれるのは、俺たちしかいない」
「エリーゼ様が、記憶喪失を装っているのも、その知識を周りに知られないためですよね」
「そうだな。魔道具を使って、結界を張って周囲に情報を漏らさないように気を付けている。隙を見せない徹底ぶりは、記憶があることを隠そうとしているに違いない」
「行動が素直過ぎて、隠せていないことに気づいていない所が、無防備で心配になりますよね」
ホフマンは、苦笑いして遠くを見た。
アロイスも、黙って何度も頷いた。
「あぁ、婚約者のラルフ・フォン・アーレンベルク侯爵令息は、特に注意してほしい。彼の知り合いと名乗る者も、当然要注意だ。エリーゼがこちらに来てから、侯爵令息が一度も会いに来ないことに違和感を持っている。エリーゼはラルフを慕っていると言っていたが、侯爵令息がエリーゼをどう思っているのか分からないからだ。もしかしたら、騙されている可能性すらあると、俺は考えている」
「――――許せませんね。エリーゼ様を騙して、利用しているなんて……」
「相手は、上級貴族な上に、実姉が王太子妃殿下だ。王族というとんでもない大物が、背後にいる。エリーゼが王太子宮で働いているのも、身内ぐるみでエリーゼを囲うのが目的だと考えると合点がいく」
「王族が、一男爵令嬢にそこまでするのは、確かに異常ですね」
「それほど、エリーゼの頭脳は、すごいものだということだ」
「……」
推測の域を出ない考えだが、状況が揃い過ぎていて否定もできない。
「ホフマン、エリーゼはしっかりしているようで、世間知らずな娘だ。エリーゼに悟られず、守りを固めたい。ホフマン、出来るだけあいつの傍に居てやってくれ」
「はい、お任せください」
ホフマンが迷いなく承諾してくれて、有難いと思うと同時に、親心のような感情も湧いてくる。
「ホフマン、エリーゼが幸せなら、相手は誰でも良いと思っている。例えば、お前でもな」
ホフマンはなぜか傷ついたような顔をしてから、アロイスから目線を逸らした。
「お戯れを……、畏れ多いことです」
「お前は、恋愛に関しては潔癖だな。エリーゼは婚約しているが、まだ独身だ。充分間に合うぞ」
「……」
「まぁ……、いい……。もうすぐリタも出産を控えているし、俺はエリーゼだけに注意を払えない。お前が頼りなんだ」
「はい、この命にかえても、エリーゼ様を守ります」
死んでもエリーゼを守るというホフマンの意気込みに、アロイスは苦笑いしツッコミを入れた。
「なんだ、やっぱりもう、あいつに囚われてんじゃん……」
アロイスは、目の前の不器用な使用人を笑い飛ばした。
エリーゼと会わない約束を、律儀に守っているだけのラルフに、アロイス兄は誤解して激おこ。
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