突撃令嬢
「まぁ!皆さん!その節は大変お世話になりました!」
演劇のような台詞回しに、さっきの劇に感動して影響を受けてしまった人が騒いでいるのかと思ったら、違うみたいだった。ダーリンとデポラの隙間からイザーク様を窺うと、正面から道を塞いで声をかけてきた強者がいたようだ。
淡いピンクのドレスを着た…あれはビアンカだな。こんな所で。狭い通路の真ん中で人通りを邪魔するのも、移動中の人を妨げるのもマナー違反だ。クリスに男性陣を紹介して貰うつもりなら、無理だと思う。
親しい仲でも声をかける前に目線で声をかけてもいいか確認するほど気を遣うような場面で、紹介はしない。私たちを先導しているイザーク様の顔を潰す行為にもなる。
後ろにいるはずのクリスを見ると、目を手で覆って直立不動になっている。頭痛いよね。わかるよ。
「誰あれ?」
スーリヤに小声で聞かれた。名前は知っていてもビアンカを見たことはないし、私達の知り合いとも思えないよね。スーリヤに同じく小声で例のビアンカだと教えてあげた。
イザーク様のすぐ後ろを歩いていたデポラは既にそうだったが、誰かを認識したスーリヤも戦闘態勢に入った。これでビアンカがクリスに話しかけようものなら、二人の姉御が容赦なく叩きのめすと思う。
皆クリスのことは気に入っているので、ビアンカにいい感情は持っていない。イザベラは状況がわかっておらず、最後尾で動かないお兄様と静観するようだ。
正直、イザーク様もお兄様も誰かわかっていなさそう。ディートリヒだけが反応して、そっとダーリンの陰に逃げている。生命力をむしりとられたもんね。
しかもあの場にはいなかったことになっているので、余計なことを言われないためにも下手に手を出せない。
ビアンカをエスコートしている男性がいたようで、気の毒なほどに青ざめている。一生懸命通路の端へビアンカを引っ張り戻そうとしているが、ビアンカの体幹が凄いのかびくともしない。さすが辺境の子爵令嬢?鍛え方が違うのかな。
男性はそろそろこちらの威圧感に負けて震え出しそうな気がする。また気が弱そうな男の人を連れているなと思ったが、見たことがあるような気がする。何処で…?誰かの友達なら、助けてあげたいな。
ビアンカは周囲の状況に気が付かず、更に話しかけてきた。強いなぁ。
「あの時は本当にお世話になりました。皆さん雰囲気が違うので驚きましたわ」
誰かが返事をするのをキラキラした顔で待っているが、誰も返事をしない。無言です。マナー違反の人には応えちゃダメ。
クリスの名前を出してくる訳でもないので、デポラとスーリヤが上手にビアンカの視界にクリスが入らないようにしている。そこに、こそこそディートリヒが混ざって隠れている状態だ。
そうなると私も頑張らなければ。早々に退散させたいし、ビアンカはともかくあの男性が可哀そう過ぎる。でもどうしよう?何処で見たのか…。あーー!そうだ!バルナバスさん!
「バルナバスさんとご一緒にいらっしゃった方かしら?」
気の弱そうな男性がびくんと跳ねた。そりゃそうだよね。遠目で見ただけで、私とは顔を合わせてすらいないもん。普段のバルナバスさんの友人キャラとタイプが違い過ぎて、印象に残っていたのだ。
今の状況だと、対応を間違えればバルナバスさんの評判にも関わるけれど、一緒に研究をしているはずだから、頭の回転が早いと信じているよ!これに乗らなければ、ビアンカと共倒れが確定だよ?
「あっ、はい。バルナバス様と共同研究をさせて頂いているウィーズリー伯爵家のワーグナーと申します」
「まぁ、やはりそうなのですね。わたくしも何度か興味深いお話を聞かせて頂いておりますの。今後も研究を頑張って下さいね。楽しみにしておりますわ」
にっこりしておいた。
「っぁ、ありがとうございます」
何故かワーグナーさんが真っ赤になってしまった。どうした、ワーグナー。今こそビアンカを見捨てて立ち去るか、力任せに動かす時だよ。
ビアンカは何故自分がスルーされているのかわかっていないようで、私とワーグナーさんを交互に見ている。ワーグナーさん、早く!
「ワーグナー?」
イザーク様が痺れを切らしてしまった。これでおそらく、ビアンカの上を目指す社交人生は終わってしまった。既に大分他の人の迷惑にもなっているし、仕方が無い。私では力不足でした。
「は、はいっ」
「…頼まれたとしても、連れて歩く女性は選ぶべきだな」
イザーク様がそう言ってくれたので、ワーグナーは助かった。良かった。それでも動かないビアンカを普通に避けて歩き出したので、全員がそれに従う。ビアンカは驚いているようだが、流石に腕を掴んだりするようなことはしなかったし、どちらかというと意味が分からず呆然としているようだった。
ここでクリスが声を掛けられないように、クリスに認識阻害をかけてみた。デポラから良くやった!という良い笑顔を頂きました。上手くいったようで良かった。
呆然としていたっぽいビアンカが我にかえって再度突っ込もうとしてきたが、ワーグナーが今度こそ必死で引き留めている。魔法で床に縫い付けたようだ。偉い。
通り過ぎてからも諦めないビアンカの声が聞こえたが、無視だ。大きな声もマナー違反だよ。後は頑張れ、ワーグナー。
イザーク様のあの言葉を聞いてもまだ諦めないとか凄すぎる。空気を読めなさすぎ。
廊下の角を曲がる前にちらりと見たら、集団でビアンカが抑え込まれていた。ワーグナーさんのお友達かな?近くにいて良かったね。
「美味しいご飯でも食べて、気分を変えよう」
イザーク様の一言で皆はその話題を蒸し返すことはなかった。クリスは完全に挙動不審になっているので、後でこっそりフラウに連絡しておいた方が良さそう。
周囲の視線をますます集めながら、イザーク様が連れて来てくれたお店はとても素敵だった。とても人気の様で混雑していたが、特別対応ですぐに席へ案内されることになった。一番奥の部屋に案内されるのか、廊下を歩いているとデポラに耳打ちされた。
「あの時、咄嗟にクリスさんの目も耳も潰しておいたから、フラウに連絡をしておく必要はないからね」
なんたること。デポラは前にいたから、イザーク様が立ち止まった時点でビアンカに気が付いていたのか。あの一瞬でクリスは悲惨なことに…。
「潰したって、物理的じゃないよね?ね?」
「魔法に決まっているじゃない。距離が離れすぎているわ」
距離の問題なの?ああ~、でも良かった。安心した。スーリヤはクリスが動こうとしているのを止めていたというよりは、異変に気が付いて介抱していたのだな。
フラウに連絡はしなくてもいいかもしれないけれど、クリス自身は突然目と耳が使えなくなって大混乱だったのでは。
「スーリヤが上手に誤魔化してくれていたから、何もする必要はないわ」
相変わらず、二人の姉御は素敵でした。
その後は何事もなかったように楽しく食事をした。お兄様はノルンの馬車にイザベラを乗せて、その後直ぐにお兄様も乗った。私は乗らずに手を振った。
「エエエエルさん?え、え、えーーーーー!?」
イザベラの動揺を完全にスルーして、お兄様が皆ににっこり挨拶をして、扉を閉めてしまった。
「イザベラ、どうしたの?」
「お兄様と二人はまだ緊張するんだって」
「初々しいわね…」
デポラはダーリンと二人の時間を楽しんでいるもんね。
ダーリンの馬車でデポラ、ディートリヒの馬車にスーリヤとクリスが乗って、お別れをした。私はイザーク様の馬車で、このままゲルン侯爵家のタウンハウスへ行く。
お兄様も後で来て、家族三人が揃う。ノーラ達もユキちゃん一家と一緒に、先に着いているはずだ。
「帰るか」
「うん。今日は楽しかったよ。ありがとう」
「あれさえなければな…」
そうですね…。




