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アンリーシュ=クロニクル『旧』  作者: 榎原優鬼
第2幕 カズマと銀色の狼人【前編】
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第31話 「脱出……そして」

【前回のアンクロ】


クリフトの処刑は『神の奇蹟』を再現したメアリムの奇策によって頓挫した。来栖の思惑など不可解なことが残っているが、取り合えず作戦の成功を喜ぶメアリム達に、純白の民の魔の手が迫る!

玄関のドアに何かを激しくぶつける音が廊下の方まで響いてくる。


俺は後ろを警戒しながらメアリム爺の後を追っていた。爺さんの前にはベアトリクスさんが歩いている。


「お待ちください」


ベアトリクスさんが立ち止まり、腰に佩いたレイピアの柄に手を添える。


「何者です! ここが大賢者メアリムの屋敷と知っての狼藉ですか!」


ベアトリクスさんの鋭い誰何(すいか)に、廊下の丁字路の角から二つの影が音もなく姿を現した。


白い三角の目出しフードにゆったりとした白の修道衣を纏った男たち。その手にはぬらりと光るサーベルが握られている。


……『純白の民ライン・ヴァイス・フォルクス』! 連中、もう屋敷に入り込んで!?


「ここから立ち去りなさい!」


ベアトリクスさんの鋭い警告。だが、男たちは彼女の警告を無視してサーベルを構えた。


「すべては白き清純なる血脈のために!」


「白き清純なる血脈を汚す者に死の裁きを!」


男たちは口々にそう叫んでベアトリクスさんに斬りかかる。


「……シッ!」


ベアトリクスさんは短く息を吐くと、腰のレイピアを抜き放ち、素早く振るった。


空を切り裂く鋭い音と、剣閃の瞬きが薄暗い廊下に走る! その瞬間、男二人は白衣を血に染めて廊下に倒れ伏す。


今の一瞬で二人を斬ったのか? ……抜刀からの動きが全く見えなかった。


「既に入り込んでおるか。出入り口は全て固められたと見るべきじゃな。ならば、あそこから逃げるかないのう」


「かしこまりました。露払い致します」


まるで近所に出掛けるような口調で深刻なことを言うメアリム爺。ベアトリクスさんもレイピアの血糊を振り落とすと、いつものように澄ました笑顔で頷く。


落ち着いているというより、場慣れしているって感じだな。この人たちは。


「居たぞ!」


「囲め! 殺せ!」


その時、後ろの廊下からサーベルや短槍を構えた白装束が三人、こちらに迫ってくる。


くそっ! 俺の方に来るのか!


「ベアトリクスさん!」


慌てて振り向くと、彼女は前から現れた新手の二人と斬り結んでいる最中。


ええぃ! (まま)よっ!


俺は舌打ちをすると、廊下を無音で迫る三人に右腕を突き出し叫んだ。


「吹き飛べぇっ! 『爆風よ(フラートゥス) 』っ!」


瞬間、轟っ! という唸りをあげて圧縮された空気の塊が三人を文字通り廊下の奥まで吹き飛ばす。


壁や床に叩き付けられた彼らはそのまま動かなくなった。


気絶しているだけ……だよな?


「やるのぅ。それ、今のうちに行くぞ!」


メアリム爺がニヤリと笑って、丁字路を屋敷の奥の方に駆けていく。


そっちは確か、倉庫で行き止まりじゃ……?


「カズマさま、殿(しんがり)は私が! カズマさまは旦那様を!」


ベアトリクスさんがさらに現れた新手の男の足を斬り払って鋭く言った。


……っ! くそっ! 何人入り込んでるんだ?


躊躇う余裕はない。俺は頷くと爺さんの後を追った。


窓のない廊下の突き当たり。


鉄板で補強された分厚い木の扉が目の前に立ち塞がった。屋敷の倉庫だ。普段は季節柄使わないものが押し込めてある。


「まさかここを使うことになるとはの」


メアリム爺は苦笑いを浮かべながら扉を押し開けた。錆び付いた蝶番が嫌な音を立てて軋む。


「『光よ(ルーメン)』」


老人が呟いた『ことば』に応えるように、拳大の光の球が真っ暗な倉庫を照らし、乱雑に置かれたテーブルや戸棚が浮かび上がらせた。


「カズマ、そこの棚とテーブルをずらせ」


「は、はい」


老人に言われるまま、目の前の棚とテーブルをずらす……が、下には普通に床があるだけだ。


「見た目に騙されるな。真理は案外目立たぬものじゃ」


疑いの目を向ける俺に、メアリム爺は片眉を上げて笑い、手をかざしてなにごとか呟く。


すると、何もなかった床が陽炎のように揺らめき、地下へと続く扉が現れた。ゲームとかでよくみるギミックだけど、実際に目にすると感動だ。


思わず『おおっ』と感嘆の声を漏らす俺の頭を、メアリム爺が軽く小突いた。


「何が『おおっ!』じゃ。幻影術(シムラクルム)の初歩じゃぞ? 驚くこともあるまい」


「はぁ……そうですか」


そんなこと言われても、見えないもんは見えない。俺は魔法使いじゃないんだから。


「お主も奇妙じゃの。先程のように高度な魔法を使いこなしたと思えば、魔術によるマナの揺らぎ(・・・)を見過ごす。一体どんな修行を積んだのじゃ?」


「……分かりませんよ。そんなの」


俺が憮然と老人に答えたとき、倉庫の扉がノックされた。振り向くと、血に濡れたレイピアを手にしたベアトリクスさんが微笑みを浮かべている。


あれほどの斬り合いを演じながら、服装に全く乱れがない。白いピナフォアに僅かな返り血が付いているくらいだ。


……狼人(ハウド)の若者十人を一人で打ち負かしたって話は伊達じゃないな。


「旦那様、防壁の設置が終わりました。しかし即席ですから持って10分程かと」


表情を曇らせてそう告げるベアトリクスさん。メアリム爺は鷹揚に頷くと、彼女に命じた。


「うむ。ベアト、後は任せる。ワシが逃げ切った後は事前に定めた通りに」


「かしこまりました」


「ちょ……待ってくださいメアリム様! 敵は何人いるか分からないんですよ? ベアトリクスさん一人に任せて逃げるんですか!?」


二人のやり取りに、俺は間に割って入るとメアリム爺を強く(なじ)った。が、それに答えたのは爺さんではなくベアトリクスさんだった。


「カズマさま、ご心配には及びません」


「心配って……そんなんじゃないですよ! ベアトリクスさんも一緒に逃げないと……!」


だが、俺の訴えに彼女はゆっくり頭を振っていつもの微笑みを浮かべる。


「私までここを離れれば、賊は旦那様に追い付いてしまいます……大丈夫です。こう見えて私は強いんです」


「それは……」


わかっていますけど……と言いかけて、俺はその言葉を飲み込んだ。


と、ベアトリクスさんは腰に佩いていたサーベルを鞘ごと外すと俺に手渡した。この拵えには見覚えがある。


「これは?」


「クリフトのサーベルです。カズマさま、旦那様をお願いします」


……!


ベアトリクスさんの言葉に、俺の背筋に冷たいものが走った。この手の台詞には嫌な予感しかしない。


バリバリの死亡フラグじゃないか。


戸惑う俺に、ベアトリクスさんはクリフトさんのサーベルを強引に握らせると、ニッコリと笑って頷いた。


「……では、行って参ります。マナの御加護が有らんことを」


「うむ。また後でな」


ベアトリクスさんは優雅な仕草で一礼すると、踵を返して扉を閉めた。彼女の駆ける足音が扉から遠ざかっていく。


メアリム老人は倉庫の入り口に棚をずらして蓋をすると、後ろを振り返ることなく地下への扉を開いて降りていく。


「ちょっ……爺……メアリム様!」


「なにをボサっとしておる。置いていくぞ」


地下から上がってくる老人の声。


ベアトリクスさんの事は心配だが、今は安全な場所まで逃げ切るのだ。一人戦う彼女の頑張りを無駄にしないために。


俺はそう自分を納得させて老人の後を追った。


扉の向こうは石造りの階段が床下から地下に降りている。思ったよりしっかりとした造りだ。


「カズマ、降りるときに扉を閉めるのを忘れるなよ」


階段の先の暗闇に淡い光が揺れていて、老人とその周囲を照らしていた。俺は無言で階段を降り、扉を閉めると老人の作る明かり目指して手探りで降りる。


「しかし、ベアトの奴気分が乗っておったの……ああなっては誰も止められぬ」


俺が追い付いたのを確認すると、メアリム爺はそう言って苦笑いを浮かべた。


「気分が乗っていたって……俺にはいつも通りのように見えましたが?」


「去り際のあれの目。あんな目はベアトと出会った頃以来じゃ。あの頃は今では考えられぬくらい尖っておった」


そう語るメアリム爺の顔は遠い思い出を語る顔をしていた。


そう言えばベアトリクスさんはいつからメアリム爺に仕えているんだろう?


「あの頃のワシはまだ純粋な十代の若者じゃった……ワシはこんなに老け込んだのに、あやつは全く変わらん。いや、あの頃より若々しくなってすらおる」


老人は階段を降りながらそう愚痴をこぼす。


爺さんが十代の頃……って、ベアトリクスさんはいくつなんだろうか? まあ、千年の時を生きると言われる森妖精(ニンファ)に年齢の話は野暮だろうが。


「……あやつ、ああ見えて乙女な所があっての。カズマにあんな風に見送られて気合いが入ったのじゃろう」


「乙女な……って、少し違う気がしますが」


「それにベアトは一対多数の乱戦が得意じゃ。しかも護るものがない上に自分の城とも言える屋敷内での斬り合い……負ける気がせん」


いつの間にか階段が終わり、緩やかな上り坂が続いている。


早足で地下の坂道を歩きながら、爺さんは話を続けた。自分以外の誰かのことをここまで饒舌に語る爺さんは珍しい。


……もしかして、爺さんは俺を安心させようとしているのか? それとも自分に言い聞かせているのか。表情がよく見えないので老人の心情を窺い知ることはできない。


「メアリム様、ベアトリクスさんに言っていた『事前に定めた』事って何です?」


「……何事かあって屋敷を放棄した時な。ワシが安全なところに逃げたのを確認したら屋敷に火を放って逃げるように指示しておる」


いや……屋敷に火を放って逃げろって使用人に指示しているなんて、爺さんは今までどれだけ危ない事やってるんですか。


「まるでご自身が襲撃されることが分かっているような……大賢者って、そんなに誰かに命を狙われるものはなんですか? それに前から気になってたんですけど、何でメアリム様は公爵派の貴族と対立されているんです?」


賢者とか魔法使いとかって、ファンタジー小説に出てくる宮廷魔術師とかでない限り政治とかに余り関係ない印象がある。


それに、メアリム爺自身、地位や権力にあまり拘らないと言っていたし……そんな人が何故貴族の権力争いに巻き込まれているんだろうか。


俺の問いに、メアリム爺は『そうじゃのぅ』と呟くように言って顎髭を撫でた。


「学者や魔法使いが貴族の権力争いに巻き込まれるのは珍しい話ではないぞ? 学者をやるには兎に角金がいる。色々無理を聞いてくれるコネもいる。じゃから金と人脈がある貴族や国家と深く関わらざるを得なくなる。名のある学者や魔法使いほど資金提供者(パトロン)の権力争いに利用されやすいものじゃ。昔の偉大な哲学者が『学者の本分は心理の探求にある。故に徒に世俗に関わるべきではない』と言っておったが……しかし、世俗から離れた孤高の研究なぞ、金もコネも要らぬ哲学者や神学者が(のたま)う綺麗事よ」


成程……そういうものか。どんな偉大な研究も金とコネがなければ形にならないのはどこの世界も同じなんだな。


爺さんの神学者嫌いは相当なものだが、昔何かあったんだろうか。


「おっと。話が逸れたの……ワシは少し事情が違ってな。宰相と共に陛下が目指す国の形を実現しようと積極的に(まつりごと)に関わってきたのじゃ。『大賢者』とは、魔法学院(シューレ)の学長にのみ許される称号。この世にはワシと、ワシの後を継いだ今の学長の二人しかおらぬ……そんなワシが政治的な発言をするのを煙たがる奴は多い」


「陛下の目指す国の形……?」


俺が聞き返すと、メアリム老人は大きく頷いた。


「うむ。オスデニア帝国は建国以来約千年の間、周囲の国々を飲み込みつつ栄えてきた……しかし、長い歴史は国内に多くの不条理や歪みを生み出したのじゃ。陛下はその歪みや不条理を正し、新しい帝国の形を造ろうとしておられる……そしてそれは、今のこの国の形を維持しようとする連中にとって危険なものなのじゃよ」


つまり、メアリム老人が関わっている争いは単なる『宰相派』と『公爵派』の権力争いではなく、国の改革を目指す皇帝とそれを阻もうとする守旧派貴族の対立ってことか……構図は単純だが、ただの権力闘争じゃない分厄介だな。


やがて周りの空気が明らかに変わってきた。出口が近いのだろう。


坂道の先にうっすらと明かりが見える。外は月が出ているのだろうか。


「しかし……仮にあの白い奴等が公爵の差し金だとしたら、解せぬな。今この時期にワシを殺しても誰も得をせぬ。暗殺を疑われ、かえって探られたくない腹を探られかねん。もしかしたらお主の言ったこと当たっておるやも知れぬ」


灯りの魔法を解除したメアリム老人はそう言って表情を曇らせた。


「他にもワシが邪魔な奴がおるとなると……面倒臭いのぅ」


渋面で唸るメアリム老人。そうこうしているうちに坂道は終わり、地下道の出口が見えてきた。


ようやく抜け出したか。


「メアリム様、俺が様子を見てきます」


俺は老人に低く告げると、クリフトさんのサーベルに手を掛けつつ外に出た。





地下通路を抜けた先は、屋敷を囲む雑木林の一角のようだ。鬱蒼と繁る木々の隙間から漏れる月明かりが敷き詰められた木の葉を照らしている。


地下道の出口は木の(うろ)に同化していて、外からはわからないようになっていた。よく作ったものだ。


……静かだな。


注意深く周囲を見渡すが、人影は見えない。耳を澄ませて聞こえるのは、遠くで鳴く梟の声と虫の鳴き声だけ。


屋敷が襲撃されたのなんて嘘のようだ。


「ここは屋敷からずいぶん離れておるからな。音も聞こえまいよ」


振り向くとメアリム老人が腰を屈めて洞から出てきていた。急いで側に寄り、手を貸して洞から出るのを手助けする。


「どうせならもう少し広めに作るんじゃった……出るときにキツくて敵わぬ」


「いや、これ以上広くしたら不自然ですよ」


思わず突っ込む俺。メアリム爺は『違いない』と苦笑すると、ローブに付いた木の皮を払いながら辺りを見渡す。


「しかし、連中も間抜けじゃの。ワシなら抜け道を想定して、何人か周辺に潜ませるのじゃが」


「……メアリム様、滅多なことを言わないでください。こんな時、口に出したことは現実になるって縁起(ジンクス)があるんですよ?」


敗走中に『私ならここに伏兵をおく』と笑った途端に伏兵に襲われて死ぬ目に遭うのは、三国志の時代からの伝統のようなものだ。


「なに。縁起なぞ……それよりカズマ」


「何でしょう」


「お主はここまででよい」


「……?! 何を言うんです?」


メアリム老人の突然の言葉に、俺は思わず聞き返した。『ここまででいい』とはどういうことだ?


俺の問いにメアリム爺がなにか答えようと口を開いた……その時。


不意に空気を裂く鋭い音と鈍い音がする。


「ぐぅ……?!」


メアリム老人が呻き声をあげて身を屈める。その背中には黒く塗られた細い棒状の物が突き刺さっていた。


「め、メアリム様!!」


……矢?! 狙撃だと? 何処からだ!


ハッとした瞬間、耳元を何かが走る。


鈍い音がすぐ目の前でして、老人が呻きながらゆっくりと崩れ落ちた。


その胸にはもう一本、黒く塗られた矢が刺さっている……!


一体何が……? まさか……!


「爺さん……冗談だろ? 確りしてくれよ! おい!」


慌てて抱き抱え、揺さぶって声をかける。が、老人はぐったりして動かない!


死んだ? 爺さんが?


「……まさか、嘘だろ」


俺が呆然と呟いたその時、繁みのあちこちから影が湧き出て、俺とメアリム爺を囲んだ。纏う外套は白ではなく漆黒。


しかし、さっきまで全く気配がなかった。


こいつらか……爺さんをやったのは……!


そう考えた瞬間、頭の中で何かが弾け、胸の奥が熱く痛む。俺はサーベルを抜き放つと、怒りとも悲しみともつかない衝動を吐き出すように絶叫した。


「貴様らぁぁっ!」



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