第12話「嵐の前の」
【前回のアンクロ】
城からの帰途、メアリムから無意識に魔法を使った事を告げられるカズマ。興味があるなら魔法学院への推薦状を書くと言うメアリムに、カズマは曖昧な返事を返す。
数日後、皇女エリザベートの手紙を携えたシャルロットがメアリム邸を訪れる。来月の竜退治祭り前夜祭への招待との事。手紙を読んだメアリムは、カズマに竜退治祭り前夜祭の晩餐会と舞踏会に供として同行するよう命じるのだった。
「お待たせしましたな、リッツェル嬢」
客間に入ったメアリム老人に、シャルロットはソファから立ち上がるとスカートの裾を摘まんで腰を落とした。
「とんでもございません。大変美味しいお茶を戴きましたわ」
伊達に伯爵令嬢してないな。お上品な仕草が様になっている。人の顔にグーパンチ飛ばして青アザ作ったヤツと同じ女の子とは思えないよ。
メアリム爺の後ろで呆れる俺に気付いたのか、シャルロットは微かに眉を顰めた。
「それは良かった。ベアトリクスも喜びます」
メアリム老人は満足そうに笑うと、先程書いた手紙をシャルロットに手渡す。
「これを殿下に。メアリムが『委細承知しました』と言っていた、とお伝えください」
「分かりました。お伝えいたします」
シャルロットはそう言うと、手紙の封蝋の刻印を確認して手紙を巾着袋に入れた。
「……しかし、このようなお役目を伯爵令嬢がなされるとは、意外ですな。リッツェル嬢も当家に用事でもあるのでは?」
「それは……」
髭を撫でながら笑うメアリム老人に、シャルロットは動揺したように目を泳がせる。
確かに、手紙を届けるような雑事は普通、使用人の仕事だ。皇女の侍女で、伯爵令嬢でもあるシャルロットのするべき事ではないよな。
「私は特に用事はありませんわ! ぐ、偶然近くに別の用事がありましたの。そのついでですわ。ほほほほっ」
「ふぉっふぉっふぉっ……左様でしたか。それは要らぬことを聞きましたな」
俺の方をチラチラ見ながら、シャルロットは指を唇に添えてわざとらしく笑う。何が『ほほほほ』だ。似合わない笑い方して。
にしても……シャルロットのやつ、動揺しすぎだろ。ただ、やってることが貴族らしくないって言われただけじゃないか……それとも何か後ろ暗いことでもあるのか?
「それでは、私はこれで失礼しますわ」
「そうかの。ではカズマ、リッツェル嬢のお見送りをせい」
「え? ……あ、はい」
俺は慌てて頷くとシャルロットに笑いかけた。
「では、お嬢様、こちらです」
「……ふん」
だが、シャルロットは俺を鋭く一瞥すると、ぷいっと外方を向く。
あ、まだ胸を触ったこと怒ってるな。こりゃ……
「カズマ……ちょっといい?」
屋敷の外に出たところで、俺はシャルロットに声を掛けられた。その顔は何か思い詰めているように見える。
「なんですか? お嬢様」
俺の返事に、シャルロットは不機嫌そうな顔で唇を尖らせた。
「……茶化さないで。馬鹿」
何だよ……確かに皮肉っぽくは言ったけどさ。
「馬鹿って……お嬢様をお嬢様と呼んで何が悪い」
ムッとしてシャルロットを睨むと、彼女は唇を結んで俯いた。
「……私が貴族の娘らしくないっていうのは自分が一番わかってるのよ。だから、そんな風に『お嬢様』って言われるとイラッてするの……って、こんな話をしたかった訳じゃないのに、なんでこうなるのかしら?」
……そんな顔するなよ。ったく、まるで俺が嫌なやつみたいじゃないか。
俺は肩を竦めると素直に頭を下げた。
「済まなかった、シャルロット。話を聞くよ」
「……がとう」
「え?」
顔を背けて呟くように言うシャルロット。うまく聞き取れず聞き返した俺を、彼女は顔を真っ赤にして、上目遣いに睨む。
「だから、『ありがとう』って言ったの! 皇女殿下を助けてくれて。そして……あの時は酷いこと言ってごめんなさい」
何故か腰に手を当てて怒ったような顔をするシャルロット。ふつうお礼を言ったりお詫びをしたりするときは頭を下げるもんなんだけど……?
まあ、それは貴族の令嬢ということで多目にみるとして。
「……まさか、手紙を届けに来たのって、それを言うためか?」
「悪い? あの時は動揺して結構酷い事いっちゃったから、気になってたのよ。次いつ会えるか分からないし」
認めるのかよ。それって、公私混同じゃないか……まあ、でも、自分の言ったことで俺が傷ついてないかって気にしてたんだ……可愛いじゃないか。
「俺は別に気にしてないよ。シャルロットは何も悪くない。どう見ても不審者だもんな、あの時の俺。だから、シャルロットは皇女殿下を守ろうとしたんだろ? 君の言ったことは侍女として当然の事だと思うよ?」
俺の言葉に、シャルロットは一瞬きょとんとした顔になり、頬を染めて微笑んだ。
「……優しいんだ」
「なに?」
俺が聞き返すと、彼女はハッとして慌てて腕を組んでしかめ面を作ると、耳まで真っ赤になりながら上擦った声で言う。
「かっ……か、勘違いしないでよね! 私は別にあんたを傷つけたかも、とか気になってた訳じゃないんだから。エリザベート様があんたを気にかけておられたから、か、確認のために来ただけだからね!」
「はいはい、そういうことにしておくよ」
「ううっ……馬鹿!」
苦笑して肩を竦める俺をシャルロットはキッと睨み付け、踵を返した。
屋敷の外で彼女を待っていた黒塗りの馬車に乗り込む時、シャルロットは俺を振り向く。
「……じゃあね……また、顔出すわ……その、ここのメイドが淹れる紅茶、美味しいから」
「ああ。ベアトリクスさんも喜ぶよ」
俺の言葉に、シャルロットは複雑な表情を浮かべて馬車に乗り込む。御者の鞭の音と共に走り去っていく馬車を見送りながら俺は小さくため息をついた。
「シャルロット=フォン=リッツェル、か」
なんか彼女、最初の印象とは違ったな。花瓶の印象が強くて、気の強い乱暴なヤツだと思ってたけど、なかなかいい子じゃないか。
しかし……『また顔を出す』、ねぇ。いつ会えるかわからないって言ったくせに。まあ、いいけどさ。
でも、次は何しに来るんだろう。まさか、ほんとにお茶飲みだけに来るつもりじゃないだろうな?
「はぁっ!」
気合い一閃、鉈を丸太に振り下ろすと、乾いた音を立てて丸太が2つに割れた。
うん。上出来上出来。まだベアトリクスさんみたいにスパッとは割れないけど、最初の頃に比べたら上手く割れるようになった。
俺は首にかけたタオルで汗を拭い、照り付ける昼下がりの太陽を見上げる。
暦の上では夏の盛りーーの筈だが、イマイチ実感が湧かない。日本の夏の蒸し暑さが無いのは勿論だが、一番の理由は夏の風物詩が全く聞こえないからだ。
そう。この国には蝉が居ない。
だから、聴くだけで汗が滲み出るようなあの声が聴けない。蝉の声で夏の訪れを感じてきた日本人としては何とも寂しい限りだ。
……さて、今日はここに積んである分の半分は割るか。
「カズマ様。お忙しいところ申し訳ございませんが、使いを頼んでも宜しいでしょうか」
小屋の前に積まれた細めの丸太に手を伸ばした時、クリフトさんから声を掛けられた。
お使い? 何だろう。
「ええ、構いませんよ」
「ありがとうございます。当家がいつも酒を仕入れている『蒼き牡鹿亭』に行って、このメモにある品を頼んできて欲しいのです」
クリフトさんが差し出したメモに軽く目を通す。そこには数種類の酒の銘柄が書かれていた。
「酒ですか……メアリム様、飲むときは飲みますからね。分かりました。キリのいいところまで割ったら行きます」
「宜しくお願いします」
クリフトさんは丁寧にお辞儀をすると、屋敷に戻っていく。
いつも思うが、クリフトさんって紳士のイメージそなままの人だよな。物腰が柔らかくて、落ち着いていて、知的で。おまけに声がダンディときた。
街でよく見かける狼人族の人達はガッチリとした体躯が多いけど、クリフトさんはどちらかと言えば細身だし。
……さて、じゃあ、さっさと割ってお使い済ませますか。
俺は『よしっ!』と小さく気合いを入れると、切り株に乗せた細めの丸太に鉈を振り下ろした。丸太は小気味よい音を立てて、丸太が真っ二つに割れる。
帝都シュテルハイムの下町に店を構える酒屋兼居酒屋『蒼き牡鹿亭』。
店のドアを開くと、鐘の音と共に酒場のざわめきと肉の焼けた匂いとアルコールの匂いが俺を包んだ。
時刻は17の刻を少し回った位だが、それなりに広い店内では既に何人かの客が酒を飲んでいる。早めに仕事を終えて、家に帰る前の一杯を楽しんでいる……そんな感じかな。
いいなぁ……俺も久しぶりに思いきり飲みたいぜ。元の世界でも、会社クビになってから飲み屋に行く余裕なんて無かったからな……
「よぉ、カズマ。今日はどうした?」
店のカウンターの奥から店主が顔を出して俺に手を上げた。彼は居酒屋の店主というより、猟師か冒険者をやってそうな厳つい風貌で、常連客から『おやっさん』と呼ばれて親しまれている。
「……クリフトさんから頼まれてね。この品を屋敷に届けて欲しいってさ」
俺がクリフトさんから預かったメモをおやっさんに渡す。彼はメモに受けとると素早く目を通して頷いた。
「ふむ……分かった。この銘柄を揃えておくよ。しかし、クリフトの旦那が酒を買うのを人に任せるのは珍しいな」
「そうなのかい?」
「詳しくは知らんが、お屋敷の酒の管理は旦那の仕事なんだろ? いつもは注文じゃなくて直接自分で吟味して買っていくからよ」
そっか。酒と食器の管理は執事の仕事だったな。何気なくお使いを引き受けたけど、そういえば今まで頼まれた事はなかったな。
まあ、クリフトさんの事だから考えあっての事だろう。
「色々大変だからね。クリフトさん」
俺の言葉に、店主は何か察したように表情を暗くした。
「そうか。旦那、狼人族だからな。こんなご時世だから、獣人は外を歩きづらいか。大変だな、旦那も」
……え? 何で狼人族だと外を歩きづらくなるんだ?
「兎に角、品物は明日にでも届けるよ。クリフトの旦那に宜しく伝えておいてくれ」
「あ、ああ。ありがとう」
店主は笑ってそう言うと、カウンターの奥に引っ込んでしまった。
うーん。話の途中で突然おいてけぼりにされたようなモヤモヤした気分だ。
まあ、ここで突っ立ってても仕方ない……暗くなる前に帰ろう。
店を出た俺は、ふと店の前の人混みを眺めてみた。この時間帯は仕事を終えて家路につく労働者が多い。以前は狼人族や猫人族も当たり前のように歩いていたが……確かに見当たらなかった。
獣人が外を歩きづらくなった? 何かあったのか? 新聞とかテレビとかネットとか無いとこういうとき困るよな。
俺が小さく舌打ちして髪を掻いた、その時。路地から何かが飛び出してきて、俺に勢いよくぶつかった。
「おぅっ?! 」
不意を突かれた俺は、思わず変な声を上げて尻餅をついてしまう。
ってぇな……何だよ。
心のなかで毒づきながら、ぶつかってきた相手の方を見る。そこには一人の少女が倒れていた。泥に汚れ、あちこち擦り切れた薄手のワンピースを身に付けた細身の少女。
「うぅ……っ」
彼女は小さく唸って体を起こすと、俺を見て怯えたように顔を強張らせる。
「ご、ごめんなさい……許して……殺さないで」
「いや……え?」
……なんでぶつかってきた相手に、顔を見るなり『殺さないで』って懇願されなきゃならないんだ。
俺ってそんな風に見えるのかな。ショックだ。