第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第三章 1
第三章 闇に走る者たち
* 1 *
「なん、……だ?」
微かな物音が聞こえたような気がして、エルは布団から身体を起こした。
その途端、パジャマ越しに感じた寒さに震えてしまっていた。
横目に見た遮光カーテンの隙間から差し込む朝日はまだ薄暗く、寒さが厳しい時間だった。とは言っても、旅の途中に感じた荒野の寒さに比べれば生易しいもの。
――薄着をしているとは言え、鈍ったものだな。
和輝の家に暮らすようになって、もうずいぶんになるようで、まだ二週間と経っていない。それなのにエルは、柔らかく暖かい布団で寝ることにも、彼が用意してくれる美味しい食事にも、慣れて来つつある自分を感じていた。
「これから先、わたしはどうすれば良いのだろうな……」
テレビというもので、戦う者の物語や、武道の試合の様子を見ることがあった。
つくりもの染みた物語は内容としてはおもしろかったが、劇を見ているようでのめり込むには至らなかった。武道の試合は真剣さに心躍るものを感じたが、しかしそれは求めるものとは違っていた。
街の様子を見ていても、この世界が平穏で、平和な世界であることは感じることができた。
小さな争いや騒動、遠い国では激しい戦いが行われているのは知っていたが、しかしそれらはすべて人間同士のもので、戦乙女が介入するような、人と怪物、神族と巨人族といった、世界の存亡に関わるものではなかった。
エルにとってはそうした小さな戦いは、人間に余裕があるからだろうとしか思えない。勇者を、戦乙女が求める魂の伴侶を生み出すほどの深刻なものではないと感じていた。
「わたしの求める強い魂を持った勇者は、見つけられるのだろうか」
まだ微かに聞こえる音に、それを確認しようとエルはベッドから出て、サイドチェストの上に畳んで置いた黒いカーディガンを羽織る。
自分の記憶も、姿も、生きていた世界も、すべては和輝の創作であったことはすでに理解している。
気持ちの上では理解し難くもあったが、否定することができないほどに、和輝たちの話は筋が通っていて、同時に自分の中に多くの欠損があることに気づいていた。
けれど何より納得できないことがあった。
「何故わたしがあのような軟弱な者に生み出されなければならないのだ」
ぼさぼさの髪をし、一度もまともに目すら見たことがない。用事がなければほとんどの時間自室に籠もっていて、何をやっているのかも知れない。身長は高いのに背を丸めているため低く見え、人に話しかけられても慣れた人以外には怯えた様子を見せることがある。
料理は上手く、平穏や平和を望む心は素晴らしいと思うが、物事に立ち向かわない軟弱な心は、長所を消し得るほどにエルにとっては苛立たしい短所に感じられていた。
そして何より、そんな和輝に自分が生み出されたという事実が、信じがたいことだった。
千夜子が言うには自分の中にも和輝に似たところがあるような話だったが、そんなものを感じたことはこれまで一度もなかった。
「我が勇者を見つけ出すには、時間を必要としそうだな……」
諦めのため息を吐きつつ、エルは部屋を出て階段へと続く廊下を見てみると、一階に光があることに気がついた。
階段を下りて灯りの点いているダイニングに入ってみるが、人影も人の気配もしない。
訝しみながら目を細め、ダイニングから出てみると、物音は外から聞こえてきているようだった。
鍵を開け、玄関の扉を押し開く。
「――%&$」
真っ先に挨拶の声を掛けてきたのは、ソフィア。
見ると玄関の前のポーチで、和輝と千夜子が柔軟体操をしていた。
「おはよ、エル。起きちゃったの?」
「……おはよう。まだ寝ていてもよかったのに」
エルに気がついて挨拶の言葉を口にする千夜子と和輝。
「何をしているんだ? 三人とも」
「朝の日課だよ? ただのランニングだけどね」
「……先週はイベント準備で寝不足気味だったからね。昨日と一昨日は充分寝たし、今日から再開することにしたんだ」
「そう、なのか」
言われていることの意味はわかったが、和輝たちのしていることの意味がよくわからなくて、エルは小首を傾げるしかなかった。
「エルも行く? その格好じゃあダメだけど」
「確かお袋がジャージを用意してくれてるはずだから、行くならクローゼットの引き出しを見てみてくれ」
和輝は青の、千夜子は赤の、いつも落ち着いたワンピースとエプロンのソフィアは、今日はそれとは違い黒の、三人揃いの上着とズボンを身につけていた。対してエルは、ピンク色のパジャマにカーディガンを羽織っただけの格好だった。
「わかった。すぐに準備してくる。少し待っていてくれ」
言い捨ててエルは、急いで与えられている部屋へと走って行った。
*
いつもならば六キロのランニングを、久しぶりということで今日は短めに四キロにして、軽く流す感じで走る。
二週間近く休んでいたし、ここのところ食事の量が増えていたから、さすがに少し身体が鈍っているのを感じつつ、ちょっと思いついて肩から掛けた細長い鞄のストラップの揺れを気にしながら、俺は女子三人たちとともに太い河の土手の上を走っていた。
俺の家からほど近い場所にある、見えるようになってきた太陽に照らされた河川敷の運動広場に入って、ひと通りの筋トレをこなす。
短めのコースを選択しただけあって、今日は帰るには時間に余裕があった。
「……エル。ちょっといいか?」
言って俺は近くのベンチに置いてあった鞄開け、中身を取り出して一本を、彼女らしい桜色のジャージを着たエルに投げ渡す。
「何をするんだ?」
「まぁ、見た通りだよ」
受け止めた短い竹刀と俺の顔を見比べて、エルは不思議そうな顔をしていた。
顔を見合わせた千夜とソフィアがベンチへと逃げていくのを確認して、俺はそこから少し離れた場所でエルと正対する。
「わかった。相手になろう。……しかし、その構えはなんだ?」
俺とエルが持っているのは、小太刀程度の長さの練習用の竹刀。
重さはそこそこだけど、かなり柔軟性が高く、本気で打ち込んでもよほどの力でない限り怪我をしないほどに柔らかいものだ。
盾を持つことが多い戦乙女としては標準的な構えのひとつである、右足を引き、左腕を前面に構え、右手の竹刀を引き気味に構えるエル。
対して俺は、右手に持った竹刀を頭の上で担ぐように水平にし、刀ならば剣の背に当たる部分に左手を添えるという構えを取っていた。そして竹刀は、エルに対して垂直にし、剣先が見えないようにする。
「……構えについてはあんまり気にしないで、本気で打ち込んできてみてくれ」
「ふむ」
軽く振って竹刀の柔らかさを確かめ安全を確認したのか、訝しむように目を細めながらも構え直すエル。
――完全に一発勝負だな。
俺の狙いはただひとつだけ。
一度見られたら俺ごときじゃ二度は通用しない。俺に勝機があるのは一度だけだと思う。
どのようにでも動けるように腰を少し低くし、細く長く息を吐いて、止める。邪魔な前髪すらも気にならないほどに、ほんの微かなエルの挙動も捕らえられるように集中する。
「はっ!」
エルの気合いの声より先に、右足の踵が微かに上がったのを見た俺は、右手を動かし始めていた。
思っていた通り素直で、速度を重視した打ち込みをしてくるエル。
右手に持った竹刀を左肩の方に振り被り、深く踏み込んで俺の右肩から入るように袈裟懸けの軌道で斬りつけてくる。
「な?!」
読みが当たったために軌道を修正する必要もなく、俺の竹刀は振り下ろされてくるエルの竹刀を、空中で打ち落としていた。
驚きで表情と動きが固まった一瞬、俺は強引に力で胸元に引き戻した竹刀を、エルの喉元に突きつけていた。
「ま、参った……」
「ふぅーーっ」
緊張が途切れて、俺は思わずしゃがみ込んでしまう。
「いまの太刀筋は何だったのだ? 学校でやっていた剣道というものとも違ったろう」
「あぁ、うん。違う。親父から習ったんだ」
「蔵雄殿から?」
エルに差し出してもらった手をつかんで立ち上がった俺は、もう少し詳しく説明することにする。
「我流なのかどこかで習ったものなのか知らないんだけど、親父は達人と言っていいレベルの剣士だよ。俺と千夜が習ったのは護身術程度のものだけどね。いま使ったのは親父から習った型のひとつ。三ヶ月ぶりだから、まともに動けてよかったよ……。こっちから打ち込んでも絶対勝てないし、驚かせでもしないと対応されるからね」
ある程度手加減をしていた感じもあったが、エルの動きは正直目で追えていたとは言い難い。竹刀の軌道とタイミングを読めたからこそ、打ち落とすことに成功しただけだ。
戦乙女である彼女の動きは、手加減したものであっても親父がお袋と真剣勝負をしているときに匹敵していたから、普通の人間でしかない俺なんかじゃ、事前に彼女の戦い方を知り、読み勝ちでないと対応なんてできない。
「戦う前から負けを宣言するとは情けない。もう一本、お願いする」
「いや、絶対無理だし……」
「先に願いを受け入れたのはわたしだ。次は和輝、貴方がわたしの願いを聞いてくれてもよいのではないか? さぁ、構えろ」
「ぐっ」
正論を言われて答えに詰まった俺は、どうやらムキになってるらしいエルから少し距離を取った。ニヤニヤと笑って声援を送ってくる千夜とソフィアにため息を吐きつつ、もう一度同じ型で構える。
そうしてそれから三回エルと戦い、三回とも負けを味わう結果となった。
「痛つつつっ」
「……済まん。少し強く打ち込み過ぎた」
感情をそのまま力に変えたエルの打ち込みは、柔らかい竹刀だと言うのに内出血するほどの強さで、ベンチに座った俺に彼女は治癒の術をかけてくれる。
思っていた以上に時間が経ち、いつものランニングのときよりまだ早い時間とは言え、この後のことを考えるとそろそろ帰らないといけない時間になっていた。
治療が終わり、ベンチから立ち上がった俺は全員の顔を見渡して言った。
「戻ってシャワーを浴びたら、俺の家に集まってほしい。朝食は俺が準備するから。……少し、話したいことがある」
「ん。わかった」
「――*%&」
即答する千夜とソフィアだが、エルは目を細めて険しい顔をしていた。俺が視線を向けると、彼女もまた返事をくれる。
「わかった。その通りにしよう」
全員の返事をもらった俺は、竹刀の入った鞄を担いで、家までさほどない距離を三人とともに走り始めた。




