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廃部リミット①

 顔の描かれた風船が、浮くでもなくただ転がっていた。笑顔と真顔の間くらいの何とも言えない表情に見つめられ、香月彩芽は固まった。


 「先輩、これは一体なんのつもりですか」


 よく言えば整然とした、悪く言えばろくに備品が揃っていない部室の中央で、腕を組んで立つ背中に声をかける。


 「分からないか。現代アートだよ」


 「私には顔の描かれた風船にしか見えませんが」


 「君はこの一年間、何を学んできたんだ。まったく成長の跡が見えないね。部長としてこんなに悲しいことはない」


 部長の塩井舞子が振り返り、呆れたといったふうに、わざとらしい溜息をついた。墨を流したような黒髪が、夕暮れ時の光を浴びて輝く様は美しい。こちらのほうが芸術に見えるが、塩井曰く、無造作に転がった風船こそがアートらしい。


 「これのどこが現代アートなのか説明してもらえます?」


 「はあ、それでも現代アート部の部員なのかい?」


 現代アート部。それは塩井が設立した部活だ。現在の部員数は、部長の塩井と香月。それに幽霊部員を含めての合計4人。正式な部活動として認可される最低条件をギリギリ満たしている状態だった。


 「入部してから一年間、部長のよく分からない講釈を聞き続けてきましたが、やっぱり私には分かりません。理解の範疇を大幅に超えてます」


 「そもそもね、現代アートに明確な定義というものはないのだよ。近代以前の芸術は、いかに視覚的に美しいものを作れるか、それに焦点が置かれていた。誰でも知ってるリザ・デル・ジョコンド みたく…」


 「ちょっと待ってください。私それ知りません」

 

 「なんだって」

  

 「リザ・デ…なんですって?」


 「リザ・デル・ジョコンド 」


 「言い直されても分かりませんよ。どうせマニアックな絵のことなんでしょう?」


 塩井はこれ見よがしに、突風のような溜息をついた。風船がコロコロと転がり、描かれた表情が向こうを向いて見えなくなる。


 「モナリザと言えば分かるかい?」

 「ああはい、どこから見ても目が合うやつですよね」


 「モナリザは正式名称じゃないんだよ。これは以前説明したはずだが」


 「最初からモナリザと言ってくれれば良かったのに。えっと、それで何でしたっけ。現代アートの定義が…」


 「もういい、君に話したところで時間の無駄だ。スマホで下らない動画を見ている暇があるなら、西洋の芸術史の勉強でもしたらどうだ」


 無駄に整った顔にしわを寄せ、塩井は自身の作品に向き直った。香月はその隣に立ち、一応興味のあるふりをして風船を眺めてみたが、やはり芸術性のようなものは一切感じない。


 「せめて描くなら、もっと楽しそうな顔にしてあげればよかったのに」


 「うるさいな。このアンニュイな表情が、見る人の想像力を搔き立てるんだよ」


 「なんだかこの顔、先輩みたいですね」

 

 「それはあまり嬉しくない言葉だな」


 なんだこの人。面倒くさいな。


 芸術を語る人間というのは、大方が自己陶酔しているだけの自称評論家気取りだ。センスがあると思われたくて、人と違ったものを作りたがる。それ自体は構わないが、思想の押し付けは心底鬱陶しい。塩井もまさにその類の人間だった。そうと知っていれば、こんな部活に入ることなど無かったのに。


 「ところで先輩、私たちも進級の季節ですね。私は2年。先輩は3年。部員は幽霊含めて4人。4月に新入部員が入ってこなければ、廃部になりますけど」


 「はっ…」


 自らの芸術性に陶酔していた塩井が、驚愕に目を見開いた。

 

 「廃部?」

 

 「なにを驚いてるんですか。部員が4人以下だと、部活として認められないのは知ってるでしょう?」


 「いや、幽霊部員の2人は来てないだけで籍はあるじゃないか」


 「あの2人、3年生ですよ。まもなく卒業です」


 幽霊部員の2人は、塩井が目当てで入部してきた男子生徒だった。塩井の容姿は、他の生徒と比べても恵まれているほうだと言えよう。部室以外での口数の少なさから、クールビューティとして上級生からも熱い視線を集めていた。そんな塩井とお近づきになりたいという邪な動機から設立メンバーに加わってきた男子2人だが、独自の芸術論をペラペラ語る塩井に嫌気が差したのか、入部二日目から来なくなった。


 「現代アート部が無くなるのは困る。ここは私にとって唯一の居場所なんだ。香月だって廃部は嫌だろう!?」


 「え、別に…」


 「貴様、それでも現代アート部の副部長か!」


 実質的に2人しかいない部活なので、香月は半ば強制的に副部長に任命されていた。


 予期せぬ、というか、香月は十分に予期していたが、塩井にとっては降ってわいたような廃部の話に、完全に取り乱している。肩を捕まれ、ぐわんぐわんと揺さぶられた。


 「部長命令だ!今すぐに2人集めてこい!」


 「無理ですって。誰が入るんですか、現代アート部なんて。せめて普通の美術部ならまだしも、一番めんどくさそうなジャンルじゃないですか」


 「めんどくさいとはなんだ!現代アートへの冒涜だぞ!」

 

 「だって実際めんどくさいし。先輩が」


 現代アート部に入らないか、などと意味不明な勧誘をしようものなら、香月が友達を失うリスクがある。まだ2年残っている高校生活を、変なことで台無しにしたくない。


 「ダメ元で相談すればいいじゃないですか。こういうのは生徒会の管轄でしょ」


 部活の申請などは一度生徒会を通して受理される必要がある。といっても、この高校の生徒会はお役所仕事だ。過去にも同じように廃部の危機に陥った部活が、なんとか情に訴えて存続を求めたが、あっけなく却下されたという話を聞いたことがある。


 「生徒会だな。よし、付いてこい。直談判だ」


 「私も行くんですか」


 「当たり前だろう。私たちの居場所を守らなくては!」


 塩井は横開きのドアを勢いよく開け、部室を出ていった。別に廃部になっても構わないが、一応部長の顔を立てるため、付いていくことにしよう。


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