表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/77

暁の名を持つもの

 世界が、ひとつ息を止めた。


 それは地震でも、爆発でもなかった。

 大気は揺れず、空は裂けず、警報音ひとつ鳴らない。


 ただ、現実が一枚、上書きされたような違和感だけが残った。


 人々はそれを「気のせい」と呼び、

 機械はそれを「誤差」と処理し、

 だが、箱庭の深層では、それは決して無視できない現象であった。


 箱庭全域の観測ログに、

 同一時刻・同一位相でノイズが走る。


 重なり合う警告文。


 ―――【WARNING】

 ―――【ROOT DATA ACCESS DETECTED】

 ―――【識別不能:旧世代神性アーカイブ】

 ―――【再帰的照合不能】


 それは、

 “侵入”ではない。

 “攻撃”でもない。


 ─── “復元”であった。



 HKO統合管理室。


 Σ7のメインスクリーンが、一斉に赤く染まる。


「冗談ではないぞ……」

「待て、これ、誰が承認した?」

「承認ログが……消えてる?」


 Σ7-03が端末を叩く。

「違う、削除じゃない……巻き戻されてます!」


 Σ7-01がごくりと息を呑む。

「そんな処理、管理者権限でも無理だぞ」


 Σ7-05が低く冷たく言った。

「権限外ではない……権限以前だ」


 Σ7-07が、青ざめた顔で呟く。


「……いや。ひとつだけ、ある」


 全員が、同時に彼を見る。


「封印階層Σ0」

「旧神性アーカイブ」

「アクセスできる存在が、かつて……ひとりだけいた」


 沈黙。


 誰も、その名を言いたがらなかった。


 だが。


「ル────」


 その名が発せられた瞬間、

 会議室の照明が、一度だけ明滅した。


 まるで、世界がその名を思い出したかのように。



 同じ頃。


 都市郊外の病院。

 深夜の静寂に包まれた、白い廊下。


 夜勤の看護師が、ナースステーションで首を傾げた。


「……先生?」


 老練の医師は、

 カルテを手にしたまま、立ち尽くしていた。


 心拍モニターの電子音が、やけに大きく聞こえる。


「先生……どうか、されました?」


 返事はない。


 次の瞬間。


 ───パキン。


 音ではなく、概念が割れる感覚。


 医師の背後で、

 黒い羽根が、幻のように一瞬だけ展開した。


 看護師の視界が、ぶれる。

 だが、次の瞬間には、何もなかったかのように消えている。


「ふー……」


 医師は、深く息を吐いた。


「目覚められたか」


 それは、いつもの医師の声ではなかった。

 長い死と、終わりを知る者の、

 支配の重みを帯びた声音。


 助手のアグラトが、思わず一歩下がる。


「せ、先生……」


 医師は振り返る。


 その瞳の奥に、

 夜よりも深い冥界の底が、僅かに覗いていた。


「安心しなさい、アグラト」


 あまりにも穏やか微笑み。


「私は、まだ医者だ」


 だが、続く言葉は、

 この世界の現実に向けられていた。


「だが、暁の王が起きた」


 アグラトの胸が、どくん、と鳴る。


 記憶が、洪水のように逆流する。


 契約。

 血の誓い。

 冥府で交わした、あの名。


「……っ、私……」


 彼女の影が、床の上で異形に揺れた。


「ああ」


 医師は、静かに告げる。


「お前も、だ」



 地下。


 忘れられたデータ層。

 世界の底に近い場所。


 そこに、それはいた。


 十二枚の羽。

 光でも闇でもない、原初の輝き。


『……久しいな、箱庭よ』


 声が、

 ログではなく、実際に現実を震わせる。


『よく眠った』


 崩れ、再構築される無数のデータ。


『だが、まだ終わってはいない』


 名が呼ばれる。


『アスタロト』

『タナトス』

『アグラト』


 その瞬間、

 現実側の彼らが、同時に息を呑みこんだ。


『消された者たちよ』


 十二枚の羽が、ゆっくりと広がる。


『箱庭は、まだ舞台だ』

『そして───私も』


 低く、楽しげに。


『Σ7は、自分たちが神だと、信じている』



 裂け目の森。


 パトラが、足を止めた。


「……やっぱりね」


 空を見上げる。

 何も見えない。


 だが、

 皮膚が痛むほどの圧が、確かに降りてきている。


「上から来たか……暁の王」


 彼女は、眉間に皺を寄せながらもなお笑った。


「だから言ったの」

「私は、下から行くって」


 足元の影が、深く沈む。


「さあて」


 一歩、踏み出す。


「これで、全員同じ盤上ね……」



 病室。


 イリスが、眠りの中で小さく呻いた。


 カイが、はっと顔を上げる。


「……今の、何だ?」


 説明できない胸騒ぎ。

 理由のない恐怖。


 だが、それ以上に。


 ───知っている気がした。


 遠い昔。

 世界が燃え、

 天が堕ちた、あの夜の気配。


 窓の外。


 朝焼けが、異様なほど鮮やかに赤い。


 誰も気づかない。

 だが、確かに、


 世界は、静かに、

 そして確実に。


 神話の続きを、再生し始めていた。


お読みいただき、ありがとうございました。

続きが気になった方は、

そっと本棚ブクマに置いてもらえたら励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ