表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/229

死亡状態『未確定』

 パトラは、箱庭の裏側を歩いていた。

 舗装された道でも、地図に載る座標でもない場所。

 ログとログの隙間、意味づけされなかった余白を、彼女は辿っている。


 背は高くはないが、姿勢が異様にまっすぐだ。

 黒に近い濃紺の外套は、現実の布というより「役割」を纏っているように見える。

 肩まで届く髪は光を受けて、藍色から鮮やかなコバルトブルーへと揺らめき、そのたびに色を変える。


「……やっぱり、変ね」

 薄紫の瞳は、感情を映さない光をたたえていた。

 指先で空間をなぞる。

 そこだけ、感触が遅れて返ってきた。


 時間が歪んでいるのではない。

 因果の処理順が、入れ替わっている。


 Σ7の仕業ではない。

 彼らは“管理”はできても、“戻す”ことはできない。


 喉の奥で、かすかに息が詰まる。


「暁の王が……起きた、だけじゃ足りない」


 パトラは立ち止まった。


 足元に、消されたはずのログ断片が浮かび上がる。

 死の時刻。

 存在が終了したはずのID。


 それらすべてが、未確定のまま凍結されている。


 指先が、わずかに震えた。


「……まずいわね」


 もし、これが完全に定着したら。

 神が戻る前に、世界のほうが壊れる。


 冗談めかした調子とは裏腹に、背中を冷たいものが這い上がる。


 これは想定より、早い。


 その瞬間。


「そこに気づくとは、さすがだ」


 背後から、穏やかな声。


 パトラは驚かない。

 だが、肩越しに一度だけ、無意識に距離を測る。


「……出てくると思ってた」


 振り返ると、白衣姿の男が立っていた。

 何もない空間から、最初からそこにいたかのように。


 足音はない。

 ただ、通過した権限の余韻だけが残る。


「観測していただけだよ」

 男──ライナスは、軽く肩をすくめた。

「君が、どこまで踏み込むのかを」


 パトラは彼を正面から見据える。


 その視線は鋭いが、どこか焦点が定まらない。

 まるで、彼ではなく、彼の背後を見ているかのようであった。


「君は、例外だ」


 沈黙。


 風のない場所で、外套の裾だけが揺れた。


「箱庭の住人は、役割でできている」

 ライナスは言葉を選ぶ。

「管理者も、観測者も」


 一瞬、口を閉ざす。


「……君は、その外縁にいる」


 パトラはふっと笑った。

 だが、それはいつもの余裕ある微笑ではない。


「便利な言い方ね」


 彼女は視線を逸らし、宙に浮かぶ何かを見る。

 ライナスの背後に、彼自身が見ない“表示”。


 測定不能。

 未定義。

 そして、増えつつある。


 パトラは一歩踏み出しかけ、止まった。


「……まだ、ここまで来るとは思ってなかった」


 声が、わずかに低くなる。


 焦りを、隠しきれなかった。


「このままだと……」


 言葉を切る。


 暁の王でも、死でもない。

 もっと古く、もっと静かなもの。


「……いや。断定は早いか」


 ライナスは何も答えない。

 ただ、彼女を観測している。


「ねえ」

 パトラは、いつもの調子を取り戻そうとして言う。

「あんた、消せるでしょう?」


 主語はない。


 ライナスは否定しなかった。


 沈黙が伸びる。


「……やらないよ」

 彼はようやく口を開く。

「今は」


 それ以上は、語られない。


 パトラは息を吐く。

 それは安堵ではなく、決断の呼吸だった。


「なら、私は予定通り」


 影が、足元で沈む。

 自然な現象には見えない。


「壊さない」

 背を向けて言う。

「下から、組み替えるだけ」


(世界を救う気なんて、ない)

(ただ、人が生きられる余地を、残したいだけ)


「観測は続ける」

 ライナスの声。


「好きにして」


 次の瞬間、彼女の姿は消えていた。


 ライナスは、ひとり残る。


 管理画面を開きかけ、閉じた。


 表示されていた警告。


【DEATH FUNCTION: UNSTABLE】


 彼は、目を伏せる。


 ⸻


 ライナス/内部記録(未送信)


 本当の問題は、彼女ではない。


 彼女は、見えているだけだ。


 だが、

 見えないまま、動き始めたものがいる。


 それを、まだ誰にも言えない。



 その頃。


 都市の端、老朽化した集合住宅で、

 独居老人が静かに息を引き取った。


 ──はずであった。


 心拍は止まり、

 脳波も消え、

 死亡確認のログも発行された。


 それでも。


 数分後、老人は目を開いた。


 呼吸は戻らない。

 声も出ない。


 ただ、涙だけが、

 止まらず流れ続けていた。


 【死亡状態:未確定】


 世界が、

 死を、処理できなくなっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ