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イレールの宝石店  作者: 幽玄
第三章 憤怒の黒魔術師
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35Carat Sanctus~サンクトゥス part1

「ルイーズ……ご無沙汰する。」

「ええ。ええ。お久しぶりね、クラース。」


白壁の修道院の窓辺。

そこはベッドに身を横たえた人々が修道女たちの治療を受けていて、まるで病院のような印象を受ける。


彼は、

「これを――――」

と、修道女ルイーズ・ディ・マリラックに手紙を手渡した。


不思議そうな顔をした彼女だったが、手紙を開いて表情が一変する。

彼女は、荘厳な修道院全体に響き渡るような澄んだ声で、命令を下した。




―――「すぐに『白と黒の祭壇』へ続く聖堂の空間を閉じなさいっ!!


    巡礼者もお断りをっ!!


    ―――黒魔術師を止めるのですっ!!!」




―――――――――




 エウラリアは百合に、リビングのソファに座るよう、促した。

彼女は素直に、華奢な背中を、ソファの背もたれに預ける。彼は大型のオーディオ機器に歩み寄ると、繋いでいたイヤホンの紐を解いて、何やら操作し始める。


 その間、百合はテーブルの上の香水瓶が気になった。



――深いブルーの瓶の底、桜の花弁が、沈んでいた。

艶やかに咲き誇る桜を、そのまま水中に沈めたような光景。


  そして、その瓶の隣には、一枚のタロット・カード。

  逆さまに吊り下げられた男の絵柄だ。



 エウラリアはCDをセットしながら、その視線に気づく。


「それはリュシーの桜を保存した魔法薬と、ワタシへのもとへ届いたLa() mort(モール) inverse(アンヴェルス)(逆さまの死神)のタロット・カードだ。」


「リュシーさんの桜と…ん……?ら、もーる?何て言いました?」


「フ……気にするな。ただの独り言だ。」



ニヤリとしたエウラリアは、「それより」と言った。すぐにカチャリと音がして、彼はオーディオ機器から手を離す。




―――美しい声楽曲が流れ始めた。


 コーラスが室内に広がって、部屋全体がコンサートホールさながらの、荘厳な雰囲気を帯びる。百合はうっとりとして、微笑交じりに目をつぶった。重層に歌声が重なる、そのオーケストラ演奏に聴き入る。


「このような音楽も悪くないだろう?」


――トン…

 耳に音楽が馴染んだ頃、エウラリアはソファの正面に置かれたテーブルに、カップを2つ並べた。あたたかい湯気が立ち昇るカップからは、カモミールティーの匂いが鼻をかすめる。


「美味しそうですね。いただきます。」


百合はゆったりとした面持ちで、それを口に含む。エウラリアも百合の隣に腰かけて、美しい調べと、カモミールの香りを、楽しみ始める。夜の静かな、寝る前のひと時、敵対していたはずの二人は、緩んだやわらかい空気の中で、体を休めている。



「これは、何ていう曲なんですか?」



百合が尋ねる。エウラリアはゆったりとした口調で答えた。


「これはバッハ――名前くらいは聞いたことはあるな?バッハの『ロ短調ミサ曲』という全27曲からなるオーケストラ楽曲のうち8曲目、『主なる神』という曲だ。テノールとソプラノの二重唱が耳を癒す……」



フ…と微笑んだ彼は、続けて、楽しそうに話す。



「ミサ曲には必ず歌われる曲と、そのミサに合わせて特別に歌われる曲と、二種類あってな。キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイの5曲…これらは一般的にグレゴリオ聖歌と呼ばれているのだが、ミサを執り行う場合、この5曲は必ず歌われる…」



あまりにも楽しそうなので、百合は思わず微笑に手を沿えた。



「そのミサに合わせ、特別に歌われる曲は、鎮魂歌(レクイエム)などだ。

鎮魂歌(レクイエム)なら、死者の弔いのミサの際歌われる。


グレゴリオ聖歌に特別なミサ曲を加えて……ミサは完成されるのだ。


フフ……

なんともミサとは、贅沢なコンサートのようなものだろう?」


「ふふっ!楽しそうですね、エウラリアさん。」


「な……笑うな!」


エウラリアは不機嫌そうに言ったが、普段よりも口調は荒くなかった。



 その後は彼も黙って、静かにその調べに身を任せた。

そして、長いミサ曲の歌声が終わりを迎えた頃―――




「なぁ百合……」


「何ですか?」



 エウラリアが真剣な面持ちで、彼女に向き合った。


「オマエが眠りについている間に……ワタシは『白と黒の祭壇』の目前まで辿り着いた。明日には…ワタシ達は目的を達成する……」


「…………っ」


百合は襲って来た恐怖を抑え込んで、黙って冷静であろうと努めた。

エウラリアも黙って目をつぶったが、すぐに開いて、「話を変える。その前に尋ねたいことがあるのだ。」と、再び真摯な眼差しを彼女に向けた。


百合も、気をしっかりと持ってエウラリアに向き合う。



「ワタシは光と闇、“白”と“黒”……どちらもこの世界には必要だという考えのもと、生きている。」


「はい……」


「悲しみや絶望、それらを“闇”と表現したとする。しかし、闇は人を強くするのだ。それ無しに人は成長できない………それを乗り越えた先に、人の強さはある。ワタシはそれらの化身とも言える……」


「はい……」


百合は何度も頷いて、彼の思いを受け止める。


「そこでオマエに尋ねたい……。


このロザリオにはイレールを含め……

ワタシ達を襲った救いのない悲劇が記録されている……。」



エウラリアは首元の黒いロザリオを外すと、百合のオブシディアンの瞳をまっすぐに見つつめた。



―――「オマエに、絶望と向き合う勇気はあるか?」



――「………はい!」


百合は真っ直ぐに、彼の、情熱を秘めたルビーの瞳を見つめ返した。



 エウラリアは感謝するような優しい表情を浮かべると、そのロザリオを手の平にのせて示した。


「それは……たった一人の男の狂気によってもたらされた災厄だったのだ。


どうか、ワタシの最期のわがままを叶えてほしい……



どうか――――

 オマエにこの絶望を受け止めてもらいたい…………!




そして


―――――ワタシの全てを理解してほしい!」



 エウラリアの手にした、逆十字の黒いロザリオが輝く―――――



その光は百合を包んで―――


彼女を、

その身に秘めた記憶の中に、誘った――――





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