30Carat 揺れ動く二人の心
――ガタッ!
「イレールさんっ!!」
イレールが突然よろけて頭を押さえた。辛そうにその場に片膝をつく彼に、百合は駆け寄っていき、みんなも慌てて二人に駆け寄った。
「すみません……リュシーの桜を咲かせるために注いでいた魔力を体に戻すと、体に負荷が掛かるんです……すぐに安定しますから、大丈夫ですよ。」
「………っ…」
百合は、屈んでなおふらつくイレールの肩を支えながら、悲しそうに瞳を揺らす。
「休んだ方がいいと思うぞ……」
クラースの言に、イレールはそうさせていただきます…と頷いた。
―――「………。」
ジョルジュとミカエラに支えられながら寝室へ足を運ぶイレールの背中を、百合は揺れる瞳のまま見送った。二人がこちらに戻って来る。と、彼女は、
「イレールさんは……本当に大丈夫なんですよね?」
と、尋ねた。
「大丈夫よぅ…ほんの少し睡眠をとれば、魔力が安定してくれるわぁ。」
「こういうもんなんだ。気にすんな!絶対明日にはピンピンしてっから!」
二人は明るく答えてくれた。その言葉に、嘘はないと分かる。
「……良かった。」
百合はひとまず、胸をなでおろす。
そして、ミカエラが唐突に、
「あぁ~!そうだわぁ!わたしやっとあなたのあだ名を思いついたのよぅ~~!」
御真弓様に向かっておっとりと叫んだ。
「え?ミカエラさん、どうしたの?」
彼はきょとんとした顔で返事する。
「う~~ん。だいぶ前なのだけれど、わたしあなたにあだ名をつけるって話をしたの覚えてるぅ?ゆりちゃんを救うために、イスの都に乗り込んだ時のことよぅ。」
御真弓様は困った顔で思案していたが、あぁっ!と言って笑った。
「今頃?あははっ!ちゃんと考えてくれてたんだ。忘れちゃってたよ!」
「ごめんなさいねぇ~~!なかなかいいのが思いつかなくて、今になってしまったわぁ~」
ミカエラはうふふと、笑ってごまかす。
「それで?どんなあだ名を考えてくれたの?」
御真弓様は嬉しそうに、言葉の先を急かした。
「えぇっとね~~あなたのあだ名は、日本の聖なる弓の名からとってねぇ~~」
「うんうん!」
「天羽ヶ(はば)矢――君、よぅ~~!『天』が名字で、『羽ヶ(はば)矢』が名前のつもりなのよぅ~!」
「うわ~~!嬉しいよ!日本神話に出てくる弓の名だね!ありがとう、ミカエラさん!あだ名で呼ばれるなんて、親しい感じがして夢だったんだ!!ちゃんと弓にちなんでるしね!」
楽しそうな二人に、ジョルジュは呆れたように言った。
「お前ら今さ……よく明るい話題を話せんな?オレはちょっと…この状況で楽しそうにはできねぇーわ……。」
彼は、エウラリアの狙いが百合を犠牲としたリュシーの復活にあると知って、動揺が未だ拭いきれていなかった。それはミカエラだって同じのはずだ。彼女は、それはそうだけれど……と、表情を暗くして頷いたが、
「わたしたちまで暗くなってはいけないわ。せめて少しでも、明るく微笑む余地がなければ………。笑って済ませるような会話があれば……今は笑いたい気分だって時に、すぐに微笑むことができるでしょう?」
と、寂しそうに微笑んで、言った。
ジョルジュは、あ……と呟いて、御真弓様と、元気のないクラウンと百合の様子を窺った。
「………そうだな。うっし!オレも羽ヶ矢って呼ぶわ。」
「うん!ありがとう!わぁ~~~あだ名で呼ばれる日が来るなんて!」
御真弓様は嬉しそうにうんうんと頷く。
「あっ!百合さんも僕のことを羽ヶ矢君って呼んでいいからね!君に、“様”じゃなくて“君”って呼ばれると……なんか……嬉しいかもしれない!」
「え?……う、うん!じゃあ私も羽ヶ矢君って呼ぶね!!えへへ、羽ヶ矢君っ!」
カウンターの椅子に座ろうとしていた百合は、少し返事が遅れたものの、明るく返事をする。
「うん!やっぱり……嬉しい!」
胸の痛みを感じながらも、彼は本当に嬉しそうに笑った。
そして、ミカエラをチラッと窺った。
(もしかして……気遣ってくれたのかな?僕の想いが…叶わなかったこと……。でも…寂しくは…ない、な………。)
未だ痛む胸の奥。しかし、彼は心に温かいものが広がるのを感じつつ、ミカエラとジョルジュの会話に加わった。
――「クラウンさん。お話……いいですか?」
「……うん。私も誰かと話したい気分だったんだ……。」
百合がカウンターの椅子に腰かけたのは、クラウンの隣に座って話すためだった。
「じゃあ……色々思うことがあるので聞いてください。」
「うん。もちろんさ……。」
クラウンは、覇気のない声で返事をした。
それを見届けた百合は、切なそうな顔で話し始める。
「私……何だか…置いてけぼりにされた気分なんです。自分の知らないところで、話が進んでて、なんというか…一人だけ何も知らず守られてた自分が情けなくて……。
私の知らないところで、みんな…戦っていてくれたんですよね……?」
「それは……君には何も知らず笑っていて欲しいからさ。誰しも命が狙われているなんて言われて、平生でいられるわけないだろう?君には、私達の話を疑いなくやすやすと聞き入れ、抱擁するような寛大な精神がある……。君が心を痛める光景なんてね……私達にとってはできることなら…避けたい光景なのさ……。」
「でも……!私だってもう…子どもじゃないんです。しっかり教えてください!ちゃんと自分の運命と向き合いたいんです!
何もできなくて…守られてばかりで!
……みんなが私のために戦っているのに、のうのうと笑って日々を過ごしていたなんて…
本当に嫌です!自分が嫌で嫌でっ!情けないですっ!!」
「ゆ、百合……」
必死に訴えてくる百合の剣幕に、クラウンは圧倒されつつ立ち上がった。
他の三人はこちらを心配そうに、見つめている。
「家まで送りながら話そう……。お互いに外の空気を吸うべきだ。」
「………っ…はい。」
しょんぼり言うクラウンの言葉に百合は反省しながら、後に続いて立ち上がった。
「――クラウン…」
ジョルジュが心配そうに駆け寄ろうとする。
が、
「私も、百合も、大丈夫…さ……」
と、クラウンが絞り出すように言うので、思わず押し黙った。
――カチャン…とドアが閉まる。
「信じましょう…あの二人を。」
二人が消えていったドアに向かって、
ミカエラが、ポツリと―――言った。
百合たちが連れて行かれた魔法界――La vallée des Noir”(黒魔術族の谷)は、夜であったが、こちらの世界はやっと太陽が沈み始めたころだった。
クラウンと百合は、黙ったまま歩いていた。
しかし、再び百合が、話題を変えて口を開いた。
「クラウンさんの本当の名前……フェリクスっていうんですね。」
「あぁ……あいつが言ってしまったね。恋人――リュシーを救えなかったときに捨てたんだ。
あまり……呼んでほしくないな。」
「……すみません。」
百合はすぐに謝った。
「楪先生……じゃなくて、エウラリア…さん……は、どうして私にクラウンさんの本名を教えて来たんでしょうか?あんまりにも唐突すぎる印象だったんですけど……」
途端、クラウンは面白くなさそうに、ふん……と鼻を鳴らした。
「それは、私を動揺させるためさ……!
私はその名で呼ばれると、自己嫌悪で吐き気がするんだよ……ッ!!」
「………!」
口調が荒くなって、百合は彼の底知れぬ憤怒を感じた。
それより、と彼は怒りを潜めて続ける。
「百合はアイツを知っているようだったね?」
「はい……。」
百合は傷ついたような顔になって、視線を落とした。
「あの人は…私の担任の先生だったんです。楪先生って呼んでて…優しい先生で……時々励ましてくれたりしてくれて……未だに信じられないです。そんな……怖い人だったなんてっ!私の中の先生は、とっても愛情深い人……なのに……」
「………」
クラウンはほんの一瞬黙ったが、言葉を選んでいるかのようにゆっくりと言った。
「……あいつの人柄については分からない…。しかし、リュシーと仲は良かったらしい。おそらく…リュシー復活のためなら、どんな手段も辞さないという考えなんだと思うよ……」
彼は苦しそうに、唇を噛んでいた。
クラウンは決して、彼がいい人だとは、保証してくれなかった。
百合はショックを受けて、
「楪…先生……私はやっぱり…信じられない。」
そう、小さく、呟いた。
百合の家が遠くに伺える距離にまで、二人はたどり着いた。
「……最後に、私の話を聞き流す程度に、聞いてくれるかい?」
「……はい。」
真剣な様子で、クラウンは言った。
「魔法族にとって、名前はとても重要なものなんだ。人間にとっても名前は重要だが、魔法という強大な力を手にする魔法族にとっては、特に………ね。」
「……名前…ですか?」
百合はなんとなく、先ほどの御真弓様の様子を思い出した。彼は名前そのものに弓というものを体現している。そして、そのあだ名もまた弓を指すものだった。
クラウンも彼を例として出した。
「御真弓様…彼は弓の神。御真弓様と聞けば、あるいは、その字を見れば、弓の神であると連想されるだろう?そして彼自身、如何なる場合も弓の神であり続けている……。彼が弓を捨て、剣を本格的にでも扱い始めたらもうそれは…弓の神ではない。」
「その…名前がその人を定義してるって…ことですか?」
恐る恐る言う百合の言葉に、クラウンは頷く。
「……あぁ。百合がこの間出会った大天使ラファエル様。天使ラファエルと聞けば、癒しの天使と連想される……」
じゃあ…と、百合は微笑を浮かべた。
「クラウンさんって聞いたら、
私の場合……皆を笑わせてくれる、道化です。」
ふふ…そうかい。と、クラウンは僅かに頬を緩めた。
しかし、すぐに仮面が暗く影を映した。
「フェリクスはね……。
私にとっては…何よりも大切で愛していた恋人を救えなかった
……情けなく不甲斐ない死神を連想させるのさ………。
だから……決別の意味で――捨てた。
恋人への想いはそのままに………ね。」
「……っ…クラウンさん………。」
百合は辛そうに、彼を見上げた。
―――いつの間にか、百合の家の前に着いていた。
日はすっかり傾いて、暗闇がこぼれ落ちかけている。
クラウンは、
「夜はいつも夜目が効くクラースと、御真弓様――羽ヶ(ば)矢が見張ってくれているから、安心してお休み。」
と、優しげに言った。
「…ありがとうございます……」
百合は背の高い彼を見上げて、切なそうに微笑を浮かべた。また…守られてる。と、彼女は胸が苦しくなるのを感じた。
「へへ……さらばだ……!」
「……はい!さようならクラウンさん!」
クラウンは自分を奮い立たせるように明るく言うと、あっという間に屋根に飛び乗って行ってしまった。
明るく手を振っていた百合だったが――――
その手を―――胸の前で、
組んだ。
「私が……エウラリアさんに着いて行って…そのまま姿を消したら……
リュシーさんが戻って来て…みんな幸せになれるのかな……?
みんなリュシーさんを慕っているから…こんなことが起こってるんだよね……?」
彼女は組んでいた手で、
「………っ…!」
ギュッと、自分を抱きしめる。
「―――でも……!
私はあなたと、ずっと一緒にいたいです……!
イレールさん…………っ!!」




