24Carat 忘れてしまった彼女 part2
パソコンの調子が悪いです……すぐフリーズします。
そんな中やっと投稿できたこのお話。
コソっ……
(彼らの春も、もう少しです……!)
「バレンタインだよイレールっ!!」
――ひょい
「そうですね。明日は2月14日、バレンタインデーです。」
――ぐい
イレールは、突然目の前に飛び込んできた白い仮面をつけた顔を、邪魔そうに片手で押しのけた。
「仕事の邪魔です。」
「おいおい、やけにそっけないじゃないか!!普段なら話にのってくれるだろうっ?百合がチョコをくれるかもしれないんだよ!!」
「それは……―――」
書斎の机に向かって、鑑別書を忙しそうに書いていたイレールだったが、ほのかに頬を赤らめた。思わずペンを置いて、口元に手を沿える。
――イレールさん!!これ受け取ってください……!
(それ、は……っ!)
ほんの一瞬想像してしまったのは、百合の天使的な可愛らしい笑顔。
そして彼女の手元には、チョコの入った小さな包み。
「―――にやけてしまいますね。」
「へっへーん。だろっ!?」
クラウンは満足そうだ。イレールとは別の種類のにやけ顔を仮面の下につくっている。
うっとりと微笑んでいたイレールだったが、緩んでいた表情をキリッと引き締めた。
「……あれ以来、エウラリアも悪魔も、何も動きを見せてきませんね。」
クラウンも真剣な口調に変わった。
「そうだね……。こうも動きがないと、返って身構えてしまう。だが!ピリピリしすぎるのは良くないと思うよ、イレール君!バレンタインにドキドキするぐらいしたっていいじゃないか!」
「………。」
イレールは一瞬だけ口をつぐんだ。
「………確かに。身構えすぎているなって、自分でも思いますよ。」
顎の下で手を組んで、イレールは自嘲気味に言う。
その様子にやれやれ…と呟いて、クラウンが口元を吊り上げる。
「お前は百合のことになると、努めて冷静になろうとしているだろう?あの子のために道を誤らないようにね。」
「それはそうです。百合さんは私の全て、ですから。」
平然と、イレールはきっぱりと言い切った。
クラウンはうんうんと頷く。私から見て――と、彼は続けて言う。
「以外にもお前は、百合のことになると――冷静に見えて、冷静ではないよ。」
「………は?」
イレールはきょとんとした顔で、クラウンを見上げた。
「こちら側に連れ込んだ時点で、ね。ま、お前が冷静でない方が、お前と百合は幸せに
――――いや、やめておこう。」
「はぁっ!!!?それどういう意味ですかっ!!?」
「ほら!冷静じゃないじゃないか。いいのさそれで。むしろその方が、百合とイレール、お互いにとってウェルカムっ!―――じゃ、お幸せに!!」
「待ちなさい!!」
――ガタンッ!!
勢いよく椅子から立ち上がって、イレールはクラウンを追いかける。
「捕まらないよーーだ!」
――タタタッ
クラウンは宝石店の廊下を駆ける。
「私は冷静であるはずです!――あぁ……!全くもう、意味が分からない。」
――ガチャン…!
イレールの追跡もむなしく、クラウンはサッサと宝石店から出て行ってしまった。
残されたイレールは小さくため息をつくと、仕事に戻るために、再び書斎へと足を運ぶ。
前髪の下から、憂いに染まった瞳がチラチラ覗いていた。
「……貴方の言っていることは本当に分からない。私が冷静でない方がいいとはどういことですか?それでは……『私が百合さんに想いを伝えるという選択肢』が、正しい道だということになるじゃありませんか。その道は、百合さんの幸せにはつながらないはず、です……。」
――チリン!!
玄関の鈴が鳴って、百合と御真弓様が来店する。こんな顔を見せてはいけない。そう思ったイレールは踵を返すと、二人をにこやかに出迎えた――――
御真弓様はさっそく、先ほどスーパーで聞いた美結と百合の会話の内容をイレールに伝えた。
「それは……!!とても貴重な情報ですよ。」
キッチンで三人分のお茶を淹れている百合の様子をチラリと伺って、イレールは声を潜めて言った。
「本当にごめんね。あの夜のことを教えてくれた時に、“みゆ”って名前をあの子に関連づけることができていれば……。」
御真弓様が申し訳なく頭を下げるのを、イレールは制止させる。
「いいえ。これで辻褄が合いました。あの手紙に記された名。その身に魂を二つ宿すという西永諒君は、百合さんのご友人である美結さんの弟だった。今現在の諒君の性格が変わってしまっているのは無理もありません。ラファエル様は後日、余分な魂を回収しましたから。」
「今の諒君の体には、本来の魂だけが残ってるってことなんだね?」
「はい。そしておそらく、諒君に宿っていたもう一つの魂は、悪魔が所持していたものだったようです。」
「どうしてそこまで言い切れるの?」
「悪魔は自分のことを『我』と呼んでいました。諒君も時折、自分のことをそう呼んでいたそうですね?悪魔の所持物となった魂は、悪魔の人格を宿して、様々な魔術に使うことができます。悪魔は昔……。今はもうそんなことはしませんが、他の種族の魂をかすめ取る。なんてことをしていた時代がありました……。そんな時代もあって、悪魔は余分に魂を所持していることがあります。あの悪魔は何らかの目的のために、諒君に所持していた魂を宿したのだと考えられます。」
昔の悪魔の仕業を思い出しつつ、イレールはそう説明する。
「貴方はその目的に、本当に予想がついていないの?僕はその場にはいなかったけど何となく、心に思う所があるよ……。悪魔が口走ってたっていう“美結を守る”って言葉から。」
御真弓様は愛おしげに、キッチンのほうに視線を飛ばした。イレールもそちらへと再び目を向ける。彼の視線も、深刻そうなものから、愛おしさを含んだものに変わる。
言い切ることはできませんが、と彼は口を開いた。
「もしかしたら……もっと近くに寄り添ってみたいと、願ってしまったのかもしれません。」
微笑を浮かべつつ、彼は視線を僅かに落とす。
「遠くで見守るだけでは寂しくて。惹かれてやまないその人の声が、笑顔が、優しさが、こちらに向いてはくれないだろうか。もしそれが叶ったら、どれほど幸せなことだろうか。そう願わずにはいられずに。彼は切なさと愛おしさの中で揺れ動く……。そして選択したのが、この道だった。」
「想いを黙したまま彼女と強い絆を築いて、彼女の幸せを願う道。」
御真弓様が、イレールの心を見透かしたようにそう告げた。
イレールは視線をあげて、目の前の神に、揺れ動く瞳を向けた。
「それで良いのです。」
――「あなたのそういうところは長所だけど。僕からしたら……身勝手で無責任だ。」
冷たい声だった。
「……え?」
イレールは小さく声を上げる。
「フン………」
御真弓様はイレールをチラッと睨んで、水干の袖を揺らして屋根の上に行ってしまった。
「…………。」
後に残されたイレールは、とても傷ついた様子で瞳を伏せた。
――「あれ?御真弓様はどこへ行ったんですか?―――わっ!!?」
お茶とクッキーをトレーにのせてこちらに歩み寄ってきた百合の頬に、イレールは手を沿えた。みるみる彼女の頬は赤く染まっていく。
「なななな、なんですか……っ!」
心臓が高鳴るのを自覚しながら、百合はイレールの顔を見上げる。
「―――っ!?イレールさん……何かあったんですか?」
あまりにも寂しそうな彼の表情に、百合は一瞬驚きの表情を浮かべて、すぐに心配そうに言った。イレールは切なげな微笑に変わって、
「変なことをお聞きしてもよろしいですか?」
と遠慮がちに尋ねた。
「はい……。」
黒曜石の瞳に宿っているのは偽りのない、心配の念。
それをこちらに傾けてくれていることに感謝しながら、イレールは絞り出すように聞いた。
「百合さんは私と居るこの瞬間………幸せを感じていますか?」
百合は驚いたように目を見開いて瞳を揺らす。
しかしやがて真っ直ぐに、イレールの目を見て微笑んだ。
「幸せです。すっごく。」
「………」
イレールはその言葉を受けて、無言のまま平生の微笑を浮かべて見せた。
百合の頬を指先でそっとなでてみる。
柔らかい頬はあたたかく、彼の手に優しさが馴染んでいくかのよう。
小さな小さなその瞬間。
彼にとっては、今のこの一瞬だけ触れることを許された、彼女のぬくもり。
名残惜しげにその手を離すと、イレールはお茶にしましょうか。と言った。
「……はい。」
カウンターの内側の席に向かう彼の背中を百合は寂しげに見つめた。
(どうして、そんなこと聞いたのか。教えてくれないんだ……。また何か一人で抱え込んで。イレールさんは私に、肝心なことは話してくれない。そんな……気がする。)
百合は心の中でひとりごちると、頬に意識を向けてみる。
いつも手を握ってくれるあたたかい手は、どこか今日は―――
冷たくなって震えていたような気がした。
その後―――
カウンターで向き合って座ったイレールと百合は、お茶とクッキーを楽しんでいた。イレールはいつもの微笑を浮かべて、カップに口を近づけている。
さっきの寂しげな表情がまるで嘘のよう。
百合は心の中をモヤモヤさせながら、イレールをじっと見つめていた。
「何ですかそんなに見つめて、私の顔に何かついてますか?」
彼女の視線に気づいたイレールが、ふふっと微笑んで言った。
「……あっ!いえっ!!」
百合は恥ずかしそうに視線をそらすと、そういえば…と会話の話題を切り出した。
「最近お客さん来ませんね。もう二週間ぐらい、誰も来ていないような気がします。私が学校に行っている日中に来てるってことですか?」
イレールは胸の内でギクリとしつつ、用意していた言い分を言った。
「日中にも、誰も来ていませんよ。お客さんが来ないということは、私の助けを必要としないほど、皆心身ともに健やかでいられているということですよ……。」
「そっか!これはこの店の場合、いいことですね!!ふふっ、クッキーが美味しいです!」
無邪気な笑み。それに癒されたような気持ちがするものの、やはり複雑であることには変わりなかった。
(本当は店を閉じているなんて……言えませんね。)
紅茶を一口含むと、百合はごそごそと鞄から白い包みを取り出した。
いかにも嬉しそうに、その箱を開けている。
何となく気になったイレールはそれを覗きこんだ。
「美味しそうなトリュフですね。誰かからの贈り物ですか?」
「はい!!担任の先生からもらったんです。男の人なのに、こんなに綺麗なお菓子を作るってすごいです!」
箱の中には、トリュフが二粒入っていた。ココアパウダーで包まれた柔いチョコに、金箔が上品にのせられている。それらの内の一粒をつまむと、百合はためらいなく口に運んだ。さも美味しそうに、口の中でそれを溶かして味わう。
「見せびらかしながら食べるみたいで申し訳ないんですけど、この紅茶と合いそうだったので……。新しくイレールさんが選んだ紅茶、思った通り、すっごく合います。」
「お気になさらずに。お菓子は自分が一番美味しいと思うタイミングで食べたほうがいいですよね。貴女が作ってくれたこのクッキーも、この紅茶に合って美味しいですよ。」
(それにしても、それをくれたのは男の人、ですか……。いいえ。いけない…こんな感情、抱いてはいけない。)
嫉妬の感情を抱く自分を戒めるように、再びカップに口を近づける。
百合はトリュフを食べ終えて、
(………ぅっ!!)
頭痛を感じて目をぎゅっとつぶった。すぐにそれはおさまって、ぱっちりと目を開ける。何だったんだろうと思いながら、彼女は再びトリュフに手を伸ばした。
――口の中にチョコの甘さが広がって、カカオの香しさが喉に心地よい。
フラ……………
(あ、れ………?)
すぅっと意識が遠くなっていくのを感じた。
でもそれに抗うことができなくて、百合は体を倒していく。
―――とさ……
床に彼女の体が打ち付けられるその前に、華奢な体はしっかりと抱き留められた。
ガシャーーーーーーーーーン!!
躊躇いなく放り出されたカップが、砕け散る音がする。
最後に彼女の瞳に映っていたのは、こちらに駆け寄ってくる
“誰か”の焦った顔――――だった
――――――――――――――――――――――――――――
突然、倒れてしまった百合。
イレールは自分の寝台に彼女を寝かせて、その手を両手でしっかりと握っていた。
バタンッ!!
――「何なの!!?忙しく走る音が聞こえたんだけど!!!?」
「何があったイレールっ!!」
勢いよくドアが開いて、クラースと御真弓様が駆け込んで来た。
イレールはぎゅっと閉じられた百合の瞳を見つめたまま、二人のほうを振り返ることもなく、努めて落ち着いた口調で返事をする。
「……急に倒れたんです。呼吸も乱れていませんし、脈は安定していますから、命に関わるようなことではないと思いますが……。」
「そんなっ!!百合さんっ!!!」
「百合っ!!」
それを聞いて二人も寝台に駆け寄った。
「これもエウラリアの計らいか?」
クラースが百合の頭に羽を寄せながら尋ねる。
「分かりません。……でも、何も魔力を感じるようなことはありませんでした。」
握っている手には、自然と力がこもる。
―――「………ぅ……ん………」
手元から、小さな声が聞こえた。
百合の瞼が、眠りから目覚める瞬間のように、ゆっくりと開かれていく。
三人は安堵の息をついて、ほっと胸をなでおろした。
「あぁっ!良かった………!!」
「うむ、目覚めたか!」
「百合さん大丈夫!?何ともない!!?」
御真弓様は思わず百合の顔を覗きこむ。百合はぼんやりした様子であった。
しかし、ぼんやりした顔に僅かに微笑を浮かべてみせた。
「御真弓様……どうしたの…?そんなに…切羽詰まった顔をして……?」
「ううん。何でもないよ……。」
呑気な物言いに、彼は安心と苦笑が入り混じった表情になる。
イレールもこれ以上にないほど安心した様子で、労わるように優しく言った。
「百合さん、体は平気ですか?見たところ何ともないような感じですが……?」
「………」
百合は何も言わずに、自分の左手を見つめた。
「どうして私の手を握ってるんですか?」
どこか他人行儀な言い方だった。
「……え?それは……貴女が心配だったからです。嫌…でしたか?」
どうしてそんなことを聞くのだろう。
彼女の言い方とその言葉に、心がズキリと痛むのを感じる。
優しさの感情で満ちた表情で、いつも自分を見つめてくれる愛しい人。
そんな彼女は、迷惑そうな表情さえ浮かべている。
「嫌というか……。どうして“あなた”が私の手を握っているのか不思議なんです。御真弓様ならともかく………。
あなたは、
―――知らない人なのに。」
「………………っ!!!!!!!」
――パサッ……
しっかりと握っていたはずの手が、指の間をすり抜けていく
あんなに強く握っていたのに、これほどにも容易く、
ふりほどかれてしまった両手――――
イレールは、目の前が、真暗な闇に染まっていくのを感じた。




