21Carat ラファエルの旅路を往く part1
こんな時間ですが……
いつもより字数少なめですが、切りがいいのでここで分けます。
彼女は隣に座って欲しいと言った。
カウンターで向き合って話していたのに、隣に来てほしいと。
俯いている。
何かあったのかと思って一瞬だけ心配になった。
隣に移動して表情を伺ってみる
―――怖かった
また悲しみや恐怖の涙を流させてしまったのかと――――――
でも、
彼女は神秘的でいて、それでいて幸せそうな微笑を浮かべていた。
見とれてしまうほどきれいで、はっと息を飲んだ。
クリア・フローライトの心を宿した容姿
オブシディアンの黒い瞳、長い艶のある髪、優しげに口角を上げた唇、薔薇色に染まる頬……
彼女の持つもの全てがいつもよりも美しく見えた
魅入っていると、彼女はこちらをまっすぐ見つめて言った。
――――「私が見た夢の話、聞いてもらえませんか?」
―――私が貴女に出会ったあの日、私はそこに無くしていた陽だまりを見つけた―――――
21Carat ラファエルの旅路を往く
イスの都から無事に戻って、三日経ったある日。
宝石店のキッチンにて。
(私がイレールさんにとってどういう存在か聞きたいけど……やっぱり勇気がでないな……)
百合は切なげに、材料をテーブルに並べているイレールをチラッと一瞥してため息をついた。イレールはいつもの宝石店の従業員姿の上から黒いエプロンをつけて、手際よく小麦粉をふるいにかけ始めている。
「あっ百合さん、そこの戸棚からもう一つボウルを取っていただけますか?」
「――――はい!これですね!」
気持ちを切り替えて、示されたボウルをイレールに手渡す。
(今日は一日ここに居るし……なんとか一歩踏み出せないかな。)
痛む胸を押さえ、心の中でそう呟くと、百合はイレールに別の話題をふった。
「珍しいですね。イレールさんがまだ朝食を取っていないなんて。」
「昨晩出かけて帰りも遅く、疲れてしまって……さっきまで寝ていたんですよ。貴女に見苦しい姿をお見せしたくなかったので、身だしなみは整えましたが……食事だけは間に合わなくて、お恥ずかしい限りです。」
イレールはばつの悪そうな顔を、百合のほうに向けた。彼女はコンソメスープを煮立てている鍋を見ながら、それに微笑んで見せる。
「そういうイレールさんかわいいです。しっかりお手伝いするので、色々言いつけてくださいね。」
「……かわいい、ですか。少し複雑です。私も一応男ですから……褒めてくれるんでしたら、もっと別の言葉で形容して褒めてくれませんか?」
しょんぼりしているイレールの手元では、スコーンの生地が次々と丸められていく。
「え?じゃあ……。忙しい朝だったはずなのに、全然いつもと変わらない涼しい顔をしてるイレールさん、できる男!!」
「…………あ、はは。ありがとうございます。」
「あれ?あんまり嬉しそうじゃないですね?」
「いいえ~そんなことありませんよ。」
思っていた反応ではなかったので、百合は不思議そうに目をぱちぱちさせた。イレールは苦笑しながら丸め終わったスコーンの生地をオーブンに入れた。焼き時間を設定すると、まだ不思議そうに原因を思案している少女の、のんびりした表情を楽しむ。
のほほんとした雰囲気が漂うが、
―――ボコボコボコッ!!!!
水が盛大にふき出す音が響いた
「あーーーーーー!!百合さん後ろ!!!」
「へ?きゃーーーーーーーーー!!」
鍋からスープが噴水のようにふき出している。それはクッキングヒーターに大きくうねって落水して、床にまでぽたぽたと滴っていた。
「あわわっ!!」
百合は慌てて駆け寄って火を止めたが、思わず高温の鍋のふたに手をやってしまった
「――――――熱っ!!」
彼女は反射的に手を引っ込める
「大丈夫ですかっ!!?」
イレールは慌てて駆け寄ると、百合の手を掴んで水道へと引っ張って行った。
「きゃっ!!!」
―――ジャァ………ッ
痛々しく赤くなっている百合の右人差し指と中指を水道水にさらす。
しっかり両手で彼女の右手を掴み、指を絡ませて水流に押し当てている。自然と百合の背中にイレールが密着する形になって、百合の心臓はどきんと飛び跳ねた。後ろから包まれて抱きしめられているかのような状態だ。腕が自分の目の前に回されて、しっかり包み込まれている。冷たい水とは対照的に、背中側があたたかくて心地よい。火傷の痛みよりも、胸のざわめきのほうに気を取られる。
「イレールさん、もう大丈夫です。自分で冷しますから………っ!」
やっと……それだけ言う。きっと耳まで真っ赤になっている。
「だめです。私がいいと思うまで冷やしてください。貴女の手に水膨れができてしまうなんてことは、絶対に阻止しなければ!」
イレールはいたって真面目だ。彼女の手を掴み続けたまま、絶対にその手を放そうとはしない。
「ぅー………」
なんでこんなに、時々大胆なんだろうと思いながら、百合はうつむいた。イレールと百合の身長差は頭一つ分ほど。顔にイレールの、頬に垂らす髪があたってなんともこそばゆい。
「うん、もういいでしょう……冷やすのは。」
「冷やすの、は?」
どこか含みのある言い回しだ。
イレールの瞳が凛と光った。
「まだ手当は終わっていませんよ。私の部屋に包帯がありますから、巻きましょう。」
「巻きましょう?何でそんなに毅然としてるんですかーーーー?!」
彼女の手を握って、イレールは強引に廊下を引っ張って歩く。
百合はイレールに促されて、彼の寝台に座らされた。
イレールは机の引き出しから、救急箱らしきものを持ってくる。そして百合の隣に座ると、痛々しく赤くなっている百合の指先に、器用に包帯を巻き始めた。
されるがままの百合は、彼の勢いにすっかり圧倒されていた。
「これくらいの火傷、ほっといても治りますよ~」
「細菌が入ったりしては大変です!せめて今日だけでも!」
百合の右手をいたわるように、そっと、患部を刺激しないように優しく巻いている。百合が少し視線をあげて、イレールの様子を窺う。
と、その視線に気づいた彼は辛そうに言った。
「私が……治癒術を使えたらよかったんですけど………。」
「ヒーリングって癒しってことですよね?使うってことは、魔法ですか?」
「……はい。魔力を生命力に直接的に変えることで、傷を癒すことができるんです。病気は治せませんが。この魔法ばっかりは生まれ持った素質が必要でして、その素養のある者もごく少数派なんです。」
包帯を巻き終えても、イレールは百合の手を優しく握ったままだった。すぐ隣の、百合の肩に身を寄せる。寂しげな瞳だった。なんだか今日のイレールはいつも以上に心配性であるように思った。百合はそこに何となく違和感を覚えながら、彼に明るく言う。
「私なら大丈夫ですよ!もしイレールさんがヒーリングっていうのを使えても、これぐらいだったらお願いしなかったと思います。こんなにしっかり手当てしてもらって、きっとすぐ治っちゃいますよ~」
「そうですか……貴女に包帯は似合いませんから、すぐ治してくださいね。私は貴女につけられたどんなに些細で小さな傷も許せないんです。」
「過保護ですよー…小さい子じゃないんですから!!――ひゃわ?!」
ムッとして少しふくらました百合の頬を、イレールはむにっと軽くつねった。
「心配なんです――――こんなに大切なんですから。」
ふふっと穏やかに笑ってみせると、すぐに手を放し、彼はすっと立ち上がった。
――「スコーンが焼き上がるころです。せっかくですから一緒に召し上がりませんか?」
頬を赤く染めている百合に一声かけると、イレールは部屋から出て行った。
イレールの消えていったドアに向かって、百合は恥ずかしそうに柔らかく微笑んだむ。
「私はイレールさんにとって、大切で特別な人になれているってことは……分かりますよ。」
(ん?何だろう?)
彼女はイレールの寝台近くの床に、何かを見つけた。
(……………ピンク色の花びら?)
―――頭の中で一瞬、夢に見たビジョンがふっと思い出された――――
桜吹雪の中、白いローブをまとった人影が、片膝をつく
優しげに微笑んだ口元がうっすら把握できた
その人物は手を差し伸べてきた
大好きな優しい匂いがする
そこで、そのビジョンは途絶えた――――――
百合は床にへたりと座り込んだ。放心したように瞳を揺らして、そっと花びらを手にとる。
「……桜…………イレール…さん……?」
彼女は驚いたような顔になって、その花びらをまじまじと見つめた。そして、切なげに、本当に切なげに、微笑んだ。
「あれは……イレールさん。」




