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イレールの宝石店  作者: 幽玄
第二章 魔法族は星のもとに集う
39/104

14Carat  屋根の上の石膏梟 part2

イレールに彫刻の知識はない。


それでも、息を飲むほどの傑作であることは幼い彼にも分かった。

「サーペンさんがさきほど補修していたのは、この梟の彫刻ですか?」

瞳はその梟から離れることを拒絶するかのように、しっかりとそれを視界にとらえ続けながら、尋ねる。そして、次の瞬間にも天へと飛翔せんとしているその像は、微かに魔力を帯びていることが感じられた。

「そうだ。少しずつ手の感覚だけを頼りに補修しておるのだ。坊主はこいつが何者か、分かるか?」

「ただの彫刻作品ではないっていうことは分かります……なんとなく、魔力を秘めているのは感じるので。」

近づいて目を閉じ、意識を石膏像に集中させれば、確かにそこには異質な魔力が感じられる。

「そうか。では質問を変える。坊主、女神アテナは知っておるか?」

「学芸や戦闘、英知を司る、英雄の守護者ともされている女神ですよね。またの名をミネルヴァ、と。女神ニケはその化身で……それがこの像と関係あるんですか?」

瞳を上目づかいにしながら、不思議そうにサーペンを見上げる。

「ああ、大いにあるのだ。」

サーペンはイレールの気配のするほうを見下げて、大きく頷いてみせる。



「梟は女神アテナの聖鳥であり、従者だ。この工房は大昔、アテナ直属の彫刻工房だったのだ。だから昔制作された彫刻作品の残骸が、探せばこの周辺の地中にはいくらでも発掘される。もはや原型はとどめておらず、石膏の欠片として出てくるがな。この雪解けの森は坊主の予想通り、ヴェスヴィオス火山と雪解けの清水の恩恵を受けて良質の石膏が産出される。アテナもそれに目を付けたのだろうな。」

彼の話を聞いたイレールは、合点がいったように言った。

「―――じゃあ、この梟は、アテナの彫刻工房時代の遺産……なのですか?」


「その通りだ。しかもそれだけじゃない。」

サーペンはニカッと笑う。





「こいつはアテナの加護を受けた――――生きているガーゴイルだ。」


「生きている、ガーゴイルですか………?!!」




イレールの瞳が驚きで大きく見開かれ、再びその像へと視線が移される。

透明度の高いアクワマリンとペリドットのぎょくがはめられた、精悍(せいかん)な瞳と再び目が合う。

まだ左翼はなく、表面は固い質感の光沢を放つものの、厳格な写実性からもたらされる躍動感は梟の呼吸音を感じさせ、生きていると言われても納得してしまいそうな錯覚が起こる。


「ガーゴイルは屋根の上に設置され、装飾的な雨どいとして使用されるだろう?そして同時に建物の見張り役でもある。アテナはこの工房の守護者として、自らの聖鳥である梟のガーゴイルをつくらせたのだ。それが、こいつ、だ。」


真っ暗な世界で、サーペンは気配だけでその像の位置を確認し、その存在を手のひらで確かめた。

「こいつは辛うじて修復可能なぐらい保存状態が良くてな。まぁ、こいつが乗せられていた排水口を備えた台座は朽ち果ててしまっていたが。本体は魔力を持っていたために朽ちることはなかったのだろう。それをある日見つけたワシは、どんな細かな欠片も逃がさないよう拾い集め、修復し始めたのだ。自分の制作の合間にやっておったからここまで一年もかかってしまったがな。」


サーペンが片膝をついてその像のほうへ顔を向け、表情を緩ませる。

「――おめぇ、その体が朽ち果てるまでこの工房とここに居た者たちを守り続けていたのだろう?ここが引き払われてもおめぇは留まったんだな……ここを守ることがおめぇの使命だからだな。」

その様子は我が子の傍らに立つ親のようにも見えた。

「今……ワシの生きる理由は、こいつに命を今一度与えてやることだけだ。」



「修復すれば、この梟は息を吹き返すことができるんですか……?」

「あぁ、ガーゴイルは“物”だからな。“物”にワシらの“死”の定義は通用しない。それに近いであろう壊されるか、朽ち果て自然に返ることはあっても、“物”は再び補修すれば使えるようになるだろう?それと同じだ。こいつも作り直し、充分に魔法界の魔力を浴びて魔力が回復すれば、再び月夜にこの双眼を光らせるだろう………」



(この梟に、ボクは何をしてやれるんだろう?)

―――彼は石膏の梟をじっと見つめた。

 凛々しい姿で静かに佇んでいるその梟は、何を思いながら悠久の時を過ごし、朽ち果て、再び命を得たとき、何を望むのか―――――そして、目覚めたときに……誰もいなかったら―――――――それは……彼にとって悲しいことではないだろうか?



「ワシはあと数日の命だ。時々心臓が破裂するように暴れまわる。しかし全てを賭けてこいつに命を与えよう………坊主……………………………頼む。」


サーペンが深く頭を下げた。







 それから、イレールは彼のもとへと通い始めた。

彼のもとへ赴くたびに梟は本来の形を取り戻していく。サーペンは心臓を病んでいると言っていたが、苦しそうな素振りも見せず、着々と作業は進む。病院へ行かないのかとは、なぜだか言いだせなかった。きっと、それは彼の信念に反することのような気がして……

「坊主が来てから心臓の痛みが軽くなった気がするな。」

ふと、サーペンは言った。

「本当ですか!!ボクも、サーペンさんのように自分の信念を固くもった大人になりたいです!長生きしてください!」

「やめておけ。ワシの弟のほうを見習うんだな。ワシはただの頑固な人嫌いだ。」

「弟がいらっしゃるんですか?」

「ワシと違ってお人よしで気の優しいやつだ。」

サーペンもイレールを孫のようにかわいがって、イレールは彼を慕う。


冬休みになったのに、毎日どこかへ出かけていく彼を、友人たちは不審がって理由を尋ねるが、教えるわけにはいかなかった。

サーペンにきつく言われたのである。


「ワシの存在はもちろん。坊主がここへ来ていることは、誰にも言ってはならない。補修し終えて梟が息を吹き返すときを迎えても、こいつを補修したのが、サーペン・ゼーゼルファントだとは他言無用だ。……そんな顔をしてくれるな………それが、死を前にした彫刻家サーペン・ゼーゼルファントの美学なのだ。誰にも存在を知られず、誰にも死んだことを悟られずに逝く。それがワシにとって一番潔い終焉なのだ――――――」




 あと三日で新しい年に変わるという今日も、イレールは雪解けの森をわけいっていく。


「―――こんにちは、サーペンさん。砂糖控えめで玉子たっぷりのシフォンケーキを焼いてきました。途中で会った友達に奪取されかけましたが……なんとか無事に持って来られました!」


―――返事がなかった


「サーペンさん……いらっしゃらないんです…か?」

何だか胸騒ぎがする―――




 彫刻作品が所せましと置かれた工房が、なぜか今日はがらんとしていた。

ただポツンと、窓辺に作業用に使っている机があり、例の石膏の梟がその隣に置かれている。

あとは左翼の先端部分の大きな羽数枚のみになって、完成も近い。


―――コツ……


何かが足に当たった


それは石膏の欠片――――

工房の外へとつながる裏口のドアのほうへ、ころころ転がっていく


「―――――――――サーペンさんッ!!」


イレールは勢いよくドアを開け放つ―――




サーペンがうつ伏せに倒れていた





むき出しの地面には大量の石膏の欠片が散らばって、真っ白くなっていた。よく見ると何かの足の形や顔の一部だったと識別できる欠片もある。倒れているサーペンの傍らには大きな金槌が落ちており、彼が自らの作品を壊していたことを物語っていた。



「――――――ッ!!」

 イレールは真っ青になりながら、サーペンの脈を確認した。

「うぅ………ぼう…ず、か……」



「よかった……生きてる。」

涙をこぼしそうになりながら、弱々しくもしっかりしたその返事に、息をつく。

しかし、すぐに、彼の休心はサーペンのうめき声で打ち消された。

「ぐぅ……あぁ……っ………!!」

作業着にしているローブの心臓あたりをしわくちゃに握りしめ、歪んだ表情を浮かべながら、苦しげに息を吐く。



「だれか呼んできます!!!」




「―――まてッ!!!行くなッ!!!!」



イレールが駆け出そうとするのをサーペンは病人とは思えない力強い声音で制する。


「でも!!」

遣る方無い思いがあふれて、イレールは胸がつかえる。

「いいのだッ!延命治療などなんの意味もない!ワシは本来の自然の摂理に従って逝きたいのだッ!!」

未だに苦しげな呼吸であったが、サーペンは幾分ましになったとみえる痛みを押さえながら立ち上がった。

「………大丈夫だ坊主。怒鳴ってすまなかった。」

そう言って、作業を再開すべく、工房へと入っていく。



「……………」

いま口を開けば、サーペンの信念を邪魔する言葉しか出てこない。

イレールは何も言えなかった。



―――カチャ……

裏口のドアを力なく閉めて、サーペンの作業を見守る。

彼の手元には、連なった羽のパーツが握られ、少しずつ形を取り戻していく。



あれほどあった欠片の山は、手のひらにのるほどの量にまで減っている。

かち…っと欠片同士がぶつかる軽い音を立てながら、それらは接着剤でくっつけられる。手先は僅かに震えて、彼の体はとうに限界を迎えていることが感じられた。

「ぐ……ぅ……」

時々小さく呻き、ふらつきながら、確実に命を与えていく―――



―――ぐらっ……

サーペンが大きくふらついた



「サーペンさん!」

イレールはそれをしっかりと支え、座っている彼の上半身を起こした。

「わるいな………」

苦しげな表情を浮かべながら、彼は補修を再開する。


イレールは彼を支える手を、決して離さなかった。

その夜、イレールは家には帰らず、ときどきふらつくサーペンの体を日付が変わっても、(つぐみ)が鳴いて朝を告げても、支え続けた。


「坊主……きっと今日中には出来上がる。おめぇはもう寝ろ。」

「平気です。出来上がるまでここでサーペンさんを支えます。」

「駄目だ。餓鬼は黙って老いぼれの言うことを聞け。さっさとその椅子の背もたれに、寄りかかってでも寝ろッ!」

「………わかりました。」

何故か怒鳴られて、イレールは強制的に椅子に座らせられる。でも何となく、サーペンの優しさを感じた。ずっと一晩中一睡もせず立ちっぱなしで、気づけば体はくたくたであったから。小柄な彼には大きすぎるその椅子に寄りかかると、眠気が襲って来て、あっという間に彼は眠りに落ちていく。


「すぅ………すぅ……」

数分後には、イレールの安らかな寝息が聞こえて来た。


それを聞いて、サーペンは彼が着て来ていた厚めの黒いローブをかけてやると、安心したように、ぼそりと言った。

「ワシの死に目には例えおめぇでも立ち会わせてはやれねぇが……こいつの“目覚め”には立ち会ってくれるだろう?…ありがとな……イレール。」




――――サーペンは修復し終えた左翼の羽のパーツを手に、石膏の梟へと歩み寄った






リーン…ゴーン…

リー……ン…ゴー……ン…



 正午を告げる鐘の音が、町のほうから聞こえて、イレールはゆっくりと目を開けた。

ハッとして、勢いよく起き上がると、サーペンがいつも座っている机のほうへと視線を向ける。



そこに彼の姿はいなかった


加えて、石膏の梟も消えている


「そんな――――――ッ!!」

イレールは目を閉じて周囲の気配を探った。微かに梟の像の魔力を感じた。それは工房へとつながる石造りのほうから―――

―――ダッ!

勢いよく工房を飛び出すと、広場を見回す。

 あんなにそこここにあった彫刻作品は砕かれ、石膏の破片と化し、ただの見通しの良い開けた空間になってしまっている。そのため、すぐに、それは見つかった。




広場の中心に、梟の像は、居た


本来の形を取り戻して



その梟は、まだ息を吹き返してはいない


しかし、少しずつ、つぼみが開花する瞬間のように、生命力が満ちていくのが感じられる




梟の姿を認めて、イレールはサーペンの姿を探す―――



「――――――ッ!!サーペンさんっ!!」





広場の石壁に、サーペンは寄りかかって―――こと切れていた



取り乱しそうになるのを

悲鳴をあげそうになるのを


必死でこらえて


イレールは駆け寄った。



サーペンの表情は安らかで、眠っているように穏やかだった


それに対して慌てふためくのは、サーペンに対する侮辱になると思ったのだ。



―――彼の傍に、手紙が落ちていた

そっと拾い上げて、一文字一文字丁寧に読み上げる。


それには、見えない視界で書いて所々読み取りづらい字で、こう書かれていた。




 よう、坊主。

これをおめぇが読んでいるとき、ワシは自然に返っているだろう。

だが、絶対に悲しんでくれるな。お涙頂戴はよしてくれ。


おめぇにこいつを託すが、それ以前に、何より大事なものをおめぇに託すのを忘れていた。

こいつが目覚めたら、一番に呼んでやってくれ。


Classe(クラース)』とな。


優れた、品格、賢い、一等級品とか意味する言葉だが、鉱物学でもこの語は結晶族、晶族という意味がある。“女神アテナ”の加護を受けた“石膏”の“梟”に、ふさわしい名を考えた結果こうなった。こいつが以前はどんな名だったか知らんがな。別にいいだろう。こいつはワシの最後の作品なのだからな。題名をつける権利はワシにある。


頼んだぞ。イレール。





―――イレールは肩を震わせてそれを読んだ。

涙が零れ落ちそうになるのを、目をぎゅっとつぶってこらえた。





サーペンの遺体を、傷つけないようにゆっくりとベッドに運んだ。

信じられないことだが、彼の体は幼い彼にも運べるほど軽かった。

ほとんど食事もとらず、補修していたのだろう……。



どんよりとした雲に覆われたその夜。

周囲は真っ暗で、何かが飛び出しそうで恐ろしかったが、その梟の傍に、彼は座る。

(みんな心配してるだろうな………)

ランプのぼんやりとした明かりの中、不安な気持ちも襲ってくるが、不思議と梟の精悍なアクワマリンとペリドットの瞳を見つめていると、気持ちが落ち着いた。

結局その日、梟が動き出すことはなく、イレールはその場所で一晩過ごし、その場所で眠りにつく。


―――(君が目覚めるまで、ボクはここに居るからね。)




 次の日の晩、今日はこの年の最後の夜。

今年の時間も残り僅かとなった時間帯。

イレールは昨日と同じように梟の隣に座って、彼を見上げていた。


月のきれいな晩だった


雲一つない星空に、三日月が輝いて、森の澄んだ空気に頭がすっきりとさえるような三日月夜。



リー……ン、ゴー…ン……

町のほうから、新年を告げる鐘の音が聞こえる。

新しい時が、その瞬間に刻まれ始める――――――――――


イレールは、なんとなく梟に話しかけた。


「君の目は、アクワマリンとペリドットなんですね。体は石膏で……石膏は太陽の炎に匹敵するほどのマグマの力と、それを急激に冷やす海水や清水の力で、石膏という物質になります。ペリドットは火の力、アクワマリンは水の力を秘めた鉱物………君の存在は自然の摂理に則って………とてもきれいにできてる――――クラース。」




―――ぶわぁ……………!!


――――クラースが真っ白な光に包まれた



バサリ!



輝きを放ち続ける、大きく広げたその翼を大きく払う――輝ける純白の羽が舞い散った


舞うかの如く、翼をゆったりと折りたたんでいく――


精悍せいかんな意志の強さを秘めたアクワマリンとペリドットの瞳が、イレールをとらえた――


その真っ白な輝きの中で、きらり、と、かすむことなく、堂々とした視線を向ける。



イレールは彼へと、片腕を伸ばした―――



Classeのスペルは、英語では“Class”ですが、フランス語の“Classe”を採用させていただきました。

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