14Carat 屋根の上の石膏梟 part1
「これは……どういうことです…か?」
百合は目の前の――――石膏像をただ茫然と見つめていた
イレールたちが慌てた様子で白い石の欠片を拾い集めて来て、アトリエをつくった時のように、魔法陣を店内の床に描き、それらを形成しなおしたとき―――白い梟の像が現れたのだった
まるでギリシャ彫刻のヘレニズム時代の作、『サモトラケのニケ』を思わせるような飛翔の瞬間をとらえた梟の石膏像。足を一歩前に踏み込んで、翼を後方へと堂々と広げた優麗な体躯。アクワマリンとペリドットがはめ込まれた双眼は、強靭な決意の眼差しで鋭く天を見上げている。
――――その姿は、一昨日の彼の姿を想起させた
「クラース………さん…なの?」
百合は目の前の像に歩み寄った。
体長も、翼を広げたときの大きさも、彼そのもの。
手足が震え、頭は混乱を通り越して真っ白になり、何も考えることができなかった。
そっとその像に触れてみる。
いつもの彼は、ふわふわで軽い羽毛で覆われて、なでるとほんのりあったかいのに、今の彼は、なめらかで重厚感があって、ひんやりと―――冷たい。
「うそ………だよね。」
彼女はその像に腕をまわして抱きしめて、感触を確かめる。
それでもやっぱり、冷たい
彼女はわななく。
思考が少しずつ回復してきて、目の前の現実への拒絶の感情が、涙となって瞳から零れ始めた。
「いやぁっ……!動いてクラースさん!いつもみたいに堂々とした声を聞かせて………っ!私の腕にとまって………っ!」
「百合さん!」
苦悶の表情を浮かべていたイレールが、崩れるように倒れ込んだ彼女の肩を支える。
「イレールさんっ!クラースさんはどこへ行ってしまったんですか?これはクラースさんじゃないんですよね………?きっと屋根の上に居るんですよね……?!」
言葉とは裏腹に、瞳から涙が零れ落ちる。
イレールは苦しげに首を振った。
「これがクラースの………本来の姿、です。」
「そんなっ……!じゃあ……もうっ――――――!」
動かないんですか―――
取り乱した百合がそう叫ぼうとするのを、イレールが手のひらで塞いで口を閉じさせた。
「―――――もごっ!」
「落ち着いて………。安心してください。」
穏やかに、ゆったりとした口調に代わって、涙をこぼしている黒曜石の瞳を優しく覗き込む。
「彼――――――――――――“ガーゴイル”に“死”は、ありませんから。」
14Carat 屋根の上の石膏梟
木々の間から差し込むあたたかい日光を受けて、緑沸き立つ奥深い森。
しかし、地面は雪で一面真っ白に覆われて、日光の当たらない日陰には、冷気を立ち込めさせていた。
それにはお構いなく緑は深く生い茂り、雪の下からパステルカラーの花々が顔を出していて、日光に照らされた雪は温められて溶け出し、そこここに雪解けの小川をつくって、ちょろちょろと音を立てて、きらきら銀色に輝いている。
まるで冬と春がいっぺんに到来しているかのような不思議な情景だった。
その森の一角で、茶色い毛のふわふわした子リスが雪の上をちょこまか走り回っていた。子リスは地面の匂いをくんくん嗅ぎながら、小さい足跡を雪の上に残していく。きょろきょろ…きょろきょろ…あたりを何やら気にしていたが、急に木の上に走り去っていった。
小川の流れるゆったりしたせせらぎの音に混じって―――誰かが歩いてきた。
それは男の子だった。
あどけないブルーサファイアの瞳は優しげで、毛先だけゆるく癖のある胸までのばした飴色の髪。きれいな面立ちは、子どもながらどこか神秘的な雰囲気を持っていた。厚めの黒いローブの下には制服らしきものを着ている。小学校高学年くらいのその少年は、柔らかい色白の頬を赤くして、寒そうに白い息を吐きながら、森の奥へと歩いて行く。
彼はどんどん森の奥へ、何かに吸い寄せられるように歩みをすすめている。
――――ザザザ……
小川が集合し、大きな清流をつくった場所にでたところで、浅瀬に彼は近寄って、川底を覗きこんだ。
途端に彼はハッとしたような顔になって、川底に手を伸ばした。
―――ちゃぷ……
冷たい水温に眉をひそめながら、彼は川底から何かを拾い上げる。
それは手のひらサイズの乳白色の鉱物。
冷たい水にすっかり手を真っ赤にしながら、興奮したようにブルーサファイアの瞳が見開かれた。
「高品質の石膏だ。やっぱり雪解けの森は良質の石膏を産出しているんだ……!」
大きな岩に駆け寄って、腰かけると、ローブの下のポケットからメモ帳を取り出して、何やら書き込んでいく。
「昔ヴェスヴィオス火山は太陽に匹敵する灼熱の業火で噴火したらしいから、この地に硫酸カルシウムをもたらして、その硫酸カルシウムとここの水が反応して大量の石膏を生んだと言えるかな。……でも、ここまで良質にさせるのは何が影響しているんだろう?」
楽しげにルーペで石膏をよぅく見たり、熱心に考察しながらメモに何か書きこんでいる。おかげで辺りが少しずつ暗くなっているのに、彼は気付かなかった。
「あれ………?」
手元が暗くなっていることを自覚した時、空は真っ黒い雲に覆われ、すっかり周囲は深い霧に包まれていた。
「あっ……やっちゃった…!」
メモ帳やペンをしまって、バタバタ慌てた様子で立ち上がる。
落ち着こうとしているようだが、あどけない瞳は不安げに揺らされて、口はぎゅっと結ばれている。
「どうしよう……。瞬間移動魔法を使っても、ボクの覚醒しきってない微弱な魔力じゃ森の外まで移動できない…。」
懐中時計を取り出して、時間を確認する。
午後2時30分。
(う……。まだみんな学校にいるだろうな……誰にも言わずに出てきちゃったから、ここにいることは誰も知らないし……。)
困り果てて、周囲を見回す。
「誰かいるのかな…明かりが灯っている……?」
―――霧の向こうに、ぼんやりと薄明りが見える。
(悪い気配ではないかな……行ってみよう。)
足元も見えない深い霧に視界を遮られながら、ゆっくりそちらへ歩き出す。
―――ぎゅ……ぎゅ…とん…
一歩一歩、雪の上をしっかりと踏みしめながら歩いていると、不意に固い地面を踏んだ感触に変わった。
――――霧が晴れていく
彼の目の前に、石造りの壁で囲まれた開けた広場が見えた。
広場には様々な動物や聖獣、魔獣、聖人の彫刻作品が無造作に並べられている。雨風にさらされて、どれも風化し、苔むして、制作されたのがずいぶん昔のことであることが分かる。彼はちょうどアーチがかかるその広場の入り口に立っていた。
広場の向こうに簡素な石造りの工房が見え、そのドアが開けっ放しになって、そこから明かりがもれている。
緊張しながら、彼は彫刻を眺めつつ、そこを目指した。
石膏製のペガサスやスフィンクスなどの彫刻はすべて、瞳に宝石が使われ、解剖学に基づき彫られ、なめらかに表面が整えられ、風化は起こしているものの、まるで生きているような気がしてくる。小さな彼にとっては、見上げなければ全貌を視界におさめることができなかった。
ドアにたどり着いて、こわごわ覗く。
―――気難しそうなお爺さんが、真剣な表情で何かを手元でいじっていた。
長い髭と白髪をのばしっぱなしにし、手も顔もしわくちゃで、鋭い瞳をもった頑固そうな人相。着ている真っ白いローブは塗料で所々すすけて汚れていた。
机に座って目を細めて、白い欠片と欠片を接着させている。机に置かれた麻袋の中には、それらと同じものと見える白い欠片が寄せ集められている。どうやらパズルのようにそれらを組み合わせて、何か彫刻作品を修復しているようだ。欠片の表面の凹凸を触り、それらに適した欠片を、麻袋の中の欠片の山から見事見つけ出して、器用にくっつけていく。
流れるような手つきでそれをくり返す。
彼はしばし、その光景に見入っていたが、急に怒声が鼓膜に響いた。
「だれだッ!!」
お爺さんがこちらのほうへ顔を向けて、じっと睨みつけている。
――――びく!
彼はおずおずとそのお爺さんの前に、姿を見せる。
「…………年端もいかない坊主か……。」
お爺さんは呆れたように言って、なおも鋭い目でにらんで、すごい剣幕で彼をしかりつける。
「―――坊主!!この森は予測できない深い霧が発生する。それゆえ、立ち入り禁止区域のはずだ。なぜ立ち入った!!?」
「ごめんなさい!!どうしても入って確かめたいことがありまして……!」
体をこわばらせて、ぎゅっと目をつぶってびくびくしながら、答える。
それを聞いたお爺さんは不審がるように言った。
「確かめたいことだと?何だそれは……?」
「この森の近くで小さな乳白色の欠片を拾って、調べてみたら、それが石膏の欠片だと分かったんです……他の場所では見つからなくて、きっとこの森が何か関係しているんじゃないかと思って…どうしても入って確かめたくなったんです。友達と入ろうとも思いましたが、ここは立ち入り禁止だから、さすがに迷惑がかかると思って、一人で学校を抜け出して入って来ちゃったんです………!」
彼は焦って、聞かれていること以上のこともしゃべっていた。
厳しい表情で話に耳を傾けていたお爺さんは、ことのほか、興味深そうに相槌を打った。
「ほぅ………。変わった悪餓鬼だ。」
「坊主……名は?」
「―――イレール・ロートレーズです……。」
イレールはお爺さんの変化にまだ警戒しながらも、少しだけ緊張を緩めた。
「………怒らないんですか?」
「ワシはルールに縛られない常軌を逸脱した奴がすきだ。学校を抜け出してまで立ち入り禁止区域に立ち入る奴など中々おらんじゃろ。そこに座れ坊主。少し話そう。」
机の傍に置かれた椅子を示しながら、彼はガハハと豪快に笑った。
「ワシも名乗らぬとな。ワシは彫刻家サーペン・ゼーゼルファントだ!」
「はい………。よろしくお願いします。」
そう言われて行かないわけにはいかない。
今、この森で頼れるのは目の前にいる彫刻家らしいこのお爺さんだけなのだ。
―――「で、坊主は罰則を覚悟の上で抜け出して来たのか!」
「はい。ボクの友達、一つ学年は上なんですが…餓鬼大将タイプの友達がいて、いつも調子に乗って罰則をくらってるのでよく知っています。学校の罰則は統一していて、魔法使用原則法第1条から第300条までを書き取りさせられるんです。」
「魔法を使う上での禁止事項が決まっているあれか。この法を通して、禁止事項を心に刻みつけろという訳か!ガハハハッ!」
「多分、今日彼もいつものように罰則をくらっていると思うので、一緒に罰則を受ければ、彼もニンマリするだろうし、ボクも一人で書き取るより寂しくないかなと割り切って、飛び出して来ました……。」
「うむ!いいな坊主!面白い!!」
「……そうですか?」
機嫌をよくして髭をなでながら爆笑しているサーペンをよそに、イレールは居心地がまだ悪い。
「面白いが……なんだ?坊主は餓鬼にしては仰々しいしゃべり方をするな?」
―――イレールがびくっとなった。
「………それは…今お世話になっている家庭の都合上、そのほうが生きやすいんです。」
どこか寂しそうに、うつむきがちになる――――
「…………いらないことを聞いたな。すまん…。」
サーペンは彼のそんな様子を見て、素直に謝った。
「あっ!でもっ、今はこの話し方が板についてしまって、人と話すときはこの話し方が一番しっくりくるんです!お気になさらないでください!」
あどけない澄んだ瞳を細めて、穏やかに笑ってみせる。決して無理をして言っているのではないことが分かる。
「………。」
サーペンはこの少年のどこかに、強さを感じた。
「――――坊主にワシの願いを託していいか?」
ゆっくりと彼の口から言葉が紡がれていく。
真っ直ぐに、イレールの方向へと顔が向けられた。
―――そこでイレールは気付く。
サーペンの瞳は焦点が合っておらず、白内障を起こしたように真っ白い。
(この人は―――――目が――――)
「ワシの目はもう、何も映していない。坊主の気配と、とんでもないほどの魔法の才を秘めた魔力は感じることができるが……。」
立ち上がって、机の隣にあった、シルクの布がかけられた何かに近づく。
「そしてワシは心臓を止んでおる。おそらく新しき年は迎えられない。だから坊主がワシの代わりに――――――」
―――ぱさ……ッ!
布が勢いよく引っ張られて、その“何か”が姿を現す。
「こいつに―――――居場所と、友人を与えてやってほしい。」
――――アクワマリンとペリドットの鋭い勇敢な瞳と目が合った。
飛翔の刹那的瞬間にいる真っ白な石膏の梟――――
片羽はまだないのに、こんなにも気高く、生きているように、強い意志を感じる―――――




