13Carat 消える視界、天使の鐘 part1
クラースはいつも、アクワマリンとペリドットの瞳で、すべてを見守っています
13Carat 消える視界、天使の鐘
協会の鐘は天使の鐘。
受胎告知の天使ガブリエルにちなんで、天使の鐘とされている
時計のない時代―――
その鐘は朝六時、正午、夕方六時の計三回鳴らされていた。
人々は鐘の音にしたがって仕事を始め、正午には休み、仕事を終えていた。
そして―――三度の鐘の音のうち、夕方の鐘は特別な意味を持つという。
夕刻の鐘が鳴った時
信仰深き人々は帽子をとって、天使祝詞を黙祷する。
今日を一日つつがなく過ごせたことを感謝して、明日の平安を天に願う。
画家ミレーが『晩鐘』に描いたのはこのような農民たちの姿である。
教会の鐘は人々にとって信仰の対象であり、日常になくてはならないものであった―――
でもこの鐘は―――
一年に一度しか、鳴ってはくれない
日光の照らす英国式庭園の小道を、彼――ジョルジュは歩いていた。
魔法界の彼の城がある場所も季節があるらしく、きれいに剪定された木々も、大理石の天使や聖人の彫刻も、今は雪で真っ白に染め上げられている。
彼のうねるミディアムの、ワインレッドの髪は、日の光を反射して紅く鮮やかに風を受けて揺れていた。刺繍たっぷりのベルベットのコートのポケットに手を突っ込んで、広大な庭園を迷うことなしに軽快に歩いて行く。表情は無表情であったが、鋭い釣り目がちの紫水晶の瞳はどこか嬉しそうに見える。
彼は今からある人物に会うのだった。
「おおーい!シルじーさん!」
聖ゲオルギウスの龍退治のシーンをモチーフにした大彫刻のある、大噴水の広場の一角に、その人物の姿を見つける。
彼は相好を崩して手を振った。
シルじーさんと呼ばれたその人物も、彼に気づいて丁寧にお辞儀をする。
彼は地面につきそうなほどの白髪とひげを伸ばした、小柄で優しそうなお爺さんであった。
顔も手もしわくちゃで小さな丸メガネをかけて、腰が曲がって杖をつき、灰色のローブを身にまとっている。
「大きくなりましたな…ジョルジュ坊ちゃん。」
ほっ、ほっ、と笑ってジョルジュを出迎える。
「ジョルジュ坊ちゃんか……懐かしいな。オレの専属の彫刻家だったお前には、世話になったぜ。美しいヴァンパイアに成長したって思っただろ~?」
「あんなにやんちゃで一時もじっとしていてくれなくて、デッサンするのに手を焼いた少年が大きくなられましたのぅ……それでいて叱ってみせるとお泣きになる…泣き虫な坊ちゃんが…今や516歳でございますか…ワシも歳をとるはずですな…」
「い、今は…泣き虫じゃぁねーーーぞ!」
「ほっほっ、何か今でも泣き虫だと思う自覚があるのですかな?むきになってはおりませぬか?」
「ぎくっ!するどいぜ……」
二人で凍った大噴水に腰かけて、昔話に花を咲かせた。
「……で、わざわざ訪ねて来て話ってなんだよ?目が悪くなったから、今は彫刻家も退職して、穏やかに過ごしてるって親父に聞いたけど?何か困ってんなら言えよな。」
「恐れながら……」
シルは長いひげをなでながら、言いにくそうに口を開いた。
「ワシが現役のころ、大天使ガブリエル様に献上しました天使の鐘が……壊れかかっているとお聞きしまして……」
ジョルジュはその鐘を知っているようで、頷く。
「あぁ、あれな。ガブリエルのやつがこっそり人間界に贈って、人間界は魔力に満ちてないから、どうしても老朽化が進んでるって聞いたな。そういえばあれ、イレールたちも気に入ってんだよ。毎年クリスマスの訪れを告げるから、それを聞きながら誕生日のかぶっているイレールを祝ってるらしいな…オレも行きてぇーー!でも公務があって行けねぇーー!」
不満を叫んでいるジョルジュをよそに、シルは目を丸くしていた。
「イレール様とは…Saint-Hilaire様のことですか……?あなた様を含む四賢者を統べる長の?」
「オレはそんな器じゃねーんだけどな…ああ。オレの友人にイレールはあいつ一人しかいねぇよ。そのイレールだよ。」
面白くなさそうに頭をかきながら言う。
「それではますます…切実にジョルジュ坊ちゃんに頼まねばならぬことが…。かのSaint-Hilaire様がお気に入りとあれば、彫刻家にとって、これ以上の喜びはございません。」
彼のその言葉にはただならぬ決意があった。
「……言ってみろよ。オレ様に任せろ。」
ジョルジュも真剣に彼の言葉の先を待つ。
「ワシは今、ほとんど目が見えておりません……本当は…ジョルジュ坊ちゃんのお顔も、はっきりと見えてはおらぬのです…。」
「は…………?目……悪化してるってことか?」
胸の奥が、チクリと痛んだ。
「はい……歳のせいでございます…眼鏡をかけてもほとんど意味はなく、暗がりの中にいるようです……」
彼は丸メガネの下の小さな瞳を伏せた。
よく見れば、眼球の色は色素を失ったかのように色白い。
「それでも……ワシはどうしてもあの鐘を修理したいのです。細工技術に誇りを持ったドワーフの彫刻家として、宮廷に召し上げられるきっかけとなった――ワシに彫刻家としての身を立てさせてくれた…あの鐘をもとの姿に戻してあげたいのです………」
――――「………任せろ。シルじーさん。」
ジョルジュのアメジストの瞳が鋭く、瞬いた。
百合はクラースと、宝石店の屋根に居た。
ランプを置いて周囲を照らす。
「どうだ百合。宝石店の屋根の上もなかなか悪くないだろう?」
「真っ暗で……地面がないような気がして、落ちた時のことを考えると恐いです…。」
「安心しろ。地面はある。まぁこの空間には宝石店のほかは何もない暗闇だがな。」
「地面があっても落ちるのが恐いことに変わりはないですよ~~…」
クラースが気に入っている屋根の上の、蔦が生い茂ってふかふかになっている場所に、腰を下ろして、彼としゃべっている。
周りは星のない宇宙のように暗闇が広がっていて、それを見つめていると、百合は何だか心細くなってきた。
「……暗闇って恐いです。真っ暗で、先が見通せなくて…」
百合は手を伸ばした。
ランプのぼんやりとした明かりで手首辺りまでは見えるものの、手のひらは暗闇に溶け込んで、その先は見ることができない。
「そうかね?俺は好きだ。暗闇こそ俺の得意な領域。暗闇に鋭く目を光らせて、獲物を狙うかのように魔物を払う。これが俺の使命なのだから。クラースとして生まれた俺の、ね。」
彼はどこか、もの思いにふけるかのように宙を見上げた。
「―――大きく翼を広げ、威嚇する。」
「この白き翼は音もなく、夜の闇に溶け込む。しっとりと―――」
ふぁさりと、白く、規則正しく、なめらかに並んだ羽が広げられ、彼女の視界に広がった。
「この双眼は誰かを導くため暗闇でさえもその先を見通し、この耳はどんなに些細な音もとらえる―――」
「この両足は魔物の肉を裂いて正義の刃となり、この口ばしは夜の帳の歌を歌う―――」
「そして、それらは全て―――たくわえた知能によって正しく統轄される―――」
「誇り高き、白梟の知性によって―――――」
「クラースさん………?」
彼のその言葉には、何か別の意味があるような気がした。
「ふっ……すまない。意味深長な言動をしてしまったな。忘れてくれ。」
クラースは翼をたたんで、百合に向き直った。
―――チリン!
下からドアが開かれた音がした。
「―――客が来たようだ。梯子を下りる時は気をつけるのだぞ。」
そう言って、店内に一足先に行ってしまう。
「はい……。」
(……なんだか、クラースさん寂しそうだった。)
彼が飛び立つ一瞬、瞳が伏せられていたような気がして、百合は胸もとのブラウスをぎゅっと握った。
梯子を慎重に降りると、ドアを開けて中に入る。
「よっ!百合!」
「あっ!お久しぶりです、陛下さん!」
彼女がドアをくぐるや否や、フレンドリーな声が耳に入って、ジョルジュが笑顔で挨拶した。
「今日はデンファレ姫、ご一緒じゃないんですね。」
「さすがにいつもべたべた一緒にはいねぇよ。常に愛情を確認する必要はないしよ。」
「デンファレ姫がご一緒でしたら……申し訳ありませんが、入店をお断りさせていただきます…。私の身のためはもちろん、ここの宝石たちの安全も確保したいので……。」
イレールは顔を青くしながら、別の人物にお茶をだした。
長い髭と白髪のしわくちゃの小柄なお爺さんが、カウンターの椅子に座っている。
その人物――シルは優しく百合を見据え、物珍しそうにじっと彼女のほうに顔を向けていた。
「ほっほっ、人間の娘でございますか。長く生きてまいりましたが…人間に会うのは初めてですな。」
ジョルジュは得意そうにそれに付け足す。
「紹介するぜ百合、オレの元専属彫刻家のドワーフ、シル・ゼーゼルファントだ。今は引退してっけど、昔は双子の兄サーペン・ゼーゼルファントとともに偉大な彫刻家として魔法界の芸術学会に革命を起こした、すげぇやつなんだぜ!」
「ジョルジュ坊ちゃん、買い被りすぎですのぅ……」
子どものようにはしゃぐジョルジュを、シルは孫を見るかのように見つめている。
にこにこと百合はそれを見守っているが、イレールは驚いたような顔をしていた。
「サーペン・ゼーゼルファントとは……雪解けの森の奥深くにアトリエを構え、ほとんど作品を誰かに売ることもなく最後は自らの手で壊し、ともにこの世を去った…あの大彫刻家サーペン・ゼーゼルファントのことですか……?」
「そうじゃ……あまり知られてはおらぬが、ワシらは双子の兄弟でしてな。しかし…イレール殿はどうして兄の死に際を知っておられるのです?兄は人嫌いでアトリエの場所を関係者以外には知らせず、ワシでさえも死に際を看取ることを許してはくれなかったのに……」
「……いえ。友人に美術関係に詳しい方がいまして、人づてに窺っただけです。」
「そうでございましたか。」
「………それで、今回はどういったご用件でしょうか?」
シルはイレールに、思い入れある天使の鐘を修復したいことを告げた。
「ワシの目はもうほとんど使い物にならん…。それでも、この手には彫刻家としての技術が染みついておる……手先だけの感覚だけで、天使の鐘に生気を与えることはできるはずじゃ……それが、数々の作品を生み出した彫刻家、シル・ゼーゼルファントの最後の使命なのでございます。」
――――イレールはちらりと、クラースのほうへ視線をやった。
ショーウィンドーで羽を休めていた彼は、じっと目をつぶって、何かもの思いにふけっているようだった―――
イレールは微かに瞳を揺らしたが、シルお爺さんに向き直る。
「了解しました。私も全力で貴方を手助けいたします。お任せを。」
大きくお辞儀をして、彼の言葉に強く答える。
「オレも手伝うぜ!お前の目になってやんよ、視力は両目とも2.0なんだ!」
ジョルジュもちょっぴり笑ってしまうような、それでも彼なりの心のこもった言葉をおくる。
「ありがたき幸せにございます……!」
彼らはすぐに今後の日程を確認し始めた。
「この空間は私のテリトリーですから、魔法で自由に部屋をご用意できますよ。大規模なものは無理ですが、彫刻用のアトリエを構えますね。」
「えっ……イレールさんそんなことまでできるんですか…?」
「すげぇよな…お前って、ほんっと…。新しく魔法で部屋をつくるって相当高度な魔法だぜ?オレ一人じゃできねぇーわ。」
「工業用の鉱物や木材の形状を部屋として形成しなおすだけですよ。他に必要なものはありますか?」
「ほんとうに…何から何まで……。」
シルは感激しながらも、言いにくそうに続けた。
「じつは……できれば補強材として、キキーモラの織物があればと……。」
「……キキーモラ?」
話に水を差すようで悪いなと思いながら、百合は疑問の声をあげた。
それに、シルが答える。
「百合さんと申しましたかな…キキーモラとは、妖精の名にございます。狼の顔に白鳥の口ばし、体は熊で足は鶏、毛の長い猟犬の尾を持ち、家事を好む、家にとりつく妖精でして。彼らの織る織物は擦り切れることもなく、薄汚れることもなく、未来永劫美しい布のままという優れた性質をもっていましてのぅ。この布を鐘の表面の補強材に使えば、もう風化の心配をせずにすむのですよ。……ただ、キキーモラはあまり他種族に対して友好的ではないため、市場にほとんど出回ることのない貴重なものなのですが………そして、キキーモラは人間界にしか居りませんので、もしかすれば、イレール殿かジョルジュ坊ちゃんに、誰かキキーモラのお知り合いが居りませんかな…と思いまして………申し訳ございません。図々しい申し出だとは存じます。」
「図々しかねぇよ。でもキキーモラの布だろ……?王宮でもめったに献上されてこねーな……。献上されても国宝級の扱いになっちまって、俺が言っても譲ってもらうのは厳しいだろうな…イレールはどうだ?」
ジョルジュは残念そうに隣をうかがった。
「大丈夫です。」
彼は優しく微笑んだ。
「きっとご用意できると思います。その件はお任せ下さい。」
「まじかっ!じゃあこれはお前に任せるわ。よろしく!」
「あぁ……本当になんとお礼を申し上げればよいか…!」
二人の表情が一気に明るくなるのを見届けて、
「では、アトリエをあつらえましょう。」
彼らはイレールの書斎と私室をつなぐ廊下に移動した。
店内のカウンターのすぐ後ろはキッチンになっており、キッチンからは長い廊下が書斎に向けて一本道でつながっている。そこへ行きつくまでに、いくつか他のドアが見受けられるが、百合はその全貌をまだ知らない。
「ここら辺ですかね~?」
イレールは壁の一角に向き合って、白い壁に黒いチョークで魔法陣を書き始める。
「他の部屋もこんな風に作ったんですか?」
「はい。他の部屋に鉱物や木材は貯蓄してあるので、部屋に不足することはないんですよ。便利です、この魔法。」
大きな円の中に三角形を二つ重ねた六芒星を記し、その周りにラテン語で何やら書き込んでいくと、六芒星の中心に右手を置いた。
「オレも手伝っていいか?お前の魔力の消費が半分になんだろ?」
ジョルジュもそこへ左手を置く。
「ありがとう。地精の頌歌をお願いします。」
「あれか…覚えるまで帰れなかったやつだったな。お前は真っ先に合格もらいやがって……!」
「ははっ!陛下、放課後真っ暗になるまで残されていましたよね。外で待っていて寒かったんですから。」
イレールは微笑んで二人で魔法陣に向き合った。
(今の会話は…二人の子ども時代の話なのかな?)
二人の顔が真剣になる。
―――ここへ類聚するは地の精霊 惑星を形成せし元素の一つ 母なる大地
水より生まれた 生命の楽園 死を迎えた命の揺りかご
揺りかごに揺られて 輪廻を廻る
我、尊崇す その御霊 御霊は大地 大地は御霊
願わくは――――――我に示さん 大地の福祚
―――――バチッ!バチチ……!
魔法陣が線に沿って煌めきはじめた―――
ゆら……ゆら…
電気がバチバチとはじけるような音が辺りに響いて、白い壁の表面が水面のように波だった。
バチ!バチバチ!バチッ………!
じんわりと白い壁が茶色く染まっていき―――
魔法陣は消え失せ
―――もともとそこにあったかのように、ドアが現れた。
「どうぞ、シルさん。」
イレールはドアを開けて中へと彼を案内する。
百合は目のほとんど見えていないシルの手を引いて、彼に先立って中へ入っていく。
「はぁ……疲れた。イレールはこれ平気なのかよ……」
ジョルジュははぁっとため息をついて、ドアの前に座り込んだ。
「わぁ~~!中もちゃんとしたアトリエができてるんですね!すごいです!!」
畳10畳ほどの広さで、大きな彫刻作品用の台座や粘土、構想をまとめるための机、デッサン用のイーゼルなど、彫刻を制作するのには十分な設備が完備されている。
「さて、次は―――」
イレールが百合のほうを向いた。
「百合さん、キキーモラの所に今から行こうと思います。キキーモラの織物を譲ってもらいに行きましょう。一緒に来ていただけますか?」
「はい!裁縫が好きなので、どんな布なのか個人的にも気になるんですよね~」
二人は店にシルとジョルジュを残し、次の目的を果たしに出かけて行った。
―――クラースは屋根の上に戻っていた。
アクワマリンとペリドットの瞳は揺らされ、寂しげであった。
「……運命とは皮肉なものだ。」
いつもの威風堂々とした声音は、息をひそめてしまっている。
「サーペン……明日はお前の命日なのだぞ……」
「お前の弟は……!お前と同じ運命をたどり、同じ選択をしている。鐘に命を与えようと、俺に命を与えたように―――」




