11Carat かわいそうなHope Diamond part4 last
彼女を―――おいて来てしまった
隣に居てほしいと言ったのは私なのに――――
あの時、思わず言ってしまった言葉に…彼女は真っ直ぐに答えてくれた
うれしくて心がふるえて、彼女がもっとかけがえのない存在になった
初春の花びら舞い散るあの日に…運命に導かれて出会った、クリア・フローライトの少女――――
――――私は大切な彼女を、大切にし過ぎている―――――――
きっと――彼女は隣で支えてくれただろうに
百合は宝石店の床にへたりと座り込んで、目に涙を溜めてうつむいていた。
「どうしてなの……?イレールさん…」
「私を巻き込みたくないんだってことは分かるよ……あの宝石の記憶は恐ろしいから、私に見せたくないんだよね……でも、一人で行ってしまわないで…」
「イレールさんの心が壊れてしまうかもしれないなんて…そんなときに……何もさせてくれないの………?」
―――ポタッ…ポタッ
涙が瞳から零れ落ちて、次々に床へと落ちていく。
彼女は胸を押さえて、苦しげに思いをつぶやく。
「やっと分かったのに…私は……イレールさんのことが…………!」
クラースがそこへ飛んできて、カウンターにとまった。
彼女の涙に驚きながらも、彼は冷静に尋ねる。
「………百合、イレールはどこだ?何があった?」
彼は来客を知らせると屋根の上に戻ってしまったので、今回のことは何も知らない。
百合は言葉に詰まりながらも、何とかこれまで起こったことを話す。
それを聞いたクラースは鋭い瞳をさらに厳しくして、言った。
「百合、泣くな!立て!」
彼女はびくっとして顔をあげる。
「あきらめるな!イレールはあきらめていない!大丈夫だと言ったのだろう?!あいつはお前のもとに戻ってくる意志があるのだ!」
彼はイレールの相棒であり親友――イレールの気持ちは手に取るように分かった。
「自分の心が壊れるリスクを負いながらも、あいつは戦うことを選んだのだぞ!なのにお前はずっとここにいるつもりか?!お前はどうしたい?お前の今の望みを言え!」
アクワマリンとペリドットの瞳が、厳しく百合を見据える。
百合はその瞳をしっかり見つめ返す。
「私は………戦っているイレールさんの隣で……支えてあげたい……」
“オブシディアン”の瞳が輝く。
クラースは満足そうに頷くと、ふわりと飛びあがった。
「かすかに気配を感じ取れる……。あいつはこの宝石店のある空間にいる!急ぐぞ!」
「はい!」
彼女は涙を拭いて、クラースの後に続いて宝石店から飛び出した。
―――私は百合さんのことをこの世界で、誰よりも………
「そんな大切な人に、やはり……こんなに恐ろしいものは見せられない。」
イレールは、目の前で漂いながら周囲に蒼黒い光を怪しく発光させている――ホープ・ダイヤモンドを睨みつけた。
“彼女”は彼をあざ笑うかのように、彼の澄んだブルーの瞳に自身のぎらついた光を反射させる。
彼らが向き合っているのはイレールの宝石店がある少しだけ空間のずれた場所。
彼の店があるほかは、ここは星の無い宇宙のように暗闇しかない。
「彼女の隣に早く戻りたいので、さっさと済ませましょう………」
彼は強い意志を持ってホープ・ダイヤモンドにルーペをかざし、暗闇にその記憶を映し出そうとする。
ルーペはホープ・ダイヤモンドとともに宙を漂い、映写機のように光線を放ちはじめた――
―――カシャッ…カシャカシャ……
少しずつ――――古い映画を再生するように、ときどき映像が乱れながら
“彼女”の記憶が再生される――――――
その瞬間―――――
「くっ……………!」
彼の心に、ルーペを介して、“彼女”が狂愛した人間たちの負の感情が直接流れ込んできた。
狂気
嫉妬
貪欲
憎しみ
恐怖
そして、絶望………
”彼女”を取り巻いたすべての人間たちのそんな負の感情。
それらが蛇のように彼の心に巻き付き、締め付けるような痛みが胸に走った。
「はぁ……気を抜いたら心が呑み込まれて…食いつくされそうです。」
胸を押さえて必死で呼吸を整えようとする。
彼は息を乱しながらも、映し出された映像を確認しにかかった――――
~~1645年 ジャン・ヴァティスト・タヴェルニエ
ある農夫が大喜びで大きな蒼い鉱石を川から拾いあげている。
そこは鉱石の採掘場のようだ。そこへ、インド風の服装をしたターバンを巻いた男性が歩いてくる。彼は西洋人らしい堀の深い顔をしている。
彼は多額の金貨をちらつかせた。どうやらその鉱石をめぐり、交渉を持ちかけているようだ。
農夫はそれを快諾し、彼にそれを渡した。
――「これは……貴女の誕生秘話ですね。この西洋人はジャン・ヴァティスト・タヴェルニエ。ヨーロッパ人として初めて信憑性の高い宝石に関する記録を残し、歴史に名を残した。これは言うまでもなく偉大な功績です。そんな彼が…呪いの宝石として同じく歴史に名を残すことになった貴女を見つけるなんて……数奇な運命です。」
突然
「ぐ…………あ……」
イレールは胸を押さえて苦しげに眉をひそめ、ふらつき始めた。
流れ込む負の感情が増大し、心を締め付ける力が強まったのだった。
「ここから……絶望の連鎖なのですね…」
はぁはぁと息をつきながらも、映像を見つめ続ける。
カシャカシャ……
~~~フランス ブルボン朝 最盛期、太陽王ルイ14世のもとへ
ルイ14世は豪奢な書斎で頭を抱え、悲しみにくれていた。
彼は我が子、孫に先立たれたのだった。
部下たちは互いを罵り合い、財政悪化のことについて討論している。
誉れ高い太陽王の名は借金王へと移り変わり、彼は退位へと追い込まれた――――
~~~マリー=アントワネットのもとへ
花の都パリが、革命の炎に包まれていた。
女、子どもは泣き叫び逃げ惑う。武器を持った市民は貴族の屋敷を襲撃し、自分たちの生活を圧迫した彼らを牢へと閉じ込めた。
マリー=アントワネットは国外へと逃亡しようとするが、容赦なく捕らえられた。
数日後の情景に変わった。
死体の焼けこげる匂いの充満する変わり果てたパリで、彼らの処刑が始まった。
彼女のブロンドの髪は一夜にして白髪に変わり果て、マリー=アントワネットは断頭台を鮮血で濡らした。
冷たい金属の台に生あたたかい血が滴り落ちる―――
~~~1800年代初頭 オランダ、アムステルダムのダイヤカット職人のもとへ
“彼女”はダイヤカット職人のもとで三個に分割されている。
それを物ほしそうに見つめる、その職人の息子。彼は父親がその場を離れるのを待って、そのうちの一個を盗み出した。
父親はその責任をとって首を吊る。
息子は罪悪感から父の後を追って短剣で胸を刺し、こと切れた――――
―――ガタッ…
イレールは片膝をついた。
肩で息をして、顔色はどんどん悪くなっていく。
「心に直接、これほどの負の感情が流れ込むとは……ここまで…くっ!スター・サファイアを付けていなければとっくに…心を呑み込まれていた…でしょうね……。」
スター・サファイアは巨大な負の感情のエネルギーを必死で緩和してくれていた。
―――「ぐあぁ……………!」
それでも桁違いのその量に、彼の心は砕けてしまいそうなほどにきしむ。
それに加えて耳には、
―――『いやだぁああああああ!朕の繁栄はどこにいったのだぁあああ!!!』
『死にたくないーーーーー!ギロチンだなんてぇーーーー!!!!』
『父さん、ごめんなさい!死を持って贖います!……どうかお許しをっ!!』
―――犠牲となった人々の断末魔の叫びや後悔の声が映像の合間にこだましていたのだった――――
気が狂いそうなほどに繰り返されるそれは、耳にとりついて離れない
―――耳を押さえたくなるほどの絶叫。
「……本当に、ここに貴女がいなくてよかった。苦しむのは私だけでいい……。」
イレールは苦痛に耐えながら、彼女のことを思って少しだけ笑みを浮かべた。
もう彼には立ち上がる力はない。
彼女の隣へ戻るため、なおも暗闇に浮かぶホープ・ダイヤモンドの記憶の映像を見続ける。
~~~1830年 ホープ・ダイヤモンドと呼ばれる所以、銀行家ヘンリー・ホープのもとへ
それは、彼の死後の場面から始まった。
彼の妻アギーレは“彼女”を受け取り、毎日身に着けている。
女中たちが囁き合っている。
ホープ家は銀行家としての繁栄に限りが見え始めているのに、贅を尽くした生活をしていると…。
画面が切り替わって、彼の孫のヘンリー・フランシス・ホープが失意の表情を浮かべていた。彼の目の前の立派な屋敷には大きな白い布がかけられている。
孫の代で、彼らの繁栄は幕を閉じたのだった―――
――『ホープ家は……?!!ヘンリー・ホープの成した財は永遠ではなかったのかぁぁぁぁぁぁーーーーーーー!!?』
~~~ロシア貴族のもとへ
高級住宅地に、“彼女”を持った若い男がいた。建物はロシア建築。そこはおそらくロシアなのだろう。身なりもよく、貴族であることがすぐに分かった。彼は田野村家の旦那のように目が狂気に満ちていた。
彼は、突然腹を押さえ始めて―――そのまま動かなくなった。
遺品整理ののち、宝石商らしき男性が“彼女”を引き取っている。
車に乗った彼はハンドル操作を誤って事故を起こし―――帰らぬ人となった
――――『美しい!“彼女”は美しい!!もういっそ、その手で殺してくれ!!それは至高の喜びだ!ああっ!!!美しいっ!!!』
『ブレーキがきかない!!うわぁぁぁぁあーーーー!!――――ガシャーーーーーーーーン!!』
~~~1900年代 マクリーン夫人のもとへ
マクリーン夫人は“彼女”を呪いのホープ・ダイヤモンドだとパーティーの席で自慢している。
家族よりも大事な石だと豪語している。そこへ彼女の夫が慌てた様子で駈け込んで来た。
マクリーン夫人の息子が車にはねられたらしい。彼女は夫と息子のもとへと急いだが、二人は息子を失った。
失意のうちに夫は酒に溺れ、アルコール依存症となって施設に入った。
二人には娘がいたが、気を病んで睡眠薬を大量に飲んで自殺した。
夫人は一人になってしまった―――
―――『ああ!ホープ・ダイヤ!どうして私の家族を奪ったの……どうして…?!!いやよ…一人は……家族を返してぇぇえええええええええええ!!!』
~~~宝石商 ハリー・ウィンストンのもとへ
彼はホープ・ダイヤモンドを買い取って、個人コレクションにしていた。
“彼女”を眺めながら、何やらつぶやいている。
「君はもう、眠りについた方がいいだろう。人間は君の思っているほどきれいで強い生き物ではないんだ。」
彼の隣には、『スミソニアン協会』の名札をつけた女性が立っていた。
“彼女”をそっと持ち上げて、その女性に託した。
女性はお辞儀をして彼の邸宅を後にする。
ハリー・ウィンストンは窓から、遠ざかっていく車を見送った。
――――カタッカタッ……!
カタカタッ! カタ!
映像が大きく乱れた
カタ、カタカタッ………カタ
――――パタ…
ルーペが力を無くして暗闇に落ちて、映像はそこで途絶えた。
依然として、ホープ・ダイヤモンドは怪しく蒼黒い光を放って漂い続けている。
――「貴女は……。アメリカの博物館で眠りに…ついて、いた…はず」
イレールは片膝をついたまま、今にも倒れそうなほど消耗していた。
肩でやっと息をし、きつく胸を押さえている。片手を地につかせて必死に倒れないよう身を支えていた。飴色の艶やかな髪は乱れ、白く澄んだ頬は青白くなり、形のよい眉を歪めて、真っ青になった口からは荒く息がもれる。
「……だれが、なんのために……貴女を持ち出したのか…」
彼はやっとのことで口を開く。
「貴女は……かわいそう、です。」
イレールは霞む視界の中、哀れみのこもった瞳を“彼女”に向けた。
「大きな蒼いダイヤモンドとして…生まれたがために、強大な力を持ってしまい……呪いのダイヤと呼ばれるように…なってしまった。貴女からすれば…愛情深い…宝石の女王として…ただ職務を果たしただけ…なのですよね………」
胸を押さえていた左手に、カットが施された純白に輝く宝石が現れる。
「これは貴女と…同じ寸法のダイヤモンド…カットも、今ではほとんど…施されることのない、インド式クッション・カット…
貴女は負の事象を多く起こす一方、一般的なダイヤは正の事象を多く起こす……プラスとマイナス……合わさればゼロに………これで貴女を調和……します。貴女の魅惑的な輝きは残りますが…もう、負の事象は…起こせない……」
そう言って、大粒のダイヤを“彼女”に捧げようとする
―――が
―――カラン!………カラ…カラ…
彼は左手をあげる力さえ失って、片膝をついたまま大きく前にふらついて――
――それを落とした
純白に輝いていた大粒のダイヤは、光を失った
「……くっ!………」
彼の体は悲鳴をあげ、締め付けられ、きしんだ心は砕けてしまう直前で、精神的にも彼は限界を迎えていた。
ぐらり、と―――
彼は大きく横に傾いた―――
―――とん………
彼の霞んだ視界に、黒髪が揺れた。
「―――――イレールさん!」
彼女の声が聞こえた。
「いやですよ!こんなの!!私はイレールさんともっと一緒にいたい!まだあなたに伝えたいことが…たくさんあるんです!!」
「おい!イレール!!この悪ガキ!昔から一人で突っ走りおって!!」
昔から一緒の、相棒の声もする。
「起きてください!!」
「起きるのだ!!」
―――――ハッとして、イレールは目を開けた。
気づけば、彼は百合に抱きとめられて、その肩に頭をのせていた。
彼女の柔らかい髪が顔に当たって心地が良かった。
一気に―――心が癒されていくのを感じた
「………百合…さん」
「イレールさん!!………良かった!!もう……ほんとう…に…!」
百合は安堵感から言葉をつまらせて、彼への抱擁を強める。
「……苦しいですよ…」
抱きしめ返す力の残っていない彼は、そう言いながらも、彼女の黒髪に顔を埋める。
イレールはしばらく安心したように微笑んでいた。しかし、顔を少し傾けて、いまだに自分を悲痛そうに抱きしめ、ぎゅっと目をつぶっている彼女の耳に真剣にささやいた。
まだ悠長にしていられない状況だということを、その場にいる二人と一羽は分かっていた。
「百合さん……私はこんな状態なので…お手伝いお願いします。」
「はい……何でも言ってください。」
百合は彼への思いが膨らんでいくのを律して、ゆっくりと身を引く。
「クラース。あのダイヤを拾ってきてください。」
イレールが視線で示したものをクラースは素早く拾ってくる。
「これだな?」
「ありがとう。それを百合さんに渡してもらえますか。」
百合がそれを受け取ると、そのダイヤは純白の光を放ち始める。
「それを…ホープ・ダイヤモンドのもとへ運んでください。近くまで行ったら、溶け込んでくれますから。」
「………分かりました。」
百合は立ち上がろうとするのを、イレールは呼び止めた。
「待ってください。私はいつも、石を手にしたとき、人への愛を思い浮かべます。そうすることで正の感情を浴びて、石は輝きを増し、効力も上げることができるんです。
――誰か……大切な人のことを考えて、捧げてあげてください。」
イレールは目を細めて百合を見つめている。
百合は頷いて微笑み返すと、ホープ・ダイヤモンドのもとへ歩み寄った。
純白のダイヤが漂う左手を、ホープ・ダイヤに差し出す。
彼女は目をつぶって、思いを、込めた――――
途端に
――純白のダイヤは輝きを増し、ホープ・ダイヤへと溶け込んでいく。
“彼女”は妖艶な微笑みではなく、穏やかな微笑みを浮かべるかのような、青い光を放ち始める。
そしてゆっくりと、百合の手の中へと―――落ちていった
百合は恐る恐る覗き込んでみる。
“彼女”は元通り怪しげな光に戻っていた。見た所は、魅惑的なブルー・ダイヤのままであった。
だが今はもう、初めて見たときのような心が取り入られるような気持ちはわいてこなかった。
――――(その思いを大切になさい……)
(え……?)
手の中の”彼女”が心に語り掛けたような気がした―――
―――「しっかりしろ!イレール!」
クラースが焦ったように叫んでいる。
百合が振り向くと
そこには―――――イレールが倒れていた
彼女は息をするのも忘れて彼に駆け寄った。
次の日
「倒れちゃったんですよね…心配かけて、すみません……」
私室の寝台に上半身を起こして、彼は苦笑いして謝った。
白いワイシャツをラフに着て髪を結んでいない彼は、まさに病人らしい様子だった。
今はだいぶ顔色もよくなっているものの、今日になってやっと目を覚ましたのだった。まだ起き上がれそうにはない。
――――では百合が、珍しく彼を睨んでいた。
「それに関しては怒っていません!」
その剣幕にイレールはますます苦笑いして、視線を彼女の後ろへそらした。
宝石店の外観と間取りは一致しないらしく、彼の部屋は書斎の隣にある。この空間は本当になんでもありだ。
彼の私室はオーク材のアンティーク家具ばかりの、シックで郷愁ある部屋だった。分厚い本ばかりのつまった本棚、読書に使っているのかアールヌーボーの大きなランプや、古い地球儀、なぜだか航海図、描きかけのジュエリーデザイン……など彼らしいと言えば彼らしい私物が置いてある。
百合がちょっとだけしょんぼりして言った。
「私が怒っているのは………私をおいていったことです。」
イレールがあっ……と、言って黙った。
顔を背けていた彼だったが、決心したように切り出した。
「……ホープ・ダイヤモンドの残虐な負の感情を見せたくなかったんです。隣に居てほしいなんて言っときながら…本当に…すみません。」
頭を深々と下げて謝っている。
百合は慌てて言った。
「あわわっ!そんなに頭を下げないでください!……謝られると何だか申し訳ないです!イレールさんは優しいから私を気遣って、連れて行かなかっただけなので!」
イレールは困ったような顔になる。
「あれ?じゃあ、どうしたら許してくださるんですか……?」
百合はしばらく考え込んでいた。
腕組みをして目をつぶって、彼女も困った顔をして考えている。
イレールはその様子を見て微笑ましくなり、ニコニコしながら見つめる。
(どうして怒っているか、自分でも分からないんですね。)
「ああああ!分かりました!」
「なんですか?!」
突然百合が大きな声を出した。
「イレールさんは、私をもっと雑に扱ってください!」
「………なかなかに……Mな、発言ですね。」
イレールは失笑している。
「…ん?あっ!いやっ!そういう意味じゃなくてっ!そんなに気遣わなくていいってことですっ!!私に気を遣いすぎているように思えるので……」
焦って弁解するあまり、いつの間にかイレールの両手を掴んでいる。
「……何か、今すぐに私に言いたいこととかありませんか?!ちょっとだけ不満に思っていることとか!」
じっと、黒曜石の瞳で見つめてくる。
それを受けてイレールの瞳がわずかに揺れた。
「……………とりあえず、不満なんてありませんよ。」
手に乗っている細くて柔らかい手を握り返しながら答える。
(……ん?あ……)
百合は今頃になって自分が彼の手を掴んでしまったことに気づいて、頬を赤らめた。
「今すぐに言いたいことですか……なんてストレートな質問なんでしょう。」
彼はどこか思いつめたような顔になったが、思いついたように言った。
「じゃあ……、私にまたエスプレッソコーヒーを淹れてきてくれませんか?」
「………はい!そういうのを待っていたんです!今すぐに淹れてきますね!」
花の咲くような笑顔になって、百合は部屋から急いで出て行った。
それをうれしそうに見送っていたイレールだったが、切なげにはぁっ……とため息をついた。
「悩みは尽きませんね……一つは貴女への思いに関すること。私が貴女を大切にし過ぎていることを、貴女は敏感に感じ取っているなんて………」
そしてもう一つ、と、彼は続けた。今度は厳しい表情になる。
「今回のことは……人為的に起こされた出来事。おそらく……私のところへあの石が届くことを想定して行われた…。」
そのことを考えると、ざわざわと胸騒ぎがする。
「―――――淹れてきましたよ!!」
百合がエスプレッソの心地よい香りとともに入ってきたので、表情を緩める。
「ミルクと砂糖はいらないんですよね?」
「はい。コーヒーはそのまま飲むのが好きなんです。覚えていて下さったんですね。」
それを受け取って彼女の優しさにひたる。
一方、百合は――――
彼の手を握ることのできる喜び。
そして―――隣に居てほしいと言ってくれた喜び、が彼女の心を満たしていた。
(私も……イレールさんの隣にいたいんですよ……ずっと…)
幸せそうに自分の淹れたコーヒーを飲んでくれているイレールを―――特別な眼差しで、見つめ続けた。
この回は…なんだか書いてて辛く感じました…
それはともかく、ホープ・ダイヤモンドの記憶の再生部分は、ある程度史実に則りましたが、フィクションも入っています。ご了承ください。




