第五話 少女はスターにされた ―「大きな歌声」に託されたもの
【ボートビルについて】
1920年代、当時のアメリカには「ボードビル」と呼ばれる大衆向けの舞台芸能が盛んだった。
歌、踊り、喜劇、手品、曲芸、寸劇――。さまざまな出し物を次々に見せる、いわば寄席やバラエティーショーに近い興行である。映画が娯楽の中心になっていく以前、人々は劇場や興行場に足を運び、短い演目をいくつも楽しんだ。
そこでは、出演者は観客の反応をじかに受け止めなければならない。歌が終われば拍手が起こり、芸が受けなければ客席は静まり返る。舞台の上では、観客の反応がその場で返ってくる。
フランクとエセルのガム夫妻も、そうした舞台芸能の世界で活動していた。ジュディは姉たちとともに、幼いころからその舞台に立った。
彼女にとって、歌うことは家族との時間であり、才能を発揮する場所でもあった。しかし同時に、観客の前で芸を披露し、仕事として舞台を務めることでもあった。
まだ幼い少女は、家庭と仕事の境目が大人とは違う世界で、歌い始めていたのである。
第五話 少女はスターにされた――「大きな歌声」に託されたもの
ジュディ・ガーランドは、ハリウッドに入る前から、舞台の上にいた。
彼女が生まれたときの名前は、フランシス・エセル・ガム。
一九二二年六月十日、アメリカ中西部のミネソタ州グランドラピッズで生まれた。
父フランクと母エセルは、舞台芸人として活動していた。家庭には、舞台と音楽があった。姉たちと一緒に歌い、踊り、人々の前に立つことは、彼女にとって特別な出来事というより、幼いころからの生活の一部だった。
二歳ごろには、すでに人前で歌っていたと伝えられる。
普通の子どもなら、歌を覚えることは遊びの一つだろう。
けれど、舞台に立つ子どもにとって、歌は遊びであると同時に、仕事にもなり得る。
客席から拍手が起こる。
大人たちが笑顔になる。
もう一曲、と求められる。
その反応は、幼い少女にどんな感情を与えたのだろう。
うれしかったに違いない。自分の歌で人が喜ぶ。それは、子どもにとって大きな喜びだったはずだ。
しかし、拍手には、もう一つの顔がある。
拍手を受けると、人は次も同じように喜ばせたくなる。
昨日より上手に。
昨日より大きな声で。
昨日より長く、観客を夢中にさせる。
そして、その期待が繰り返されると、いつの間にか、拍手を受けることが自分の価値を確かめる手段になってしまうこともある。
もちろん、幼いジュディが最初からそんなことを考えていたわけではない。
ただ、彼女の人生では、舞台に立つことと、大人たちの期待に応えることが、早くから結びついていた。
## 一 家族の舞台から、映画の世界へ
ジュディは姉たちと「ガム・シスターズ」として舞台に立った。
家族で歌い、踊り、各地で芸を披露する。
彼女の才能は、幼いころから目立っていた。とりわけ歌声には、人の耳を引きつける力があった。
やがて一家はカリフォルニアへ移り、ジュディたちは活動の場を広げていく。
芸名も変わった。
フランシス・ガムは、ジュディ・ガーランドになった。
名前が変われば、人生も変わるのだろうか。
少なくとも、芸能の世界では、名前は単なる呼び名ではない。
観客に覚えてもらうためのもの。
宣伝に使うためのもの。
一人の人間を、舞台やスクリーンの上に送り出すための看板でもある。
その看板が大きくなるほど、その内側にいる人間は、看板にふさわしい存在であることを求められる。
一九三五年、十三歳のジュディは、映画会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー、通称MGMと契約した。
映画の世界には、彼女の歌声を必要とする人々がいた。
しかし、才能が認められることと、本人が幸せになれることは、同じではなかった。
## 二 大人たちが見つけた才能
映画会社にとって、ジュディの歌声は大きな魅力だった。
ところが、彼女の年齢と外見は、当時のスターのイメージに簡単には収まらなかった。
子ども向けの役には、少し年上に見える。
大人の女性を演じるには、まだ幼い。
身長も低かった。
映画会社は、彼女の才能を認めながら、同時に、どのような姿で売り出すべきかを考えた。
髪型、衣装、歯や鼻の見え方、体重。
スクリーンに映る一人の少女の姿は、本人が自由に決められるものではなかった。
撮影所には、監督がいる。
プロデューサーがいる。
衣装係やメイク係がいる。
宣伝担当者がいる。
それぞれが、映画を成功させるために仕事をしていた。
彼らは、ジュディをスターにしたかった。
しかし、その「スターにする」という言葉には、難しい問題が隠れている。
歌がうまい少女を、そのまま観客に見せればよいとは限らない。
映画会社は、観客がどんな少女を好むのかを考える。
親しみやすい少女。
かわいらしい少女。
大人びすぎず、けれど舞台に立てば誰よりも目立つ少女。
そして、その理想に合わせて、ジュディの見せ方を整えていく。
彼女の歌声は、彼女自身のものだった。
けれど、スクリーンに映る姿は、彼女だけのものではなかった。
そこには、映画会社の判断と、時代の好みと、観客の期待が重なっていた。
## 三 美しくなければ、スターではないのか
ジュディには、歌う才能があった。
それは、誰かが作り出したものではない。
声を出す。
音程を取る。
言葉に感情を込める。
一つの歌を、聴く人の心に届ける。
その力は、幼いころから彼女の中にあった。
ところが、映画の世界では、歌声だけで評価されるわけではなかった。
カメラの前に立つ以上、外見もまた、商品として扱われた。
当時のMGMでは、ジュディの体格や容姿について、厳しい評価が向けられたと伝えられている。スタジオの幹部が彼女の外見を侮辱するような言葉を使ったという証言も残っている。
そのような言葉は、子どもにとって、どれほど重いものだっただろう。
大人なら、相手の言葉を批判したり、距離を置いたりできる場合もある。
しかし、十三歳の少女にとって、仕事を与えてくれる大人たちは、自分の将来を握っている存在でもあった。
その人たちに「このままでは足りない」と言われたとき、少女は何を思うのだろう。
自分の歌は足りないのか。
自分の姿は、誰かを失望させるのか。
もっと努力すれば、認めてもらえるのか。
ジュディがどの瞬間に何を考えたのか、私たちはすべてを知ることはできない。
けれど、彼女が体重や外見について、スタジオから繰り返し圧力を受けたことは、後年の証言や伝記で語られている。
ここで、私たちは立ち止まる必要がある。
ジュディは、最初から自分の外見を嫌っていたのだろうか。
それとも、周囲の評価を受けるうちに、自分を見る目が変わっていったのだろうか。
その答えを、簡単に決めることはできない。
ただ、少なくとも、彼女の外見が本人だけの問題ではなくなっていたことは確かだ。
映画会社にとって、スターの身体は、作品を売るための一部だった。
だが、身体は本来、本人が生きるためのものでもある。
この二つが衝突したとき、どちらが優先されるのか。
ジュディは、まだ十代の少女だった。
## 四 父を失った少女
一九三五年、ジュディがMGMと契約した年、父フランクが病に倒れた。
ジュディは、ラジオ出演の準備をしているときに、父の容体が悪化したことを知らされたという。
父は、その年の十一月に亡くなった。
まだ十三歳だった。
人生の大きな転機と、家族の悲しみが、同じ年に訪れたのである。
父は、彼女の才能を認め、舞台の世界へ進むことに関わってきた人だった。
その父を失ったあとも、ジュディの仕事は続いた。
撮影所は待ってくれない。
契約は続いている。
出演予定もある。
悲しみが消えるまで、仕事を休んでいてもよいとは限らなかった。
彼女がどのように父の死を受け止めたのか、その内面を単純に説明することはできない。
ただ、子どもが大切な人を失ったとき、その悲しみを十分に表現する時間さえ与えられない環境があったとすれば、それは決して小さなことではない。
舞台に立つ。
歌う。
笑顔を見せる。
観客は、そこにいる少女の歌声を聴く。
その歌声が、彼女自身の悲しみを消してくれたのかどうかは分からない。
歌うことが救いになる瞬間もあっただろう。
一方で、歌うことを求められ続ける苦しさもあったかもしれない。
芸術は人を救うことがある。
しかし、芸術を生み出す人間が、必ずしもその芸術によって救われるとは限らない。
## 五 「スター」という役
ジュディは、少しずつ映画の世界で存在感を増していった。
一九三七年には、俳優クラーク・ゲーブルの誕生日を祝う場で歌ったことをきっかけに注目を集め、映画への出演も増えていく。
ミッキー・ルーニーとの共演作などで、彼女は歌って踊れる若いスターとして人気を獲得した。
そして、一九三九年。
ジュディは『オズの魔法使』でドロシーを演じることになる。
黄色いレンガ道。
不思議な仲間たち。
故郷カンザスへの思い。
そして、「虹の彼方に」。
映画の中のドロシーは、家に帰りたいと願う少女だった。
彼女は旅に出て、仲間と出会い、困難を乗り越え、最後には自分が大切にしていたものを見つめ直す。
ジュディの歌声は、ドロシーの願いを観客に届けた。
けれど、映画の外側にも、一人の少女がいた。
その少女は、映画会社の求める姿に合わせることを期待されていた。
彼女は歌うことができた。
観客を魅了することもできた。
だが、スターであることには、歌うこと以外の仕事も伴った。
決められた時間に起きる。
撮影所へ行く。
衣装を着る。
メイクをする。
歌い、踊り、演技をする。
求められる姿を保つ。
そして、次の仕事へ向かう。
大人たちが彼女をスターにしようとするほど、ジュディ自身が自由に決められることは、どれだけ残されていたのだろう。
ここで、エリザベートの人生を思い出す。
皇后エリザベートもまた、人々の視線の中で生きた女性だった。
宮廷は、皇后としてふさわしい振る舞いを求めた。
人々は、その美貌を称賛した。
後世の人々は、彼女の姿を伝説にした。
ジュディは、皇后ではない。
宮廷の規則に縛られたわけでもない。
彼女が生きたのは、映画会社と観客が大きな力を持つ時代だった。
二人の境遇を同じものとして扱うことはできない。
それでも、二人の人生には、問いかけたくなる共通点がある。
人々が愛する「美しい姿」は、本人が自由に選んだものなのだろうか。
その姿を維持するために、本人は何を引き受けなければならなかったのだろう。
そして、その問いを誰が口にすることができたのだろう。
## 六 拍手の向こう側
ジュディの才能は、本物だった。
彼女の歌声が人々の心を動かしたのは、映画会社の宣伝だけでは説明できない。
そこには、技術があり、表現力があり、歌詞の意味を伝える力があった。
彼女は、ただ大人たちに操られた人形ではない。
歌うことを愛した瞬間もあっただろう。
舞台に立つ喜びもあっただろう。
自分の力で観客を魅了する誇りもあったに違いない。
だからこそ、彼女の人生を、苦しみだけで説明してしまうこともできない。
才能があったこと。
仕事を成し遂げたこと。
観客に愛されたこと。
それらは、確かに彼女の人生の一部だった。
しかし、その輝きが本物だったからといって、彼女が引き受けた負担まで正当化されるわけではない。
観客は、完成した映画を見る。
歌声を聴く。
笑顔を見る。
物語の結末に感動する。
けれど、映画の外側にある労働や、身体への管理や、少女が大人たちの期待に応えようとした日々までは、スクリーンに映らない。
私たちは、ドロシーが虹の彼方へ行く姿を知っている。
そのドロシーを演じたジュディが、どんな思いで歌い、どんな言葉をかけられ、何を我慢したのか。
そのすべてを、私たちは知っているわけではない。
それでも、華やかな映画の向こう側に、一人の人間がいたことは忘れたくない。
彼女は、スターになるために生まれたのではない。
一人の子どもとして生まれ、歌う才能を持ち、家族と舞台に立ち、父を失い、映画の世界へ進んだ。
その人生の中で、彼女はジュディ・ガーランドというスターになっていった。
けれど、スターという名前が大きくなるほど、その内側にいる人間の声は、どれだけ聞こえていたのだろう。
拍手は、彼女の歌声を称えた。
では、その拍手は、彼女自身の苦しみにまで届いていたのだろうか。




