最終話 夏の向こう側
夕焼けの教室。
誰もいない廊下。
遠くから聞こえる吹奏楽部の音。
文化祭後の静かな校舎は、まるで夢の終わりみたいだった。
「……」
藤沢湊は、教室の奥を見つめる。
ロッカーの下。
淡く光るタイムカプセル。
最初にここへ来た時と、同じ光景。
もう分かっていた。
終わる。
この時間は。
「湊?」
振り返る。
春斗だった。
「何してんの?」
「……いや」
春斗は教室を見回して笑う。
「終わっちゃったな」
「……うん」
「でもさ」
春斗は窓の外を見る。
「俺、この夏一生忘れない気がする」
夕焼けが、春斗をオレンジ色に染めていた。
「文化祭も」
「映画も」
「祭りも」
「全部」
その言葉を聞いた瞬間。
湊の胸が熱くなる。
未来では。
みんな少しずつ離れていった。
会わなくなった。
でも。
この時間まで消えたわけじゃなかった。
「……春斗」
「ん?」
「ありがとな」
「は?」
春斗が吹き出す。
「急に何」
「キモ」
「うるせぇ」
湊も少し笑う。
その瞬間。
教室の光が揺らいだ。
風。
夕焼け。
蝉の声。
世界が、少しずつ滲み始める。
「……湊?」
春斗の声が遠くなる。
湊は静かに目を閉じた。
終わる。
でも。
もう怖くなかった。
ちゃんと取り戻せたから。
◇
目を開ける。
朝。
電車の揺れ。
車内アナウンス。
満員電車。
灰色の景色。
「……」
湊はゆっくり顔を上げる。
スーツ姿。
スマホ。
通勤バッグ。
2026年。
戻っていた。
「……はは」
小さく笑う。
夢だったのか。
いや。
違う。
胸の奥に、ちゃんと残っている。
夏の匂い。
夕焼け。
河川敷。
ガラケーの着信音。
TSUTAYA。
MDプレイヤー。
笑い声。
全部。
◇
会社。
昼休み。
いつもならスマホを見るだけ。
でも今日は違った。
湊はスマホを開く。
連絡先。
止まる。
『神谷春斗』
ずっと連絡してなかった名前。
数秒迷う。
そして。
メッセージを送る。
『久しぶり。
元気?』
送信。
少しだけ心臓がうるさい。
数秒後。
返信。
『うお!?』
『湊!?』
『生きてたんかお前!!』
思わず吹き出す。
文面が、昔と全然変わっていなかった。
『今何してんの?』
送る。
『普通に働いてる!』
『草野球ハマってるわ!』
『あと娘いる』
「……え?」
思わず声が漏れる。
娘。
あの春斗が。
でも。
なんだかすごく春斗らしかった。
送られてきた写真。
公園。
小さな女の子を肩車してる春斗。
笑顔が、14歳の頃と全然変わっていない。
その瞬間。
湊は少しだけ泣きそうになる。
◇
仕事帰り。
湊はふらっと本屋へ入った。
文庫コーナー。
静かな店内。
昔より少し狭く感じる通路。
その時。
「あ……」
声。
振り返る。
雨宮澪だった。
「……え」
一瞬、言葉が出ない。
大人になっていた。
でも。
空気は変わらない。
少し柔らかい目元。
静かな喋り方。
文庫本を抱えてるところも。
全部。
「久しぶり」
澪が少し笑う。
「……久しぶり」
湊も笑う。
変わってしまったものは多い。
でも。
変わらないものも、ちゃんとあった。
「藤沢くん、
ちょっと顔変わったね」
「え?」
「なんか前より、
ちゃんと笑う」
その言葉に。
湊は少しだけ目を細めた。
◇
1ヶ月後。
夏。
休日。
部屋。
窓の外では蝉が鳴いている。
机の上。
古いハンディカム。
スマホが震えた。
『グループ:三中映画部(仮)』
送り主。
春斗。
『夏集まろうぜ!!!』
通知が次々来る。
七海:
『子供連れてく!』
菜摘:
『老けたとか言ったら殺す』
圭介:
『焼肉な』
慧:
『どうせまた春斗が騒ぐ』
笑ってしまう。
その時。
最後に、一件通知。
雨宮澪。
『久しぶり』
たったそれだけ。
でも。
昔みたいに少しだけ心臓が跳ねた。
「……はは」
湊は小さく笑う。
窓の外。
夕焼け。
夏の風。
あの頃と同じ空。
湊は静かにハンディカムを手に取る。
ピッ――。
懐かしい起動音。
カメラ越しの世界。
今の景色。
今の自分。
人生は戻れない。
でも。
前には進める。
湊は空を見上げる。
あの夏と、同じ夜空だった。




