50話「ピエール発見」
「報告っす。……どうやら第二学園には、めぼしい情報は転がってなかったっすね」
アビス教団の最深部。薄暗い聖堂に、田中の軽薄な、しかしどこか冷徹な響きを持つ声が反響した。
彼は影の中から音もなく姿を現すと、教主の背後に向かって短く告げる。
「そうですか……。となると、残るは……第一学園を、探ってみますか。……お願いできますか?」
教主の声は、凪いだ海のように静かでありながら、逆らえぬ重圧を孕んでいた。その視線は、学園都市の地図が広げられたテーブルに向けられたままだ。
「了解っす。……でも、あそこの学園長は、既にこちら側に付いたんじゃなかったっすか?」
田中の問いに、教主は微動だにせず、ただ温度のない言葉を返した。
「……あれを、無条件に信用するわけにはいきません。あの男は確実に、我々に対して『何か』を隠しています。……潜入のついでです、それも探ってきてください」
学園長という強力な協力者さえも駒の一つとして疑い、利用し尽くす――。その非情な命令に、田中は口角をわずかに上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「……了解っす。裏切りの匂いがする現場ってのは、嫌いじゃないっすね」
影が揺らいだ次の瞬間、田中の姿は跡形もなく消えていた。
「……残る封印は、あと三つとなりましたね」
誰もいないはずの広大な聖堂に、教主の静かな、しかし確信に満ちた声が吸い込まれていく。
祭壇に灯された蝋燭の炎が、ゆらりと不自然に揺らめき、背後の巨大な壁面に教主の影を長く、歪に引き延ばした――。
――その頃。
崩落した迷宮の最深部へと、ガリス一行はようやく到達していた。
「……思ったよりも長い道のりでしたね。これほど深く潜ることになるとは」
部下が額の汗を拭い、入り組んだ地下道の閉塞感に溜息を漏らす。光が届かぬ闇の先には、かつての栄華を微塵も感じさせない、静まり返った広間が横たわっていた。
「ふむ、しかし肝心のピエールの姿が見えんのう。まさか、既に逃げ出したか、あるいは……」
「……ガリス……あっち……。ピエール……あれ……じゃない……?」
ミレアが、相変わらず眠たげな、しかし確信に満ちた指先で闇の一角を指し示した。皆の視線が、吸い込まれるようにその一点へと集まる。
「……ミレア様、あれですか? ただの瓦礫の山にしか見えませんが……」
「……儂の目には、何かが激しく燃えた後の『黒い焦げた物体』にしか見えんぞ」
ガリスが眉をひそめ、その巨体を揺らして一歩前に出る。だが、ミレアは前髪の奥からじっとその物体を見つめ、たどたどしく言葉を継いだ。
「……アレから……微かに……ピエールの魔力を感じる……よ……?」
その言葉を聞くやいなや、部下が真っ先に駆け寄った。
そこには、かつての知略溢れる将の面影など微塵もない、無残に炭化した「何か」が横たわっていた。
「……ピエール様……! ピエール様、しっかりしてくださいッ!」
部下の必死な呼びかけが、虚しく地下空間に反響する。ガリスはその横に立ち、重苦しい沈黙の後にミレアを振り返った。
「おい、ミレアよ。これは……流石にもう、手遅れではないのか?」
「……大丈夫……では……ない……けれど……。まだ……ギリギリ……生きてる……よ……」
死の淵を彷徨いながらも、執念で命の灯を繋ぎ止めている「それ」。
ピエールをこれほどの惨状に追い込んだアビス教団の脅威が、静かに、しかし確実に一行の肌を突き刺していた。
「……早く……。治癒系の魔術が使える……専門家……に見せないと……もう、間に合わない……よ……?」
ミレアの淡々とした、しかし猶予のない宣告に、ガリスの表情が険しく歪んだ。
「よし。まずはピエールを地上へ運び出すぞ!」
「ガリス様、お願いします! 急ぎましょう!」
部下の悲痛な叫びに応えるように、ガリスは腰を落とした。
左肩に小柄なミレアを、そして右肩には炭化したピエールを。二人を軽々と担ぎ上げると、巨体からは想像もつかないほど静かに、そして矢のような速度で走り出した。
「……ふむ。ミレア、おぬしは治癒魔術を使えなかったか?」
凄まじい脚力で地響きを立てながら、ガリスが問いかける。その振動に揺られながら、ミレアはガリスの首にしがみついたまま、とぎれとぎれに答えた。
「……私……。ストックの中に……ある奴は……。今のピエールには……効果が……薄いと……思う……よ……?」
「それでも、ないよりはマシじゃろう! 応急処置だ、やってみろ!」
「……わかった……。気休め程度だけど……やってみる……ね……『ブック』」
ミレアが小さな手をかざすと、虚空から淡い燐光とともに一冊の古びた本が具現化した。それは彼女の意思に従うように、ひとりでにページを猛烈な勢いで捲り始める。
「……四十六ページ。……ヒール」
ピタリと止まったページから魔力が溢れ出した。ミレアはその小さな掌を、右肩で物言わぬ黒い塊と化しているピエールへと差し向ける。
ガリスの猛進による激しい振動の中でも、彼女の集中は乱れない。指先から零れ出した淡く儚い光は、粒子となって黒く焦げ付いたピエールの体を優しく、包み込むように浸透していった。
「……よし、少しは色が戻ったか!?」
ガリスが肩越しに叫ぶ。だが、その期待を打ち消すように、ミレアは力なく首を振った。差し出された彼女の指先は、焦げ付いたピエールの肌をなぞるだけで、吸い込まれるように魔力を霧散させていく。
「……ここまで……ボロボロだと……全然、効果……ない。……残念……?」
淡々とした、しかし冷酷な事実。ミレアの魔導書から溢れる癒しの光でさえ、破壊し尽くされたピエールの肉体を繋ぎ止めるには、あまりに細く、あまりに心許ない。
「……くっ、駄目か! ならば一刻も早く地上へ出すのみよ。急ぐぞ、部下殿! 遅れるなよ!」
「は、はいっ……! お願いしますッ!」
ガリスはさらに腰を落とし、爆発的な脚力で地面を蹴り上げた。
漆黒の鎧が地下道の壁を削り、火花を散らす。背負った二人の重みなど微塵も感じさせぬ猛進は、もはや重戦車そのものだった。
背後で必死に食らいつく部下の足音。
ミレアが手放さぬ魔導書の、消え入りそうな微かな燐光。
一行は地下道の闇を力任せに切り裂き、死神の鎌が届かぬ光の出口を目指して、ただひたすらに突き進んでいった。




