新婚旅行の場合 19
寝室に入ってきたダンタリオンを見たケビンは、少し困ったような照れたような表情をして黙っていた。
「君の得意のおしゃべりはどうした?」
ダンタリオンに言われてケビンは何を話すべきか戸惑ってしまった。
「おしゃべりは…別に得意って訳じゃ…ただ…沈黙に耐えられないから…しゃべってるだけで…慣れたら別に…」
「そうかい。だったら私とは…沈黙でも耐えられそうかな?」
ダンタリオンはケビンの隣に座ると肩を抱いた。夢の領域で散々触れ合っていたから、ダンタリオンはすでにかなりの量の催淫成分がケビンの体内に回っているのを確信していた。すでに身体は熱い。なのにケビンは会話が出来る程度にはまだ理性を保っていた。なかなかいないタイプだと思う。簡単に落とせそうなのにまだケビンの自制心の方が勝っている。ダンタリオンはケビンを抱きしめた。葛藤は過ぎ去ったはずなのにも関わらず。
「ケビン…そろそろ…いいかな?」
ダンタリオンが耳元で囁くとケビンは身体を震わせて長く息を吐いた。少し癖のある黒髪が長く伸びてエメラルドのような瞳が大きくなった。胸が膨らみ腰がくびれる。女性になったケビンはダンタリオンを見上げて、それから自身の身体を見下ろして顔を覆った。
「自分じゃない…みたいだ…こういう…いかにも男が好きそうな女らしい女は…ほんとは苦手なんだよ…」
「おや、そうだったのかい?よくそれで決断したね、君は」
「自分では抱けないって意味だよ…たまには…こういう経験も…してみないとさ…俺はあんまり相手の痛みが…分からないから…」
「そうなのかな…?」
ダンタリオンは黙ってケビンの顔を見つめた。今は絶世の美女だ。しかもかなりダンタリオン好みの。男性のケビンとは女性の好みは合わないのかもしれない、彼はそんなことを思いつつ唇を重ねながらケビンの服を脱がせ始めた。
「君がやっぱり嫌だとか、無理だとか叫んでも…もうこれ以上進むと私は止められないよ?それに今夜は月が満ちている。君がその身体に取り込んだ力は…月の満ちた夜にのみ繁殖する種族のものだ。普段は猛々しい雄でも…今宵は決めた相手の前でのみ…その身体を抱くことを許す…」
「これでも…考えて…決めたから…だって、あんたは子どもが欲しいって…」
ダンタリオンはフッと笑った。
「あぁ確かに、私は自身の子孫を残したいと思っているよ?ただ、誰でもいい訳ではない。君に出会わなければ…その望みも叶わぬままに終わるかもしれなかったからね…君こそどうなんだ?」
夢の中のように、あらゆる場所にケビンは口付けをされて、夢の続きが今は現実に起こっていることを思い知った。言い訳ももはや不要で、ただ目の前の美しい男性に抱かれているその事実のみがケビンを支配していた。彼はとても丁寧に時間をかけてケビンをほぐしてゆく。
「ケビン…力を抜いて…」
「…ダンタリオン…!」
彼を受け入れた瞬間、ケビンは身体を仰け反らせて相手の名を叫んでいた。目の前の悪魔はケビンの身体を悪魔に変えることなく、繁殖の目的でのみ性別をシフトする能力を与えた。それはダンタリオンがケビンの本心を試したことをも意味していた。抱かれるに値する相手か、ケビンにその判断を委ねた。自身の望みを絶対にでも叶えると嘯きながら、ケビンが拒めばその身体は女性には変わらない可能性もはらんでいた。ケビンは拒めなかった。痛みと少しの快楽とのせめぎ合いの中で、ケビンは必死に息をしていた。窓の外に輝く大きな月が二人の身体を照らしている。ダンタリオンはとても丁寧に紳士的にケビンに触れていたが、長身の悪魔の体格のダンタリオンを受け入れるにはいくら慣らしていても、少しケビンは小さかった。ダンタリオンの腕の中のケビンは可憐な悪魔の少女でしかなく、少し力加減を間違えばひどく傷付けてしまう可能性もあった。ダンタリオンはケビンの瞳ににじんだ涙を指先で拭う。何かを堪えるように浅い呼吸を繰り返していたケビンは、自分が泣いていることにたった今気付いたようだった。驚いた様子でケビンはダンタリオンを見上げた。もっと激しい痛みを何度も経験してきても、ケビンは涙を流した記憶はなかった。それなのに、なぜ自分はこの程度のことで泣いているのだろうと思った。
「そ…んな…つもりじゃ…」
「でも…泣いてるね。苦しいかい?」
「苦しい…けど…痛いんじゃ…ない…んだ…胸の奥が…切ないだけ…なんで?」
「えっ?分からないの?」
ダンタリオンはあまりに意外な告白を聞いてしまって動きを止めた。少し慣れてきたのか、ケビンはもう痛みを我慢するような顔つきはしていなかった。ダンタリオンは優しく頭を撫でる。悪魔並みに長い歳月を生きてきた相手が、急に幼い子どものように見えた。
「君は…愛を…知らないの?それとも、女性の姿になってみて…初めて分かったのかな?」
「知らな…い…何のこと…?分からない…」
「そうか…うん…これはなかなかに可愛いことを言ってくれるね…想定外だったけれど…正直なところ泣かせてしまうとは思わなかったよ?」
ダンタリオンはケビンのまぶたに口付けをすると、両手の指を絡めてその身体に魔力を流した。少しするとケビンの身体は痛みよりも快楽に溺れ始め、ダンタリオンもまたその熱に浮かされた。しばらくの間二人はただお互いの与え合う感覚に没頭し思考を停止した。
「これは…ただの子孫を残すだけの行為じゃないんだよ…君と私との…心を繋ぐ…意味もある…順番が逆になってしまったけれど…私は君のことを…もっと知りたいし、たくさん愛したいと思っている…月はまだ空の高い所にあるからね…」
「え…?まだ…?」
「そうだよ?始まったばかりだ。ケビンはもう終わりだと思っていたのかい?悪魔の夜は長いんだよ?」
逞しい腕に抱かれた自分の身体は女性そのもので、ケビンはそのことに違和感を抱えつつも、大人しくダンタリオンを受け入れていた。リツやルイもこんな気持ちで抱かれたのだろうかと、ケビンは不意にそんなことを思った。そしてもしそうならば、案外女の身体でいることも悪くはないのかもしれない、そう思った。
***
「ケビン…大丈夫かな…?」
ストラスに軽く魔力を流されながら、ルイは小声でつぶやいた。今夜はエストリエと三人だ。エストリエはストラスがちゃっかり日本から持ち込んだ冷蔵庫を開けて中からアイスクリームを取り出して食べていた。
「なるようにしかならないよ。それにダンタリオンなら大丈夫だろ。エストリエ…一日一個にしておけよ?検診で引っかかって何を食ってんのか聞かれたら面倒だぞ?」
「だって…魔界の商品も美味しいけれど、やっぱり一度食べちゃうと、これが欲しくなっちゃうのよね…背徳の味がするわ。だからダンタリオンさんだってケビンを知ったら、一度じゃ済まないと思うわよ?」
エストリエはうっとりとしてスプーンを舐めた。
「それに冷蔵庫もこうやって動力源を魔力に切り換えたらこっちでも機能してるし、日本製は使い勝手がいいんだよな…ケビンなら大丈夫だろ。何だかんだで体力もあるし」
見た目は木製の壁にしか見えないように加工している。ストラスの寝室も歴史ある調度品が揃っているので、さすがに冷蔵庫が丸見えだと違和感があった。そこで彼はアルシエルのように隠し扉を作ってその奥に普段は見られたくないパソコンや家電製品を収納していた。
「エストリエ…女の子って毎回こんなに辛いの?メンタルもなんか落ちるし、お腹も痛いし…リツを見てて大変なんだろうなとは思ってたけど…実際には全然分かってなかったんだなーって…」
「人によるだろうけど、そうね。リツは頭痛もするみたいだし、辛そうだったわよね。ルイもなのね。それにしても昨日の今日で生理って…あなた、ちょっとルイを刺激し過ぎたんじゃないの?」
「あぁ!?俺のせいなのか?いや…分かんないけど…もしも悪魔の何かが影響したんだとしたら悪かったな、ルイ」
「ストラスのせいじゃないよ…むしろ僕の方なのかも。ちゃんとした女の子にならなきゃって少し焦ってたっていうか…だって、ストラス…こっちに来てからいかにも国王補佐官って感じで仕事バリバリしてて…格好良過ぎるんだもん。不釣り合いなんじゃないかって、リツも僕もずっと不安でさ…」
「俺は俺のままだし、何が変わった訳でもないから安心しろ。それにケビンだって、ダンタリオンに抱かれたからって、これまで築いてきた関係性が大幅に変わる訳じゃない。ルイが思うよりも悪魔の関係性は広くて緩い部分もあるんだ。一つの関係性にがんじがらめにされる訳じゃない」
ストラスがそう言ってルイの頭を撫でていると、扉がノックされた。
「どうぞ。開いてます…」
ストラスはすでに誰か分かっていた様子で振り返る。中に入ってきたのはアルシエルとリツだった。
「ルイが辛そうだったから、リツに魔力を与えるのに寄ってみたんだ。交代しよう」
アルシエルはストラスと場所を入れ替えてルイの横に添い寝した。軽く抱き寄せて魔力を流し始める。ルイは少し緊張した。
「リツさんはこちらへ」
ストラスは景色の良い窓際の大きなソファーに座ると膝の上にリツを乗せた。そしてやはり首の後ろに口付けをし始めた。
「そこ…どうして…?」
「どうしてだと思います…?」
ストラスはリツの後ろで少し笑った。息がかかって少しくすぐったい。ストラスはリツを抱きしめたまま言った。
「何だか嫌だったんですよね…他の悪魔にキスされたらと思うと。だから少し意地悪な印を残しました。他の悪魔たちは、陛下の印だと勘違いして微妙な顔をしてましたけどね…要するに部下に対する嫌がらせです。それに少しでも多めに魔力を流して早く俺の気配を覚えてほしいですからね…この子にも」
ストラスはリツのお腹に触れて優しく撫でた。
「エストリエも食べ終わったらこちらにおいで。私が魔力を流そう」
冷蔵庫の近くのテーブルでアイスクリームを食べていたエストリエにアルシエルが声をかける。ちょうど食べ終えたところだったらしく、エストリエは微笑んでベッドの方へと向かった。
「我が君、ありがとうございます」
アルシエルはどんな風にエストリエに魔力を流すのだろう、そう思ってリツが振り返るとストラスの瞳と目が合った。ストラスはリツを見つめ返し頬を撫でた。猛禽類の瞳なのにその中に浮かぶ色は優しい。
「…キスの方が吸収効率はいいんですよ?少し試しますか?」
止める間もなくリツはストラスに口付けをされる。ストラスの肩越しにアルシエルがエストリエを抱きしめているのが見えた。
「ストラス…キスまでだぞ?それ以上はさすがに、私も許容しかねる…」
重ねた唇から流れ込む魔力はとても優しくて心地良かった。他の悪魔よりもストラスの魔力の方が安心するのはなぜだろうとリツは思う。それでも徐々にアルシエルの前でキスをされている背徳感と恥ずかしさにリツはいたたまれなくなる。
「我が君…少し耐性が上がったのですか?」
エストリエが魔力を受け取りながらつぶやいた。
「そうかもしれないな…少なくともリツは…ストラスを許容している。私も多少は譲歩しようと努力しているところだ…」
「その割には…魔力が乱れていますよ?」
「みなまで言うな…あれを見せられて平然としていられる方がどうかしている…まったく…」
悪魔の魅力でリツを絡め取りながらストラスはどこか嬉しそうに魔力を与えていた。まるで餌を受け取る雛鳥のようにリツはストラスの魔力を懸命に飲み込んでいる。男と女なのに、なぜかストラスが親で小柄なリツは雛のように見えて、アルシエルは嫉妬するよりも次第に微笑ましく眺めてしまった。ストラスはわざとリップ音を立ててリツとキスをした。すでにふざけている。頬に首に背中にあちこちキスをしているとリツが小さな笑い声を立てた。
「ストラス…くすぐったい…」
一度笑い出すと止まらず、ストラスはキスを諦めて笑うリツを抱きしめた。
「仲良しだなぁ…」
寝転がったルイがそんな二人を見て少し羨ましそうな声を上げる。
「あら、ルイはストラスにもっとたくさん愛されたでしょ?」
エストリエに言われたルイは、何を思い出したのか少し赤くなった。
「それはそうだけど…お腹が何だか重いよ…女の子って…こんなに大変なんだね…」
「あら、妊娠したらもっと大変よ?私は幸いにも悪阻は軽めだけど…リツはどうなるかしら…我が君も心配ですよね?」
「あぁ…それはな。ただでさえリツは元天使だ。悪魔の子を宿せば、どこかに障りが出るか分からない…魔界にいる間はよく様子を見ておこうと思っている…」
今はストラスと笑っているリツを見て、アルシエルは真面目な顔でつぶやいた。




