80話
放課後、先生に用があるから少し残ってくれと言われた俺は、先生と共に訓練場に来ていた。少し茜が差す雲の掛かった空の下で、今更ながらにどんな話をされるのか少し不安になってきて、俺は恐る恐る先生に尋ねる。
「えっと………もしかして、今日の授業の事で怒っている………とかですか?」
「はは。いやいや、まさか。確かに、自身の身を案じない戦い方には感心できないがね」
「………すみません」
「誰しも気分が晴れない事はある。仕方ない事だ。………ところで、昨日の夜に一体何があったのか、聞いても良いのかな?」
「っ………!?」
俺は目を見開く。まさか、見ていた………いや、今の聞き方的にそうではないんだろう。だが、何か違和感を感じたのは間違いないはずだ。となれば、まさか魔力の感知………いや、エリーが気付いていなかったというのに、先生が気付くとは思えない。
なら………と考え込んでしまった俺を見て、先生は笑顔のまま顎に手を添える。
「やはり、何かあったんだね」
「えっ………」
「君は次期当主だと聞いている。こんな単純な手に引っかかるようでは、この先この領地を守るのは難しいぞ?」
してやられた。以前にもこういうことがあった気がするが、まるで成長していないようだ。先生が鎌を掛けてくるとは思っていなかったのもあるだろうか。
そして、先生はニヤリと白い歯を見せて笑みを浮かべる。
「知られてはいけない事実は、例え真実であろうとそれを簡単に認めてはいけない。君は特に、隠し事が多いだろうからね」
「………先生、まさかですけど」
「はっはっは。これでも、魔術会では古株なんだ。だから、昔話も多く知っている……………例えばそう。今は絶えてしまったはずの変異魔力の事などね」
「………いつから気付いてたんですか?」
「君の話を聞いた時からさ。そして、君の魔力の影響を受けたあの山にも直接足を運んだんだ。あれだけの事を、普通の魔力で可能なはずがないだろう」
先生は腕を組んで話す。実際、国王だって調べればルーナの件でその結論に至ることが出来たのだ。魔術会の人間が、俺の話を聞けばそれを察することが出来ないと思う方がおかしかったのかもしれない。
けれど、それをわざわざ確認するために俺を呼んだ………という訳ではないだろう。そんなことをする意味がないはずだ。まさか俺を研究材料にするために、と言うのも流石に有り得ないと断言できる。そんなことをすれば、この国での彼らの立場は相当厳しくなるどころか、敵対してもおかしくないのだから。
「最近、私の事をカイン君やエリシア君と共に嗅ぎまわっているようだね」
「えっ………知ってたんですか?」
「あぁ。………気になるかい」
「………気になります、けど」
まさか、教えてくれるのか?そんなうまい話があるのか…………?そう思っていた俺に、先生は笑みを収め、少し真剣な表情で口を開いた。
「君は何故そこまでして力を求めているんだい?こんな力が無くとも、私は君が本当にその気になれば手も足も出ないだろう」
「え?いや、まさか………」
「そのまさかさ。私は知っての通り魔力量に恵まれていないからね。魔力耐性も君達のような才能溢れる子供たちにも大きく劣る。私がどれだけ素早かろうと、どれだけのパワーを持っていようと。君が全力で広域攻撃を行えば、私は手出しが出来ないのさ」
「………」
「勿論、そんな相手に対する戦い方は心得ているつもりだが………はっはっは。龍を討った戦士にどこまで通じるか。だからこそ、私から見れば君のように過剰なまでに力を求める必要は無いと思える。理由があるのなら聞かせてくれないか」
いつも以上に真剣な声で。真っすぐに俺を見つめてそう尋ねてくる先生。ふざけていないと言うのは誰が見ても明らかだ。それが、俺を試しているのだと言うことに気が付くのは難しい事ではなかった。
だから、はっきりと先生の目を見て、俺は答える。
「………俺は、いつか」
「………」
「俺はいつか、望む望まないに関わらず、避けられない戦いがあるんです。この火を灯し続けると決めたあの日から、きっとそれは決定した未来だから。そして、俺自身が決着を付けないといけない………いえ。決着を付けたい相手もいる。だから、その時までに俺はもっと強くならなきゃいけない。俺が守ると決めた物を、今度こそちゃんと守れるように」
「そうか………その覚悟は、出来ているんだな」
「勿論です」
俺は迷いなく頷く。それを見た先生は腕を組んだまま暫く黙っていたが、そのまま数秒が経って小さく息を吐くと、俺のほうへとゆっくりと近づいてくる。
その動作に敵意は一切感じないが、俺よりもずっと大きな人物が迫ってくるのはそれだけでかなりの威圧感がある。あのルノジスよりも巨体で筋肉もありそうだから尚更だ。
思わず身構えてしまった俺の前まで来た先生は、そっと右の拳を付き出す。
「ノイン君。魔力の繋げ方は分かるかい」
「え?あ、あぁ………分かりますけど」
「やってみなさい」
「………?」
先生の拳に、俺も同じように拳を作って合わせる。そして、よくエリーとするように魔力を繋ぎ合わせようとして………彼の魔力に触れた瞬間、圧倒的な力によって俺の魔力が右手ごと弾かれた。
「………っ!?」
右手に走った衝撃に、慌てて手を離して先生から少し距離を取る。右手に残る、麻痺にも似た震えに、俺は唖然と自分の右手を見ていた。
そして、そのままゆっくりと先生に尋ねる。
「何を………したんですか?」
「単純な事さ。私の魔力の圧力に、君の魔力が弾かれてしまっただけだ」
「圧力………?」
魔力に圧力なんてあるのか?と、思った疑問を、顔を上げながら口にする。すると、先生は再び腕を組んで話し始めた。
「ノイン君。魔力を持つ者にとって、最も初歩的な魔法は何だと思う?」
「………物を浮かせる魔法とかですか?」
「もっと前だ。君達にとっては、魔法とすら呼べない、意識せずとも使っているようなものだよ」
「………身体強化ですか?」
俺がそう答えると、先生はまた笑みを浮かべて頷いた。いや、言いたいことは分かるんだ。だが、【天焔】の魔力を持つ俺ですら越えられないような身体強化を、一般人程度の魔力量で出来るはずがない。
もしそんなことが出来るのなら、今頃この世界のインフレ具合はとんでもない事になっている。
「はっはっは。信じられないと言う顔をしているね。だが事実だ。私は魔法適正の方面の才能にも恵まれていなくてね。君が言った物体を浮かせる魔法もろくに使えない。そんな私が、唯一出来る事。それはね………自身の魔力を、極限まで圧縮する事なんだ」
「………魔力を圧縮?いや、でもそれは――」
誰でもやっている事じゃ?そう返そうとした俺に対して、それを制するように先生は首を横に振った。
「確かに、魔力の圧縮はある程度魔法に長けた者ならば誰でもやるだろう。しかし、私の言う圧縮率は更にその上………臨界点を超えた先の話だ」
「臨界点………?」
思ってもいなかった言葉に、俺は首を傾げる。俺も色々な本を読んできた自負はあるが、魔力にそんなものがあるなんて聞いたことがない。エリーやスレイなら知っていたりするのだろうか。
「知らないのも無理はない。私の研究分野の中でも、極秘に近いものだからね。魔術会で私より上の階級の人間しか、この事は知らないだろう」
「それ、俺に教えてもよかったんですか?」
「私の発見だからね。誰に教えようと私の勝手さ。………それに、教えたからと言って身に付けることが出来る物でもない。下手をすれば、その膨大な魔力が制御不能になり、君の体を一片すら残さない爆発を起こしてしまうかもしれない」
先生の言葉に、俺は少し顔を気張らせる。寧ろ、先生は常にそんなリスクを負いながらあのとんでもないパワーを発揮していたのか。
けれど、腑に落ちるところもあった。【天焔】もそうだが、本来なら身に余るような力は必ずといっていいほど代償が付きまとうものだから。
あんな身体能力をなんのリスクもなしに、と言うのはあまりにも都合が良すぎる話になっただろう。だからこそ、今まで発見されていなかったんだろうけど。
「魔力は圧縮することでエネルギー量を増幅することが出来る。魔法を使う者の中では常識だ。………しかし、そのエネルギー量はある地点の圧縮率を越えたときに、それまでとは比にならない程の増幅率になるのさ。そのある地点を、私は臨界点と呼んでいる」
「じゃあ、先生の魔力であれだけの力を発揮できるのは…………」
「あぁ。ごく僅かな魔力を臨界点まで圧縮することで、極限まで出力を引き上げた身体強化をしているのさ」
なるほど。どうりでエリーの感知でも捉えられないわけだ。身体強化なんて多少なりとも誰もが意識せずとも行っている物で、それも先生が使う魔力は感知すら難しいほどの少ない魔力なのだから。………けど、先生の魔力でそれほどなら、俺の魔力なら………
「この話を聞いて考えただろうが、あまり多くの魔力で身体強化をするのは勧めない。身体強化で頑丈にはなるが、それでも人の体では到底耐えきれない程の反動を受けることになるからね」
「…………じゃあ、やっぱりその肉体はその反動に耐えるために――――」
「いや、それは違う」
「え?」
「トレーニングはただの趣味だ」
「趣味」
え、その筋肉が?てっきり、反動が強すぎるからまずは身体を鍛えなきゃいけないって話かと思ったんだけど。ただの趣味で騎士団長以上のマッチョになるってマジ?
あんまりと言えばあんまりな事実に唖然とする俺を見て、顎に手を添えた先生は笑みを浮かべる。
「もしかして、私のこの肉体に憧れているのかな?ならば、私が毎日朝起きてからこなしている特訓メニューも一緒に伝授してもいいが………」
「い、いやいや!大丈夫です!魔力の圧縮を教えてください!」
「ふむ………とは言っても、臨界点とは言ってもやる事は魔力の圧縮に変わりはない。ただ、かなりの集中力が必要だがね。もし操作を誤れば、さっき言ったような結果を招きかねない」
「………どういうイメージなんですか?」
「ふむ………例えるなら、水を掌に掬い、それを一滴も溢れないように包み込んで力を加える………と言うべきかな。圧縮されることで溢れ出ようとする魔力をちゃんと抑え込むのがコツだ」
「あー………ふむふむ」
何となく分かるような、分からないような。ただ、その溢れ出る魔力が恐らく暴走の原因なのだろうな、と言うのは理解できた。取り敢えず、イメージだけは何となく湧いたし、試してみない事には何とも言えないか。
「やってみていいですか?」
「あぁ、そうだね。試すのなら私がいるところでやったほうがいい。もし失敗する兆候が見えたら、私がしっかり止めるからね」
「………止めるって、どうやって?」
俺が少し不安になってそう尋ねると、先生はそっと拳を作って強面の顔がより一層恐ろしく感じるような笑みを深める。
「明日の朝までには起きる程度には加減するから、安心しなさい」
「あっ………」
その一言で、もし失敗してしまった時に待ち受ける制止を察してしまい、俺は顔を引きつらせる。俺のパンチを余裕で受け止める人の一撃なんて、どんな理由があってもごめんだ。と、失敗した時のリスクよりも先生からのストップに恐怖を抱きながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
「………いきます」
「あぁ。頑張りなさい」
先生の言葉の後、俺は魔力の操作に集中し始める。こうして魔力の操作に専念するのは、エリーとの修行以来だ。少し懐かしい気持ちになりつつ、ここにあいつがいればな、と少し考えてしまった。
俺の中にある熱をほんの少しだけ右手に移して、それを圧縮していく。思えば、これを更に圧縮しようなんて考えたこともなかった。魔力を圧縮するにつれて、徐々にその魔力が熱を上げていく。だが、徐々に圧縮する魔力が重くなってくる感覚がする。………本当にこれ以上いけるのか?
「まだだ。もっと圧力を上げなさい。一度臨界点を超えた魔力は一時的に安定するから、その間にその魔力を炎に変えるんだ」
「分かりました」
言われた通り、俺は魔力をさらに圧縮していく。反発する力が徐々に強くなっていき、油断をすれば漏れだしそうになるそれを、必死に押しとどめる。そうして魔力を収束させ続け、俺の額を大粒の汗が伝った時だった。
唐突に、反発していた力が軽くなる。その感覚に、さっきの先生の言葉を思い出して。俺はそっと、その魔力に火を点けた。
「おぉ、これは……………」
先生の驚嘆の声が聞こえ、俺はそっと目を開く。俺の右手には赤い………いや、赤よりも赫い、まるで血の如き色をした炎が俺の右手を包んでいた。
俺がその激しく揺らめく赫に目を奪われていた時だ。唐突に、右腕に激しい痛みが走る。
「っぐ!?」
すぐに炎を消す。魔力を雲散させる際に周囲に熱波が走ったが、それどころではない。ただの火傷というレベルの痛みではなかったが、慌てて確認した俺の右手には傷らしきものはない。それに驚いていると、先生はゆっくりと口を開いた
「魔力の操作が乱れたね。圧縮する段階を過ぎていたから事故には繋がらなかったが、それでもただでさえ強大な君の魔力が増幅されたものだ。更に繊細に扱う事を心掛けなさい」
「………分かりました」
「暫くは少しずつ練習をするしかないだろう。なに、落ち込むことは無いよ。初めてにしては上出来すぎるほどだからね」
「………はい。ありがとうございます」
一発で上手くいくとは思っていなかったが、まぁ仕方ない。また魔力の扱い方を練習するとなれば、本当にいつかのエリーとの稽古を思い出すな。………彼女にこれを教えていいとは思わないが、逆に先生はこれを俺だけに教えても良いのだろうか。
「あの、教えてくれるのは有難いんですけど、俺だけにこんな事教えても良いんですか?他の奴らは………」
「ふっ………」
俺の質問に、先生は不敵な笑みを零す。その意図が分からなくて俺は首を傾げたが、先生はそれを誤魔化すように俺の頭をくしゃりと撫でた。
「心配するようなことは無い。君は、その技術を自らの物にすることに専念しなさい。何故ならば………」
「………何故ならば?」
「この学校にいるのは、君の後ろに付く凡人ではない。君が相手だろうと、トップを狙うライバル達だと言う事さ。周りの心配をしている余裕はないと思うがね」
「………」
その言葉に、俺はエリー達の姿が脳裏を過ぎる。敗北を知った人間は、次こそは勝ちたいと言う思いさえあれば強くなれる。強くなろうとする。
俺が身をもって経験したことだ。彼女達だって、何も努力していない訳じゃない。寧ろ、元々様々な面で恵まれた俺が想像もできないような努力を、誰にも見えないところでしているのかもしれない。
「分かりました。なら、俺だって全力でこの技術を身に付けます」
「あぁ。楽しみにしているよ」
先生はそう言って笑う。その言葉と笑みは、暗くなりつつある空の下でも輝くようで。もし俺がこの技を身に着けたとしても、この人にだけは勝てないのではないか。そんな思いを抱いてしまうようだった。




