第十四話「相棒」
ガツン、と無造作に鉄の皿が牢の床へ蹴り飛ばされた。
見張りの魔物——ゴブリンに似た、だが肌が醜く斑に爛れた小鬼のような生き物だ。奥の通路には、さらに一回り大きく、重圧感を放つ上位種らしき魔物の影も見え隠れしている。
投げ与えられた食糧は、泥と不快な汁に塗れた何か。両手を後ろで縛られた俺たちは、床に這いつくばって犬のように食らいつくしかなかった。
(……くそっ、魔法さえ使えればこんな鎖なんて……!)
奥歯を噛み締め、体内の腹の底から魔力を練り出そうとする。しかし、いくら意識を研ぎ澄ませても、魔力は指先一つにすら集まらない。まるで体内の脈動が途中で堰き止められているかのような、強烈な不快感。
「無駄だよ……」
泥混じりの食事を避けるように体を丸めていたジブラが、力なく呟いた。
「この首に嵌められている首輪……おそらく魔力を阻害する禁呪の魔道具だ。魔法の発動そのものを封じられているのさ」
「……ちっ、そういうことかよ」
苛立ちを隠せずに吐き捨てると、牢の隅から鼻で笑うような声が飛んできた。
「ハッ! なんだぁ? 魔法が使えねぇとここから脱出もできねぇのか?」
暗がりからぬっと顔を出したのはレオンだ。相変わらず眉間にシワを寄せた嫌みなツラをしている。
「あんたに関しちゃ、最初から魔法なんて使えねぇだろ」
「俺に魔法なんざ必要ねぇよ。俺にはこの『筋肉』がある」
フンッ、と鼻息荒く腕を曲げ、自慢の力こぶを見せつけてくるレオン。拘束されているとはいえ、その上腕二頭筋は確かに圧倒的な威圧感を放っていた。
「わー、すごいねー。筋肉があれば飯も美味しく食べられそうだねー」
「そうだろう!」
俺が棒立ちのまま適当にあしらうと、レオンは退屈そうに大きく欠伸をし、牢の天井を仰いだ。
「あーーーーっ、暇だ。暇すぎて狂いそうだぜ」
「はいはい、そうですね。暇つぶしに雑談でもします?」
溜息混じりに付き合ってやると、レオンはギラついた目をこちらに向けた。
「おい、そっちのメガネ。お前、女を好きになるとしたら何を求める? 『スタイル』か『性格』か『顔』か……どれだ?」
唐半端なタイミングで、どこぞの学園の男子生徒が繰り広げるようなバカバカしい質問をぶち込んできた。この極限状態の牢獄で、一体何を考えているんだこいつは。
質問を振られたジブラは、弱々しく首を振る。
「私……ですか……。何も求めませんよ。……私を、愛してさえいてくれれば……」
その亡き妻を想う切なすぎる回答に、レオンは露骨に呆れ果てた顔をした。
「あー……つまんねぇ! クソほどつまんねぇ回答だな! せめてもうちっと面白いこと言えねぇのかよ! ……おい茶髪! お前はどうなんだ!?」
床にゴロリと寝転がり、冷たい石の天井を見つめながら、俺はあえて問い返した。
「そう言うあんたは、何を求めるんだよ」
レオンは待ってましたと言わんばかりに、自信満々のドヤ顔で言い放つ。
「そりゃお前、男なら『スタイル』一択だろ!顔隠して喋らずやればいいからな!」
……なぜそんなにも偉そうなのだ、この男は。
「あ、言っておくがな、俺の回答をパクっても面白くねぇからな!」
「何が面白いんだよ、それ……。俺は、そうだな……」
天井の不規則なヒビを見つめていると、ふと前世の記憶が脳裏をよぎった。
まだ高校生だった頃、同じようなくだらないバカ話をしたことがあった気がする。あの時も、俺は確か迷いなくこう答えたのだ。
「……そりゃ、『全部』に決まってんだろ」
「あ?」
「顔も、性格も、スタイルも……全部良いに越したことはないだろ。スタイルが良いブスより、スタイルが良い美女。当たり前の真理だ」
一瞬、牢内に静寂が訪れた。
レオンは目を丸くして俺を見つめ——次の瞬間、腹を抱えて「あはははは!」と爆笑した。
「ハハハハ! そうか! そうだな! 全部だ! 違ねぇ、全部良けりゃあそれに越したことはねぇ! ガハハ、お前最高だな!」
「……あぁ、そう。なら、その『最高な俺』と協力して脱獄してくれたら助かるんだけどな」
呆れ顔で皮肉を混ぜて言うと、レオンはニッと笑い、思いがけない言葉を口にした。
「いいぞ。脱獄しようぜ、相棒!」
「……相棒?」
思わず聞き返した。
さっきまで高圧的で敵意を剥き出しにしていたレオンの顔から、角がすっかり取れていた。それどころか、どこか嬉しそうな、無邪気な少年の目すらしている。
「そうだ! お前だ相棒! お前のその回答を聞いた瞬間、脳みそにビビビッと来ちまったんだよ! お前とは親友になれる、上手くやっていけるってな!」
(……単純すぎるだろ、こいつ)
だが、悪くない。
この理不尽で過酷な牢獄を抜け出し、あの惨劇の村へ戻るためには、こういう頭のネジが飛んだ馬鹿の馬力がどうしても必要だった。
「……そうだな、相棒。俺もお前とは上手くやれそうだ」
「だろ!? やっぱりお前も感じたか相棒……! これぞ運命ってやつだな!」
一人で感動に浸っているレオンに、俺は真面目な顔で尋ねる。
「レオン、お前、戦えるか?」
「おいおい、この芸術的な筋肉を見てそれ言ってるのか?」
レオンは胸筋をピクピクと動かしてみせた。……確かに、ダテに鍛え上げられているわけじゃなさそうだ。生身の喧嘩なら、頼りになるかもしれない。
「よし……いっちょやるか」
「おう!」
こうして俺とレオンは、謎の絆で結ばれた「相棒」になった。
「はぁ……脱獄って、具体的にどうするつもりなんですか?」
隅で見守っていたジブラが、あきれたように溜息をつく。
「そりゃお前、サクッと脱出するんだよ! なぁ、相棒!」
レオンが拘束された腕のまま、馴々しく俺の肩に肘を乗せてくる。……何言ってんだこいつは。
「その脱獄をどうやって『サクッ』とやるのか、方法を聞かれてんだよ」
「あぁ! そういうことか!」
分かっているのか怪しい返事だ。俺は呆れつつも、前世の古いコメディ映画で見たくだらない作戦を思い出し、口を開いた。
「『助けて』作戦で行く」
「名案だな! で、それはなんだ?」
「よし、相棒。お前、息止められるか?」
「ああ? 5分くらいなら余裕だぞ」
俺は素早く作戦の概要を二人に伝えた。
「そんな単純な作戦、上手くいきますかね……」
不安そうに呟くジブラを、レオンがフンと鼻で笑い飛ばす。
「相棒が行けるって言ってんだから、行けるんだよ!」
根拠のない自信だが、今はそれが頼もしい。腹を括った俺は、一呼吸置いてから、牢中に響き渡る大声で叫んだ。
「助けてくれーーーっ!! 誰か、誰か来てくれぇぇぇっ!!」
悲痛な叫び声をあげ、狂ったように叫び続ける。
やがてドタバタと不快な足音が近づき、牢の外に見張り用のゴブリンが姿を現した。言葉は通じないが、俺の迫真の演技に非常事態だと察したらしい。
「相棒が! 相棒が息をしてないんだ!!」
俺は床に倒れ伏し、ピクリとも動かないレオンの胸元に顔を寄せ、一生懸命に心臓マッサージの振りをしてみせる。
見張りのゴブリンは怪しみつつも、鍵束を取り出し、牢の扉を開けて中へ入ってきた。
(よし……入ってきたのは一匹だけだ。ラッキー!)
ゴブリンは俺を雑に突き飛ばすと、レオンが本当に死んでいるか確認するため、その胸元に耳を近づけた。
——今だ!
「おっらぁぁぁっ!!」
俺は倒れた体勢のまま、両足を振り上げてゴブリンの顎へ渾身の蹴りを叩き込んだ。
「ガハッ!?」
不意を突かれたゴブリンがたじろぎ、苦し紛れに立ち上がろうとする。だが、それより早く、死んだふりをしていたレオンがバッと跳ね起きた。
「ウオラァッ!!」
レオンの容赦ない頭突きが、ゴブリンの顔面に炸裂する。
メキッという嫌な音とともに、ゴブリンは白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
「よし、やったな相棒! 次はどうする!?」
「その鍵の中に、この鎖を外せるやつがないか捜せ!」
レオンは倒れたゴブリンから鍵束を力ずくで奪い取り、目を細めて見つめた。
「えっとー……どれがどれだ?」
「1個ずつ試すんだよ!」
レオンは不器用に鍵束を扱い、俺の背中の鎖の鍵穴へ次々と鍵を突っ込んでいく。
「は、早くした方がいい……! 通路の奥から、さらに二匹向かってきている!」
ジブラの焦った声が響く。だがその瞬間——カチャリ、と軽い音が響き、俺の手首を縛っていた重い鉄鎖がハラリと床に落ちた。
「ふっははは! 俺は幸運な男だぜ!」
「ラッキーガイってか? いや、この世界に英語なんてないか……!」
自由になった手首を擦りながら鍵束を奪い取り、すぐさまレオンの鎖の鍵穴に差し込む。
その時、牢の入口に新たな見張りの魔物二匹が飛び込んできた。
「ーーーーーっ!?」
意味を成さない咆哮を上げ、威嚇してくる魔物たち。
カチャリ、とレオンの鎖も解除された。
「あの見張り、倒せるか?」
「ハッ、俺を誰だと思ってんだ? 任せておきな!」
腕を回して関節を鳴らしたレオンは、そのまま弾丸のような勢いで牢の外へ飛び出していった。
「さあ、行くぞジブラ!」
俺は牢の隅にうずくまるジブラに手を差し伸べた。だが、彼は首を振る。
「……私は足手纏いになる。置いていきなさい」
「そうはいかないって言っただろ」
俺はジブラの元へ駆け寄り、鍵束から適合する鍵を探し当てて鎖を外した。
「よし、行こう!」
「私……ここに残るよ。大丈夫、君たちには助けなきゃいけない大切な子がいるんだろう? 私なんかの心配より、そっちを……」
「何言ってんだよ!!」
あきらめきったジブラの胸ぐらを、俺は強く掴み上げた。14歳の俺の背丈では見上げる形になるが、その瞳に全霊の意思を込めて睨みつける。
「奥さんの分まで生きるんだよ! 死んで天国にいった奥さんが、あんたにここで野垂れ死んでほしいなんて思うわけないだろ!!」
「……っ!」
ジブラの瞳に、ハッとしたような光が灯る。惨劇の夜からずっと凍りついていた彼の心が、わずかに溶け出した瞬間だった。
「そうか……。そうかも、しれないな……」
ジブラは深呼吸をし、自らの足でしっかりと立ち上がった。
「……行こう、アレス君」
「おう!」
俺とジブラが牢の外へ飛び出すと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
襲いかかってきた二匹の巨漢の魔物が、すでに壁に叩きつけられて泡を吹いて倒れていたのだ。
「相棒……お前、マジで強いな?」
「当たり前だろ? この筋肉を見ろ!」
フンッと力こぶを作ってみせるレオン。……この定期的に挟まれる筋肉自慢は一体何なのだろうか。
ともあれ。
死にたがりのメガネと、筋肉バカの相棒。
最悪で最高の仲間たちと共に、俺たちの命がけの脱獄劇が幕を開けた——。




