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第9話 吉備の将軍との会談


船坂峠に立ち込めていた深い霧が、朝日によって黄金色に溶けていく。

湿地帯には、捨てられた吉備の鉄剣や兜が無残に転がり、先ほどまでの激闘を物語っていた。生き残った五十人の播磨兵たちは、泥にまみれた顔を見合わせ、自分たちが生きているという奇跡を噛みしめていた。


「オケ……これから、どうするつもりだ」


赤石小柄あかしのおびとが、折れた青銅剣を杖代わりにして、オケの隣に立った。

昨夜、大和の将軍・粗鹿あらかが逃げ去り、今朝、残された播磨の兵たちだけで吉備兵を退けた。だが、これは単なる局地的な勝利に過ぎない。大和の将軍がほとんど戦わずに敗走したという事実は、大和朝廷にとっては播磨の失態であり、吉備にとっては侵攻の絶好の口実になり得る。

それは、大和と吉備に挟まれた播磨にとって破滅の時間が迫っていることに他ならなかった。


「……吉備へ行きます」


オケの言葉に、周囲の空気が凍りついた。


「正気か? 奴らの本陣へ飛び込むというのか。三百を退けたとはいえそのすべてを打ち取ったわけではない。

 吉備の国境にはまだ備えの兵がいるだろうし、さらに西から援軍がやってくればその数は数千にも上るかもしれないのだぞ?」


ようやく拾った命をなぜ捨てに行かなければならないのか。と問いたげな眼で小柄が迫る。

だが、オケは一歩も引くことはなかった。


「だからこそ行くのです、小柄殿」


オケは、泥を拭った手で、一振りの鉄剣を拾い上げた。


「吉備は今、迷っています。

 おそらく、今回攻め寄せた三百の兵も大和の将軍がこれほど脆いとは思っていなかったはずです。山賊の襲撃に見せかけ、大和の兵の練度を確かめるのが本来の目的だったはず。それがほんのひと突きと野鳥の声で壊滅してしまった。

 私と相対した吉備の将は血気にはやる男でした。おそらく、彼の独断で今回の総攻撃に踏み切ったのでしょう」


オケは昨夜の戦いを振り返っていた。

吉備の兵は、大和の兵たちが退くまで誰一人として近づいてこなかった。

ただ淡々と火矢と投石による攻撃に終始していた。

初めから大和の兵を壊滅させることが目的だったなら、もっとうまいやり方はあったはずだ。

それをしなかったということは、吉備の狙いが別のところにあったと考えるのが妥当だろう。


「地の利を生かした戦場や鉄製の武器が生かせる戦であれば今回のように吉備に有利な戦いができるでしょう。しかし、本気を出した大和の主力——あの雄略大王の軍勢が押し寄せれば、おそらく吉備は今の形を保つことができないでしょう。彼らが一番恐れているのは、不本意な形での全面衝突です」


オケは、背後に控える根日女ねひめを振り返った。

昨夜の戦いで憔悴しきった顔をしていたが、オケに話を振られてギリギリのところで表情を取り繕う。


「根日女様。貴女を人質ではなく、播磨のあるじの名代として、吉備の将に引き合わせたい。それが、大和と吉備の衝突を避け、播磨を守ることにつながります」


根日女は、泥だらけの服のまま、深く頷いた。


「……参りましょう。大和の将軍が捨てたこの地の誇り、私が拾い上げねばなりません」


=============================================


オケたちは、船坂峠で一日陣を張った。

その一日の間に戦でけがを負った者の手当てや、吉備兵が残していった装備品の回収、吉備国へ入るルートの確認などを行った。

確認の結果、播磨兵には相当数のけが人がいることが判明した。とはいっても、一人の死者も出さずに戦いを終えれたことが奇跡ではあるのだが。

オケと小柄は話し合いの結果、けがを負った者とけが人を看護するものを船坂峠に残して動けるもの数名で吉備の国に入ることを決めた。


「そんな、わずか数名で吉備の国に入るなど…

 それでは根日女をお守りできないではないですか!」


小柄の決定を聞いた根日女の侍女が金切り声を上げたが、オケはその非難を無視した。


「俺たちは今から吉備のおひざ元に乗り込むんだ。

 もともと五十の兵ではどうにもならない。それが少し減ったところで何も変わらないさ。

 むしろ、少数で行くことで向こうの警戒を緩めることができるだろうさ。

 まぁ、根日女様が嫌だとおっしゃるなら、その時は諦めますが」


「いいえ、私の存在が播磨に平穏をもたらすなら私は一人であっても吉備に行きます」


泥だらけだった服を脱ぎ、奇跡的に焼かれずに残っていた儀式用の服に着替えた根日女が意志の強さを感じさせる声で言った。


「なんだきがえたんですか?泥だらけの姿もなかなか良かったのに」


オケは少しうれしそうにそう言った。



=============================================


オケとヲケ、小柄と五人の兵、根日女と侍女二人

最終的に、吉備国に向かったのは11名だった。

オケとヲケは全員分の荷物と食料を乗せた牛をそれぞれ一匹づつ引き連れている。


船坂峠を越え川を二つ超えたところで、吉備の国に入った。その瞬間、風景は一変した。


播磨の柔らかな土と豊かな緑に対し、吉備の国境付近は、あちこちから立ち上る黒い煙に包まれていた。鉄を焼く炉の煙だ。山々は切り開かれ、岩肌が露出し、この国が「鉄」という強大な力によって支えられていることが肌で感じられた。


「……殺伐とした国ですね」


ヲケが禿げ上がった山を痛々し気に見つめる。

大和でも鉄は作っていたが、ここまで徹底して鉄の生産に特化した土地を見るのは初めて立った。


道中、逃げ帰った吉備兵たちの残党に遭遇したが、彼らはオケの姿を見るなり、逃げ出すか、何もせずに降伏し怯えたように道を開けた。


「泥の中から現れた化け物だ」「死なない牛を操る男だ」


吉備の将を打ち取ったオケのことは、逃げる吉備の兵の中で半ば伝説と化していた。


やがて一行は、吉備の国境の里に到着した。

オケたちの動向は監視されていたのだろう、里の入り口に就く前に、里のほうから迎えがやってきた。

出迎えたのは、全身を隙のない鉄の甲冑で固めた、吉備の将軍だった。

吉備上道田狭(きびのかみつみち の たさ)の名代で、坂井眞金さかいのまがねと名乗った。眞金は吉備の東部一帯の統治を任されているらしい。

先日大和の兵を襲った一団は、眞金の配下だった。

オケたちより先に逃げ帰った兵たちから、船坂峠の戦いの顛末を聞いていた。

本来なら、怒りに狂い、部下のかたきとして問答無用に殺されていてもおかしくないところ。眞金はオケたち全員を里を守る砦の中に案内した。


=============================================


「……播磨の巫女と、泥まみれの牛飼いか」


砦の広間で、眞金は高座から見下ろした。

播磨の一団は先頭に根日女。その後ろに小柄と兵。オケや侍女は一番後ろに座っていた。

それなのに、眞金の視線は先頭の根日女と後方のオケとヲケに注がれていた。


「我が精鋭を罠に嵌めたという知恵者が、たったこれだけの手勢を引きわれらの土地に足を踏み入れるとは、一体どいう意図があるのかな?」


広間に並ぶ吉備の将兵たちが、一斉に鉄剣を鳴らす。その音は、青銅とは比べ物にならないほど低く、暴力的な威圧感を放っていた。


小柄や播磨兵たちがその圧力に身をすくませる中、オケだけが自然体で眞金に相対していた。

その姿を見た眞金が促す。


「牛飼い。本来であればおぬしのような下賤な民が我に直接声をかけることは許されぬ。

 だが、我が配下の猛将をその手で打ち取ったという武勇に免じ発言を許そう。

 何か言いたいことはあるか?」


眞金の言葉に、オケはゆっくりと頭を下げた。

そして、頭を下げたまま口を開く。


「吉備大将軍眞金様。私たちは貴公に好機がやってきたことをお教えしにまいったのです。」


オケの声は低く、しかし砦の隅々まで響き渡った。

そこまで言ってオケは顔を上げた。


「好機だと? 笑わせるな。確かにわれらの軍はそなたらに敗れた。

 しかし、肝心要の大和の将軍は逃げ帰り、播磨に軍は満足な兵も鉄もない。

 今この時に吉備の兵を結集し、船坂峠を越えれば、我らは播磨を呑み込み、大和の本土へ牙を剥くことができる」


眞金の声にはいら立ちの色があった。

だがそれでも感情に任せて怒鳴るのではなく、自らの理を説くように努めて冷静な声でオケに投げかけた。


「確かに一時的にはそうなるやもしれません

 ……しかしその結果、吉備は滅びますぞ」


オケが、眞金に言葉を返した。


「何だと?」


「今、貴公が播磨を奪えば、それは大和への明確な宣戦布告となる。今、大和に座しているのは、兄弟親族を皆殺しにして王座に就いた、あの雄略だ。……彼は口実を待っています吉備を、その豊かな鉄の産地ごと我が物にする口実を。貴公の一時の功名心が、吉備の民すべてを戦火に投じることになりますぞ」


眞金の眉がぴくりと動いた。

オケの言う通りだった。吉備の国主もまた、大和との全面戦争には踏み切れずにいる。だからこそ、大和の五百の兵による脅しを、山賊に見せかけた襲撃で応戦したのだ。

大和の将軍が逃げ帰ったのは結果論でしかない。

本来の吉備の目的は、大和の兵が吉備に入る前に少しでもその力をそぎそのあとの交渉を有利に進めることにあったはずだ。


「……貴様、ただの牛飼いではないな。その言葉遣い、その胆力。何者だ」


眞金が鋭く問い詰める。

オケは、懐から一つの古い勾玉を取り出した。それは泥に汚れていたが、光にかざすと深い緑色の輝きを放った。

播磨を流れる加古川でとれた石でできた勾玉だった。


「私は播磨の土を愛する者。そして、無益な血で大地を汚すことを嫌う者でございます」


オケはもちろん正体は明かさなかった。

だが、その背後から立ち昇る圧倒的な威圧感に、居並ぶ将兵たちは息を呑んだ。


「だが、吉備と大和はすでに刃を交えた。このことはすでに大和の朝廷にも届いていよう。

 われらが動かずとも、大和のほうから攻めてくるのではないか?」


眞金の心配はもっともだった。

だが、オケは何でもないというように言葉をつづけた。


「吉備大将軍。先日の戦いは、大和と吉備の戦いではありません。大和の臆病な将軍とそれを狙った山賊との闘い。……そうでございましょう?」


オケの提案は明白だった。船坂峠の件を吉備の反乱にしない。その代わりに、吉備は大和に反旗を翻さないことを約束し、播磨への不可侵を誓う。そうすれば、吉備の関与を闇に葬ることができ、残るのは大和の将軍粗鹿の失態だけということになる。


「……証拠は? 大和のあの疑り深い大王が、それで納得するとでも?」


「ここに、播磨の守護者である根日女様がおられます」


オケは先頭に座る根日女に目を向けた。

根日女は儀式用のきらびやかな衣装を震わせ、ゆっくりと頭を下げた。


「私が、大和への報告を司ります。

 あの夜、山賊に襲われて瓦解しかけた我らは吉備の兵とともに戦い、賊を退けたと。

 吉備は我らを守り、大和に敵対する気もないと。眞金様には、そのことを証文に記していただき吉備上道臣(きびのかみつみち の おみ)の名代としての印をそこに添えていただきたいのです」


あの夜の戦いの真実を、吉備と播磨で塗り替えようというその提案に眞金は静かにうなずいた。

それを見て根日女が書状を取り出す。

根日女が差し出したのは、播磨の清らかな麻に記された書状だった。

そこには、吉備は大和の統一事業を妨げず、播磨の国境を侵さない旨がすでに記されている。


眞金は、しばらくの間、オケの目をじっと見つめていた。

そこにあるのは、敵意ではない。この国の行く末を冷徹に見据える、深淵のような知性だった。


「……面白い。泥まみれの聖者に、これ以上のいくさは無用と説かれるとはな」


眞金は、腰の短刀を抜き、自らの指をわずかに切った。

血を墨に混ぜ、重厚な印をその書状に押し当てた。


「これを持っていくがよい。吉備は動かぬ。……だが、覚えておくのだ、我は播磨の巫女と泥まみれの牛飼いを信用しこの印を押した。大和を信用したわけではない。

 今後、我らの思いを裏切るようなことがあれば、その時は吉備の鉄がその真の力を天下に示すことになるぞ」


「……そうならぬよう、我らも全力を尽くしましょう」


オケは静かに一礼した。

眞金から証文を受け取った根日女はそれを小柄に渡す。

この瞬間、大和と吉備という二つの大国の戦は、間に挟まれた小国播磨の民によって未然に防がれたのであった。


=============================================


オケたちは吉備の砦で一泊し、翌日の早朝にはまた船坂峠へと出立した。


船坂峠で残された兵たちを回収し、峠を下ったところでさらにもう一泊した。

その夜、残されていた播磨兵にも吉備の将軍との密約について共有された。

播磨の兵は山賊に襲われた後、吉備の兵と共闘した。

その嘘は、すべての兵が口裏を合わせなければ守ることができない。

兵たちは少し動揺したが、オケと小柄の説得を受け全員が嘘をつきとおすことを約束した。


あとは播磨に戻って事の顛末を報告するだけ。

そのはずだった。


翌朝、オケたちが出発の準備をしていると東から一人の男が駆けてきた。

その男は、小柄の部下で里に残って里の警護を任されていた者だった。


「なんでお前がここにいる」


小柄が大声をあげて呼びかけると、男は信じられないという表情で駆け寄ってきた。


「小柄様、本当に小柄様なのですね?

 よかった、生きておいでだったのですね」


小柄に縋り付き泣き崩れるその尋常ではない姿を見て、小柄が困惑する。


「この通り生きている。

 しかしなぜ俺が死んだことになっている?」


「それは、粗鹿様が……」


その男から語られたのは、兵を見捨てて逃げた粗鹿の信じられない行動だった。









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