9. すべてを奪う悪魔
フェリー旅の朝の楽しみとして、起きたらまず甲板に出て、海原と沿岸の眺めを楽しみたいところだ。だが、今出ても、霧雨で無駄に服を濡らすだけ。おとなしく船内で過ごすよりほかはない。
朝から幾度も天気を調べては、夕方まで降り続く予報を見て憂え続けていた。
もうすぐ着岸という時間帯になって、船室の窓から見下ろすと、前からゆっくりフェリーに近づいてきた桟橋の、その上の水たまりに立つ波紋が、霧雨ではない本降りの雨を教えて余りある。
仙台に着いたこの日は、宿まで移動するだけなので、時間に余裕がある。去年は、港からスーパーに寄りつつ多賀城駅まで歩き、電車で一旦仙台と逆方向へ向かって、久しぶりの松島を楽しんだ。
だが、この雨模様では望むべくもない。家を出た日を思い出す。――そうだ、今履いているこの靴の底には穴が開いているのだ!
今日の目的が、「いかにこの一日を楽しむか」から「いかに靴の中を濡らさずに過ごすか」へと変わる。
今年は、おとなしくフェリーターミナルのバス乗り場からバスに乗って、中野栄駅へ向かう。バスから駅の入口まで、ほんの10メートルの距離も疎ましいほどの雨だ。
20分ばかり電車に揺られて仙台に着いても、雨は弱まるどころか勢いを増している。
もう昼飯時分。仙台駅の建物に食べられるところはいくつもあるのだが、こういうところは、貧乏旅行者からするとみな高い。
かといって、屋根の下で弁当を使えるようなところもなさそうだ。さあどうするか。
しばし腕組みして考えて、ふと思いついたのが、駅から少し行ったところにある大型スーパー。
あそこなら、安手のフードコートがありそうだ。だが、この雨の中、どうやってそこまで行くかが次の課題だ。
そこでまず向かったのが、駅ビルの本屋。地図を立ち読みして、ルートを検討する。
仙台駅の周りには地下街やアーケードが充実しているので、これをたどればなんとか行けそうだ。
早速西口の地下街へと降り、アーケード街最寄りの出口を目指す。ここまでは靴も安全。
だが、その出口を出てみると、たしかにすぐそこにアーケードがあるのだが、なぜか10メートルくらい離れている。雨はますます容赦ない。
一旦ひるんだが、意を決してアーケードに駆け込んだ。なぜ出口を屋根のある所に作ってくれなかったんだろうか……。
あとはそこを進んでスーパーに到着。ようやく昼飯にありつくことができた。
食べ終えて、これからどうするか考える。まずは今日の宿。仙台か山形に泊まることになるが、どっちにしても都会で宿はいくつもあるから大丈夫だろう、との思いでまだ宿を押さえていなかったのだ。
予約サイトで検索。仙台にも安い宿はいくつかあるが、山形市にも比較的安いビジネスホテルが空いている。今年は山形に泊まってみよう。
次は行き方。仙台から山形へは電車でも行けるが、高速バスが、なぜこんなにも、というほど頻繁に出ている。足はこれでいいだろう。
このバスはどこから乗れるのだろうか。仙台は高速バスのいわゆるハブになっていて、乗り場があちこちに散らばっていて分かりにくいのだ。
調べると、スーパーのすぐ横の通りを行ったところにあるとのこと。雨さえ降っていなければ、建物を出てまっすぐ歩いていけば訳ないのだが、今日はとにかく地下街をたどるほかはない。
ここから少し行ったところに、地下街に続く地下鉄の入口があるようなので、そこまでなんとか行けないか……と、ひとまず通りに面した出口まで行ってみる。
外は、あいかわらず雨が棒のように降りしきっている。ふと見ると、すぐそこに地下街の入口風のものがあるが、それが何なのか、地下鉄の駅に続いているのか、よく分からない。プレートに何か書いてあるのに気づき、目を凝らして読んでみる。
「ここは地下駐輪場の入口です。地下鉄の駅の入口は50メートル先にあります。」
やはり、そううまい話はないようだ。この雨の中、50メートル歩く気にはならない。おとなしく、来たとおりアーケードのほうからまわっていこう。
アーケードから地下街をたどり、最寄りの出口から地上に出ると、バス停はすぐ目の前。
ほとんど濡れずにバス停の屋根に駆け込めるのはありがたいが、歩道の上はいたるところに水が流れている。
列に並びながら足の置き場を工夫し、靴を守るのはなかなか神経を使う。10~20分ごとに来るはずのバスがいたく待ち遠しい。
それにしても、頻繁に走っているバスにもかかわらず、かなりの人が待っている。仙台と山形を結ぶラインにはかなり需要があるようだ。
見たところ、学生風の人が多い印象。みんなこうやって、日々仙台の学校に通っているのだろう。
やがてやって来たバスの客の1人になって、ようやく雨の仙台から解放された。
バスは東北道から山形道に入ると、山肌に霧をたたえた深い山あいを走り、1時間ほどで山形駅に着く。
予報によるとそろそろ雨が上がるはずなのだが、待っていたのは往生際の悪い雨と、あちこちに水のたまった歩道だった。
駅で少し待っていると、雨のほうは小降りになってきた。また地下道をたどり、出来るだけ宿に近い出口まで行って地上を歩きはじめる。できるだけ水気のないところを探して、慎重に歩いた、はずだった。
だが、ほどなく、濡れたスポンジを踏んで歩いているような音をたてる靴の中に、あの忌まわしい不快感が広がってきた。これまでの努力の甲斐もなく、宿を目の前にしてついに水の浸入を許してしまったようだ。
宿にチェックインしてから、買い物がてらもうひと出かけして戻った後、フロントで古新聞をもらって靴に詰める。
夜通しそうしておいて、明くる朝なんとか履けるくらいに乾いたからよかったようなものの、こんなことは、できることならもう二度としたくない。
旅を趣味として生きてきて、これまで数え切れないほど雨に降られてきた。しかし、旅をしていて、雨が降って得したことなど、これまでに何かひとつでもあっただろうか。
1~2泊程度の旅なら、雨を避けられるかもしれない。宿や乗り物をケチならければ、雨でもそれなりに快適に旅できるかもしれない。
だが、旅が長くなるほど、貧乏旅行であるほど、雨を受け入れられる余裕はなくなっていく。
時には雨の中の景色も風情があるとか、農作物にとっては恵みの雨だとか、そんな呑気なことを言う気にはなれない。
まったく雨というやつは、旅のすべてを奪う悪魔だ!




