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神をも喰らうヴァイセント  作者: 文悟
第三章・聖なるを穿つ白鴉
65/73

海路は赤く・前

この話の△の記号から下を追加しました。

是非お読みください。

 海があり山があり、空があって星が瞬き、輝く太陽の下では自分の記憶の中にあるものと同じような姿かたちをした生き物と出会い、物に触れ、淡く照らす月に見守られ眠る。

「この世界は、いったいなんなんだろう?」

 不意になぜか、そんな漠然としたことを考えた。

 プラブドール最後のアストレアに着いた、その翌日の昼のこと。

 雲ひとつ無い晴天を見上げる、海上。揺れる船の甲板で生まれた哲学だ。


「メイプルちゃん、この辺りの帆は向こうに運んでいいのかね?」

「問題ないわ。木屑や金具が縫い付けられているから怪我しないようにね小母様おばさま。ああ、そこの子、置くときの向きには気をつけて」

「ぴ、ピエタお姉ちゃんって、力持ちなんだね」

「うふふ、田舎ぐらしの長い人はみんな力持ちなんですよ」

 俺達の乗る船はここまで乗って来た船と変わらない。変わったのは荷が減り、わずかに乗員が増えたことか。四十代くらいのおばさんが四人と、小学校高学年から中学校くらいの少年少女が男女半々の六人が増えた。

 ただし、全員客じゃないが。

「これで右側面の準備はできたわね。あとは取り付けをジュウゴに……って、こらっ、ジュウゴ! サボってないでアンタも手伝いなさいッ! そろそろ、ハー・イ・マヒのナワバリよ!」

「へーい、へいへい」

「“へい”は一回ッ!」

「へーーーーい。……ったく、まるで母ちゃんだね、アイツ」

 そうそう、変わったことはもうひとつあった。まあ、俺からしたらこいつはまったくの“予想通り”だが……船の航海予定のことだ。

 この船は隣国ケイロスへの予定された航路に、イカ型の魔物ハー・イ・マヒとその上位種ノゴディップが多数確認されたため、ケイロス行きを断念。すべての予定を変更し、引き返すことを決めた。

 だが、俺達を含む一部の乗客はそんなことをされては困ってしまう。

 当然、反発する客が出た。その際、ただただ客と乗組員の安全を考慮した結果を伝えただけの船長が詰め寄られる事態となったが、詰め寄られても殴られても、泣き落としされたって船長は決定を覆せるわけが無い。

 だってそうだろう。イカだろうが弱かろうが相手は魔物。いわば猛獣。危険な生き物だ。その上で、少数の群れでなく、相手は多勢ときた。数は正しく暴力だ。しかも、水中適正の無いノーマルタイプな俺達?人間には向かない船上フィールドでの戦闘は確定。態勢は考えなくたって悪い。

 船長は未だ船を出せという客に、そういう風に唱え続けた。

 ―――が、しかし。

 だが、しかしだ。そんな船長にメイプルは言った。まるで我侭な子供に対するような口調で、自分より遥かに年上の相手に対しているとは思えない威圧感をにじませ、なんでもないと言うような表情で。

 

「ふうん、それで?」


 メイプルのこの言葉には船長含む船の乗組員は皆ギョッとした。なかには物を知らない子供の虚勢と苦笑する者もいたかもしれない。だが、腕を組み、ずいぶん下から見下ろす・・・・小柄な少女の眼光に、少なくとも子供向けでない説明を船長はもう一度唱える。魔物は大きな群れで危険だ、と。

 けれど、メイプルはそれでも変わらぬデカい態度で聞き飽きたというように手を振り、笑った。

「中級や上級の危険度の魔物を見たことはあるかしら? アタシ達は“戦った”ことがある。何度もね。それに比べたら数が多いだけの魔物なんて障害にもならないわ。女子供でも対処できるような策もある。だからさあさあ、うだうだ言っていないで船を出す準備をなさいな。危険は全部重悟カレが処理するわ」

 やるとは言っていないけどな。

 俺としてはそんな言葉に乗っかるわけねえと思っていたんだが、船長は数人の船員と数分話し合っただけで首を縦に振って、今、当初の予定通りに船はケイロスへと向かっている。ケルビンさんから紹介された数人の『お手伝いさん』を雇って。

 ある程度予定通り進んで良かったが、なんだろう、納得いかないのは俺だけだろうか。


 ―――とまぁ、俺の心情はさておき、回想から戻って現在。

 

 俺達はメイプルの言った『女子供でも魔物を対処できる策』の準備をしている。

 甲板を子供達と女性陣が忙しなく動き回って、なんだか妙にゴワゴワごつごつとしたデカい布とデカい網を船のあちらこちらに運んでいるのでアレだろう。重くて危険そうな物はピエタかゴツい船員が動かしている。俺は内容を詳しく聞いていなかったんだが、漁でもする気だろうか?

「正解よ」

「マジでか」

「まあ、正しくは『漁の様に捕まえて、安全に中身をいただく』だけどね」

「お宝か」

「お宝よ」

 なるほど、目が輝いていらっしゃる。

 話を聞くとあのデカい布は現在用途の無い船の予備の帆を改造したものらしい。

 帆は二重になっていて、その間には角の無い木屑や板、動物の毛などが詰められ、薄い座布団のようになっている。その端々にはフックやロープが付けられ、船の側面などから垂らすように仕上げられていた。

「帆の下側になる部分には数枚の板を加工して通してあって、垂らした後に少し引き上げるとその部分が上に向かって反るようになっているの。その上に網を被せるように同じく垂らす」

「帆が緩衝材で、ぶつかってくるイカどもを網ですくって一網打尽か。それって本当に上手くいくのか?」

「……さあ」

「さあって」

「正直言うとジュウゴとピエタで何とかなると思っているし、ただの思いつきだから出たとこ勝負ね」

「おいおい、まさか、口からの?」

「でまかせよ。策なんて考えちゃいないわ」

 メイプル、本当に恐ろしい子。

「それでも緩衝材は役に立つわ。間違いなく。何人かに聞いて確認したけど、ハー・イ・マヒもノゴディップも行動はだいたい同じ。群れで跳んで、ぶつかって壊す、襲いかかる。あとは取っ掛かりがあればそこに取り付いて乗り込んでくるみたいだけど、アタシ達がいる限りそこは問題になりえない。そうすると結局一番厄介なのは側面を破られることでしょ。じゃあ、そこを防げばただ鬱陶しいだけで通行可能。砂地を歩くようなものよ」

「あー、思ったんだが、船底は? それに、雇った人達の帰りはどうするんだ?」

「大丈夫よ。過去の例からして、船底を狙うとかそういう考えは無いみたいだから。海中から跳び出てどーん。ありがたいわね。雇った人達は向こうについてから護衛付きの船を雇って返すつもりよ。つまり、それだけ稼ぐんだから手を抜くんじゃないわよってことで、よろしく」

「よろしくって、お前なあ……」

「ふふふ、大丈夫。ジュウゴならできる。やれる。……愛してる……がんばってねっ」

 愛しているは囁くように。そして、ご機嫌なメイプルは準備に走る。

 はぁ、仕方が無い。

「なるべく数は減らしておこうか」

ため息をついた―――そのとき、魔物の襲来を告げる声が響く。


「ハー・イ・マヒだッ!!」


 声は右舷前方から。

 船員達は悲鳴にも似た声にも慌てることなく、用意していた帆を右側のへりに掛けていく。メイプルも声に即座に反応し、甲板に出ていた乗客や子供達を船の奥へと導いた。


 ―――だが、


「ま、待った! ちょっと待った! なんだか様子がおかしい!!」

 声の主――見張りをしていた若い船員が、突然また声を上げた。

 彼はクビを傾げながら、望遠鏡のようなもので遠くを見つめたまま、後ろ手で俺達にストップをかけている。

「うん?」

「おい、どうした!」

「バーナードなにがあった!? 魔物が向かってくるんじゃねえのかっ?」

「………」

「おい、どうなってんだバーナード!?」

 若い船員はバーナードと言うのか。

 他の船員達が遠くを見たまま続きを何も言わないバーナードに焦れて声を荒げるが、バーナードはまだ固まったまま。

 そして近くにいた船員の一人が彼の肩に手を伸ばした―――そのとき、 船の向きを調整しようとしていた船長が声を上げた。

「もしかして向こうさんの船か、バーナード!?」

「ええっと……ええ、た、たぶんそうです船長!! 魔物ヤツらそっちに!!」

 船長と青い顔で振り向いたバーナードが何かで通じる。

 その顔は厳しいが、いったいなんだというのか。

「船ですか?」

「え、ハー・イ・マヒは?」

「船長さん、アタシ達に分かるように説明してくれるかしら」

 俺と、あと数人が身を乗り出して前方を見やるが、どこにもソレらしい影は無く、俺にはハー・イ・マヒだってどこにいるかも判らない。いや、ぼんやりと、なんだか黒っぽいのがあるような気はするが。

 全員が全員、船長を見る。

「俺ぁずいぶんと昔、若気のいたりってヤツで海賊をやっていてな」

「船長さん、そこ端折ってどうぞ!」

「うっ、そうか。ああっと、それで俺は『鷹の目』なんて呼ばれるほど目には自信があってだな。それで、ごく小さいが遠見(望遠鏡)が無くても俺には見えるんだ」

「何が? 船が?」

「ああ。ハー・イ・マヒらしきの群れの跳ねる姿と、その先にある船の影、そして……」

「「赤い煙」」

 船長とバーナードが同時に同じことを口にした。

 『赤い煙』という言葉に船員達は息を呑む。

「救難信号……ってやつか。あっちから来た商船か?」

 そう俺が呟くと、近くにいた筋骨隆々の男が首を振った。

「救難っちゃ救難だが、意味がちょっと違う。船もな。俺達も煙で遠方の船なんかと意思疎通を図ることも稀にあるが、色付きは使わないんだ。色付きを使う船は、俺らが知る中でたったひとつ、ケイロスの軍船だけ」

 彼は眉をしかめ、腕を組み、海の向こうを睨んだ。

「そして、アイツらが使う『赤い煙』意味は―――」


 ―――我、窮地ニアリ、援軍求ム。

 

 この航路は、思ったより簡単には行けそうになかった。




△▲▽▼△▲▽▼




 そして、赤色の煙りの話が出てから数分……。


「助けに行くか」

「見捨てるか」

 誰からが始まりか、話し合いともいえないざわめきが、軋む甲板の上を漂った。

 だが、答えは誰も口にしなかった。

 それは遠慮からとも、言ってしまった後の責任の押し付けを恐れているからとも見えたが、それは見当違いだった。

「俺達船乗りは、海の上にいる限り、助けを呼ぶ者を見捨てたりはしない。例えばソレが、自分にどれほど利益が無くてもだ」

 難しい顔の船長がそう言ったことで、俺はようやく船員や客達の反応の理由を察した。

 この周辺の国……いや、もしかしたらこの世界での常識なのかもしれないが、船乗りには誰にでも通じる、暗黙の掟のようなものがあるらしい。それ故に、そのことを知る誰もが船乗りの意見を、その長の意見を尊重しようとし、もしくは覆ることが無いからと思って主張しなかったのだろう。

 しかし、船長は続けてこうも言った。

「だが、俺達は神じゃない。できることと、できないことがある。そして、俺にはこの船に乗る者を守る責任はあるが、助けようと言えるほどの力は無い」

 その言葉に、ほとんどの者が悲しげに頷き、残る少数は安堵ともなんともいえない表情で天を仰いだ。

「神の加護を……」

 客だろうか、誰かが小さく祈る。

 そんな声に、自分の選択を責める響きを感じたのか、船長は口をへの字に曲げて近くに掛けてあった帽子を取り、深くかぶった。

「………」

 船長の選択は、海に生きる者としては間違いかもしれない。だが、その言葉は船長という立場の判断としてはもっともだった。

 もちろん、以前だったら違っていたかもしれない。だが、彼はもう荒ぶる海賊じゃない。当然彼の部下達も、戦って死んだら『運が無かった』と言ってしまえる世界にはもういない。彼と彼の部下達の“客の安全を守る義務”の優先度は、彼らの“船乗りとしての感情”を遥かに上回る。

 沈黙が広がるなか、波音と風音、そして船の軋む音ばかりが通り抜けていく。

 数秒……置かれた間の後、時折舵を左右に切りながら、もう一度船長が口を開いた。

「では、少し迂回しながら予定通りケイロスに向かう」

 そうして舵は切られた。

 海のずっと向こうにいるであろうケイロスの軍船らしき船から離れるように?

 ―――いや、

「船長、向かう方向間違っているわね」

 その船へと向かうように。

「嬢ちゃん!?」

「おい、メイプル何をやってんだ!」

 舵にはメイプルの手が添えられていた。舵は力いっぱいに逆へ。

「あら、別におかしなことはしていないはずよ」

「バカなこと言うな。船長が迂回してケイロスへ向かうって言ったろ。船を出してもらっている以上ここは船長に従え」

「そうだぜ、嬢ちゃん。俺達は迂回してケイロスへ向かう。嬢ちゃん達に乗せられて船を出したが、わざわざ予定外の危険を背負う判断をするほど俺も無謀じゃねえんだよ。ここは俺の判断に―――」

「何言っているのかしら。予想通りで予定通り。何にも狂っちゃいない。このままそのケイロスの船ってのがいる方向に『迂回して』、近くまで行ったら相手の船にぶつからないように『迂回して』。迂回迂回って言うならそれで間違いないわよ。ね?」

「お、お前なぁ……」

「そりゃあ、なんっつうかよぉ……」

「すでに迎撃の準備はできている。戦力はアタシ達で充分。とにかく近くを通りさえすれば無事かどうかも分かって、船乗りの矜持みたいなものも守れて、なにより明日の寝覚めが良い。だというのに何を迷うの? 何を怯えるの? さあ、さっさとあそこへ向かいなさいな。この船を出すときに乗ってきたひとはみんな、もしもの覚悟はできているはずよ?」

「メイプル……」

 メイプルが妙に感情的になっていた。いや、怒っているのほうが正しいか。ポケットの中でベリコットが震えているのからしても、俺の勘違いじゃないだろう。

 俺はそっとメイプルの手を取って、肩を抱いた。

 せり上がった彼女の肩が溜め息とともにじわりと下がるが、それでもメイプルは言葉を続けた。

 今度は客や他の船員に向けて。

「そうそう、それと、誰だか知らないけど、祈っても無駄よ。この世に神はいないわ。多くの人が祈り欲する全知全能で慈悲深い神などどこにもいない。死にかけていようと、嬲られていようと、侵し掠め取られていようとも、悪人は罰せられず、救済は無く、奇跡は起きない」

「………」

「アンタ達だって本当は分かってる。だからこそ、いつだって助けを呼ぶのは『誰か』なの。守ってくれるのは『誰か』で、救ってくれるのも『誰か』で、奇跡を起こすのもきっとその『誰か』。私は、そんなちっぽけでとても大きな『誰か』のほうが、よっぽど神様に見える」

 メイプルの肩を抱く手の指先が、ぎゅっと握られた。

 見上げてくる彼女の瞳が、何か温かいものを伝えてくる。

「行きましょう」

 僅かな間を置いて優しげな、しかしどこか有無を言わせぬような、母のそれに良く似た通りの良い声が甲板に広がった。声をあげたのはピエタだ。

「そこへ行くだけでも、何かの助けにはなるかもしれない。魔物たちは私達で排除しますから」

 ピエタがゆっくりと歩んで俺の後ろに控える。目が合うと彼女は穏やかな笑みを浮かべた。

「ねっ、旦那様?」

 人前では旦那様と呼ぶことを控えているピエタが、あえてそう呼んだ。

 なんだよ、そんな風に言われたら、賛同しないわけには行かないじゃないか。

「ったく……船長、それにみんな! どうだろう、ここはもうひとつ俺達に乗せられてみちゃくれないか。『近くを通る』、それだけでも良いんだ」

 少しずるかもしれないが、声に力をこめてみた。

 それが上手くいったのか、メイプルやピエタに心動かされたのかは判らないが、客も船員達もパラパラとだが頷き、『助けに行こう』と口にし始めた。

 そして、船長も。

「船長?」

「……しょうがねえな。そうまで言うなら、この船はケイロスへ、全速で『迂回』する」

 船の行く先を軍船へと向けた。

「助けられるかはわからないが、やっぱり寝て見る夢はいいもんが見たいしな」

 そんな風に笑う船長の背を急かすように、風が強く帆を押した。

 それは、なんとも都合よく、船を加速させていく。

 まるで、そうすることを誰かが後押しするように。



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