海路は赤く・後
お待たせしました。
前話にも追加加筆があります(最新話の間のやり取りを書いたもので、すでに書いてある文章は修正していませんのでご安心ください)
ぜひお読みください
【アルウェル・オウフマン記す】
【一日目】
今日は十八歳の誕生日だ。
ヘンリエッタが教会で祈りを捧げた銀のお守りと一緒にこの白紙の本を贈ってくれたので、これを期に毎日日記を書こうと思う。安くは無い本を買うのはなかなかに痛い出費だが、王国軍に入ることも決まったし、統一教会の研究者の方々が新たに編み出した製紙技術のおかげで、新兵の僕でもなんとか手が出せる値段になってきているから、まあ、どうにかなるだろう。これはいつ死んでもおかしくない仕事を担う僕の、生きた証として死ぬまで続けようと思う。
いつか、この日記が英雄の自著伝のもとになるかもしれないからな、とか書いてみる。
【三十八日目】
訓練期間も半ばを過ぎた。故郷にいられるのももう長くないと思うと正直辛い。家族や、友人、そしてヘンリエッタと別れるのが辛い。
なんて、冗談だ。嘘。僕の将来は希望に満ち溢れて、不安も悲しみもない。辛くなんてない。
とか、そんなことを書いていたら、日も暮れたってのにヘンリエッタが珍しい格好の少女を連れてきた。金髪で青い目の少女は傷だらけで疲れきった顔をしていて、聞いたことの無い国の言葉を喋っていた。僕の母さんが別の大陸の国の言葉をいくつか話せるのを知っていたヘンリエッタが、母さんならと思って連れてきたのだけど、残念ながら母さんにもその子の言葉は解らなかった。
母さんが教会の方々にお任せするように伝えたら、ヘンリエッタは親父さんにその子をを近くの教会へ連れて行ってもらえるか聞いてみると言って出て行った。
統一教会ではああいった言葉の分からない人や、行くあての無い人を保護している施設がある。きっとそこへ行けば安心だろう
【六十三日目】
港町アイアリア出身と話したのが誰かの記憶に留まっていたのだろう、運良くケイロス海軍内で最も精強な兵が集まるキローの町に配属が決まった。あの町の海は海賊や魔物が度々出没する海域で、さらには隣国ともほど近い場所になる。危険な場所だけど、出動回数もずば抜けて多い。やりがいはある。ヘンリエッタはなぜそんなに嬉しそうなのって怒っていたけれど。女には分からないよ、この気持ちは。正直にそう言ったらヘンリエッタはもっと怒った。僕が悪いのか?
ああ、そうだ、悪いと言えば悪い報せが辞令と一緒に届いた。プラブドールがいよいよ危ないらしい。どう危ないかは分からないけど、こっちに飛び火する恐れはかなりあるんだとか。隣国としては政治的なつながりうんぬんがあってちょっとややこしいことになるかも。
【六十八日目】
いよいよ出発の日がきた。
みんなに別れを済ませて船に乗り、気分良く出発するはずが、ヘンリエッタに会えなかった。あいつ、この前の喧嘩にもならないようなやりとりをまだ怒っているらしい。
もういつ会えるか判らないので、ヘンリエッタの親父さんに、以前から用意していたあいつの誕生日の贈り物を渡しておいた。最近流行っているらしい【泳ぐ乙女】の銀のブローチだ。真珠が埋め込んであるからちょっと高かった。
船に乗り、出港してもヘンリエッタは現れなかった。正直に言えば最後くらいは顔が見たかった、とかそんなことを思っていたら、ヘリョル岬の前を通ったときに人影が見えた。ヘンリエッタだった。泣きながら何か叫んでいたが、良く聴こえなかった。
ただ、手を振る彼女の想いは、きっと僕と同じだと、いまは自惚れたい。
彼女が見えなくなるまで僕は手を振り、その名を叫んだ。
愛していると伝えるのは、立派になって帰ってきたときだと、そのとき決めた。
【百三十九日目】
キローの町へ着てから二ヶ月を超えた。随分と長くいる感じがするのは、俺の中にまだ甘えがあるからなのか。こんなままではまた『ボクちゃん』などとゴルソウさん達に馬鹿にされてしまう。
魔物の活動が活発になってきているし、自分を変えていかなければ命を落としかねない。俺はもう軍人なのだから、しっかりしないと。
寮への帰り道にレシエラおばさんに捕まったので、今夜も彼女の経営する酒場に寄って、ぽろぽろと愚痴と酒を零しながら、魚をつまんだ。ここに来た初日から通っているが、いつだって美味い。
【百六十日目】
その日は珍しいことに、港に帰ってきた直後にレシエラおばさんにとっ捕まった。
理由を聞けば錆色のローブの女がおばさんのお店で統一教会の信徒の方々と揉めて乱闘騒ぎになっているのだという。警備隊だけじゃ手に負えないので協力しろとおばさんは言う。
散々しごかれてへとへとだというのに、声をかけられたのはお前だからと先輩達が背を押すもんで、文句たらたらで俺が現場に駆けつけることになった。結局、俺が着いたときには事はすでに終わっていた。
女が教会の信徒を踏みつけ、怒鳴り散らしていたのだ。
事情を聞けば、彼女は魔道協会の関係者であるらしく、信徒の方々が喧嘩を売ってきたのでこうなったという。
統一教会の信徒であるような方々がそんなことをするとは思えなかったが、いつぐらいからか、統一教会と魔道協会の仲が悪いという噂が流れていたことを思い出した。なるほど、そうするとあの噂は真実なのかもしれないとそのとき思った。
彼女の言がどこまで真実かどうかは定かではなかったが、教会の方々が女一人を囲んでいたのは周囲の証言で事実であると証明され、しかし、彼女もやり過ぎたことを考慮して、警備隊の隊長と相談の上で彼女と教会の方々は今夜一晩牢で反省してもらえればお咎め無しとする、ということにした。
もう、体も心もへとへとだ。まったく面倒くさい。さっさと寝よう。
【百六十五日目】
俺はいま、キロー沖西の海上にいる。ケイロス海軍が誇る軍船【海獣】の中だ。何日もペンは持ったが、日記は書けなかった。まだ気持ちに整理はついていない。だけど、だからこそ、落ち着けるようになった今、整理をつけるためにも、ここまでにあったことを書こうと思う。
結果から書く。町が、壊滅した。
精兵の集まるキローの町がだ。一夜で落ちた。
まったく信じられないことだが、たった一匹の魔物に落とされた。
あの、ローブの女と教会の信徒を牢に入れた日の、ほんの数時間後の深夜のことだ。
何でこうなったかは、分からない。原因になるようなことは思いつかなかった。最近は魔物の動きが活発になってはいたが、それが何かの前兆といえるような感じには思えない。
あれは何だったのか。赤黒い霧のような姿で飛び回り、人のような姿になったかと思えば羽毛の無い翼をもつ奇怪な鳥に変わり、とすれば山のようにデカイねずみになる。どんな場所に隠れても隙間が爪ほどにあれば滑り込み、捕りついた人々を枯れ草のように萎ませたり、泡のように弾けさせたりして殺していった。
本当に、あれは何だったのか。もう何度も寝て起きてを繰り返しているが、起きる度にただの悪夢だったんじゃないかとあたりを見回してしまう。魔物というよりも恐怖そのものを具体的に表したような、そんな化け物だった。
そのこともあって、ヤツを故郷に伝わる怪談話の怪物にちなんで【忍び寄る恐怖】と呼ぶことにした。
正直、誰から見てもシュレッケンは無敵の怪物に思えるだろう。確かに恐ろしい相手だ。だが、幸いなことに、俺にはあの化け物が苦手としているモノの察しがついている。
銀、それと海水だ。
ヤツは避難誘導をしていた俺を襲いに来たが、俺を殺すのを躊躇し、避けて他の人を襲った。その俺が身に着けていたのは、ヘンリエッタが祈りを捧げた銀のお守り。しっかりと首から提げていた。
あのときの俺の手には、慌てて持ち出したこの日記しか身を守れそうなものがなかった。なのに、ヤツが俺を襲うのを躊躇した。ということは、ヤツはこの銀を相当に嫌っていると考えられる。まあ、ヘンリエッタの祈りがヘヴロニカ様に通じたのも大きいだろうが。
とにかく、ヤツは銀を嫌う。そして、船で逃げ出した俺と生き残りを追えずに、船着場でびゅんびゅんと悔しげに飛び回っていたことから、海水もしくはその塩気が苦手なのだろうと考えられた。
これが判っているんだ、次にヤツに遭ったときには、俺はきっとゴルソウさん達の仇を討てるだろう。いや討つ。そう決めた。
だが、その前に、アイアリアへ向かう。あそこには軍の大きな施設がある。そして、みんながいる。
【百六十八日目】
昨夜、アイアリアについた。誰もいなかった。
【百七十二日目】
ヘンリエッタがいない。どこにもいない。周囲の村や町も見に行った。いない。父さんや母さんも町の住民もいなかった。あるのは時々見つかる枯れた動物の死体だけ。探すのが怖い。
【百七十五日目】
ダメだった。陸に上がったままあちこち探したがどこもダメだった。全部がヤツの仕業ではなかったようだが、アイアリア周辺はどこをさがしても生存者はいなかった。死体しかない村と、それすら無い町。結局、どちらにしても生きているものに出会うのは獣や魔物ばかりで、どこかへ辿り着く度に重い空気になる。
帰ってきた船内の雰囲気も良くない。もう陸に上がりたくないという人もいる。気持ちは解る。
話し合って今度は東を目指している。何か望みがあるわけでもない。
だけど、それでも、東へ。
【百七十七日目】
東へ向かう中で一度だけ、キローに戻った。だけどそこで、俺達はまた、悪夢を見た。
近づいた船の甲板から見える光景。船着場や、町のあちこち。そこには何事も無かったかのように、そっくりそのまま生前の姿をした“キローの住民”がいた。
ありえない。
俺はそう思ったけれど、船に乗った五十三人の内のそのほとんどが船を下りてしまった。船はまだ着いていなかったのに、縄梯子で下りたり海に飛び込んだりして。あれは、悪夢だったんだと喜んで。
結果なんか言うまでもない。悪夢は、悪夢のままだ。
赤い目をした住人にみんな殺された。
残った俺達はどうにか逃げ出したが、船によじ登ってきた人間モドキの化け物を叩き落すのに俺は怪我をした。深くは無いが肩から胸にかけ切られた。軍人はもう俺しかいないのに。どうしたらいいんだ。
誰かが生き残りは十二人って言っていたから船を動かすのも限界だろう。
もう、死ぬのを待つしかないのか。
とにかく船は東へ向ける。風任せ波任せだ。
【……】
怪我の具合が良くない。腫れている。
毒か? 病気か? 手足がしびれる感じがする。
クソッタレ、汚い獲物使いやがって。
そうすると俺ももう限界なのかな。
これを書いている間に魔物が襲ってきた。ハー・イ・マヒとノゴディップの群れだ。それに、見たことの無い魔物もいた。魚と人間がくっついたような奇妙な生き物だ。
甲板に飛び込んできたので追い落とし、樽に火薬を詰め、火をつけて爆発寸前で海に投げ、下に群がっていたヤツラをふっ飛ばしてやった。ざまあみろ。
大して効いていないみたいだったが、びびりやがったんだろう、どうにか退かせることはできた。だが、戦えそうなヤツが二人死んでしまった。本当にもう限界だ。
船には女子供しかいない。
*
眠れなくて色々考えていると、最悪の推測が浮かんだ。もしかするかもしれない。追記する。
俺のシュレッケンが銀を苦手とする予想は、外れているかもしれない。
その根拠は俺達の見てきた死体の無い町とある町の違いにある。
違いとは、【教会の施設が有るか無いか】だ。
信徒、信者と呼ばれる者が多くいるかどうか、でもいい。
書くのが辛い。結論だけ書く。
信じたくはないが、たぶん、統一教会は人間の【敵】だ。
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―――この日記が誰かに読まれている頃、恐らく俺はこの世にはいないだろう。だから、できる限りの、俺が体験した恐ろしい出来事と真実への足がかりをここに記し、今これを読んでいるあなたに伝えたいと思う。願わくば、これを読んだあなたが俺達の無念を晴らしてくれることを祈る。
そして、もし、アイアリアのヘンリエッタ・ドロウズという女性に会ったなら、伝えてほしい。
「……『ヘンリエッタ、僕は君を愛して』……」
革の表紙の日記帳。
そのページをめくっていって続く白紙の後の一番最後に書かれたのは、無念と願い、そして思い人を想う書きかけの言葉。
それが、この日記帳の持ち主、アルウェルの遺した精一杯の文章だった。
恐らくはそこまで書いたところで再び船が襲われたのだろう。日記はペンとともに船倉に隠れていた少女に渡され、書いた本人は甲板に出て戦い抜いた。そして最後は、船室に下りる入り口を塞ぐように甲板に槍を突き立てて、その槍に縋るように膝を折り果てたのだ。
それはまるで悪来と呼ばれた名将のように。
それはまるで仁王のように立ちはだかった傑物のように。
この男の最後は間違いなく物語の中の英雄が魅せるような最期だったようだ。
「あんたの最期は、この柄倉重悟が見届けた。すげえカッコイイ、英雄らしい最期だったよ」
そう言ってやって、俺は、甲板に寝かされたアルウェルの遺体に手を合わせた。それから彼の首にかかった銀のお守りを外し、ポケットにしまう。
できるかどうかは分からないが、持って行って日記帳と一緒に彼を知る誰かに渡すのが弔いだろう。
「旦那さま?」
立ち上がったところで、ピエタが声をかけてきた。
振り返れば出会ったばかりの頃の幼顔が儚げに微笑んでいた。
「みなさんあちらの船に移りました。魔物の片付けも、遺品やその他の持って行けそうな品も運び込みも終えています」
彼女もこの船の上で大立ち回りしたのだけれど、汚れのひとつもついていない。俺は魔物の体から噴出したぎとぎとの体液で酷い状態なんだが。
「ん、ああ、了解。本当にあれで全員だった?」
「はい。船の中を隅々声をかけながら探しましたが、やはり九人で全員です」
「そっか。まあ、助かった人がそれだけいるならよしとしないとな」
「……はい」
でももし、もう少しだけでも早く出発できていたなら何か変わったかもしれない。そう思うと、どうにも悔やまれる。
「……まあ、悔やんだって起こってしまった出来事を変えられるわけじゃないだがな……」
なんて自嘲しつつ天を仰いだ。
双子の太陽がやけに眩しい。
――― やりなおせるよ きっとなんどでも ―――
「ん? ピエタ、何か言った?」
「え? いいえ、なにも言ってませんよ」
「そう? なら空耳か。まあいいや。ええっと、俺はこの人を船室に運んでから戻るよ。船乗りは船に乗せて葬送るものらしいし。ちょっとでっかいけど、ちゃんと火をかけるし、いいっしょ。ピエタは先に行ってて」
「はい、旦那さま。あちらで待っています」
ピエタが下がるのを見送って、俺はアルウェルの遺体を抱え、船室に連れて行く。
ベッドに寝かせ、最後にまた短く黙祷を捧げて、予め用意しておいた油壺を転がし火をつける。
こうしておけばどこかの誰かに迷惑をかけることもないだろう。
赤々と燃える炎が壁まで広がっていくのを確認して、俺はようやくその場を後にした。
「統一教会は人間の敵、か。……安心してろよアルウェル。敵であろうとなかろうと、俺はそいつらが大嫌いだ。アンタの推測通りなら、きっとアンタの無念は晴れる」
恐らく、明日にはキローの港に着くだろう。
「さて、先を急がねえとな」
船に戻り、張りなおされる帆を見上げれば、風はまだ俺達の背を押すように吹いていた。
急げ、急げと。




