百夜の大神・中編・(重悟)
今回対人の殺陣多いためグロ苦手な方はブラウザバックして次回をお待ち下さいませ。
階下の酒場では、ガーラの言っていた”阿鼻叫喚”の地獄絵図のような光景が今まさに始まろうとしていた。
「くっそ!放しやがれこの野郎!」
「しゃぁぁぁっ!!」
「きゃぁああっ!誰かっ!!」
「がぁぁぁっ!!」
テーブルは倒れ、料理は散乱し、一部はすでに血で赤く染まっている。
今夜は随分入りが良かったのだろう。かなりの数の人がその中を右往左往逃げ回り、一部は入り口で押し合いになって、ホールは大混乱に陥ってしまっていた。
その状況を作り出したのは五人の男女。
ヒゲ面の男と禿頭の男が周囲の人間に飛び掛り、
給仕の女が娼婦に牙を剥き、
衛士が剣を振り回し、
大男が冒険者風の男に齧りつこうとしている。
その様は、地獄の鬼のようだ。
何より気味が悪いのは、襲いかかる者たちの紫に鈍く光る目。
「ふざけんな、チクショウ!!」
俺は二階の廊下にホールを見下ろせるよう作られた一メートルほどの壁の隙間からそれを目にした瞬間、そこに作られた手すり蹴って迷わず空中に身を躍らせた。
高さは四、五メートルほど。
滑空するように飛び込んだのは眼下の大男。
「シッ!!」
大男が冒険者風の男に歯を立てようとしたそのとき、俺は鞘の石突きで大男の後頭部を強く突いて勢いを殺ぎ、その背を蹴って着地する。
「あがっ!?がっ…が…」
倒れこんでビクビクと震える大男の下から這い出た冒険者風の男は、足をもつれさせながらも悲鳴を上げて逃げていった。
「いゃあぁぁっ!!」
「なに考えてんだいアンタ!手を放しな!!」
聞き覚えのある怒声に振り向くと、近くでキャナスさんが娼婦から給仕の女の子を引き剥がそうと割って入っているのに気付いた。
「キャナスさん、どいて!!」
大声で叫ぶ。
キャナスさんは驚きながらも屈みこんだ俺の姿にすぐに反応して体を捻り、俺の向いている直線上から抜け出した。
「ごめんっ!」
それと同時、びゅんと跳んで娼婦のお姐さんと給仕の女の子の間に体をねじ込むと、給仕の女の子のアバラの辺りを掌底で掬うようにして吹き飛ばした。
「ぎゃぁぅ!!」
女の子はテーブルを巻き込んで激しく転がって、禿頭の男をボーリングのようにぶつかり倒してしまう。
おまけも含め上手く引き剥がすことはできたのだが、俺は気持ちの悪い感覚に顔をしかめて拳を強く握りなおした。
「くそっ…なんだこれ…?」
まだ上手く力が入らないせいなのか、大男を打った時も、今もこの手に違和感を感じた。
なんというか、人を打つときに感じる独特の、忌避したくなる感触がいつもより強く粘つくように残っているような感じがする。
「坊やっ!後ろ!!」
「っ!?」
キャナスさんの声でそれていた意識が戻ってくる。
硬直してしまっている体でどうにか首を背後に向けると、そこには片手剣を振り上げた衛士が迫っているのが見えた。
しまった!間に合うか!?
体を倒しながら捻るように全体を振り向かせ、その勢いの中で刀を抜く。
ギィンッと甲高い擦過音が響き刃が交差した。
しかし、力だけは強いゾンビもどき相手には体勢悪く、弾くのがやっとで俺は床に尻餅をついてしまった。
「しゃがぁぁっ!!」
そこへ再度振り上げられた剣が俺の頭上に振り下ろされる。
そのとき―――
「だ、だめぇっ!!」
「ぐがぅっ!?」
横から飛び込んできた影に衛士の側頭部が強かに殴打されて打ち倒された。
「ピエタ!」
衛士を殴り飛ばしたのは赤毛の少女。俺の後を追ってきたピエタだった。
「よ、良かった。間に合いました」
あの青白い鞘に剣を納めたまま構えている。
その姿は傍から見れば奇妙だったが、体を震わせつつも油断なく衛士を見つめる表情は一端の冒険者のようにも見えた。
「助かった。いい一撃だったよ」
だが打ち倒された衛士にダメージは無かったのだろう。北東の森で戦った奴ら同様、痛がる様子もなくむくりと起き上がる。
がしかし、殴った剣はただの剣じゃない。
立ち上がった直後、突然衛士の頭部から青い炎が燃え上がった。
「ぐあああっ!?」
衛士は炎を払おうと必死にもがくが、もがけばもがくほどに全身に炎が燃え移り、すぐに炎は全身を包んでしまう。
炎が出てから数秒。
なのにもう殴られた辺りは炭に変わって消えていっていた。
その姿を見ていた何人かが小さく悲鳴を上げるたのが聴こえる。
そういえばドワノフ家で同じような目にあったけど、こうやって見るととんでもない威力だな……って呆けてる場合じゃない。
「ピエタ!そこに転がってる大男の処理を頼む!」
俺はそう叫んで体勢を立て直し、周囲をさっと見渡して、ピエタの返答を待たずに一番近い禿頭の男に向かって駆け出した。
「しゃげぁ!!」
「きぃあぁっ!!」
禿頭の男は先ほど吹き飛ばした給仕の女の子と一緒に立ち上がり、接近してきた俺を視界に収めるや否や両手を振り上げて、もどきではなく本当にゾンビよろしく襲いかかってきた。
俺はぐちゃぐちゃになったテーブルの一歩手前で踏み込むと八艘跳びでもするかのようにひょいと跳躍し、刀を逆手に持ちかえる。
「っせぇい!!」
短く気合を入れ一撃。
男の口から刃を突き入れそのまま捻って押し込みながら着地すると順手で引き抜き、振り向きざま、片手面の要領で返しの刃を繰り出して給仕の女の子の肩口からを袈裟切りにする。
「きぃぃぃぁぁっ…」
女の子は断末魔の声を上げ、男は声を出せず震えながら倒れ伏した。
「っ…」
また、気持ちの悪さが濃くなった気がする。
べっとりと、手だけではなく今は腕全体にへばり付いている感覚だ。
なんだか重い…。だけど、さっきみたいに止まってはいられない。
また一度拳を強く握りこんで最後の一人を探す。
「ぎあああっ!…くあ、あっ、ああ…」
すると目に映ったのは最後に残った髭の男が大男と一緒に青い炎で焼かれるところだった。ピエタが周りの人たちに近寄らないように声を上げている。上手くやれたようだ。
これで全部か?
見回した限りこの場の脅威は去ったのだろう。だが、危険を知らせる警鐘はまだ鳴り響き、先ほどよりも強く大きく聴こえている。
状況から考えてウィスクムがまだ残っているのは確定した。しかも最悪なことに複数いるかもしれない。そのすべてが俺を惑わしたガーラと同じ力を持っていたとしたらとんでもない事態になる。
ここはもう一度【服従】の呪いを発動させてすべてを倒しきるしかないか…。
そうと決まれば、
「メイ……メイプル?」
そういえば、メイプルはどこだ?一階にいるはずじゃなかったのか?
俺はそこで漸くこの場の違和感に気付いた。酒場をどれだけ見回してもメイプルの姿が無い。他に居た筈の軍やらギルドやらの責任者も見えない。衛士が一人居ただけだ。
隠れているのか?
「メイプル?メイプルどこだ!?」
叫んでも反応は無い。
空しく警鐘が響く中、無事に生き残った客たちが遠巻きに怯えた様子で俺を見ているだけだ。ピエタも辺りを見回して首を傾げている。
「メイプ――」
もう一度メイプルの名を呼ぼうとしたそのとき、俺の肩を誰かが強く引っ張った。
「坊や!アンタ、コレはどういうことだい!?」
振り向くと顔を青ざめさせたキャナスさんが俺を睨みつけていた。
「きゃ、キャナスさん?!どうって…」
「警鐘を聴けばアタシにだってとんでもない事態が起きていることは理解できる。大怪我しちまった奴も死んじまった奴だっているんだ、アンタ達に助けられたってのもわかるさ。
でもね、アンタ達がこのおかしくなっちまった奴らを躊躇なく殺したのはどういうわけなんだい?教えておくれよ。それを聞かなきゃ、アンタたちが怖くて仕方ない。アタシも、他のヤツらも」
俺がその圧力に思わず後退りしそうになると、キャナスさんが震えた手で俺の両肩を捕まえるように強く掴む。
”もしも”の時は自分を盾にするつもりなのだろう。その肩の向こうにはやはり震える人たちが見えた。
俺はその目を真剣に見つめ返して、やんわりとその手を払った。
「…彼らは村食いという魔物に寄生されていました」
「なっ…何だって?魔物?いや、だって今まで普通にしてたんだよ?」
「ウィスクムは直接寄生したり心を惑わせて人を操ります。寄生された人間は普段人間と変わりませんが主であるウィスクムの声で魔物化するようなんです。そうなると瞳が紫に変色し、人を襲うようになります」
「そ…そんな…本当にそんなことが…?」
キャナスさんはさらに顔を青くし、周囲の人にも動揺が広がる。
「…た、助けられないのかい?」
キャナスさんの瞳が悲しげに給仕の女の子の死体に向けられる。
俺はそれに気付いたが、敢えて気付かないフリをして首を横に振った。
「現時点では寄生された人間を助ける術を俺は知りません。…残念ですが、殺してやることが彼らにとっての救いだと思います。俺や、そこにいるピエタはこいつらを退治するためにこの町にいるんです」
「そ…そうかい…」
キャナスさんが唇を苦々しい顔で唇を噛む。他の人たちも悲しげに目を伏せた。友の名を呼んで涙を流す人もいる。
気持ちはわかるが、でも、そうするしか…。
「っ!!」
そこでメイプルのことを思い出しハッとして、今度は俺がキャナスさんの肩を掴む。
「そうだ!キャナスさん、メイプル…俺の連れがどこに居るか知りませんか?!」
「え?あ、あの金髪の小さい子かい?」
「ええ、ここで軍やギルドの方々と話しをしていたはずなんですが」
詰め寄るとキャナスさんは困ったような顔をして頭を掻いた。
「ああ、その話し合いがね、傍から聴いてて一方的にあの子やアンタを責めるようなやり取りになってきたから、内容はよく分からないけど気持ちの良いもんじゃないって、ちょいと前にあの子を無理矢理お使いに出して、その間に他の奴らをアタシが追っ払っちまったのさ。衛士は一人残ったけど」
そう言えばあの子、長いこと帰ってこないね…。
その言葉に俺は再び全身が粟立った。
未だ警鐘は鳴り止まず、時折ウィスクムのものらしい不協和音が聴こえてくる。
「きゃぁぁぁっ!!」
そこに通りから絹を裂くような女性の悲鳴を皮切りに遅れていくつもの悲鳴が飛び込んできた。
「っ!!」
俺はその声に反射的に反応すると酒場の中を覗き込んでいた通りへと飛び出した。
通りには昼に比べてもそう少なくない人通りがあった。
その数は悲鳴が増えると共に増していき、多くの人が必死の形相で西から東へ駆け抜けて行く。
何事かと店から出てきた者も、通りを歩く酔い客も皆振り返る。
振り返ってその理由を察し、青ざめた。
「『グォォォオオオオオオオオアアアアアッッッ!!!』」
遠目で見ても巨大な、三メートル以上はある人と山羊の混じった化け物が、ゾンビもどきの大群を連れて通りの西側からこちらに歩いて来ているのだ。
その目に宿すのはやはり鈍く光る紫。
アレも…ウィスクムなのか?
丸太のような腕の一振りするだけで宿屋の石壁が粉々に粉砕される。大きな分ガーラの一撃よりも重いかもしれない。甘い臭いが漂ってこないのは使ってないのか使えないのか。操られている魔物だという線もある。
いや、それとも、”使う必要がない”と考えているのか?
「ジュウゴさん何が…っ!?」
ピエタも同じように通りに飛び出してきた。そして化け物の姿を見て絶句する。
「あ、アレは、私が…私が村で見た化け物と一緒…」
「何だって?…てことは村で倒されたのはなんだったんだ?」
ガーラが最終的な進化の形と考えるなら、ピエタの村で倒されたのはその抜け殻?
だったらその一歩手前のこいつも危険度は上級以上ってことになるんじゃないか?
こんな奴らがいる中にメイプルは一人で…。
「『ガァアアアアッ!!』」
肌が震えるほどの咆哮が周囲に響き渡る。
それに呼応してゾンビもどきも奇声を上げ、一斉に駆け出した。
もう、あれこれ考えてる場合じゃない。
「ピエタ、俺がヤツらの相手をする!その間に逃げ遅れている人を連れて東に向かえ!奴らに出くわした時は、対処できるな!」
「は、はいっ!!」
俺はその返事に頷くと矢が解き放たれるようにウィスクムに向かって駆け出した。
四、五十人はいるだろうか?
ゾンビもどきの群れが建物から出てきた人や逃げ遅れた人を次々襲っていく。
「ひぃぃっ!」
目の前で恰幅のいい初老の男が転倒してしまう。そこにゾンビもどきが群がった。
「させるかよっ!!」
ドンッと石畳を蹴り砕いて滑るように跳ぶと、今にも飛び掛ろうとしていた先頭の男の胸を蹴り飛ばし、着地と同時に思い切りの力で一回転、横薙ぎに刀を振る。
四つ、胸から上が寸断されたゾンビもどきの体がずるりと滑り落ちた。
激しく鮮血が舞う。
「ひぃぃぃっ!!殺さないで!!」
俺もこいつらと一緒に思われたのだろう。男は頭を抱えて蹲ってしまう。
俺は短くため息をつき、そして大きく息を吸い込んだ。
「『さっさと逃げろバカヤロウッ!!死にたいのか!!』」
強烈な怒声。
いつも以上に気持ちが入った大音量が鼓膜を揺する。
「は、はいぃぃぃぃっ!!」
男はかくかくと頭を振るとおたおたと足をもつれさせながらも逃げていく。
はじめからそうしてくれると助かるんだが。
男の姿が無事視界の端から消えるのを確認すると俺は再度ため息をついた。
…と、ここで妙なことが起きているのに気付いた。
「ん?」
何故かゾンビもどきが硬直しているのだ。
いや、硬直というより何か迷っているような様子だった。
「いったいどうしたんだ?」
訳が分からないが、まあいい。動きが止まっているならチャンスだ。
俺は襲われている人たちからゾンビを引き剥がし、東に向かうよう指示を出していく。
…と、ここでそれを見咎めたのか同じように止まっていたウィスクムが再び咆哮した。
「『ガアアアアアアアアアァッ!!』」
その声で漸く迷いが吹っ切れたのか、ゾンビもどきは再び奇声を上げて動き出す。
まあ、いまさらだが。
この周囲にもう人は残っていないだろう。
「てわけで、アンタ達の相手は俺だけってことだ。…さあ、こんな事さっさと終わらせよう」
牙を剥き、武器を手に持って唸るゾンビもどき。
一度戦ったからか、もう恐れは甦ってこない。
今あるのはメイプル無事を祈るこの心の懼れと乗っ取られた人達への憐れみ、ただそれだけ。
「アンタ達の魂は俺が背負って行く。怨んでもいい、憎んでもいい。その分できるだけ沢山アンタ達の大事なモノを守るから。だから…」
刀を右肩に担ぐようにして低く構え、鞘を放る。
「安心して逝ってくれ」
「『ガガアアアアァァァッッ!!』」
ウィスクムの再三の咆哮。
追うようにしてゾンビもどきが奇声を上げて一斉に俺に向かって襲いかかる。
「っしゃあああぁっ!」
退かない。
思い切りの前進。
肉の壁で作られた袋小路に飛び込む。
「っらぁぁぁっ!!」
ぶつかる、その一歩手前。
石畳を踏み込んだ左足で蹴り割って一瞬静止し、肩口から思い切り大きく切り下ろす。
刃がぶつかった瞬間大きな負荷が右手にかかった。
だが、引かない、止まらない。
力の入らない体に無理矢理命令を送り、殴りつけるように刀を振り抜く。
【剛腕】
俺の体かゾンビもどきの体かみちみちと繊維が切れるような音を立てた。
その度に眼前の壁が真っ二つに斬り飛ばされていく。
それは、瞬きほどの短い時間。
切り込める端まで行った刀を返し、左足を軸に小さな弧を描き一瞬敵に背を向けると、そのまま回転し今度は右足で踏み込んでバットを振るうように左端から斬り飛ばしていく。
「っらあああああああああ!!!」
鮮血が吹き上がるその中を斬り進む。
押しつぶさんと押し寄せる敵を力任せに切り伏せていく。
時折、
腕に、
肩に、
腹に、
背に、
牙が刃が食い込んでは傷つけていく。
だが止まらない。
叩き潰し、捻り潰し、蹴り砕いて押し進む。
そして、全身が真っ赤に染まった頃、俺の敵は目の前の山羊の化け物一匹だけになっていた。
「ギァ、ガガ…」
「…………よう」
あとはコイツを倒せば憂いは無くなる。
東側にゾンビもどきがいなけりゃ逃げた人たちも安全だ。
さっさとこいつを倒してメイプルを探しに行こう。
ああ、早く行ってやらなきゃ。
十メートルほど間を空けてウィスクムと睨み合うが、血の匂いのせいか頭が妙にぼぉっとして上手く頭が回らない。
シャツが血を吸ったせいかかなり重く、べたつくのも気になった。
それに熱い。
体の中心から焼けるような熱がじわじわと俺を焦がしている。
俺はボロボロになっていたシャツを破り捨てた。
だが、素肌が風に晒されても、熱さも気持ち悪さも解消されなかった。
仕方ない、今は我慢してコイツを片付けるのが先だ。
俺は刀をゆらりと正眼に構える。
「ゴォアアアア…」
俺の動きに合わせてウィスクムも体を入れ替える。
ガーラほどに人間のような会話はできないみたいだがそれなりの知能はあるらしい。
じりっじりっと間合いを詰めながら互いに相手の出かたを窺う。
八メートル、七メートル、六メートル…。
そして、互いの呼吸がふぅっと合わさった瞬間、ウィスクムが砕いた石壁の欠片が石畳をガンと打った。
「ガアァァッ!!」
「せぃやぁっ!!」
ほぼ同時。
いや、俺のほうが僅かに早く飛び出す。
たった六メートルほどの距離は一瞬にして詰められ、ウィスクムの拳を間一髪すり抜けた俺の突きがウィスクムの胸を貫いた。
「ギァアアアアッ!!?」
深々と刺さった刃の痛みにウィスクムは悲鳴を上げるが、俺の攻撃はまだ終わらない。
「うらぁぁぁっ!!」
胸を押さえ片膝を折って降りてきたウィスクムの眼前に跳躍してその山羊の面に右拳を振り下ろす。
「ガゴァッ!?」
骨が有るのか無いのか妙な感触だったが、確実に何かが潰れるような音が拳を通して伝わってくる。
さらに俺の着地に遅れて倒れてきたウィスクムの上半身を蹴り上げて浮かすと、胸に刺さった刀を引き抜いて胸から首へと切り裂いた。
「ガアッ!ガッ!?」
大きく厚い胸板に大きな亀裂が出来上がる。
俺はその中に、拳大の赤紫色をした実のようなものを見つけた。
今度こそ俺に覆い被さるように倒れこんでくるウィスクムを俺は左手で支えるように手を伸ばし、その亀裂に割り入れた。
「ギャァァァァ!!!グガ、ガガガガ、ガガァッ!!!」
激しく痙攣し喚くウィスクム。
しかし最早その体に何かに抗う力は無く、俺がぐっと手に力を込めると、
「ガッ!?……ギァ…」
短い断末魔を上げて完全に動かなくなった。
ポタリ…ポタリ…
俺の体には赤紫の液体が降り注ぎ、体中を染めていく。
それを振り払うように手を振ってウィスクムを投げ捨てると、放り投げていた鞘を拾い上げ刀を納めた。
「お前の分は背負えねえよ…」
大きく息を吐く。
これで漸くメイプルを探しに行ける。
俺はとりあえず商店の多い西に向かって駆け出して――
そこで、足がもつれて受身も取れず石畳に体を打ちつけた。
「あたた…やっちまった情けねえな」
誰も見てはいないだろうがなんとも恥ずかしかしい。
俺は気を取り直し、何事も無かったかのように立ち上がって――
ドサッ…
上手く立ち上がれず再び石畳に体を打ちつける。
「え?…な、なんで?」
体に力が入らない。
何かが圧し掛かっているかのように重い。
そしてベタベタと体中を何かが這い回っているような感覚。
ズキリ…
「っく!?」
胸の奥が痛むような、心臓が鷲掴みにされたかのような鋭く刺す痛みが走った。
そこから熱を持ち、先ほど感じた熱と混ざり合って炎が体の中に生まれたような熱さが駆け巡っていく。
「あがっ…ぐぁ…な、何が…」
メラメラと燃えるような熱はどんどんと熱量を増し、内側から焼き尽くさんばかりだ。
溶けるようにぼんやりとしていた思考も今度は痛みと熱で白んでいく。
「こ、これ…まさか…」
魔神を食べた後のことを思い出した。
三つ目の竜の呪い。
だが、あの時とは似ているようでまた違うようだ。
奪われるような、蝕まれていくような、吐き気のする酷い苦しみ。
頭の中が揺らされたようにぐらぐらと回り指先にすら力を送ることも難しく、そんな頭の中では時折誰かの呻く声がする。
やべぇ…もうダメか…
意識が白く塗りつぶされていく。
そのとき、
「『…ォオオオ…グオォオオ…』」
西のほうからか、ウィスクムの咆哮が響いてきた。
「っくしょぉ…まだ…まだいやがるのかよ…」
俺はその声に折れんばかりに歯噛みした。
だが、そのおかげで俺の中にほんの僅かな力が湧く。
俺はより強く歯を食いしばり、石畳を殴りつけて立ち上がる。
手足は震え、一呼吸するごとに焼けるような痛みが走るが、それでも立つ。
刀を杖に俺は街の西側へとその身を引きずるように歩を進める。
「メイプル…ピエタ…無事でいろよ」
時折飛びそうになる意識を唇を噛んでは取り戻し噛んでは取り戻す。
そしてついには噛み破った唇からは真っ赤な血が滴り落ちていく。
この時、虚空を睨む俺の瞳も、血が零れるように赤く染まりつつあった。




