神をも喰らうヴァイセント[後1/3]
シーリカを照らす双子の太陽は沈み、追うようにして双子の月が昇る。
ハンデールから北の森を抜けた先。街道からいけば森を迂回するように、脇に逸れた道がある。
そこを奥まで進むと丘になっており、その上に森を見下ろすようにして大きな白塗りの屋敷が建っていた。
ナハトラハル男爵の屋敷だ。
屋敷はやはり白塗りの壁に囲まれ、そこに添えつけられた鉄の格子が重苦しい雰囲気をかもし出していた。
ナハトラハル男爵は貴族にしては贅沢な暮らしをしているほうではなかった。それでも広い庭には噴水や花畑があり、屋敷も二階建てでさらに地下室付きとかなり広いのだが、屋敷に地元の人間を気前よく招きお茶会をするなど庶民派で知られていた。
今夜も庭に咲き乱れる沢山の赤い花をバックに、沢山の男たちが松明の灯りの下で酒を呑んでいるところだ。
屋敷の主、ナハトラハル・ヴェン・ドワノフは高級そうな椅子に腰掛け、一階の客間から灯りもつけずに外を眺め、グラスの中の葡萄酒をくるりくるりくゆらせた。
「今宵は満月。庭に咲き乱れるアンガレアが一番大きく咲く日なのですよ。私はこの日が好きでね。いつも、葡萄酒を片手に月光の下で夜更かししてしまうのです……まあ、今夜は少々庭先がむさ苦しいですが、良しとしますか」
独り言だろうか。誰かに聞かせているのか。
ナハトラハルはニコニコと続ける。
「いやぁ、しかし、商品が無事に我がもとに届いてよかったですよ。白貨十枚もしましたからね。どこでか奪われてしまったと聞いた時にはさすがの私も…ふふふ…激怒してしまいました。もう、ダメですよ?変な気を起こしては………って、聞いていますか貴女?」
突然、持っていたグラスを傾けて、中身をテーブルに向かって溢した。
「ひっ…く…ァァァアッ!!!」
テーブルが…否、テーブルに仰向けで縛り付けられた月色の髪の少女が悲鳴を上げる。
少女の体には小さく、だがハッキリとみみず腫のような傷が無数にあった。少女の雪のような肌が赤に染まっている。
そこへ、葡萄酒が降り注いだのだ。それは堪らないだろう。少女の愛らしさを際立たせるはずの白いワンピースが、葡萄酒を吸い、拷問器具へと変貌する。
「[料理]が何か叫んでますねぇ。食べ頃なんでしょうか?ちょっと味見してみましょうかね」
そう言って痙攣する少女の髪を掴み、仰け反らせると、ナハトラハルは葡萄酒でベッタリ貼り付いたワンピースごと、ヘソから喉まで舐めあげた。
「ンン~甘美な味わいです。染みだした血の味が何とも。でもまだもう少しですかねぇ。もうちょっと香辛料が、あっても私は好きなんですよねぇ。例えば絶望にむせぶ乙女の泣き顔とか」
ニヤリと笑うナハトラハル。
稀代の善人、庶民派貴族と呼ばれた柔らかな笑顔はそこにはなく、悪魔でさえも善良にみえるほどに歪んだそれが彼の素顔だった。
ナハトラハルという男はもとはただ一介の騎士だった。
二十年ほど前に起こった戦争で偶然にも武功を挙げて、男爵位を得た新興貴族だ。
そんな彼は運だけで成り上がったと他の人間からやっかみを受け、それを嫌がったナハトラハルはこんな森の奥の、王都からも離れた場所に領地をいただいた。
やることは地味で、目立たないが失敗はない。そして、民によく尽くし、他の貴族にも腰が低かった。
いつしか小さな男と分かり誰も何も言わなくなる。
目立たないが優しい領主は何をしてもしなくても、いつしか誰からも[あの人なら仕方ない]と見向きされなくなった。
だが、それは、彼の素顔を隠す策だった。
彼の性癖はとんでもなく歪んでいた。
人を痛めつけ、なぶり、犯し、壊すことが彼にとっての快楽そのものだったのだ。
戦争は良かった。
彼はよくそうやって口にする。
スマートだった体はこの二十年でデップりと肥え太り頭も剥げて、昔の面影はない。
外に出る機会が減ったのも原因だが、彼の嗜好が満たせないストレス故だった。
戦争は良かった。
彼は過去に夢想する。
誰を殺しても虐めてもなぶっても誰も咎めないのだから。
最近はなかなか人を買うにも気を使う。優しい領主は便利な隠れ蓑だが、行動に慎重にならなければならない。いま、庭にいるような傭兵くずれどもを使わなければなかなか手に入らないのが手間だった。
特に彼の好みは十代半ばくらいの体の小さな美少女とあって、条件を満たすのもなかなかそれも難しい。手間はいっそうかかってストレスが増える。
そんな時だ。[料理人]から連絡が入ったのは。
エルザと名付けた男爵好みの少女が実りました。
それも、特別な体を持った少女ですと。
会ってみてすぐに意味が分かった。
赤い瞳をみて思わず唾を飲み込んだ。
[悪魔の瞳]
魔物と同じ目の蔑称。
本来なら哀れみや忌避の対象であるその瞳は、だがしかし、真実を知る者が見れば飛び上がるほどに歓喜する特徴。
本来の名を[賢者の石]
生まれた頃から超常的な魔力量を保有し、なお、発狂もせず、肉体の崩壊もせず、半魔物化を果たした…人間の持つ特徴。
体が幼いわりに年齢が重ねられているのはその圧倒的力の弊害だ。
そう、この少女は謂わば神獣や魔獣と同じ。
その肉を喰えば不老不死になれると、その筋では有名だ。
ナハトラハルは興奮を隠さずすぐに買いの連絡をいれた。
そしてあの日、特別競売に参加したのは三人。
かなりの競り合いになったが全財産を注ぎ込むつもりで苦労して落とし、そして、当然全員の口を封じた。
「じっくり、たっぷり、味わってから、少しずつ壊して……喰ってやるやるからねぇ」
そう言って浅く苦しそうに息をする少女の頬を撫でる。
だが、少女はきつくこちらを睨んで怯む様子を見せなかった。
鞭で何度も叩いて、脅し、苦しめ、辱しめてやったが悲鳴は上げても心が折れない。
なかなか楽しめそうだ。こういう商品はこの何年か味わっていない。
ナハトラハルはすでに五十過ぎの年齢ながらはち切れんばかりに男性自身が張り詰めているのを感じていた。
コンコンコンッ…
…と、ちょうどまた葡萄酒をグラスに注いだ時だ。
軽快なノックの音がした。
ナハトラハルはその音に、いままでとはうってかわった優しい笑顔をつくりながら、部屋の灯りを点した。
「父上、僕です。シンバハルです。入ってもよろしいですか?」
ドアの向こうから少し高い男声が響く。
「ああ、構わないよ、入りなさい」
「失礼します」
入ってきたのは髪を後ろに撫で付けた、栗毛の少年だ。青のベストに下ろしたたての真白いシャツを着た姿は昔の自分を思い出す。賢そうな顔立ちは母親似だろうか?
可愛い可愛い愛息だ。
シンバハルは入ってすぐにテーブルの少女に気付いて申し訳なさそうに頭を下げた。
「父上、申し訳ありません!お楽しみの最中でしたのに!」
だが、初めから怒る気などないナハトラハルは、構わぬと笑いながら愛息に手招きして抱き寄せ、頭を撫でてやった。
「明日はお前の十八歳の誕生日だろ?私もその歳に父から女を贈ってもらったから、明日にはこの娘はお前のモノなんだ。それを私が勝手に味見させてもらっているのだから、それを止めたとてお前が気に病むことはない」
「はい!ありがとうございます!」
二人はひしと抱き合う。
シンバハルは父の異常な嗜好を貴族のたしなみと理解し、受け入れていた。
そして、ナハトラハルは息子とともに楽しんだあとは二人で少女を食べるつもりであった。
この世で唯一、愛する息子と。
「ナハトラハル様っ!ナハトラハル様っ!」
「どうした騒々しい!」
二人で明日のパーティーの段取りなど話そうかと笑いあった矢先、激しい靴音を立てて餓狼の下っ端どもが連れだってノックもなしに駆け混んできた。
その顔にはみな一様に有り得ないモノを見た顔をしている。
「森のアジトが襲撃を受けました!」
「まさか…本当に来たのか?」
アザムとか言う男が可能性を指摘し、餓狼は失敗の埋め合わせとして今夜から数日屋敷の警備にあたると言ってきた。
最初からここがバレる筈がない。であれば、アジトからだろうと一応アジトに物見を付けていたが…まさか……。
「特徴は?」
「はい、まだ少年のようでしたが黒髪で黒い上着を着た見慣れない格好の……」
「じ、ジュウゴっ!!?」
そこで、少女が初めて悲鳴以外の声を上げる。
それを見てニヤリと笑うと、少女はハッとしてまた目を閉じ口を引き結ぶ。
だが、ナハトラハルはその体が痛みではない震えを隠せていないことに気づいていた。
動揺。
この少女の前でその襲撃者をいたぶればどれほど良い声で鳴くだろうか?
ナハトラハルは思わず舌舐めずりをしていた。
そして、
「餓狼の全員に通達。戦闘に備えろ。頭のバンドクには我が家の家宝も貸してやると伝えておけ。襲撃があれば各自迎撃し、屋敷に入れるな。…さあ、私も準備をする。シンバハルは部屋に戻っていなさい」
まるで戦時中のような表情で指示を飛ばす。
各自、その指示に従い部屋を飛び出していく。
ナハトラハルは、再び少女の傍にいき、彼女をテーブルから剥がすと、その小さな耳にそっと囁いた。
「…[ジュウゴ]という輩が私の予想通りなら、どうせあのバカどもの跡を追ってくるだろう。ならば逆に願ったり叶ったりだよ」
すると、少女はその宝石のような目を見開き叫んだ。
「いったい何をする気なの!?ジュウゴになにかしたらただじゃ済まないわよっ!!」
「……ふむ、何をするって?」
口に何かを持ち上げ、食い破るジェスチャー。
「こうするんだよ」
心の底まで冷えるような暗い夜。
森の奥で、焔が上がる。




