第16話 卵の寝床
朝。
ロイは部屋の隅に置かれた卵を眺めていた。
白い殻には赤い模様が描かれており、昨日リシアから聞いた話を思い出す。
この卵は、精霊の卵。
いったい、どんな精霊が生まれてくるのだろうか。
「うーん……そろそろ、卵の寝床を作ってあげたいな」
卵の隣では、黒猫の冬がちょこんと座っている。
冬は卵を気に入っているらしく、暇さえあればそばにいる。
「ずっと床に置いておくのもかわいそうだしな」
ロイは卵を見つめながら、ふと思い出した。
そういえば、自分には【自然魔法】というスキルがある。
リシアを見送ったあと、いつの間にか手に入っていたスキルだ。
せっかく手に入れたのだから、一度くらい使ってみたい。
それに、自然魔法が使えれば、卵の寝床も作れるかもしれない。
「よし、ちょっと試してみるか」
ロイは足元の草に目を向けた。
そして、卵のそばにしゃがみ込むと、そっと手をかざした。
「ちょっと見てて」
近くにいたリシアが、不思議そうにロイを見る。
「何をするんですか?」
「まぁ、見ててよ」
ロイは少しだけ格好をつけて、草に向かって手を伸ばした。
「えっと……草よ、伸びろ!」
…………。
何も起きない。
草は風に揺れるだけで、伸びる気配すらなかった。
「ん? おかしいな」
ロイは首を傾げ、もう一度手をかざしてみる。
しかし、やっぱり何も起きなかった。
「ロイさん、何をしているんですか……?」
「いや、自然魔法を使おうと思って」
「そんな掛け声で使えるものではありませんよ!」
リシアは呆れた顔をしながら、ロイの隣にしゃがんだ。
「自然魔法は、周囲にある植物や自然の力に意識を向けるんです。無理に動かそうとするのではなく、力を貸してもらうような感覚で……」
「なるほど。力を貸してもらう、か」
ロイは足元の草をじっと見つめた。
自然の力に意識を向ける。
言いたいことは、なんとなくわかった気がする。
「よし、もう一回!」
ロイは再び手をかざした。
「よーし……草よ、生えてくれー!」
…………。
やはり、何も起きなかった。
「そもそも、スキルがないと使えないんですからね!!!!」
リシアの大きな声が部屋に響いた。
「自然魔法はエルフしか使えないんですよ! 人間のロイさんが使えるわけないじゃないですか!」
「いや、でも……」
「でも、じゃありません!」
リシアは呆れた様子でため息をついた。
どうやら、ロイが自然魔法を使おうとしていること自体、信じられないらしい。
確かに、普通なら人間が使えるはずのない魔法なのだろう。
それでも、ロイには使えるという確信があった。
なにしろ、スキルの一覧には、ちゃんと【自然魔法】と表示されているのだから。
「まぁ、見てて」
ロイはもう一度、足元の草に手をかざした。
今度は、すぐに魔法を使おうとはしなかった。
風に揺れる草をじっと見つめ、ゆっくりと目を閉じる。
無理に動かそうとするのではなく、心を交わせるように。
ロイは草に意識を向けた。
(卵が安心して過ごせる寝床を作りたいんだ)
もちろん、草が本当に言葉を理解できるのかはわからない。
それでも、ロイは静かに思いを伝えた。
(少しだけ、力を貸してくれないかな)
これまでのように、命令するつもりはなかった。
ただ、力を貸してもらえたら嬉しい。
そんな感謝の気持ちを込めて、ロイは草に語りかけた。
「……お願い」
すると、その瞬間だった。
足元の草が、かすかに揺れた。
「おっ……?」
ロイが目を開けると、草がゆっくりと伸び始めていた。
一本、また一本と草が伸び、互いに絡み合っていく。
まるで、ロイの願いに応えてくれているかのようだった。
「おお……!」
伸びた草は、少しずつ卵の周りに集まっていった。
そして、卵を傷つけないように優しく包み込む。
やがて、ふんわりとした小さな草の寝床ができあがった。
「できた! 本当にできたぞ!」
ロイは思わず声を上げた。
これなら、卵も安心して過ごせそうだ。
「う、嘘……」
隣にいたリシアは、目を丸くしたまま固まっていた。
草の寝床とロイを何度も見比べている。
「本当に……自然魔法が使えたんですか?」
「うん。なんとかできたみたいだ」
「なんとか、じゃありませんよ!」
リシアは勢いよくロイに向き直った。
「人間が自然魔法を使うなんて、聞いたこともありません! そもそも、スキルがなければ使えないはずなのに……!」
「ああ、それなんだけどさ」
ロイは少し考えてから、リシアに向き直った。
「実は、リシアを見送ったあとに、【自然魔法】っていうスキルを獲得してたんだ」
「……え?」
「人を宿に泊めると、たまにスキルが増えるんだよね」
「スキルが……増える?」
「うん。俺にも詳しい仕組みはわからないんだけど」
ロイは困ったように笑った。
自分でも、どうしてそんなことが起きるのかはわからない。
ただ、旅人の灯火宿で人を迎え、泊まるたびに、不思議なことが起きている。
今回の自然魔法も、そのひとつだった。
「そんなこと、聞いたこともありません……」
リシアは信じられないといった様子で、しばらく黙り込んだ。
「俺も、こんなことになるとは思ってなかったよ」
ロイはそう言って、できあがった草の寝床に目を向けた。
そのとき、冬がゆっくりと近づいてきた。
草の寝床の周りをくるりと歩き、くんくんと匂いを嗅いでいる。
「にゃ?」
冬は寝床を確かめるように、前足で草をちょんちょんと触った。
それから、満足したように卵の隣へちょこんと座った。
「気に入ってくれたみたいだな」
「にゃあ」
冬は小さく鳴き、卵のそばで丸くなった。
どうやら、寝床は合格らしい。
「よかった。これで少しは快適になったかな」
ロイは嬉しそうに笑った。
リシアも、まだ驚きは残っているものの、草の寝床を見つめて微笑んだ。
「……優しい寝床ですね」
「だろ? 卵が安心して過ごせるといいんだけど」
ロイが卵に目を向けた、そのときだった。
殻に描かれた赤い模様が、ほんの一瞬だけ淡く輝いた。
「……ん?」
ロイは目を凝らした。
しかし、次に見たときには、いつもの卵に戻っていた。
「気のせいか……?」
ロイは首を傾げたが、それ以上変化はなかった。
冬は卵をじっと見つめている。
まるで、何かが起きるのを待っているかのように。




