ジャック・ザ・リッパー 1
癖の男と癖の女を幸せにしたくて書き始めました。
よろしくお願いします
「私を囮に使って下さい」
花のような人だと思っていた。優しく穏やかな、日向にいる人。
「さ、咲殿!だがそれでは」
隣に座るレオンハルトが声を上げる。
微塵も引かずに彼女は上背の男を見つめた。
「構いません。危険は百も承知です。皆さんの邪魔どころか危険にさらしてしまうことも、けれど私は……」
ああ、花だ。
どれだけの風雨にさらされても光へ向かって咲き続ける。
烈しいもの。
彼女は花だ。
「私の意地を通したいだけなのです」
美しい、と思った。
見つめ続けたい、と願ってしまった。
名を付けるならば恋だろう。
この命がどうなろうと構わないほどの、祈り。
王銹狼は生まれて初めて恋をした。
ニュー・ロンディニウムでは日付が変わるまでガスライトが灯る。
とはいってもそれは主要な通りだけの話であり、大通りを離れて道を一つ二つまたぐとめっきりと暗くなる。
男がその大通りを横切ったとき、それにつられて男の長い影もふつりと途切れた。
ニュー・ロンディニウムの工場が二十四時間稼働するようになって久しく、どれだけ暗がりに行っても星を見ることは叶わない。
いくら西から東に川が流れ、風もそのように吹いても東部に集中する工場の煙が街全体を覆うのはそれだけ工業力のある豊かさの象徴とも言えた。
男が路地を通り抜ける。
いつもならここいらを寝床にしている浮浪者やストリートチルドレンがいるはずなのに、今夜起こった凄惨な事件のためか、見当たらない。
鼠の死体すらない異常さを、この時だれも気付かなかった。
そんな夜、男は中央区にある自室に戻ろうと路地を歩いていた。
季節は晩秋、霧雨が降る夜だった。
黒いコートを纏った男は暗がりに溶けるようだったが、赤銅色の髪が時折雨に光った。
雨で曇る眼鏡を鬱陶しげに外した両目はくすんだ琥珀色、年の頃は三十代半ばなのだが、口を引き結んだ仏頂面は彼を年嵩に見せた。
身長は180cmを越え、それにふさわしく手足も長い。
身体の厚みは薄いが、ひょろ長く見えないのは男の動き一つ一つが獣の様なある種の緊張感を持っているからだろう。
男は酷く疲れていた。
先ほど仕事で見た現場が凄惨なものだったというのもあるし、諸々立て込んで昼から何も食べていないと言うのもあった。
明日も職場に向かわなければならない。
―早く帰って寝よう。
そう思いながら空きっ腹を抱えて歩いていると、懐かしい匂いを感じた。
米の匂いだ。
反射的にそちらに向かうと、道を更に分かれた裏路地に木製の小さな看板が置いてあった。
男はまた霧雨に曇った眼鏡をハンカチで拭ってまじまじとそれを見る。
「ゴハンヤサン……」
碗に盛られた米のイラストを囲むように秋津神国語とアルファベット翻字で店名が書かれている。
男は元は華国―華凰央国―の出だ。華字は読める。
華国は東晨の大国であり東晨地域で一番の歴史を持つ国だ。
華国と秋津国は海を挟んではいるが隣国であり、歴史的にも文化的にも近く、秋津語は華字をとりいれている。
ではこれは間違いなく米の匂いであり、秋津料理の店だと理解した。
男は食に対してさほど興味も執着も持っていなかったが、腹が減っていることと精神的な疲れが男の足をそちらに向かわせた。
足早に裏路地に入る。オレンジ色の明かりが灯り、藍色の暖簾が掛かっていた。
秋津風の引き戸にはガラスがはまっており、向こうに小さな店内が見えた。
冷えた体と空腹の胃が求めるままに、男はその戸を開いた。
「あら?」
聞こえてきたのは若い女の声だった。
視線を向けるとカウンターの向こう側で作業をしていたらしい二十半ばの女性が目を丸くしている。
「いらっしゃいませ」
だがそれは一瞬で、ふわりとした笑みを女性は浮かべた。
「寒かったでしょう。どうぞそちらにコートをお掛けになって下さい。いまお茶を出しますね」
「―すまない。もう閉めるところだっただろうか」
男がそういうと店員はくすりと笑んだ。
「いえ、こんな天気です。誰もいらっしゃらないかと諦めていた所でした。ですから、料理がまだまだ沢山ありますよ」
エプロンを付けた店員は秋津の民族衣装を着ていた。
東晨人らしい真っ直ぐな黒髪に黒い目と象牙色の肌。
まだ少女の面影を残す、どこか儚げな女性だった。
コートを受け取ろうとする店員を制し、男は引き戸近くのコート掛けにそれをかける。
「そうか、なら温まる料理と、米をくれ」
「はい、かしこまりました」
店員は頭を下げるとカウンターの内側に戻っていった。
諸事情でずしりと重いコートを店員に持たせる訳にもいかず男はコートを静かに掛ける。
大して濡れてはいないと思っていたがやはり眼鏡が曇り、小さく嘆息した彼はもう一度ハンカチでそれを拭う羽目になった。
「よろしければ、どうぞ」
暖かく蒸したタオルが席に着くと三つほど渡された。
「お手拭きと言います。食事をなさる前に手を清める物ですが、どうぞ体を拭くのに使って下さい」
「ああ、ありがとう」
礼を言って男は濡れた髪や首筋を拭う。
華国でもこう言ったサービスはあった。東晨地域は温暖多湿な地域が多い為、食前に手を清める事が病を抑えることに繋がる。
じっとり濡れて冷えた鼻耳や目元に、暖かい蒸しタオルはありがたい。小さく息が漏れた。
「どうぞ、お熱いですからお気を付けて」
ことりと置かれたのは緑色の茶だ。
故郷で飲んだ茶とは違う色だが、アルビオンの紅い茶ばかりだったから新鮮だ。
発酵していない茶のすっきりとした香りがした。
眼鏡をかけ直し、改めて店内を見回す。
秋津語とその翻字、そして翻訳されて書かれたメニューが壁の上部に貼り付けてあり、カウンターの向こうには秋津の酒だろう瓶が所狭しと置いてある。
取っ手のないカップを手に取り男は静かに茶を口に運んだ。
口内から胃の中に流れてくる温かさにまた息が漏れる。
カップを両手の中でもてあそんでいると、次に湯気の立つ椀が出された。
なみなみと注がれたのは具だくさんのスープだ。
食欲のそそる匂いに、男は目を細めた。
「ああ、いや、箸だけで大丈夫だ」
そっと大きめのスプーンを出そうとした店員に断って男は箸を器用に掴んで椀に口を付けた。
―美味い。
広義には味噌のスープなのだろう。確か秋津国では大豆を使って味噌をつくると聞いた。
島国である秋津神国は出汁を魚介や海藻で引くという。様々な野菜と豚肉の旨味がしみ出し、その味を包み込むような出汁の味がした。
箸でつまめば崩れそうになる大根に、甘いニンジン。
木の根っこの様なものはゴボウだろう。こちらでも売っているとは驚いた。滋味と香りが良い。
ねっとりとした里芋は噛むと一等熱かった。
バラ肉だろう豚肉も脂が溶け出し、冷えた体に染み入るようだ。
無言で男は椀を空にした。体が一気に温まり、無表情だった男の顔が僅かに緩む。
「はい、おまちどおさまです。御飯と、焼き魚です」
つやつやとした白米が盛られた茶碗と、焼き目の美しい秋刀魚だ。
近年冷蔵冷凍輸送が可能になり、アルビオン近海では獲れない魚介類も市場にでまわる様にはなった。
しかしそれでも量は少なく質も落ちるだろうに、店主がきちんと見定めたのかよく太って脂が乗っている。
ぱりっと小気味の良い音を立てて皮が破れ、そこからふっくらとした白い身が覗く。こちらも確か同じ大豆で作られたというソースをかけて頂く。
身を崩してぱくりと食べれば脂ののった魚の旨味が口に広がった。
それを米と一緒に頬張る。
美味い。
故郷の味では無いが、ふっくらとした粘り気のある米を美味いと感じられることが幸せだった。
店員はその間にも男の前に幾つもの小鉢を出していく。
温かな緑色の茶がカップに常に注がれていることに気がついたのは、男が全ての小鉢を空にし米をおかわりして、更にそれを食べきった後だった。
「…」
ぐびり、と最後に茶を飲んで、男はほっと肩の力を抜いた。
「…旨かった」
「はい、ありがとうございます」
随分と久しぶりに腹一杯になるまで食べたな、と男は思った。
茶を飲んでいると店員がカウンターを回ってきて、空いた皿を片付けている。
「お箸の使い方すごくお上手でびっくりしちゃいました。お客さん、秋津か華国にいらっしゃったことがあるのでしょうか?」
骨と頭しか残っていないブルーイーの皿に店員は男の顔を覗き込んだ。
男は、まあ、そうだろうな、と胸中で呟きながら答えた。
「俺は龍港の出身でな、こんな見てくれだが、生まれも育ちも龍港だ」
男の顔立ちは、間違っても東晨系では無い。色彩もだ。
店員は目を丸くして慌てて謝る。
「あ、も、申し訳ありません!」
ぱっと朱を散らしたように赤くなる年若い店員に、男は気になっていた事を口にした。
「それより、店主が見当たらないが、君一人なのか?」
こんな夜中まで女性一人で店を任せるのは不用心では無いのかと疑問を口にすると、赤い顔のまま店員は答えた。
「はい、私が店主なのです。…お気に、召しませんでしたか?」
眉根を寄せる表情に男は胸に痛みを覚えた。
「いや、そうじゃない。そうじゃないんだが…危険では無いのか?」
治安の悪い東地区ではないが、それでも夜半まで酒を出すような店では女一人というのは危険だろう。
「えっと、そうですね。知り合いの方に用心棒と言いますか…何かあったときに助けていただけるようにお願いしているんです。だから、今年の春頃からお店を出させていただいてますが、怖いことは一つもありませんでしたよ」
へにゃり、と女が笑う。
安心しきったような、嬉しくてしかたないような、そんな顔だった。
その笑顔に、目が離せなかった。
「…そうか。なら、いいんだ」
一秒か、二秒か、それでも男にとっては長い時間女の顔を見つめていた。
気まずくなってそう言うと、女の方もはっとした様に目を軽く見開いて、それからぺこりと頭を下げた。
「申し遅れました。私はこの店の店主、サキ・ツキハマと申します」
ツキハマ、という名字をぱっと華字にする事は出来なかったが、サキ、というのはおぼろげに記憶にあった。
「bloomのサキか?」
「はいっ、そうです」
名のように店主が笑った。
「華国ではsmileの意味だが秋津ではbloomになるのだと昔聞いたことがある。それで」
どちらの意味でも似合う名だ、と男は思った。
「そうですか」
店主の声が弾む。
男に向かって、へにゃり、と笑った。
またじっと見つめそうになった男は場を繋ぐために名乗ることにした。
「俺はサウロン・ウォンだ。サウロンでいい」
「サウロンさんですか…。どうお書きになるんです?」
そう尋ねられ、男は軽率だったと胸中で舌打ちする。
「…kingのウォンに、longevityのサウ、young manのロンだ」
「えっと、王寿郎さんですね?」
エプロンから帳面を取り出して咲はさらさらと文字を書く。
「ああ、そうだ」
頷くと今度は咲は自分の名を書いた。
―月の浜か…。
月浜咲という名を口の中で転がすと、妙にしっくりときた。
どうにも、自分は咲のへにゃりと気の抜けた笑みに弱いらしい。
そうサウロンは結論づけた。
そこに付随する自身の感情を無視するのは彼の癖だ。
「ああ、弁当の配達もやっているのか…」
店内を見回していてふと気付く。少し割高だが、この味を楽しめるなら、と彼は考える。
それに反応して咲は慌てた様に説明を始めた。
「ええ、はい。そうなんです。少しお値段が張るのはお弁当の入れ物の値段を入っていまして、入れ物を返していただけるならその分のお代金をお返しする、という風になっています」
「ああ、なるほど」
弁当箱を返しに来るついでに客が食べに来るかもしれない。それはそれで上手い商売だ。
「そうか、なら弁当を二つ、頼めるか?」
「ふたつ、ですか?」
丸い目を更にまんまるくして咲が聞き返す。
「ああ、秋津びいきの上司がいてな。そいつの分もだ」
「あら、そうなんですね。かしこまりました。では、こちらにご住所と連絡先をお願いできますか?」
専用なのだろう帳面をカウンターから取り出して咲はサウロンに求めた。
名前と届け先の住所、それから道に迷った時用の電話番号だ。
几帳面な文字でそれらを書くと、咲は何度も頷いて微笑んだ。
「はい、確かに。明日お届けさせていただきます」
へにゃり、とまた彼女は笑った。
また来る。と告げて店を出る。
まだ残っていた看板が視界に入った。
サウロンは上着の内ポケットから小さなルーペを取り出して看板に翳すと特殊な塗料で描かれたエンブレムが浮かび上がる。
蜘蛛とその巣の図案だ。
ニュー・ロンディニウムの裏社会を牛耳る組織の一つ、『蛛網』の物だ。
チュワンは華国、特に龍港に本拠地を持つ組織でありサウロンも無論知っていた。
刹那、龍港での記憶が蘇る。
―そうか、ここはチュワンのシマか…
別段驚きはしなかった。寧ろ、ニュー・ロンディニウムで犯罪組織に関わっていない店の方が異端だろう。
ニュー・ロンディニウムは世界で一番豊かな街であるが、同時に犯罪の巣窟でもある。
その為、事前に犯罪に巻き込まれないように組織に幾ばくかの金銭や便宜を図ることで安全を買う事が一般的だった。
先ほどの、店主のへにゃりとした笑みを思い出す。
「怖いことは一つもありませんでしたよ」
そうであって欲しい。
そう思った。
霧雨は更に細かくなり、白い煙となって空中を漂うようになった。
家路へとまた歩き出すが、不意に視界の端に蠢く物を見た。
軽く息をつきながら男は踵を返す。舌打ちが知らず漏れた。
優しい気持ちで一日を終えられなかった事を残念に思いながら、サウロンはコートの裏に縫い付けられたホルスターから大型の拳銃を取り出した。
ドロドロとした粘液の塊。この世あらざる、異形。
不定形のそれが路地裏にてねちゃりねちゃりと不愉快な音をたてながらネズミたちを捕食していた。
「…」
サウロンは特注のサイレンサーを銃口に取り付けるとその物体に照準を定めた。
長く乾いた指で無感情に引き金を引く。
粘液はぼこぼこと泡立ちまるで幾つもの口を開けて叫ぶようにあえぐようにはじけて、そして溶けた。
そこに残っているのはどろりとした粘液とそれにまみれた哀れな鼠達の死体だけだ。
彼は周囲を見回し、そこにあった住所の標識を見つけるとそれを確認し、拳銃をホルスターに収めた。
全てが手慣れた、いつもの動作だった。
明らかに通常の世界に似つかわしくない存在だった。
冒涜的な、恐ろしい何かだった。
それを淡々と男は屠った。
この世界には太古から恐ろしいものが存在した。
そこに居るだけで人を永劫の狂気に閉じ込める神性。簡単に鋼鉄の塊さえ粉砕してしまう生命体。それらを呼び寄せ使役する魔術に、そのための魔術具。
本来ならば存在しないはずのそれらは、時折こちらにやってきて人々を脅かし続けてきた。
ある者は太古の昔に封印された恐ろしい化け物と言い、ある者は遙か宇宙の彼方からやってきた生物と呼ぶ。またある者は、夢の世界からやってきた神とも崇めた。
だが今はそれらを総称する言葉があった。
『神話事象』
男は、ウォン・サウロンは、世界正常性維持機関『夜の騎士団』の一員だった。
男は、粘塊が溶けた辺りをそっと見やると僅かに瞼を伏せ、それから立ち去った。
夜が明け、サウロンは少し遅い時間に事務所へ向かった。
昨晩の仕事の分、少しばかり遅れても良いと言われていたのだ。
自室で身を起こした彼は身支度を済ませるとそのまま中央区のさらに中心部へと歩き出した。
よく晴れたニュー・ロンディニウムは風も無く小春日和で、彼は少しばかりゆっくりと歩く。
真新しいアスファルトは艶やかに黒く、まだ湿り気を残して人通りの多い雑踏に埃が立つのを抑え、以前は交通の要だった馬車は自動車にその役割を奪われ、主要な大通りには路面電車が分刻みで走っていた。
それまでは馬糞や石炭のカスなどで不衛生だった道路は舐めたように美しく、紳士淑女が歓談しながら歩いている。
建物はこれまた様々で、真白いゴシック・リヴァイヴァル建築があちらに建てば、華やかなエンパイア方式のビルヂングが建っている。
次々と生み出される新しい技術や素材をふんだんに使い、敢えて過去の様式で建てることが流行った為だ。
此処では無いが西区の劇場やレストランではより目新しい斬新な建築も流行っていると聞いている。
仕事で何度か足を運んだことはあるが、なかなかに刺激的な、文字通りに尖った小劇場を見かけたことがあり、「なるほどこれが前衛的というものか」と感心したことがある。
大通りから分かれた道には日向で寝転ぶ野良猫や野良犬をいくつもみつけた。
その奥で、ギラギラと目を輝かせる浮浪者たちも。
約三十年前、第三次産業革命が起こった。通称『デウス・エクス・マキナ』。
膨大なエネルギーと資源、それを活用する技術の躍進は、今に至るまで急速に世界を変革し続けている。
その『デウス・エクス・マキナ』を世界で初めて起こしたアルビオン連合王国の首都、ニュー・ロンディニウムは世界一と言って良い栄華を手に入れた。しかし、だからこそこの国の貧困は根深い。
農村部との格差が広がったために食い詰めた者達が都市部へと流入し、スラムを形成して低賃金の労働者になった。
労働者は劣悪な環境で生活し、その為病になりやすくなる。
病になり働けなくなった労働者は浮浪者として路上で生活をするしかなくなる。
そんな環境で生まれた子供達は、働けるまで育てられなければ捨てられてストリートチルドレンとして生きるしかない。
自身を守るために彼らは徒党を組み、そして生きるために犯罪に手を染める。
自身も覚えがある分、サウロンは彼らを悲しくは思えど手を差し伸べる訳にはいかなかった。
全てを救えるほどの力は無いし、彼にはそれよりも為さなければならない事がある。
彼らの保護活動への寄付に給料を突っ込むのが精々だ。
ニュー・ロンディニウムの中心部、数々の会社や銀行が建ち並ぶ一等地に彼の勤める『夜の騎士団』の事務所がある。
外見は赤い煉瓦を積んだ五階建ての建物で、一棟まるまるが事務所の物だ。
最新式のエレベーターで五階に辿り着くと、部屋には既に仕事をしていた同僚と上司がいた。
「おう、おはよう。サウロン」
「ああ」
事務所の部屋は、さほど変わったところのないものだ。いくつかのデスクが並び、奥には所長のデスクがある。黒板や給湯用の小さなコンロと流し、精々十人かそこいらで一杯になるだろう何の変哲も無い事務所だ。何も知らない人間がこの部屋を見たところで、小洒落た商社の事務室だと思う程度だろう。
サウロンが入室してきたのを見て手を上げて挨拶したのはサウロンと同じ年頃の男だった。
短く刈り込んだ黒髪に、よく焼けた肌。明るい青色の目。いかにも伊達者といった風の男だ。
名前はアレクサンダー・アダム。アレックスと呼ばれる方が気に入っているので皆はアレックスと呼ぶ。自身でも陰気だと思う性格のサウロンと対照的な明るく社交的な性格だが、何故だか馬が合う親友だ。
年齢はサウロンと同じで36歳だが、時折妙に兄貴風を吹かせることもある。
「おはよう、サウロン。昨日はよく眠れたかい?」
次いで奥の所長席に座っていた人物が声を掛けた。
日の光のような金髪に澄んだ湖水のような青い目。身長もサウロンと変わらない程の高さがあり、サウロンとは違って健康的な厚みのある身体だ。顔立ちは中性的に整っており、少しばかり垂れ気味の目が柔らかい印象を与える。
端的に言ってしまえば絵本の中の王子様のような男だった。
性格もまた理想的な王子のように公平で冷静、慈愛に溢れ穏やか。しかしながら頑固な面もある。
名前はレオンハルト・フォン・アイゼンシュタイン。27歳。
サウロンとアレックスの信頼するボスだ。
「ああ」
こちらにも短くサウロンは返答する。
自分の机に座り、昨日の事件の調書をアレックスから受け取り、読み始める。
「ん?お前なんか今日機嫌いいか?」
他者の機微をよく気がつく親友はサウロンの顔を覗き込んで尋ねた。
「そうか?アル」
愛称で呼ぶとアレックスは大真面目に頷いた。
「ああ、いつもより毛艶が良い」
なかなかに酷い語句だが、サウロンはつい、と上司の方を向いた。
「大将。昨日良い店を見つけた。あんたの好きな秋津料理だ」
「え、あ、本当かい?」
がたっと身を乗り出す年下の上司に胸中で淡く笑んでサウロンは頷いた。
「若い女性が一人で切り盛りしている店だが、美味かった」
「そ、そうか、秋津料理か…」
端正な顔立ちの上司は幼少期に見たという万国博覧会で紹介された秋津神国の文化に魅了され、あれこれと自室に絵画や装飾品などを集めるのにご執心だ。
特に繊細な意匠が施された小物がお気に入りらしく、螺鈿や竹細工、寄せ木細工、漆器などなど、文鎮や、茶器、根付けと呼ばれる装身具を飾り棚に入れて日々手入れしているのは彼の人となりを知るものならば当然の知識だった。
「…残念だ…。向こう一週間はスケジュールが埋まっている…」
あわてて引っ張り出した手帳を確認し、大きな身体をしょんぼりと縮こまらせる年下の青年にサウロンは仏頂面を崩して微かに苦笑した。
「安心しろ大将。そこの店は弁当の配達もやっていてな、大将の分も頼んでおいた」
「おお!ありがとう!サウロン!」
あからさまに目を輝かせる上司に男は僅かに目元を和らげる。その様子をアレックスは感慨深げに眺めていたが、窓ガラスを透過してやってきた一枚の紙片にその視線を鋭くした。
「はいはい、お二人さん。仕事だ」
ぴらぴらと紙片を掲げ、昨晩の被害者の身元が割れたとアレックスは告げる。
サウロンもレオンハルトも和んでいたまなざしを険しくし、室内に置かれた黒板に資料を片手に近寄った。
「三人目の被害者、サラ・ボーン嬢18歳。この子はコーム家のメイドとして働いていた。コーム家は南区に居を構える羊で栄えていた家だ。現在は資産が目減りしている。ま、この辺はお約束だな。サラ嬢は五人いるメイドの中で一番若く、北部の農村からの出稼ぎだそうだ。給料の大半は実家に送っている。ここもお約束だな。趣味は刺繍と勉強。文字の読み書きを執事に習っていたらしい。他に目だった趣味や交友関係も無し、ギャンブルや阿片、男に手を出していた形跡もなしだ」
すらすらとアレックスは読み上げる。
「死因は腹部の創傷から内臓を引き出された事によるショック死。抵抗した形跡はあったが、残念ながら犯人につながりそうな手がかりは無し…と」
ふぅ、と肩をすくめてアレックスは視線を報告書からサウロンたちに向ける。
「また分からなくなったな」
そう言ったのはレオンハルトだ。
「全くだ。兄弟、お前の見立ては?」
「昨日も見たが、雨で流されて後追いは無理だ。石畳ではなく土だったら多少は見れたが、埃さえ流されては何も見えん」
「だよな」
アレックスはサウロンに頷くと黒板をひっくり返す。そこに現れたのは大きく引き延ばされたニュー・ロンディニウムの地図と、東地区の中に記された赤い×印、そして三人の無残な死体となった若い女性の写真だ。
「一人目は娼婦、二人目も花売りだった。…メイドは、…確かに主人の相手をさせられることもあるだろうが…」
「二人目の事件で娼婦殺しと新聞が騒ぎ立てていたな、あだ名は確か…」
「ジャック・ザ・リッパー。どこから被害者の子宮が取り出されてると漏れたんだか…」
頭をかきながらアレックスが嘆息する。
「ウォッチャーへの暗示が必要か?」
たれ込みは大体がその報酬に釣られての事だろうが、生憎と彼らにはーニュー・ロンディニウム市警たちの給料を上げてやる権利はないし義務も無い。
「だな。…全く、こっちだって命削って仕事してんのによ…」
そうぼやきながらサウロンの提案に同意を示すアレックス。
「流石に警部は良いだろうがその下だな。大将、警部補以下の人員に暗示を掛ける許可を」
「ああ、分かった。警察関連は三日後に会食がある。アレックス」
「ええ、お供しますよ」
優雅に一礼をするアレックスは「文屋にも人員増やさねえとな…」とぼやく。
「増員は確か、大将の一族だったか?」
複製された三番目の被害者の資料を受け取り、サウロンが確認する。
「ああ、従姉妹と更に遠い親族だ。彼女たちは人の精神に干渉することに長けている」
剣呑な会話を交わしながらも、彼らの間に漂う空気は長閑だった。
「相変わらず大将の一族には驚かされるな。さすがは討魔のアイゼンシュタイン家」
感心しながらサウロンが告げると、当の本人は困った様にその形の良い眉を下げた。
「そう言わないでくれよ、ただ古い家柄なだけさ」
そうは言うが、彼は彼の上司が家族を大切に思っていることを知っている。そしてその分家族に愛されていることも。
僅かに目を細めて、また資料に視線を落とす。
情報部から上がってきた被害者が殺害される直前の歩行経路や、周囲の人物達からの評判。
昨日より増えてはいるが、それが殺人の動機や犯人に繋がるような物は見えない。
そもそも、この事件は自分たちの管轄であるのかと言う疑問もつきまとう。
紀元前からこういった『抗神組織』は世界中に存在した。
神話事象を分析し、封印し、時に屠り時に元いた場所に返還する。
『夜の騎士団』はそんな組織のいくつか統合して生まれた組織だった。
その為、この事務所に所属する人員は世界各国の人間であり、人種も国籍、信仰する宗教も、その素性すらバラバラだった。
レオンハルトは先祖代々こう言った神話事象に対処してきたヴァルツライヒの名家出身であり、アレックスは出身地のリバティア合衆国北部で神話事象に巻き込まれた結果その能力を手に入れてしまい、騎士団にスカウトされた人員だ。
サウロンも同じく神話事象と相対した結果特殊能力を得てしまった人間であるが、元は龍港のマフィアに所属し、殺し屋を生業としていた人間である。
この事務所で重要なのはただ一点、『神話事象』に対して決して揺らぎ無い敵意を抱くことだけである。
「ああ、そうだ。昨晩中央部に近い裏路地でグルル=マセクの幼体を見かけたので始末した。近くに下水道の通じる排水溝があったからそこからだろう」
昨晩ネズミを食い荒らした神話生物を報告すると、アレックスがはぁ、と息を吐いた。
「またかよぉ…また下水に浸からねえといけねえのかよぉ…」
グルル=マセクは粘液の塊であり、有機物であれば何でも取り込んで自身の栄養にし、一定の大きさまで成長すると分裂する性質を持つ。
暗く湿った場所を好むため、悪臭と汚物の宝庫である下水道は格好の住処だ。
本気で嫌そうに天を仰ぐ親友にサウロンは声をかけた。
「そういうな兄弟。ショゴスよりはマシだろう?」
「ねずみ算式に無限増殖するグルルと馬鹿でかいショゴスどっちがいいかって言われてもよぉ…」
「しかし、グルル=マセクか…。以前の捕物で殲滅したと思ったんだけどな…」
一年前この事務所のメンバー総員でグルル=マセクの掃討戦をしたのはいい思い出だ。
みな下水に塗れ、普段取り乱したりはしないメンバーが悲鳴を上げながら迷路のような下水道を走り回り、最終的に「もういや!帰る!」と限界を迎えたそのメンバーが下水そのものを炎で焼こうとしたので全員が遮二無二頑張ってなんとか全滅させたのだ。
今からそのメンバーにまたそのことを告げることを考えると憂鬱だと眉間を揉みながら遠い目をするレオンハルト。
「まあまあ、ピクニックにいく前に情報部の連中が先に下水に入るんでしょう?姐さんを馬鹿にしてる連中を先に潜らせておけば姐さんの心労もへるんじゃないか?」
古参メンバーである『魔女』、ロザ・ピーラのことを敵視する情報部の数名を思い浮かべ、アレックスは提案した。
「けど、それだと彼らの負担が大きすぎるんじゃ無いだろうか…」
どこまでもお人好しの上司に肩をすくめるアレックス。
ちら、とその彼に視線を向けられたサウロンも肩をすくめてみせる。
「大将。だが、彼らの彼女に対する態度は目に余るものがある。最終的に対峙して殺し合いをするのは俺たちだ。あいつらじゃない」
ロザ・ピーラ。この事務所の古参のメンバーであり、名門である「魔女」の一族「サノダー」の出だ。
サノダーは古くから癒し手として活躍しており、薬草の扱い方外科的な治療はもちろん、魔術による治癒も得意とする一族だ。
しかしロザはそういった癒しを扱うことが苦手であり、反対に格闘技や攻撃的な魔法に才があった。特に火を操ることに長けている。そのため、一族からは鼻つまみ者として敬遠されており、「サノダー」の名を名乗ることを許されていない。
彼女が名乗る「ピーラ《かがり火》」はその為だ。
当人はさっぱりとした気質で面倒見がよく、上のものにも下のものにもよく世話を焼いてくれる姉御肌の女性だ。
年齢は32歳とサウロンたちよりも年下だが、親しみを込めて「姐さん」と彼らは呼んだ。
当人はそういう性格だが、やはり長年にわたりネチネチと嫌ってくる連中には辟易しているのは流石に察して余る。
以前何かの報告でその連中のことを口に出すと害虫でも見る目をしていたなあとサウロンは思い出した。
「しかし、グルル=マセクか…また召喚されたのか?」
ぎしり、と椅子を軋ませながらレオンハルトが机の上で手を組んでつぶやいた。
「どうでしょうね。取り逃したってのが嫌だが一番あって欲しい線。召喚するにしてもあいつらを好んで召喚するのか…。もしくは、這い出てきたか…」
「穴が空いたという報告は?」
「『情報部』からは特に。それにグルル=マセクだ。何かの神話事象にひっついてやって来ても可笑しくはない」
憂鬱そうに呟くアレックスとレオンハルト。
グルル=マセクは暗く湿った場所を好み、火を苦手とする神話生物だ。故に下水道や日の当たらない裏道などを棲家とする。
捕食方法は単純で獲物の頭部に襲いかかり気管を塞ぐ。叫び声を上げさせないためと対象を殺すためだ。
臆病な性格で幼体であればせいぜいがネズミを襲うくらいだが、成体となると人間すら襲う。
ストリートチルドレンや浮浪者などは格好の獲物だ。、
「なんにせよ、情報部の報告待ちだ。大将、いま気を揉んでも仕方ない。目下俺たちはジャックを追おう」
サウロンがそう言うと、そうだな、とレオンハルトは息を吐いた。
「後で稽古に付き合ってくれ。大将」
「すまない、サウロン」
サウロンはややぞんざいに手を振って応えた。
会議は一旦そこで終わり、彼らは報告書や招待状の返事、反対に礼状の作成などの書類仕事をしながら昼近くを待つことになる。
時計の針が十二時に届く少し前に、事務所のベルが鳴らされた。
「入りなー」
軽い調子でアレックスがそう言うと「しつれいします!」という幼い声が聞こえてきた。
子供の声?とサウロンもつられてそちらを見やると三人の子供達が戸口に立ち包みを差し出していた。男の子が一人と女の子が二人。
一番小さい女の子は、三、四歳だろうか、最年長らしき十二、三程の少女の影に隠れている。
三人とも昨晩見た店主とおそろいのエプロンを着け、秋津国の民族衣装に身を包んでいる。
「おべんとうのはいたつです!こちらであっていますか?」
今度は十歳前後の少年が質問する。サウロンは立ち上がって、その包みを受け取った。
「ああ、合っている。代金を支払おう」
「はい、ありがとうございます」
やや芝居がかったように聞こえるのはそう応対するように教えられたからだろう。財布から提示された代金を支払うと、少年は首から提げた袋を取り出して慎重に貨幣を仕舞い込んだ。
「確かにお届けしました!またのご利用をお待ちしております!」
年長の少女と視線を交わすと少年は声を合わせ、頭を下げて挨拶をする。女の子はなんとか「ます!」とだけ言えたようだった。
あからさまにほっとした表情を浮かべた子供達は、まだ残りがある荷物を抱えてドアから出ようとする。
「ま、待ってくれ!」
ガタン、と大きな音を立ててレオンハルトが立ち上がった。
いきなり初対面の男に迫られて、子供達は身を寄せ合う。
サウロンが取りなす前にアレックスがさっと前に出て子供達に声を掛けた。
「ああ、ごめんね君たち。このお兄さんは秋津国に憧れていてね、君たちが来ている服に興味があったんだ。…だろう?レオ」
「あ、ああ。そうだ。すまない、怖がらせてしまったね」
気の利く部下に目線で礼を言い、取り乱した自分に赤くなりながらレオンハルトはしゃがみ込んで子供達に問いかける。
「それで、…その。君たちの着ているキモノ。だったかな、布自体はアルビオンのものに見えんだけど、どこで買ったんだい?」
いかにキラキラとした王子様風の顔立ちでも、やはり緊張して少女と少年は言葉に詰まった。
「ねえねがつくったの!」
しかし、目を輝かせた女の子が少女の影から飛び出すと嬉しそうに笑ってそういった。
「ねえね?」
女の子は持っていたらしい犬のぬいぐるみをレオンハルトに差し出して続ける。
「サキねえねがね、つくったの!」
むふーと自慢げに、誇らしげに、女の子が笑う。
「大将、店主の名だ」
短くサウロンが補足すると、一転してレオンハルトは感心したと目を見張った。
「そうか、君たちのお姉さんは縫い物が上手なんだね」
その大きな手のひらで女の子の大事なお友達を受け取るとレオンハルトはしげしげとそのぬいぐるみを観察する。
手触りの良い布で作られ、縫い目も細かいのが見て取れる。多少乱暴に扱っても良いように、手足のつなぎ目はしっかりと太い糸で縫い付けられている様子が微笑ましかった。
はい、と返すと女の子は大事そうにぬいぐるみを抱きしめてまた少女の影に戻ってしまった。
「すまない、まだお仕事が残っているようだ。遅刻したら悪い、足止めさせてしまってごめんね」
本心では少年達のキモノを観察してみたかったが、流石にそれは憚られると紳士たるレオンハルトは立ち上がって時間を使わせたことを詫びた。
「これは、お詫びだ。受け取ってもらえるかい?」
そしてポケットから幾ばくかの金銭を取り出すとチップとして少女に渡す。
「いけませんお客様、こんなにもらえませんよ」
少女の方が恐縮して首を振るが、レオンハルトは受け取ってくれと繰り返した。
「なら、また僕のお弁当を頼む。その時にサービスをしてくれたら嬉しい」
そう言いつのると時間も押していたのかなんとか子供達は頷いてチップを受け取ると何度も頭を下げながら出て行った。
「レオ、お前さんまだ一口も料理を食ってないだろうが」
その背を見送った後、呆れたと言う風にアレックスが息を吐いた。
こういうとき、レオンハルトは兄に怒られた弟のように眉根を寄せてしょげかえる。
実際、彼の家は彼の上に二人の兄と二人の姉がいるそうで、五人兄弟の末っ子となれば無意識に甘え上手になるのも宜なるかな。
それを知っていても、アレックスはどうにもレオンハルトに甘くなってしまう。
「はぁ…ったく」
兄貴分として弟分を可愛がりたいというのもあり、アレックスは結局これ以上の小言は言わなかった。
「アル、お前の飯は?」
そわそわと弁当を見つめているレオンハルトを察し、サウロンは尋ねる。
「ああ、朝に買ってきた。そうだな、そろそろ飯にしよう」
時刻は正午を過ぎていた。
注文した弁当は竹製の弁当箱に収められ、同じく竹製のカトラリーと共に木綿の布にくるまれていた。
蓋を開けてまず思ったのは、その彩りの豊かさだ。
目を引いたのは鮮やかな黄色。次いで緑に赤だ。
ふっと、サウロンは小さく口元を緩めた。あの店主のへにゃりとした笑顔を思い出したからだ。
―ああ、美味そうだ。
隣を見ればレオンハルトが歓喜に打ち震えている。前に会食で秋津料理が出た時はシェフが秋津で修行したわけでもないアルビオン人のシェフだったという事でさほど美味では無かったらしい。
もしかしたら、秋津の料理は自分の舌には合わないのかもしれない…と落ち込んでいたこの上司を励ますのに苦労したとアレックスが言っていた。
そうしてややぎこちないながらも箸を使い、弁当に口を付けたレオンハルトを見てからサウロンも箸を手に取った。
白い飯には黒ごまが散らされ、鮭の切り身、菜のごま和えと甘辛く味付けされたゴボウとニンジンの炒め物。それから黄色い物はオムレツだった。
断面が美しい渦巻き模様を描くから、何層も薄く焼いて丸めた物だと当たりが付いた。
オムレツは、ふわりと甘くそして出汁の旨味があった。
黙々と箸を進めていると、肩をつつかれる。
「お前も明日頼め」
「まだ何も言ってねえだろー?」
見なくても分かる。アレックスだ。
「で、美味い?」
面白がっているのが丸わかりの表情で訊いてくる親友にサウロンは顎でしゃくって見せた。
その先には一口一口噛みしめるように食べるレオンハルトがいる。
「おお…神よ…!」
時折神に祈ったり天を仰いだり目元を押さえたりと忙しいようだ。
「まあ、秋津料理がレオの舌に合っていて良かったよ」
遠い目をするアレックスにほれ、とサウロンは小さく切ったオムレツを口に放り込んでやる。
「ん、甘いオムレツか…。………美味いな」
目を丸くする男に頷き返しながらサウロンは弁当を完食した。
アレックスが入れたコーヒーを貰いながら一息つく。イスの背もたれに体重を預け、時計を見やるとまだ休憩時間は二十分ほど残っていた。
ついと見やればレオンハルトはまだ食べている。
アレックスの方も買ってきたサンドイッチを食べ終え新聞を読んでいるようで、サウロンもまた読みかけの本を開いた。アルビオンの古典叙事詩だ。
上流階級のパーティに招かれる事もざらにあるのが騎士団だ。教養はあって損は無い。
そうで無くても彼は本を読むことは好きだった。
つらつらと読み進めていると、ガタンっと大きな音がした。そして重々しい声音で呼ばれる。
「……サウロン」
「なんだ?大将」
「一週間後には必ず行くと御店主に伝えてくれ…」
「ああ、了解した」
随分お気に召したようだ。とサウロンは僅かに目元を和ませて安堵した。




