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女も子供も家督不可? 追放先の自治領を立て直したら、いつの間にか天下を取っていました  作者:


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第80話:統一憲章

 体力値、七。


 ステータスの数字が視界の端でちらつく。廊下の石畳が妙に遠い。一歩踏み出すたびに、足裏から体温が抜けていくような感覚がある。


 六。


 あ、もう減った。歩いただけで減るの、ほんと勘弁してほしい。


「ミチカ様、もう少しこちらに体重を――」


 ミナが右腕を引き寄せる。左側ではレオンが無言で肩を貸している。二人に挟まれた私の足は、正直なところ半分くらい床を引きずっている。


 でも。


 ステータスオープン。


 大広間の向こう――諸侯たちの感情パラメータが一斉に流れ込んでくる。


 動揺値、上昇中。


 信用値、微減傾向。


 焦燥、不安、猜疑(さいぎ)


 盟主が来ない。署名が止まっている。十五分の猶予が過ぎようとしている。


 ――間に合う。


「間に合います」


 声に出した。自分に言い聞かせるためじゃない。廊下の先に立つ伝令兵に聞かせるためだ。


 伝令兵が弾かれたように走り出す。大広間に向かって「盟主、間もなく到着!」と叫ぶ声が石壁に反響した。


 膝が震えている。


 気づかれないように、もう一歩。


「……レオン」


「はい」


「大広間の入口で離して。一人で歩く」


 レオンが一瞬だけ言葉を飲み込んだ。横目で見なくてもわかる。忠誠値が跳ね上がって、同時にストレス値も跳ね上がっている。守りたいのに命令に従わなきゃいけない、あの葛藤のパターン。


「――了解」


 短い返答。さすがレオン、任務に変換するのが早い。


 ミナの手が、ほんの少しだけ強くなった。


「ミチカ様」


「大丈夫。実務です」


 ミナが小さく息を吸う音が聞こえた。何か言いたそうにして、でも飲み込んで、代わりに私の腕をそっと支え直した。


 ――ありがとう。それは後で言う。全部終わってから。


―――


 大広間の扉が開いた瞬間、空気が変わった。


 百を超える視線。諸侯、文官、連盟の代表者たち。長卓の上には羊皮紙が広げられ、インク(つぼ)と羽根ペンが整然と並んでいる。


 統一憲章。


 この国の形を変える、たった一枚の紙。


 レオンとミナの手が離れる。約束通り、入口で。


 一人で歩く。六歩。七歩。足音が広間に響く。静かすぎて、自分の心臓の音まで聞こえそうだった。


 卓の上座に立つユリウスが、私を見た。


「……遅い」


 皮肉交じりの声。でもその目は笑っていない。真剣そのものだ。


「視察に時間がかかりました」


「視察、ね。死にかけの人間がする視察は初めて見た」


 軽口の形をした心配。ユリウスらしい。


 ユリウスが諸侯に向き直る。声が変わった。法廷に立つ法務官の声だ。


「諸侯各位。統一憲章第十七条、通商保障条項について最終修正を報告する」


 羊皮紙の一節を指で示す。


「隣国辺境伯との撤兵合意に基づき、辺境伯側が求めた通商保障条項を憲章本文に正式に組み込んだ。具体的には――関税上限の明文化、通商紛争の仲裁機関設置、国境市場の定期開催保障。これにより外交的解決が制度として恒常化される」


 諸侯たちが条文に目を落とす。ざわめきが低く広がった。


 ステータスで読む。動揺値――下降。信用値――微増。


 条文を読んでいる。自分の目で確認している。これが大事なのだ。誰かの言葉を鵜呑(うの)みにするのではなく、文字を読み、理解し、納得する。参加型統一の本質はここにある。


 リオが一歩前に出た。


「はいはーい、ここで朗報。辺境伯陣営から正式な撤兵伝令が届きました」


 懐から封書を取り出し、封蝋(ふうろう)を見せる。辺境伯家の紋章。


「本日正午をもって全軍撤収開始。国境線の警戒態勢も段階的に解除。――つまり、外患は消滅です」


 広間がどよめいた。


 リオの声は軽い。いつもの商人口調。でも封書を持つ手が微かに震えていたのを、私は見逃さなかった。


 リオの忠誠値。過去最高。


 ……泣きそうになるからやめて。今は実務中。


「では」


 ユリウスが羽根ペンを取り上げた。


「合議宣誓制に基づき、五名の署名を行う」


 五人が卓の前に並ぶ。


 ユリウス。リオ。レオン。ノア。カイ。


 私の仲間たち。私がいなくても動ける人たち。私がいなくても、この国を回せる人たち。


 ユリウスが最初にペンを走らせた。流麗な署名。法の番人としての覚悟を一画一画に込めるように。


 リオが続く。商人らしい実用的な字。でも最後の一画だけ、少し力が入っていた。


 レオンの署名は硬い。几帳面(きちょうめん)で真っ直ぐな字。剣を握るように筆を握っていた。


 ノアは静かに、最低限の動作で署名した。無駄がない。でも確実だった。


 カイ。


 カイの手が、一瞬だけ止まった。


 ステータスで見る。忠誠値――安定。ストレス値――高い。でも(うそ)反応はゼロ。


 あの寡黙な元密偵が、自分の名前を公文書に刻むことの重さを、()み締めている。


 ペン先が羊皮紙に触れた。短い署名。体言止めのような、カイらしい字だった。


「五名の合議署名、完了」


 ユリウスが宣言した。


「合議宣誓制、発効」


 ――キター。


 いや、心の中で叫ぶのは後にしよう。まだ私の仕事が残っている。


 追認署名。


 盟主として、五人の決定を承認する最後の一筆。


 合議宣誓制の設計上、盟主の署名は追認に過ぎない。五人の署名で制度は動く。私の署名がなくても、憲章は発効する。


 でも。


 ここに署名することで、「仕組みで継ぐ」という思想が完成する。盟主が追認する――つまり、盟主すら制度の一部であると宣言する行為だ。


 卓に近づく。手を伸ばす。


 羽根ペンに指が触れた瞬間――


 体力値、五。


 急落。


 視界が白くなった。指先の感覚が消える。ペンが手から滑り落ちた。からん、と乾いた音が広間に響いた。


 沈黙。


 百の視線が私に集中している。ステータスの数字がぐるぐる回る。諸侯の動揺値が急上昇――


 ミナが走った。


 誰よりも早く。レオンよりも、ノアよりも。


 床に落ちた羽根ペンを拾い上げ、私の手に押し当てた。そしてそのまま、私の手を包むように自分の手を添えた。


「ミチカ様、一緒に――」


 温かい手だった。


 でも。


 私はミナの手をそっと外した。


 指に力を入れる。ペンを握り直す。震えている。でも、握れる。


「ミナ」


「はい」


「これは実務です」


 ミナの目が潤んだ。でも(うなず)いた。一歩下がった。


 ペン先を羊皮紙に押し当てる。


 ミチカ、と書く。


 一画目。震えた。でも読める。


 二画目。まだ震えている。でも止まらない。


 署名が完成した。


 広間が、静まり返った。


 一秒。二秒。三秒。


 最初に立ち上がったのは、西方の老領主だった。椅子を引く音が響いて、次に隣の領主が、その隣が、連鎖するように諸侯が一人、また一人と立ち上がった。


 拍手はなかった。声もなかった。


 ただ、立った。


 それが、この場にいる全員の答えだった。


―――


 王位継承者が歩み出た。


 その手に、王璽がある。金と(あお)玉の国璽。この国の正当性そのもの。


 継承者が王璽を、評議会の卓上に置いた。


 静かに。丁寧に。でも迷いなく。


「この国は――」


 声が震えていた。でも言葉は明確だった。


「仕組みに託します」


 ――継承者への問い。あの日、私が問うた「仕組みで継ぐ覚悟はありますか」への、答え。


 沈黙が、長かった。


 あの優柔不断だった継承者が。理想はあるが実行力がないと自嘲していた人が。幽閉され、自信を失い、それでもここに立って、自らの血筋の象徴を手放した。


 ――血筋ではなく、制度で。


 歓声が上がった。


 (せき)を切ったように。百の声が大広間を満たした。諸侯が互いの手を取り、文官が涙を拭い、連盟の代表者たちが抱き合った。


 私の視界が、揺れた。


 体力値、四。


 あ、やばい。


 ステータスの数字がぼやける。歓声が遠くなる。足の感覚がなくなって――


 扉が(たた)き開かれた。


 カイだった。


 息を切らしている。カイが息を切らしているところを見たのは、初めてかもしれない。


「急報」


 短い。体言止め。カイらしい。


「残党。王城地下。火薬搬入」


 広間が凍りついた。歓声が嘘のように消えた。


「王璽局ごと――爆破の可能性」


 火薬。王城地下。王璽局。


 つまり、今この卓の上にある王璽を無意味にするための――いや違う。王璽はもう評議会に委託された。狙いはそこじゃない。王璽局の公文書。署名記録。統一憲章の原本の保管先を潰すつもりだ。


 制度を、物理的に燃やす気か。


 視界が暗くなる。膝が折れかける。


 ミナの手が背中を支えた。


「ミチカ様……!」


 意識が遠い。でも、まだ。


 まだ、声は出る。


「命令――」


 かすれた声。でも広間の沈黙の中で、全員に届いた。


「――鎮圧を」


 五人が動いた。


 ユリウスが憲章原本を卓から取り上げ、インベントリに格納するよう――いや、私はもう動けない。ユリウスは原本を自分の懐に入れた。制度で守る。物理的に。


 レオンが治安隊に即座に指示を飛ばした。リオが伝令を走らせた。ノアが王城の構造図を広げた。カイはもう走り出していた。


 合議宣誓制の、初発動。


 盟主の命令ではない。盟主が倒れたから、仕組みが動いた。


 私の意識が、落ちていく。


 最後に見えたのは、ミナの顔だった。泣きそうで、でも泣いていなくて、私の手を握って、離さなかった。


 ――あとは、任せた。


 ……いや違う。任せたんじゃない。最初から、この仕組みはそのために作った。


 私がいなくても、回る国を。


 体力値、四。意識、混濁。


 でも――この国は、もう止まらない。

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