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女も子供も家督不可? 追放先の自治領を立て直したら、いつの間にか天下を取っていました  作者:


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第77話:合議宣誓制

 指が、動いた。


 それは先ほどの微兆の続きだった。けれど今度は違う。指だけじゃない。


 ミチカの睫毛(まつげ)が震えている。


「……ミチカ、様」


 ミナの声が揺れた。報告書をまとめていた羽根ペンが床に落ちる。からん、と乾いた音が病室に響いて、それきり静寂が戻る。


 蝋燭(ろうそく)の炎が一つだけ揺れている。窓の外はまだ暗い。夜明け前の、世界が一番冷たい時間帯。


 ミチカの唇が、かすかに動いた。


「……じ、ょう……きょう」


 状況。


 この子は――目覚めた瞬間に、状況を聞こうとしている。


 ミナが椅子を蹴って立ち上がった。扉を開け、廊下に声を飛ばす。


「ノアさん! ミチカ様が――ミチカ様が目を開けます!」


―――


 ノアが到着したのは二分後だった。寝間着のまま、けれど薬箱だけはしっかり手にしている。この人は寝るときも枕元に薬箱を置いているのだと、ミナは前から知っていた。


「脈を診る。ミナ、蝋燭をもう二本」


 短い指示。ミナが火を灯す間に、ノアの指がミチカの手首に触れた。


 沈黙。


「……覚醒している。ただし体力値は七から五に落ちた」


 ミナの息が止まった。


「先日の診断では七だったのに、さらに――」


「覚醒そのものが体力を消費する。長時間の活動は不可能。口述と思考で三十分。それ以上は許可しない」


 ノアの声はいつも通り淡々(たんたん)としている。けれどミチカの手首を握る指先が、ほんの少しだけ強かった。


「補足しておく。体力値は二を下回れば臓器の維持が困難になる。心臓、肺、腎臓――順に機能が落ちていく。五というのは、まだ猶予があるという意味だ。だが猶予があるだけで、安全ではない」


 その言葉が、病室の空気をさらに冷やした。


 ミチカが薄く目を開けた。


 焦点が合うまで数秒。天井の木目を見て、蝋燭の炎を見て、ミナの涙を見て、ノアの無表情を見た。


「……何日」


「三日です、ミチカ様」


 ミナが答えた。声が震えているのを、本人が一番わかっている。


「……三日。状況を」


「それは私から報告する。ユリウスとレオンを呼べ」


 ノアが言った。ミナが(うなず)いて廊下に走る。


 ミチカは天井を見たまま、小さく(つぶや)いた。


「体力値五……ですか。コスパ最悪の目覚めですね」


 三日間眠って、起きたら体力が減っている。投資に対するリターンが完全に赤字だ。――それでもこの頭は、目覚めた瞬間から損益を弾いている。止められない。止める気もない。


―――


 五分後。


 ユリウスとレオンが病室に入った。リオは物流拠点の夜間監視中、カイは負傷の応急手当て中。今この場にいるのは四人。


 ユリウスが真っ先に口を開いた。


「起きたか。……いや、起きてくれて助かった。正直に言う」


 皮肉屋のこの男が、皮肉なしで話し始めた。それだけで事態の深刻さが伝わる。


「盟主不在憲章問題。報告する」


 ユリウスが簡潔に状況を並べた。


 定足数は成立した。諸侯会議の開催条件は整った。残党弾劾の議題も追加済み。辺境伯との軍事的対峙(たいじ)膠着(こうちゃく)状態だが、密約書原本の流出で敵陣営は動揺している。


「――だが統一憲章の宣言には盟主本人の署名と宣誓が必要だ。お前が立てなければ、制度的に詰む。皮肉だろう? 制度で個人依存を脱しようとした当人が、最後の最後で個人依存のボトルネックになるとは」


 ミチカは枕の上で瞬きをした。一度。二度。


「……ユリウス。質問です」


「なんだ」


「その署名条項、誰が書きましたか」


「……俺だが」


「なら、書き換えられます」


 沈黙。


 ユリウスの目が細くなった。皮肉ではない。純粋な知的好奇心の光。


「……聞こう」


 ミチカが息を整えた。体力値五。口述できる時間は三十分。一言も無駄にできない。


「合議宣誓制。盟主の署名を――五人の合議署名で代替する制度です。盟主は事後に追認署名のみ」


 レオンが眉を寄せた。


「それは……盟主の権限を削ることになりませんか」


「逆です。盟主の権限を制度に移すことで、盟主が倒れても統治が止まらない。個人に依存する統治は――」


 ミチカが一度()き込んだ。ノアが水を差し出す。一口含んで、続けた。


「――個人に依存する統治は、その個人が倒れた瞬間に崩壊します。私たちはそれを三日間、身をもって証明しました」


 ユリウスが腕を組んだ。


「代行体制の先例がある。俺たちは盟主不在の三日間、五人で統治を回した。物流を維持し、定足数を確保し、弾劾議題を追加した。制度が動いた実績が、既にある」


「そうです。だからそれを――憲章の中に組み込みます」


 ミチカの声は弱い。けれど言葉の輪郭は鋭かった。


「五人の合議で署名し、盟主は追認のみ。つまり憲章の正当性は、一人の血筋でも一人の能力でもなく――五人の合意に宿ります」


 制度が個人を超える瞬間。


 ユリウスの口元が、初めて皮肉ではない笑みを浮かべた。


「……『血筋ではなく仕組みで継ぐ』。俺がお前に登用条件として突きつけた言葉だ。まさかこういう形で返されるとはな」


「実務です」


 ミチカが小さく笑った。


「ただし――」


 ミチカが続けた。声の力が少しずつ落ちている。時間がない。


「この制度は、今の五人だけのものにしてはいけません。代行者の選出方法に――将来の互選条項を入れてください。盟主の指名、または合議代行者の互選で後任を選べる仕組みを」


 ユリウスが一瞬黙った。それから口元に、今度は見慣れた皮肉の色が戻った。


「……自分で作った制度に、自分たちを縛る条項を入れろと? なるほど。お前は本気で『仕組み』を作る気だ」


「属人的な制度は、結局また個人依存に戻ります。それでは――意味がない」


 レオンが背筋を正した。


「承知しました。自分は――この制度を守る側に回ります」


 ミナは何も言わなかった。ただミチカの手を握っていた。


―――


 ユリウスが条文の骨子を口述筆記し始めた。ミチカは枕の上から、時折一言二言、修正を入れた。


 その途中で、扉が静かに開いた。


 カイだった。


 左腕を()っている。包帯の下に血が(にじ)んでいる。ノアが一瞬目を細めたが、カイは小さく頷いた。


「応急は済んだ。ノアの指示通り」


 それだけ言って、部屋の隅に立った。口述筆記の邪魔をするつもりはない。ただ、ここにいるべきだと判断したのだ。


 ミチカの目がカイを捉えた。


「……カイ。帰還、確認しました」


「報告は後で。今は――条文を」


 カイの言葉は短かった。けれどミチカは小さく頷いて、口述を続けた。


「――第三条。盟主は回復後、合議署名に対し追認署名を付すことで、宣言の正当性を事後的に完成させる。第四条――」


 声が細くなっていく。


「――本制度は、統治の正当性が個人ではなく合意に宿ることを宣言するものである。合議代行者の後任は、盟主の指名、または――現任の合議代行者による互選で――」


 そこで声が途切れた。


 ミチカの目が閉じた。


 ノアが即座に脈を取った。


「体力値――三に急落。口述の負荷が大きすぎた」


「ミチカ!」


 ミナが叫んだ。


 敬称がなかった。


『ミチカ様』ではなく、ただの『ミチカ』。この子がそう呼んだのは、これが初めてだった。


 病室の空気が凍った。


 レオンの拳が白くなるほど握られていた。ユリウスの羽根ペンが止まった。カイの無表情に、ほんの一瞬だけ何かが走った。


 ノアだけが動いていた。薬箱から瓶を取り出し、(さじ)で液体を量り、ミチカの唇に含ませた。


「……全員、出ろ。五分だけ時間をくれ」


 誰も動かなかった。


「出ろ、と言った。治療に集中する」


 ノアの声が、初めて揺れた。それで全員が廊下に出た。


―――


 五分は永遠だった。


 ミナは壁に背をつけて座り込んでいた。両手で口を押さえている。涙は出ていない。泣くことすらできないほどの恐怖だった。


 レオンが壁を殴りかけて、拳を止めた。守りたい気持ちを任務に変換する――それがこいつのやり方だ。けれど今、守る手段がない。


 ユリウスは羽根ペンを握ったまま、条文の骨子を書き続けていた。手が震えている。それでも書いている。これがこいつの戦い方だった。途中で一度だけ手を止め、小さく呟いた。


「……条文を仕上げることが、今の俺にできる唯一の皮肉だ。死ぬなよ、盟主殿」


 カイは何も言わなかった。ただ廊下の端に立って、外からの侵入者がいないか見張っていた。


 扉が開いた。


「体力値四で安定した」


 ノアの声。


 全員が息を吐いた。


「ただし、次に意識を失えば三を下回る。二を下回れば――臓器が止まり始める。その意味は、わかるな」


 全員が黙って頷いた。


「ミチカは眠っている。口述はもう不可能だ。だが――先ほどの指示で十分だろう」


 ユリウスが頷いた。


「十分だ。骨子は聞いた。条文は俺が仕上げる。最後の互選条項も含めて――あいつの意図は読めた」


―――


 夜明けまでの三時間。


 ユリウスは病室の隣の小部屋で、合議宣誓制の条文を書き上げた。


 第一条――統一憲章の宣言に際し、盟主の署名は五名の合議代行者による連署をもって代替することができる。


 第二条――合議代行者は、盟主が事前に指名した者、または盟主不在時に代行体制を実績として運用した者とする。合議代行者に欠員が生じた場合、盟主の指名または現任の合議代行者による互選をもって後任を選出する。


 第三条――盟主は回復後、合議署名に対し追認署名を付すことで、宣言の正当性を事後的に完成させる。


 第四条――本制度は、統治の正当性が個人ではなく合意に宿ることを宣言するものである。


 ユリウスがペンを置いた。


「……『血筋ではなく仕組みで継ぐ』。条文にすると、たった四条だ。――だが、この四条のために何人が死にかけたか。割に合わんな」


 皮肉が戻っていた。この男はもう大丈夫だ。


 レオンが最初に署名した。迷いのない筆跡だった。


「自分の名で、守ります」


 ユリウスが二番目。自分が書いた条文に自分で署名するという奇妙な状況に、小さく笑った。


「……著者兼署名者。利益相反もいいところだ」


 ミナが早朝に飛ばした伝令を受け、リオが物流拠点から駆けつけたのは、署名が二つ並んだ直後だった。息を切らし、額に汗を浮かべ、けれどペンを取る手は軽やかだった。


「夜通し荷の番をしてたんだ、署名の一つくらい安いもんだよ。こういう契約なら、喜んで乗る」


 三番目の署名。


 ノアが四番目。署名の前に一度だけミチカの寝顔を見た。何も言わなかった。ただ、いつもより少しだけ丁寧な字だった。


 カイが五番目。左腕が使えないので、右手だけで署名した。一画一画が不器用で、けれど確かだった。


 五つの署名が並んだ。


 ミナがその書面を受け取り、ミチカの枕元に置いた。追認署名の欄は、まだ空白のまま。


―――


 窓の外が白み始めた頃、レオンが廊下から戻ってきた。


 表情が変わっていた。


「急報です。諸侯会議会場への妨害工作――残党が動きました」


 全員の目が鋭くなった。


「街道封鎖ではありません。会場そのものへの物理的な破壊工作です。火薬の類が持ち込まれた形跡がある、と治安隊の巡回班が報告してきました」


 ユリウスが条文の写しを丸めた。


「……最後の一枚か。制度を整えた。あとは会場で宣言するだけ――そのたった一つを、潰しに来たわけだ。残党も残党なりに、急所は見えているらしい」


 カイが一歩前に出た。


「偵察。俺が行く」


 レオンが首を振った。


「貴殿は負傷しておられる。治安隊と自分で――」


「治安隊では遅い。火薬の配置を読める者が必要だ」


 短い沈黙。カイは何も付け加えなかった。なぜ自分が火薬に詳しいのか――説明しなかった。


 誰も聞かなかった。ユリウスが一瞬だけ視線を逸らした。レオンの口元が引き結ばれた。この場にいる全員が、カイの過去の輪郭を知っていた。知っていて、問わなかった。


 沈黙の中、ミナが立ち上がった。


「……私から、一つだけ」


 全員がミナを見た。


「ミチカ様なら、きっとこう仰います。――『命令。全員、生きて帰りなさい』と」


 一拍の間。ミナは自分の手を見た。ミチカの手を握っていた、その手を。


「……でもこれは、ミチカ様の代弁ではありません。私の――ミナの願いです。皆さん、どうか生きて帰ってきてください」


 カイの目が、ほんの一瞬だけ揺れた。


 帰還命令。ミチカがカイに出したあの言葉。任務完了ではなく、生還を義務とする命令。――それを今、ミナが自分の言葉として繰り返した。


「……了解」


 カイが頷いた。


 レオンが続いた。


「護衛配置を再編します。ユリウス殿、条文の写しを三部用意願えますか。一部は会場、一部は連盟本部、一部はミナ殿が持つ形で」


「もうやってある」


 ユリウスが三通の写しを掲げた。


「――用意がいいだろう? 皮肉屋は仕事も早いんだ」


 朝日が窓から差し込んだ。


 合議宣誓制の条文は完成した。制度的障害は除去された。あとは会場で宣言するだけ。


 だが残党は、その最後の一歩を踏ませまいとしている。


 そしてミチカは――まだ目を覚まさない。


 追認署名の欄は、空白のまま。


 ミナはミチカの手を握ったまま、窓の外の朝日を見た。


 五人だけで、最後の壁を越えなければならない。

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