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女も子供も家督不可? 追放先の自治領を立て直したら、いつの間にか天下を取っていました  作者:


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27/83

第27話:教会と祈祷長

 早朝の教会は、冷たい。


 石造りの壁が夜の冷気をそのまま閉じ込めているせいだ。吐く息が白い。六月なのに。


 ……いや、この領地は北方の高地だった。朝晩の冷え込みは平地の比じゃない。そこに断熱材なんて概念のない石壁が加われば、こうもなる。


「ミチカ様、寒くないですか?」


 隣を歩くミナが、自分の肩掛けを差し出そうとする。


「大丈夫。寒いほうが頭は()える」


 実務です、と言いかけてやめた。さすがに教会の敷地内で「実務です」は不敬な気がする。


 礼拝堂の正面扉は閉ざされていた。早朝の祈祷(きとう)時間にはまだ早い。人影はない。


 ――はずだった。


「……こちらへ」


 低い声が、側廊の柱の影から聞こえた。


 振り向くと、灰色の修道服を(まと)った痩せた男が立っている。年齢は四十代半ばか。深い(しわ)の刻まれた額と、妙に澄んだ目。


 マティアス司祭。


 あの宣言の日――私が領民の前で統治継承を宣言した、あの朝に、誰にも命じられていないのに鐘楼の鐘を鳴らした男だ。


 穏健派。教会内部の良心。


 ……たぶん。


「領主代行殿、と呼ぶべきですかな。それとも――」


「ミチカで結構です。肩書きは実態が伴ってから使います」


 マティアスの目が僅かに見開かれた。それから、静かに(うなず)く。


「裏の回廊へ。人目につかぬほうがよいでしょう」


―――


 礼拝堂の裏手。中庭に面した石の回廊は、朝露に()れていた。


 柱と柱の間から差し込む薄い朝日が、司祭の横顔を照らす。


 警戒している。


 当然だ。教会の人間が世俗権力の片方と密会している――それだけで、もう片方から処分される口実になる。


 だから私は、あえて切り札を見せなかった。


 先日の御用商会倉庫調査で押収した、教会管区章の押された密書。あれを突きつければ話は早い。「あなたの教会の上層部は本家と結託していますよ」と。


 でもそれは――脅迫だ。


 脅して得た協力は、脅しが解けた瞬間に消える。この領地に来てから何度も思い知らされたことだ。恐怖で動かした人間は、より大きな恐怖の前であっさり裏返る。


 今必要なのは、この人自身の意思で立ってもらうこと。


「マティアス司祭。単刀直入に伺います」


「……どうぞ」


「あの日、鐘を鳴らしたのはあなたの意思ですか」


 沈黙。


 三秒。五秒。


「……はい」


 短い答え。だが、その一言に込められた覚悟の重さは、声の震えで分かった。


「誰かに命じられたわけではない」


「いいえ。独断です。――おそらく、それが私の教会での立場を決定的に悪くしました」


 やっぱりか。


「司祭様、教会の内部で何が起きているのか、教えていただけますか」


「……それを聞いて、どうなさるおつもりで」


「状況を正しく把握します。それが全ての出発点なので」


 ――実務です。


 さすがに口には出さなかった。教会の中では自重しよう、うん。


 マティアスは長い息を吐いた。


 そして、語り始めた。


―――


「――この地方の管区本部を掌握しているのは、自らを『正統教義護持派』と名乗る一団です」


「名前は聞いたことがあります。教義の純化を掲げている派閥、と」


 領地の記録を調べる中で、何度かその名を目にしていた。教会への寄進記録に不自然な偏りがあったのも、その過程で気づいたことだ。


「掲げている、というよりは――利用している、と言うべきでしょう」


 マティアスの声に苦いものが混じった。


「彼らの主張は単純です。『神の秩序は血統に宿る。正統な血筋による統治こそが神意である』と」


「……女性の家督相続を否定する根拠に使える教義ですね」


「左様。そして本家のような旧貴族の権威を、宗教的に正当化する」


 なるほど。教義が政治の道具になっている。以前調べた領地の寄進記録とも符合する。本家からの寄進額が、他の領主の十倍以上だった理由がこれか。


「具体的には、どのような便宜が?」


「教会領の通行税免除、教会系の製粉所の優先使用権――」


 マティアスは一度言葉を切り、声を落とした。


「――そして、教会裁判権の私的運用です」


 教会裁判権。世俗の裁判とは別に、教会が独自の司法権を持つ制度。異端審問や婚姻無効の裁定など、本来は信仰に関わる事案を扱うもの――のはずだが。


「本家に逆らった人間を、教義違反の名目で?」


「排除、というほど露骨ではありません。ですが――」


 マティアスの目が暗く(かげ)った。


「小領主や商人が『教義逸脱』の嫌疑をかけられ、事業を停止させられた例は……片手では足りません」


 あの倉庫の帳簿で見た、不自然に取引が途絶えた商人たちの記録。あれも、この仕組みの一端だったのか。点と点が(つな)がっていく感覚がある。


「穏健派は?」


「沈黙を強いられています。声を上げれば『教義逸脱』の審問対象になる。私がまだ処分されていないのは――正直に申せば、この辺境の小教区が管区本部の注意を引くほど重要ではなかったからに過ぎません」


 辺境だから見逃されていた。でも、あの鐘で目立ってしまった。


「鐘を鳴らしたことで、状況は変わりましたか」


「管区本部から問い合わせの書簡が来ました。『何故、世俗の政治的行為に教会の鐘を使用したのか』と」


「返答は?」


「『祈りの時刻を知らせる通常の鐘であり、世俗の行事との時間的一致は偶然である』と」


 ――この人、やるな。


 (うそ)はついていない。鐘は祈りの時刻に鳴らすものだ。たまたまそれが宣言と同時だっただけ。建前としては完璧。


 この人、建前のプロだ。うちの陣営に欲しい人材すぎる。


「ミチカ様」


 ミナが小さく手を挙げた。控えめに、でも確かな声で。


「あの、私――この教区の祈祷会に何度か参加したことがあるんですけど、マティアス司祭様は、収穫の集まりや市場の開場のときにも祈祷をしてくださっていました。領民が大勢集まる場では、必ず」


 マティアスが僅かに目を瞬いた。ミナが続ける。


「それは管区本部の許可とか関係なく、聖職者のお務めとして、ずっと前から……」


 ……ミナ。


 その一言で、頭の中の歯車がかちりと()み合った。


「マティアス司祭」


 私は一歩、前に出た。


「近日中に公開審査会を開きます。本家当主の不正を領民の前で明らかにし、この領地の統治権を正式に確立するための場です」


 司祭の表情が引き締まった。


「その審査会に、穏健派の立会いをお願いしたい」


「……それは」


 マティアスが目を伏せた。


「お気持ちは理解します。ですが、教会法では――聖職者が世俗の裁定に関与することは、管区長の許可なくしては認められません。証人として出廷すれば、それ自体が教義違反の口実になる」


 来た。制度の壁。


 予想はしていた。でも――さっきのミナの言葉が、答えをくれた。


「証人ではありません」


「……は?」


「証人として出廷するのではなく、祈祷者として臨席していただきたいのです」


 マティアスが顔を上げた。困惑と、微かな――希望?


「公開の場で重大な裁定が行われる。領民が大勢集まる。そこに神の祝福を求めるのは、信仰者として当然のことです。――司祭様は、これまでもずっとそうされてきたと聞きました」


 ミナの言葉を、そのまま返した。収穫祭でも市場でも、人が集まる場所には祈りがあった。それは管区本部の指示ではなく、この司祭自身の務めとして。


「祈祷者には発言権も投票権もありません。ただそこにいて、祈る。それだけです」


 でも、「それだけ」の意味は計り知れない。


 教会の聖職者が公開審査会の場にいる――その事実だけで、審査会には宗教的権威が加わる。本家側が「この審査会は不当だ」と叫んでも、「神の前で行われた裁定」という重みが生まれる。


 しかも、祈祷は聖職者の基本的義務だ。管区長の許可は必要ない。教会法上、誰にも(とが)められない。


 制度の穴を、制度で塞ぐ。


 領地の法令を読み込み、教会法の慣行を調べ、この世界の仕組みを一つずつ理解してきた。その積み重ねが、今ここで形になる。


 マティアスは長い間、黙っていた。


 回廊に朝日が差し込む角度が変わった。中庭の草に露が光る。


 司祭の視線がミナに向いた。それから、私に戻る。その目に浮かんでいたのは、もう警戒ではなかった。


「……ミチカ殿」


 マティアスが口を開きかけて――止まった。


 唇が微かに震えている。何かを言おうとして、長年の習慣が喉元でそれを押し戻しているような。


 沈黙が、数秒。


 司祭の手が、無意識のように修道服の胸元を握った。その指先が白くなるほどに。


「……一つ、告白があります」


 声が変わった。硬い殻がひび割れるような――覚悟の声だ。


「あの密書――先日の御用商会倉庫調査で見つかったという、教会の管区章が押された密書。その存在を、私は知っていました」


 ――えっ。


「正確には、そのような密書が存在するだろうと推測していました。管区本部と本家当主の間で、定期的に封書のやり取りがあることは、この教区の郵便記録を見れば分かることです」


「なぜ今まで――」


「証拠がなかった。そして、声を上げる相手がいなかった」


 マティアスは一度目を閉じた。回廊に差す朝日が、その深い皺を浮き彫りにする。


「……長い間、私は祈ることしかできなかった。不正を知りながら、辺境の小教区で息を潜めて。声を上げれば潰される。黙っていれば加担と同じ。その矛盾の中で、ただ――祈り、鐘楼の鐘を磨いていました。文字通り、毎日。いつか正しく鳴らせる日のために」


 低い声が、石の回廊に染み込むように響いた。


「あの宣言の日。あなたが壇上で、血筋でも武力でもなく、制度で統治を宣言するのを聞いた」


 マティアスの視線が、私の目を真っ直ぐに捉えた。


「そして今――密書を突きつけるのではなく、教会法の枠組みの中で共に立つ道を示してくれた。脅迫ではなく、祈祷という聖職者の務めを根拠にして。……あなたは教会の仕組みを壊そうとしているのではない。正しく使おうとしている」


 司祭の声が、僅かに揺れた。


「私が鐘を鳴らしたのは、あの日その姿勢に賭けたからです。そして今――この告白が、賭けの続きです」


 胸の奥が、じん、と熱くなった。


 ダメだ。感傷に浸ってる場合じゃない。


「……実務です」


 小さく(つぶや)いた。教会の敷地内だけど、今はこの一言がないと自分を保てなかった。


「では――」


「祈祷者として、審査会に臨席します。穏健派の中から、もう二名ほど声をかけられるかもしれません。ただし、管区本部が動く前に、です」


「時間の問題は承知しています」


 私は頭を下げた。深く。


「ありがとうございます、マティアス司祭」


「……礼には及びません。これは私自身の――告解のようなものですから」


 鐘楼の下の告解。


 文字通りだな、と思った。


 ミナが静かに手を合わせていた。泣いてはいない。ただ、祈るように目を閉じて。――この子は、こういう空気の中でこそ自然に在れる人なんだな、と思った。


―――


 教会を出た。


 朝の空気が、さっきより少しだけ暖かい。日が昇り始めている。


「ミチカ様、あの司祭様……すごく勇気のある方ですね」


「うん。だからこそ、その勇気を無駄にしないようにしないと」


「あの、さっき私が言ったこと……出過ぎたことじゃなかったですか?」


「逆。ミナがいなかったら、祈祷者の形式を思いつかなかった。ありがとう」


 ミナが一瞬きょとんとして、それから、花が綻ぶように笑った。


 祈祷者形式。これで公開審査会には、勅使による世俗の権威と、聖職者による宗教的権威の二重の正当性が加わる。


 多重正当性。


 本家がどの角度から攻めてきても、どこかの権威が盾になる構造。一つ崩されても他が残る。


 ――と、自画自賛していたのも束の間。


「……報告」


 路地の影から、音もなくカイが現れた。


 相変わらず忍者みたいな登場の仕方だ。心臓に悪い。


「カイ。何かあった?」


「本家の随行者。昨夜深夜。領外へ早馬」


 短い。体言止め。いつものカイだ。


 でも、その短い言葉の中身が――重い。


「宛先は」


「分岐の宿場。馬番確認。乗り継ぎ先――管区本部」


 ――最悪だ。


「教会強硬派への連絡か」


 カイは短く頷いた。


「もう一件」


 カイが珍しく言葉を継いだ。


「勅使の一行。南街道で確認。明日昼までに到着」


 ――勅使が、もうそこまで来ている。


 ミナの顔が強張った。


 私の頭の中で、時間の計算が始まる。


 ユリウスが先日の街道調査でまとめた地図によれば、管区本部まで早馬で一日半。返答を持った使者が戻るのに、さらに一日半。合計三日。


 でも、管区本部が「処分命令」だけを先に出すなら、早馬一頭で十分だ。一日半で届く。


 つまり――明日の夜には、マティアス司祭を黙らせるための命令が届く可能性がある。


「本家側の狙いは明白ですね」


 自分の声が、妙に冷静だった。


「穏健派を管区本部の権限で潰す。審査会から宗教的権威を剥ぎ取る。そうすれば、勅使だけが権威の源泉になり――勅使の背後にいる王都派閥の意向で審査会の結論を操作できる」


 ミナが息を()んだ。


「ミチカ様……どうするんですか……?」


 どうする。


 答えは一つしかない。


 管区本部の使者が来る前に、審査会を終わらせる。


 つまり――前倒しだ。


 勅使は明日の昼までに着く。管区本部からの処分命令は、早くても明日の夜。


 その間に、全てを決める。


「ミナ、ユリウスとレオンを至急集めて。リオにも連絡。カイ――」


「……何を」


「管区本部方面の街道を監視して。使者が来たら、到着の半日前には知りたい」


 カイは一瞬だけ目を細めた。それが彼なりの了承の表情だと、最近ようやく分かるようになった。


「了解」


 影のように消えるカイ。


 私は空を見上げた。朝日が、鐘楼の十字架を金色に染めている。


 マティアス司祭が命を賭けて差し出してくれた協力。


 それを守るために、私は――明日の朝までに、全てを整えなければならない。


「……審査会、前倒しします。勅使到着に合わせて、明日の朝一番で」


 ミナが目を見開いた。


「明日――ですか!?」


「明日です」


 断定。即決。


 迷っている時間はない。


 このときの私は、まだ知らなかった。管区本部への早馬が、たった一つの火種ではなかったことを。本家当主が同時に放った、もう一通の密書の存在を――。


 だがそれは、翌朝の審査会の壇上で知ることになる。

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