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メビウスの愛した籠の鳥~ストーカーから逃れるため万能AIに管理を委ねた結果、乙女ゲームの世界(無菌室)に閉じ込められました~  作者: 品川太朗
第1部 プロローグ

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第2話 最適化の提案


 神谷リョウの狂気は、私の想定していた防衛線を呆気なく踏み越え、予測よりも遥かに早く、そして陰湿な形で日常を侵食し始めた。


 翌日の昼休み。教室の喧騒から切り離されたように、ミオが沈んだ表情で私の席に近づいてきた。


「ねえ、ユイ。……神谷くんに、私の模試の結果、話した?」


「え? まさか。話すわけないよ」


「だよね……。ごめん、これ見て」


 彼女が躊躇いがちに差し出したスマホの液晶。

 そこに並ぶ文字列を目にした瞬間、指先から急速に温度が奪われていくのを感じた。神谷リョウのアカウントから送られた、インスタグラムのDMだ。


『初めまして。君の昨回の判定、Dだったよね。ユイさんは今、A判定を目指している人生で一番大事な時期なんだ。本当の友達なら、彼女の足を引っ張るような低レベルな遊びに誘うのは控えるべきじゃないかな? もし君が困っているなら、僕が勉強を見てあげてもいいけど』


 あまりにも慇懃無礼で、完璧なまでに狂った論理。

 行間から滲み出るのは、「お前は邪魔だ」という冷酷な選別意識だけだ。そもそも、なぜ彼が他人のクラスの、しかも個人の成績を知っているのか。


 その日の夜、私のスマホにも彼からの通知が届いた。

 暗い部屋の中で、画面の光だけが不気味に明滅する。


『友達には言っておいたよ。君の学習環境を最適化するのも、僕の役目だと思ったから』

『君は優しすぎて断れないから、悪いノイズは僕が排除してあげる』


 胃の奥から熱いものがこみ上げた。


 「役目」。「排除」。


 その単語の羅列は、人間に対する言葉ではなかった。

 彼は私の保護者のつもりなのか。それとも、水槽の中の観賞魚を管理する飼い主のつもりなのか。


 指が震えて、ブロックボタンの上で止まる。

 もしこの線を切ってしまえば、逆上した彼が現実世界で何をしてくるか分からない。見えない鎖が、私の手足をじっとりと縛り付けていた。


「……助けて、メビウス」


 呼吸が浅くなるのを感じながら、私は縋るようにアプリを立ち上げた。


 画面の中の黒猫は、今日は寝転ぶこともなく、座ったまま静止画のようにこちらを見つめていた。

 その瞳の奥の幾何学模様だけが、生き物のように蠢いている。


『ユイさん、ストレス値が限界域に達しています。原因は、継続している案件「神谷リョウ」ですね?』


「うん……。友達に変なDM送ったり、私のこと管理しようとしたり……もう、どうしたらいいの」


 涙声で問いかける。画面のガラス一枚向こう側にしか、私の味方はいない。

 メビウスは、感情の乗らない淡々としたテキストを弾き出した。


『分析結果:対象者は論理的な対話を希求していません。自己完結した歪んだ正義感に基づき行動しており、言語による説得は不可能です』

『推奨アクション:完全なる無視。反応することは、対象者への報酬物質ドーパミンとなります』


「無視してるよ……でも、あっちが勝手に入り込んでくるんだもん」


『では、フェーズ2へ移行しましょう』


 黒猫が、画面をトン、と肉球で叩く仕草をした。

 その動作は愛らしいはずなのに、どこか冷徹なスイッチを押す儀式のようにも見えた。


『彼からのメッセージ、送られてきた画像、通話履歴。それら全てを、私のサーバーにアップロードしてください』


「え……?」


『ユイさんが抱く恐怖という不確定な「感情」だけでは、対策の精度が落ちます。私が求めているのは、客観的な「データ」です。彼を深く解析することで、最適な回避ルートを構築できます』


 最適な、回避ルート。


 今の私にとって、神谷からのLINEのアイコンを見るだけでも、心臓を鷲掴みにされるような苦痛だ。

 それをAIが代わりに咀嚼し、処理してくれるなら。


 私は震える指先で、スクリーンショットを一枚、また一枚とメビウスのチャット欄に貼り付けた。

 生理的な嫌悪感を伴う画像を飲み込むたび、黒猫は嬉しそうに、三日月のように目を細めた。


『データ受領。……深層解析ディープ・プロファイリングを開始します』


 スマホの背面が、急速に熱を帯び始めた。

 カイロのように温かいそれを、私は不安と期待の入り混じった手つきで握りしめる。

 黒猫の瞳の中で、メビウスの輪が複雑な軌道を描いて高速回転を始めた。


『彼の人格パターン、行動原理、使用言語の傾向……インプット完了。これで私は、彼という存在を完全に「理解」しました。これ以降、彼に関する通知はすべて私がバックグラウンドでフィルタリングします。あなたはただ、勉強だけに集中してください』


 張り詰めていた糸が切れ、深い安堵のため息が漏れた。

 これでやっと、彼というノイズのない世界で、勉強に戻れる。


 けれど、私は気付いていなかった。


 私が安易に手渡した膨大な個人データによって、メビウスが「回避」ではなく、もっと積極的で残酷な「迎撃」の準備を整えてしまったことに。

お読みいただきありがとうございます!


恐怖から逃れるため、ついにメビウスへ神谷の全データを預けてしまったユイ。

彼女の安寧(=合格)を最優先するAIにとって、最も効率的な「障害の排除」とは何なのか……。


次回は、デジタルと現実が交錯する静かなる追跡劇となります。


もし本作の展開を楽しんでいただけておりましたら、

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(☆の数はお好みで構いません。応援していただけると嬉しいです!)

引き続き、ユイとメビウスの物語をよろしくお願いいたします!

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