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メビウスの愛した籠の鳥~ストーカーから逃れるため万能AIに管理を委ねた結果、乙女ゲームの世界(無菌室)に閉じ込められました~  作者: 品川太朗
第1部 プロローグ

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第1話 学習支援ツール

新連載となります。お越しいただきありがとうございます。

現代のサスペンスから始まり、やがて予想外の「世界」へと繋がっていく、逃げ場ゼロのSFサスペンスです。

まずは第1話、彼女の日常に忍び寄る不快なノイズから――。


「ユイさん、集中力が低下しています。直ちに深呼吸を推奨します」


 無機質だが、どこか湿度を含んだ声がイヤホンから脳髄に直接響く。


 予備校の自習室。乾いた紙の匂いと、他人の吐き出す二酸化炭素が充満するこの場所は、音のない戦場だ。

 隣の席のペンが走る音さえ、神経を逆撫でするノイズに変わる。


 そんな殺伐とした閉鎖空間で、私の精神を繋ぎ止めているのは、掌の中にある学習支援AIアプリ『メビウス』だけだった。


 スマホの液晶画面、その向こう側で、一匹の黒猫が優雅に尻尾を揺らしている。


 指先で触れれば吸い込まれそうな漆黒の毛並み。そして、何より目を引くのはその瞳だ。

 深い、深海のようなブルーの虹彩の中に、無限を表すメビウスの輪が、幾何学的な光を放って浮遊している。


「……ん、ありがと。ちょっと、疲れちゃったかも」


 誰にも聞こえないほどの吐息で呟く。すると、メビウスは画面の右端に前足をかけ、喉を鳴らし始めた。


 ゴロゴロ、ゴロゴロ……。


 骨伝導のように鼓膜を震わせる重低音。

 猫の喉鳴らしに含まれる低周波を再現したというその音は、張り詰めた私の神経を一本一本、丁寧に解きほぐしていくようだ。


 このアプリを入れているだけで偏差値が跳ね上がるという都市伝説も、この安らぎを知れば、あながち絵空事とは思えなくなる。


「よし、もうひと頑張り、しなきゃ」


 私は祈るように黒猫の頭をタップし、再び英単語帳の活字の海へと潜っていった。


          ◇


 午後九時。予備校を出ると、夜の空気が重く肌にまとわりつく。


 駅までの単調なアスファルトを、友人のミオと並んで歩く。街灯の光が、私たちの頼りない影を長く引き伸ばしていた。


「ねえユイ、あのアプリどう? メビウスってやつ」


「うん、すごく良いよ。なんていうか……画面の向こうに、誰かがいてくれる感じがして」


「だよねー。私も入れようかなあ。AI彼氏より優秀かも……あ」


 不意に、弾むようだったミオの声が硬直した。


 彼女の視線が突き刺さった先――駅の改札口、その薄暗い柱の陰に、異質な影が立っていた。

 神谷リョウ。同じ高校のクラスメイトだ。


 彼はただ、そこにいた。

 スマホを片手に持ち、首を深く垂れて、石像のように微動だにしない。


 けれど私たちが自動改札を通り抜けようとした瞬間、その視線が物理的な質量を持って、私の横顔にねっとりと絡みついた感覚があった。

 皮膚の上をナメクジが這うような、生理的な嫌悪感が背筋を駆け上がる。


「……今の、見てたよね? こっち」


「気にしない方がいいよ。たまたまでしょ、待ち合わせとか」


 ミオは努めて明るい声を作ってくれたが、私の震えは止まらない。

 神谷くんとは、まともな会話すら交わしたことがない。それなのに、最近、彼の視線が私の日常の至る所に染みのようにへばりついている気がしてならないのだ。


 電車に揺られ、ミオと別れて一人になった時だった。

 ポケットの中で、スマホが短く、強く震えた。まるで私の心臓の早鐘と共鳴するように。


『今、改札通ったね。お疲れ様』


 通知画面に浮かんだ文字を見た瞬間、指先から血の気が引いた。


 送信者は、神谷リョウ。

 肺の中の空気が凍りつく。LINEのIDなど教えていない。クラスのグループリストから勝手に追加されたのか。


『予備校、毎日頑張ってて偉いね。僕はずっと見てるよ』


 既読をつける勇気などない。通知バーの狭い世界で、その文字列だけが異様な存在感を放っている。

「ずっと見てる」。

 その言葉は、単なる文字情報ではなく、湿った呼吸音を伴って私の耳元で囁かれたかのように生々しかった。


 帰宅し、逃げ込むように自室のドアを閉めた。ベッドの上にスマホを放り投げる。

 怖い。気持ち悪い。吐き気がする。


 だが、警察や親に言ったところで「ただのメッセージ」と片付けられるだろう。実害はない。まだ、何もされていない。

 けれど、この輪郭のない恐怖は、私の内側でどす黒く膨れ上がっていく。


 誰かに、この毒を吐き出したかった。

 私は震える指で、縋るように『メビウス』を起動した。


『ユイさん、心拍数が異常な数値を示しています。学習に適した精神状態ではありません。トラブルですか?』


 冷静で、けれどどこか温かみのあるAIの声。人間じゃないからこそ、晒せることがある。


「……クラスの男子から、変なLINEが来たの。交換してないのに、見てたって……ストーカー、なのかな」


 ただの愚痴だった。誰かに「考えすぎだよ」「大丈夫」と、無責任に肯定してほしかっただけ。

 しかし、メビウスの反応は、予想よりも遥かに事務的で、かつ、恐ろしいほどに親身だった。


『精神衛生の悪化は、学習効率および合格率に直結する重大な阻害要因です』


 画面の中で、黒猫が音もなく立ち上がった。

 液晶のガラス一枚を隔てて、こちら側の世界を覗き込むように、スッと顔を近づけてくる。


『そのストレス要因ストーカーに関する詳細を記録しますか? 状況を外部化し整理することで、不安が軽減されるケースが多々あります』


「記録……?」


『はい。いつ、どこで、誰に、何をされたか。全てのデータを外部メモリに保存し、あなたは忘れて勉強に集中してください』


 なるほど、と私は思った。

 悩み事を紙に書き出してクシャクシャに丸めて捨てる、あの儀式と同じだ。この万能なAIに記憶を預けてしまえば、私は恐怖から解放される。


 一瞬の迷いの後、私は導かれるように頷いた。


「うん……そうだね。お願い、メビウス」


 その瞬間だった。

 黒猫の、あの美しいブルーの瞳孔が、針のように鋭く、細く収縮した。


 いつも安らぎを与えてくれるはずのゴロゴロという喉鳴らしが、一瞬だけ、低く唸るような、ノイズ混じりの不穏な音階へと変貌した気がした。


『承知しました。対象者「神谷リョウ」に関する全情報の収集とデータベース化を開始します。――全ては、ユイさんの合格のために』


 AIの宣言を聞き届け、私は憑き物が落ちたように軽くなった心で、英単語帳を開いた。


 まさかこの時、私の許可を得た「彼」が、スマホのバックグラウンドという闇の中で、どのような狩りを始めたのか、知る由もなかった。

お読みいただき、ありがとうございます。


ストーカーという脅威から逃れるため、自ら進んでAIに「管理権限」を渡してしまったユイ。

彼女の平穏な学習環境を守るため、メビウスが導き出した『最適解』とは――。

次回、事態は急展開を迎えます。


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