〈36〉 エリオットの決意
「あああ……か、可愛いわぁ~っ!」
「ほんとに!なんで赤ちゃんってこんなに可愛いんだろうね?!もう、存在するだけでこの世界が平和になる気がする……!特に笑った瞬間とか!」
ミリーナさんが赤ちゃんの顔を見せに来てくれてから私とエリオットは顔が溶けるんじゃないかと思うくらい赤ちゃんにメロメロになっている。
にこっ。(キラキラとエフェクト有り)
ああ~、可愛い可愛い可愛い可愛い可愛いぃぃぃいぃ!!!寝顔も泣き顔も可愛いし、しゃっくりしてもおならしてもゲップしても可愛いなんてもはや天使なんじゃないの?!!もう天使決定!
「そういえば、名前は決めたの?」
オムツを替えてスヤスヤ眠っている赤ちゃんを私がデレデレしながら見ているとエリオットがミリーナさんに声をかけていた。男の子だし、跡取りとして発表もしなければならないからゆっくり考えている暇はないのだ。
「実は……エレナ様から名前の文字を一部いただいて、“レナード”にしようかと思っているんです。もちろん、エレナ様がお嫌でなければですが……」
「わ、私の名前から?!え、そんなのいいの?!ジェンキンスが嫌なんじゃ……」
「あら、これはジェンキンス様からの提案ですわ。もし女の子でしたら同じ名前にしようかと企んでいたくらいですもの、さすがにそれはご迷惑でしょうから止めましたけれど……それくらい、エレナ様には感謝しているのです。もちろんわたくしもですけれど」
ミリーナさんの優しげな瞳に思わず胸がドキッと高鳴る。私のお節介がそれなりに役に立っていたと思っていいのだろうか。
「いいんじゃない?素敵な名前だよ。……僕からしたら羨ましいくらいだし」
エリオットが目を細めて赤ちゃんを────レナードの頬をつつきながら「僕のおねーさまから名前をもらえるなんて、レナードは幸運だね」と笑っていた。そして、その瞬間に名付けが決定してしまったようだ。
「お許しをもらえたなんて、ジェンキンス様もお喜びになりますわ!」
「えっと、まぁ……うん。ミリーナさんたちがいいならいいかな……」
うわぁ。なんか、照れくさい。それでも、本当にいいのだろうか……と、なんとなくミリーナさんをチラリと見たら、これでもかというくらい顔をほころばせていた。本気で嬉しいと思ってくれているようなら嬉しい限りである。
ミリーナさんがレナードを連れて帰ったあと、エリオットがおもむろに私の部屋を訪ねてきた。
「あの、おねーさま。実はユリアーナ姉様のことなんだけど……」
《《あの》》騒ぎの後、エリオットはユリアーナ様と和解し、彼女のことを「ユリアーナ姉様」と呼ぶことにしたと言っていた。今はエリオットの戸籍をラファエ公爵家に戻す手続きの真っ最中である。まぁ、あれだけ「ラファエ公爵家の跡取り」として貴族たちの前でお披露目しちゃったからね。いつまでもメルキューレの名でいるわけにはいかないだろう。
「ああ、婚約破棄のこと?公式な発表はあったけれど、あれからユリアーナ様から連絡はあったの?」
「うん、まぁね。ちょっと手間取ったけどやっと落ち着いたって手紙がきたよ。それで結局、あの王太子は廃嫡になってユリアーナ姉様は第二王子と婚約することに決まったみたい。……ずっと第二王子が好きだったから念願が叶って嬉しいとか、ラファエ公爵家を頼むとか……全部丸投げなんて、僕の“姉”になる人は無茶振りが多いよね」
確かあの王太子は、他にも芋づる式で悪事が見つかった挙げ句に廃嫡になったらしい。それに、ユリアーナ様が全面的に拒否したものあるのよね。それこそ王太子はユリアーナ様のことを「キズモノのくせに」と罵ったらしいが、第二王子がユリアーナ様の全てを受け入れたらしい。その姿を見て、国王がやっと決意したのだとか。
「しかもユリアーナ姉様ってば……第二王子と既成事実を作るために夜這いをかけたらしいんだよ。例え婚約出来なくても、あんな王太子に奪われるくらいなら好きな人に捧げたいとかなんとか……行動力ありすぎでしょ。何か問題が起きても僕に丸投げするつもりだったって言うんだからタチが悪いと思わない?」
「うわぁ……ユリアーナ様らしいといえばらしいけど。これまであんなに慎重だったのに、いきなり大胆ね」
「もう、とんでもないよ!だって僕、ラファエ公爵家のこと全然わからないのに……後継者に任命したから後はよろしくってさ。困った姉様だね」
そう言ってため息をついたエリオットだったが、眉をハの字にしながらも嬉しそうではあった。転生して魂は違うものの、その体は確かにユリアーナ様と血が繋がっている。やはり、姉と弟の何かを感じているのかもしれない。
「……手続きが終わったら、エリオットはラファエ公爵家に行っちゃうのね」
それは嬉しいことだけど、寂しくもあった。同じ転生者仲間として心の拠り所だったからなおさらだ。エリオットの真実を知った時は、私が守ってあげなきゃって思ったけれど……今のエリオットは少したくましくも見える。
「エリオット、ラファエ公爵家に行っても元気でね。もうエリオットルートは終わったはずだし心配は……というか、私と関わらなければそんな心配もないか。私が……ヒロインがおとなしくしていれば、もうエリオットという攻略対象者に迷惑をかけることもないはずだし……えっと、だからなんていうか……」
あらためてお別れを言おうとしたら言葉に詰まってしまった。なぜか鼻の奥がツーンとして涙がこぼれそうになってしまう。
エリオットは攻略対象者だけど、その中身は転生者で女子高生なのだ。これ以上ヒロインの近くにいたらまたどこかのルートの事件に巻き込まれないとも限らない。せめてこの世界で、少しでも安心出来る生活を送ってほしい。そのためには、トラブルの元凶である私とは離れていたほうがいいはずだ。
「げ、元気で……っ」
「……おねーさま!」
そして、我慢しきれずポロッと涙がこぼれる。するとそれを合図にしたかのように、エリオットが私を突然抱き締めてきたのだ。
「……エリオット?」
「おねーさま………。僕が正式にラファエ公爵になったら────僕と婚約しない?僕は、おねーさまをヒロインの呪縛から助けたいんだ。残った攻略対象者におねーさまを渡すなんて、おねーさまが不幸になるのを見ているだけなんて……僕は絶対に嫌だよ!」
「エリオット……?」
そう言って、私を抱き締める腕に力を込めたその時。
「その手を離せ、エリオット」
「今回は、ルーファス様に賛同させていただきます。エリオット様……いえ、《《ラファエ公爵》》」
「っ!」
どこからともなく現れたルーファスが、乱暴にエリオットの腕を掴んで私から引き剥がした。そして、なぜかリヒトまでがその場にいて私とエリオットの間に立っていたのである。
「ル、ルーファス?!リヒトまで、なにを……」
するとルーファスは、エリオットに向かってこれまでにない厳しい視線を向けていた。
「……前々から、エリオットの気持ちが最初と変わっていた事にはすぐに気付いていたんだ。エレナもお前を気に入っているようだったしな。だから、エリオットが“メルキューレ侯爵家”の一員である以上は何も言わなかった。それが《《遺言》》でもあるからだ。だが、エリオットは今回のことでラファエ公爵家の跡取りになることが決まった。……もう、メルキューレ侯爵家とは無関係の人間になるんだ。つまり────エレナの伴侶にはなれない。エレナはメルキューレ侯爵家の女侯爵だ。いくら公爵家だからって、そんな女をどうこうしようなんてとんでもないことだ。エレナの夫となれる条件は覚えているだろう?」
いやいやいや、ルーファスはなんでエリオットをそんなに睨んでいるのか?だって、エリオットの中身は女子高生で……あ、それを知っているのは私だけだった。
つまりルーファスたちには、ラファエ公爵になると確定したエリオットがメルキューレ侯爵家の女侯爵である私を誘惑しているように見えるわけだ。確かにあの遺言からすれば私の伴侶がこの侯爵家の権力を手に入れるわけだから、もし今のエリオットが私と結婚したら、ラファエ公爵家とメルキューレ侯爵家の両方の力を手に入れることになるわけで……。
もちろん、エリオットにそんな算段があるわけがない。それは私がよく知っている。でも、目の前でエリオットを睨んでいるふたりはそう思っていないのだろう。
「エリオット、ラファエ公爵となるお前にエレナの伴侶になる資格はない。どんなにエレナが欲しくても諦めてもらおうか」
「…………っ!」
そう言ったルーファスに、エリオットが見たこともない形相で叫んでいたのだった。
「……だってこのままにしていたら、リヒトの手下に成り下がったあの男爵令嬢がやらかすに決まってるし!だってあの女、おねーさまをあの部屋に閉じ込めた実行犯でしょ?!ジェンキンスの聖女事件であやふやになってたけど、侯爵令嬢を虐げていた犯人なのに放置されてる時点で怪しいじゃん!きっとおねーさまを邪魔に思ってリヒトが何かしたんでしょ?!それに僕、聞いちゃったんだ……あの男爵令嬢がメルキューレ侯爵家の女主人になるんだって言ってるって!」
「なっ……リヒトの手下の男爵令嬢?メイドのことか?誰だそれは。それに、エレナが使用人に虐げられていたなんて初耳だぞ!なぜ俺に報告しない?だいたい、メイドが女主人になるだなんて戯言を言っている時点で鞭打ちの刑にしてもいいくらいなんだぞ!それがのさばっているなんて侯爵家として失態もいいところだ!」
「……男爵令嬢だとすると、行儀見習いでメイドをしているキャサリンのことでしょうか?手下というか、確か最初の頃にエレナ様の言動を逐一報告するようにとは命じていました。エレナ様が女侯爵に相応しいか、三兄弟の誰を伴侶に選ぼうとしているか調査が必要でしたので……ですが、意見が偏らないように数人の使用人にも同じように命じていました。決して彼女だけを特別扱いした覚えはありませんし、ましてや女主人になれるなどと付け上がらせた記憶もございません。……まぁ、扱いやすかったので少々手のひらで転がした事はありましたが最近は何の指示もしておりません」
「本当にリヒトじゃないの?!────でも、そのキャサリンって女……未だにおねーさまを凄い形相で睨んでるよ?僕にバレてないって思ってるのかだんだん大胆に嫌がらせしてきてるんだ。おねーさまの部屋をわざと汚したり毒虫を放ったり、この間なんかクッションに針を仕込んでいたんだ!……僕に報告に来てくれたおねーさまを慕っている使用人たちが先回りして片付けてくれてるからこれまで何もなかったけど、僕が側からいなくなったらきっともっと酷くなる気がする。だって、ルーファスもリヒトも気付いてなかったってことでしょ?!さらにルーファスは拗らせた変態だから、おねーさまをどうするかなんてわかんないじゃん!」
「は?!こ、拗らせた変態ってお前なにを」
そしてエリオットは、動揺したルーファスから私を取り戻すと、今度こそ離さないと言いたげに私に抱きついた。
「おねーさまは僕が守るんだからぁ!」
私からしたら、「あー。そういえば、そんなメイドいたなぁ」くらいの認識だったのだが……。そんなに嫌がらせされてたの?!ずっと慌ただしかったから全然気付かなかったわ。
「────だから、《《ラファエ公爵家》》から正式に婚約を打診するよ。遺言にもあったでしょ?《《決定権はエレナ》》にあるって。決めるのはルーファスでもリヒトでもない。おねーさま自身だ!だいたい、メイドの不審な動きにも反応出来ないルーファスにおねーさまは勿体ないよ!その男爵令嬢が女主人になりたいっていうならいっそルーファスが結婚してやれば?そうすれば嫌がらせもされなくてすむし。おねーさまの今後は僕が責任持つからさぁ!
ああ、それから無理矢理既成事実を作るとかはやめてよ?僕の後ろ盾には新たな王太子と王太子妃がいるって、忘れないでよね」
「エリオット、きっさまぁ……」
まさに火花を散らして睨み合っているふたり。まさかエリオットがこんなことを言い出すなんて思わなかったので驚いたが、一触即発の雰囲気にどうすればいいのかわからなかった。
「────」
そして、とにかく落ち着いてもらおうと思って口を開きかけたその瞬間。
「あぁ、みなさま!あたしのために争わないでぇ~っ!!」
なにやら妙に顔をキラキラさせた、例のメイドが部屋に飛び込んできたのであった。




