第三十八回『破ってしまった約束と王様。誕生、剣の魔女!』
ぼけーと壁掛け時計見つめていると長針が真上を指した。すると和やかな音楽が奏でられ、時計の窓から飛び出した竜の人形が九回鳴く。
「もう夜の九時かぁ。寝てる時も、この時計は鳴るのかな。ちょっと、うるさいかも……」
自室として与えられた豪華な部屋で独り言を漏らし、ふかふかのベッドに寝転がる。
「祝賀会楽しかったけれど、疲れちゃったよう~」
慣れないヒールの高い靴のせいで主に足が疲れてしまった。
「これからは外に出る時、ずっとあんな靴をはくのかなぁ」
祝賀会の後、自室に戻ると王宮妖精たちがテキパキとパジャマに着替えさせてくれた。パジャマと言っても、この国の王族は就寝時にもドレスを着る習慣があるらしく私は落ち着かない立派な衣装をまとっている。
「なんだか、お城の生活って絵本で読んで空想してたけれど、やっぱり凄い」
着替えも食事も王宮妖精が用意してくれる。ドアの開閉すらやってくれるのだ。と言うよりドアノブに触れると王子のやることではないと王宮妖精に叱られてしまう。
「王子様かぁ」
今日はまだ王子様だけれど、私は明日の戴冠式で王様になる。
「王様の仕事ってなんだろう。武具屋より大変なのかな」
武具屋。お母さんが残してくれた大切なお店。常連のお客さんにお店の鍵を預けて花の世話をお願いしちゃったけれど、みんな枯れてないかな。本当にこれで良かったのか分かんない。お母さんが帰ってきてくれるはずだった、あの場所を私は捨てようとしている。あの店は私の全てだったのに。
「ルミセラと一緒に暮らしたかった。私の全てだったあの場所で……」
頬を伝わり熱いものが流れていく。この国の人々。みんなの期待と、それに応える責任を私は背負ってしまった。裏切れるわけがない。
――お姉様と、お幸せにね。
「あの時のルミセラ、悲しそうだった。……そんなに私と一緒に暮らしたかったのかな」
一緒に暮らそうね、そんな些細な約束。相手は王女様だ。一緒に暮らそうなんて口約束を守ってくれるかどうかも定かではない。ただの気まぐれかもしれない約束。
「私……バカだ」
ルミセラはずっと約束を守ってくれてたじゃない。私の笑顔を守るって約束。命を賭けて守り続けてくれた。バジリスクの群れにだってグリセルダさんにだって立ち向かってくれた。なにもかも、私と交わした約束を果たすために。
「そんな人と交わした約束を……私」
――破っちゃったんだ。一番裏切ってはいけなかった人を私は裏切ったのかもしれない。フルフルと絶対に一緒に暮らしたい。そう言って嬉しそうに笑ってくれたルミセラの顔を思い浮かべ、私は泣き疲れて眠りに落ちるまで涙を零し続けた。
「フルル・フルリエ・トリュビエルよ。クロウエア・セリア・クリームチャットの名において、そなたに魔女の称号を与える」
「…………え?」
「そなたは魔女を倒した。今日からは剣の魔女を名乗るがいい」
女王の間。荘厳かつ、城内で最も豪華絢爛な場所だといえるだろう。その中にこの国でたった一人座ることを許された玉座がある。その玉座に腰掛けた威厳に溢れた美しい女性。この国の人間なら誰もが知っている。女王クロウエア。またの名を夜の魔女。私は玉座の前に立ち、縮こまっていた。しかし女王の髪の色は私とそっくりで親近感を覚える。
「フルル、心配なさらないで」
隣に立っているミルドレッドが小声で励ましてくれたので、私は小さく頷く。
今日は結婚式を兼ねた戴冠式のはずが、おかしなことになってきた。
「わ、私が魔女……ですか?」
「不服か?」
「い、いえ、そのようなことは……うう……」
私の後ろには国の高官やら貴族などのそうそうたる人たちが並んでいる。そんな彼女たちに、ざわめきが走っていた。
みんな、そんな話聞いてないよって感じだね……。
「これは私の決定だよ、フルルが嫌って言っても覆らないからね~」
女王が突然、砕けた口調になったので私は呆気にとられる。ルミセラに喋り方がそっくりだ。
「しかし陛下。王子とはいえ、そのような未熟な魔法士に魔女の称号は!」
「そうだ! そんな商人上がり風情に!」
振り返ると、ドレスや豪華な鎧を来た女性たちが口々にヤジを飛ばしていた。彼女たちがこの国を仕切っている人間なのだ。どうにも武具屋に魔女の称号が与えられるのが気に食わないらしいが、私も別に欲しいとも思えない。魔女を名乗る資格もないだろう。
「とにかく陛下。ご再考を!」
「魔女の名が汚れますぞ!」
みんな凄い剣幕。私が王様になることを期待してくれてたわけじゃないの?
昨日の祝賀会で親しげに話しかけてくれた人たちも……怒ってる。
「飾りの王に権を与えたくない。そういう話ですわね」
「飾りなんだ、王様って」
「王には政に加わる権は、ほとんどありません」
少しだけ私は悲しい気持ちになった。トリニタリアさんは王様になって、この国を良くしようと願っていたのに。
「それでも官の任命権を持っています。ですから皆、媚を売り利用しようとする」
官の採用やら、そういう人事には関われるのだろうか。……正直、国の難しいことは私には分からない。
「ですが、魔女になれば別です」
「魔女には政治に参加する権利がある?」
「簡単に説明すると国の全てに対して発言権があります」
「そ、そんなに偉いの、魔女って……?」
「ええ。飾りの王が自分たちの領域に口を挟める権を得れば煩わしいのでしょうね。お人好しで甘い小娘であれば逆に」
「ど、どうして? 私、一所懸命頑張るよ」
「あなたのように綺麗事を信じている人間は汚職や利益を貪るために政に参加している者には邪魔でしかありません」
「……そんな……」
私の言葉は一際大きく響いた怒鳴り声にかき消されてしまった。
「あのような商人上がりに政を任せるなどと!! 病床で判断が鈍りましたか、陛下!」
女王は女性に反論せず、顔を伏せている。肩で息をし顔は真っ青だ。
「女王様は危篤状態って開会式の時にミルドレッドが……」
「戴冠式と、そしてフルルに魔女の称号を与えるために、お母様は無理を承知で、この場へ来ました」
「……私、魔女の称号なんて」
その時、再びあの怒鳴り声が耳に刺さる。
「お答えください、陛下!! ならば代行して大臣である私が、決議を下――」
その言葉を遮って女王の間に透き通った美しい泡の羽が無数に舞い上がる。その場にいた人間全てが虚をつかれ静まり返った。
「いつから、この国は女王の決定を大臣が覆せるようになった」
――グリセルダさん? 水の魔女は宙を舞い落ちてきた羽の中を粛々と歩く。そして私や女王、そして愛するミルドレッドを庇うように彼女は皆の前に立った。
「国軍長官は軍務だけ担っていればいいものを……!」
「魔女は政の全てに対し、発言権があったはずだが?」
余裕の微笑み。大臣を一笑し格上のオーラを放っている。間接キスをしたいとか喚いて廊下に立たされていたグリセルダさんと同一人物とは思えない。
「水の魔女は、この王宮で最も頼りになり、そして官の中で唯一の信じられる人間です」
唖然としている私に耳打ちし、ミルドレッドは微笑んだ。
「皆、納得したようだな」
グリセルダさんが指を鳴らすと、舞っていた羽は全て小さな泡となって儚く消えた。
「魔女を倒せるのは魔女だけ。それなら九人目の魔女は……このフルルだよ……」
今にも消え入りそうな声で女王はささやいた。体調が悪化しているのだろう。
「どうした? なにを静まり返っている」
グリセルダさんの笑い含みだが鋭い声。
「新しい魔女の誕生だろう? 拍手をしたらどうだ」
彼女の迫力に押されてか女王の間は。緩やかにだが拍手で満たされる。
「よろしく、剣の魔女」
背中越しにグリセルダさんが声をかけてくれた。優しい声だった。思わず涙腺が緩む。
「あなたにならミルドレッドを任せられる」
「ありがとう、グリセルダさん……」
……本当に素敵な人。試練の森で知り合った人たちはみんな、最高に素敵な人たちだよ、お母さん。




