第三十九回『トリニタリアさんの願いを叶える王様に。マグノーリアさんが忠誠を誓うに相応しい王様に。グリセルダさんが想いを託すに値する王様に』
戴冠式が始まり、女王の間は先程とは打って変わって厳かな空気が漂い始める。私とミルドレッドはいよいよ結ばれるのだ。皆の視線を受け、私とミルドレッドは女王の前へと進む。リコリスさんが国の歴史や王家に入る心構えを話し始めた。それなりに緊張していたはずなのに、小難しい話を聞いていると私は眠りそうになってしまう。
「フルル。聞きたいことがあります」
そうささやいたミルドレッドへ、私は首を傾げて先を促す。
「……王になって後悔しませんか?」
何故かミルドレッドの頬を一筋の涙がこぼれ落ちた。
「私は王様になるよ。課せられた責任は果たす」
「責任……ですか」
「トリニタリアさんの願いを叶える王様に。マグノーリアさんが忠誠を誓うに相応しい王様に。グリセルダさんが想いを託すに値する王様に」
人々が上げていた歓声に応えるためにも。
「そしてミルドレッドの期待を裏切らない王様に」
王様になる決心はしている。でもルミセラとの約束と店が心残りだった。これ以上、涙を零すまいと堪えているのか、ミルドレッドは唇を噛む。
「そんなに悲しそうな顔をして、どうしたの……?」
「……フルルの最高に素敵な笑顔の花は、こんな場所にいては枯れてしまいます」
彼女はにこやかに笑い、私に背中を向ける。触れたら壊れそうな、そんな悲しい笑顔に見えた。
「申し訳ありませんが、あなたは私の好みではありませんわ~」
「み、ミルドレッド?」
「こんな商人上がりの平民と婚姻を結ぶなんて冗談ではなくってよ」
「なんで、そんなこと……急に言うの……?」
「さっさと自分のお店へお帰りくださいな」
ミルドレッドに詰め寄ろうとした瞬間、彼女と私の間に炎の蝶が羽ばたく。何匹もの、炎で作られた蝶が放つ凄まじい熱量に、私は足を止めてしまった。
「熱……っ! ミルドレッド!!」
場にいる全員が動揺し騒ぎ始めた。一番動揺しているのは、きっと私だろう。
「リコリス! フルルをお送りしなさい」
ミルドレッドにリコリスさんが頷いた瞬間、私の両手が、いや全身が光リ始めた。
「……転送魔法!?」
「本当に、よろしいのですね、ミルドレッド様……」
「ええ。よろしくってよ」
――なんでこんな。
「ミルドレッドぉ……っ!!」
好きって言ってくれてたのに! 私は王様になる覚悟を決めてたのに! なんで! その叫びは届かなかった。当然だろう。既に私は見慣れた武具屋の中に立っていたのだから。
「い、いけません、お待ち下さい、ルミセラ様!」
「うるさいな! 私はミルドレッドに用があるんだっ!」
ルミセラは鼻息を荒くし、扉の前に立ちはだかったリコリスの胴体を握りしめた。
「ぐ、ぐうぅ……お許しくださ……」
「せえいっ!」
思い切り廊下の向こうへリコリスを投げ捨て、ルミセラは扉に手をかける。多少手荒に扱っても大丈夫だろう。王宮妖精はあんな見た目だが下手な魔法士より余程手強い。
「それにしたってお姉様は……どういうつもりで」
日の暮れた王宮の廊下。この扉はミルドレッドの部屋に繋がっていた。
……フルフルを故郷に帰したって、どういうつもりなのさ、ミルドレッド。
フルフルと交わした、プリムヴェールで一緒に暮らすという約束。初めて叶えたいと願った夢。でも約束を交わしてくれたあの人は王様になる運命を背負ってしまった。フルフルのせいじゃない。それは理解している。でも生まれて始めて手に入れた夢は壊れてしまった。胸がズキズキと苦しくなってルミセラは自室にこもって一人、ずっと泣いていた。戴冠式にも出席せずに。そのせいで戴冠式でなにが起きたのか、ほとんど把握していない。
「お姉様、色々聞きたいことがあるんだけど!」
しかし姉の部屋へ強引に闖入したものの、中は無人だった。
「お姉様? いないの?」
ランプに照らされた赤を基調とした上品で落ち着いた内装の部屋。本来、落ち着く色とは思えない赤のはずなのに、住んでいる人間を表すように部屋には優しい雰囲気が満ちていた。壁やテーブルにいくつも並んでいる写真立て。その中にはルミセラやクロウエアと一緒に眩しい笑顔で笑うミルドレッドがいた。その笑顔はフルルにそっくりだった。
その中に一つだけ花で飾られた豪華な写真立てがある。
「……これって、フルフルの写真」
祝賀会で撮った写真だろうか。写真立てには見ているだけで心が温まるような満面の笑みを浮かべたフルフルの姿があった。それを目にした瞬間、ルミセラは理解した。
「お姉様もフルフルのこと、心の底から大切に思ってたんだ……」
「……うう……」
「ん?」
「フルルぅ……私の王子様ぁ」
「泣き声?」
声はベッドに引かれたカーテンの向こうから聞こえる。
「……ミルドレッド」
カーテンの向こうには布団を被り泣きじゃくる姉の姿があった。
「昨晩、申し訳ないとは思いましたが、フルルの様子を炎水晶で覗いてしまったのです」
ベッドから出たミルドレッドは両膝を抱え、壁の隅に座りこんでいる。ルミセラに気がついた彼女は、なにを思ったのか隅っこに行ってしまったのだ。
「……フルルは昨晩泣いてらしたのよ。今の私のように」
「フルフルが……泣いてた?」
「ルミセラと一緒に暮らしたかった。私の全てだったあの場所で」
その言葉がフルルのものだと、すぐに察しルミセラの胸はきつく締められる。
「あの人は悩んでいるようでした。お店のこと。あなたと交わした約束のこと」
――だから私は。ミルドレッドは涙声でそう呟き膝の上に顔を伏せる。
「フルルは気丈にも、笑顔で王になる道を選んでくださいました……でも」
「お姉様はフルフルを、この城に縛りつけないために」
ミルドレッドは顔を上げ、微笑む。涙を零しながら。
「私の勝手なわがままです。フルルには城の生活より、自由に咲く花でいて欲しかった」
「だからって、これじゃお姉様が全部悪いみたいに……」
王女が女王になるには王が必要だ。それがこの国の法なのだから。だからこその王子様選抜試験だったはず。
「責任は私が全て負います」
「お姉様……」
その法を捻じ曲げて許されたのはクロウエア、現女王だけだ。今のクリームチャットには王がいない。ルミセラもミルドレッドも片親を知らずに育った。
本来はあり得ない女王だけの政。母の圧倒的な魔力にカリスマ性。そして政治手腕と横暴な性格がそれを可能にしたのだ。しかし、ミルドレッドは。圧倒的な魔力こそあれど、性格が優しすぎる。
「ルミセラも私のわがままを聞いてくださらないかしら」
「なにさ、わがままって」
戸惑う私の手にミルドレッドは、その温かい掌を添える。
「フルルに会いたいでしょう?」
真剣な眼差し。ルミセラはミルドレッドの決意めいた意志を感じ言葉に詰まる。
「そ、そうだね。会いたいよ……っ」
彼女は満面の笑みで微笑むと、ルミセラの手を強く握る。次の瞬間、その手を炎が覆い、私は仰天した。
「な、なにを。ミルドレッド……!?」
「心配なさらないで。フルルの武具店、その座標情報を魔力と共に託しました」
言われてみれば炎は熱くはなく、私の体からは力が溢れるようだった。
「私の魔力を使えば遠距離の空間接続魔法でも大きな裂け目を開けるでしょう?」
「……どうしてそんなことを」
「フルルと妹の望みを叶えてあげたい。それだけです」
「私にフルフルのお店に行けって?」
炎水晶で姉が位置を特定し、座標情報を魔力にのせて私に引き渡す。そうすれば炎水晶で探知できる距離ならどこへでも行ける。
「小さい頃、よくやったっけ」
大好きな姉と空間の裂け目を使って城を抜けだして、よく遊びに出かけた。
「そうですわね。懐かしいです」
ミルドレッドは懐かしげに微笑むと私を抱きしめる。
「お姉様を誰にも渡したくない。そんな理由で森では命を賭けてくださったのね」
「わ、わ、私は、私はその……!」
「大好きです、ルミセラ」
「……私も大好きだよ」
「さ、お行きなさい。お母様には私が責任を持って話を通しておきます」
「でも……」
「あなたは自由な空の下で生きなさい、ルミセラ・シャントリエリ・クリームチャット」
力強く優しさに溢れた声。
「……分かった」
本当に全部背負いこんで悪者になるつもりなんだね、お姉様。
「どうしてフルルに、そこまで優しいの?」
「愛している人には泣いているより笑っていて欲しいでしょう」
よく分かる、その気持ち。私もお姉様には笑ってて欲しかったから。
「もちろん、ルミセラ。あなたにもです」
「で、でも、私は別に泣いてなんか」
「涙のあとが残ってますわよ」
「うっ……」
「フルルをお願いします」
「絶対、フルフルの笑顔の花は枯れさせないよ」
「あなたも幸せになりなさい」
微笑むミルドレッドの顔を見た瞬間、ルミセラは涙が止まらなくなった。
「お姉様ぁ……全部押し付けてごめんなさい…………」
泣きじゃくるルミセラをミルドレッドは、そっと抱き寄せてくれた。




