第三段 別天津神
闇夜のように黒い外套を翻し、御中主は誇らしさを全身で表現しながら、とても嬉しそうに高皇産霊と神皇産霊に言った。
「お父様は事情あって身を隠した。お父様が不在の間は私が代役を任されてる。よって、お前たちは私をお父様のごとく思うように!」
「ああ、そうかね」
「あらあらまあ」
重大すぎる御中主の通達に高皇産霊は全く動じず、神皇産霊も頬に片手を当てて微笑んだ。
そもそも、高皇産霊と神皇産霊は御中主ほど空亡を慕っていなかった。
彼らは御中主のように空亡へ依存せぬよう陰陽の両儀に分かれて創造されたので、空亡への拘りがなかったのだ。
もっとも、父に依存する姉のことを侮ってはいなかった。
御中主は太極の力で天空の一角に高天原を誕生させたのだが、そこは未だ水に浮いた脂のような地上と違い、国土として整序されて山や川、岩窟などの自然だけではなく、田んぼや祭殿もあった。
それは天地を創造した空亡の御業を天空にて再現したかのようで、神人としての実力は本物だった。
「それで、姉者はどのような役目を代行するので?」
「それはお父様の指示がないから分からない。今はひとまず待機だ。ただ、引き続きお前たちに生成を促させよと命令されてはいる」
「つまり俺たちがやるべきことに取り立てて変化はないと?」
「そういうことになるな。身を隠す前にお父様は二人の別天津神を新たに創った。お前たちを手助けさせるためにな」
腰に手を当てて御中主は自信たっぷりに答えた。
空亡は天地を創造し、万物の原型となるものを造ると、それを元に世界を完成させるよう御中主たちに命じた。
それには神人たちの生成も含まれていた。
神人は高天原にいる者たちが天津神と、未だ整序されぬ国土にいるのが国津神と呼ばれた。
天津神の中でも空亡が自ら創造した神人は別天津神と言った。
整序された高天原の加護を受けられる天津神たちは、安定した力を有し、それに比べて国津神たちは不安定であるけれども強力で、別天津神たちは安定と強力を両立させていた。
なお、神の力が無生物や動植物に宿ることもあった。
理性のない存在に宿った力は、制御されずにしばしば猛威を振るい、宿主を異形のものに変えた。
天津神と国津神も力を制御できなければそうなりかねなかった。
異形と化した神人は黄泉神と称された。
黄泉神たちは力を暴走させすぎては我が身も滅ぼすので、奥山の彼方にある黄泉国に隠れた。
そこで彼らは強すぎる力を鎮めていた。
◆
御中主の御殿を後にした高皇産霊と神皇産霊は、天浮橋がある方へ向かった。
「確かに父者の気配は掴めぬから、何かしら事情があって身を隠したというのは本当のことなのだろう」
造化三神たる高皇産霊と神皇産霊は二人ならば能力的には御中主と同等で、日月星辰を鎔化鋳造するなど天地の創造に参画してもいた。
しかし、彼らが力を合わせても空亡の気配は感じ取ることは出来なかった。
空亡がどこに身を隠したのか、御中主は教えてくれなかった。
「それに、父上がいらっしゃなくとも姉上が取り乱されていないのを拝見しますと、父上が姉上とだけ繋がっていらっしゃるのも嘘ではないのでしょうね」
口に手を当てて神皇産霊は笑った。
「何かおかしなところはあったかね?」
「いえ、父上が姉上との繋がりを残したのは、姉上が取り乱されぬよう慮られてのことなのかも知れず、もしそうでしたら父上のお心遣いが嬉しくて」
「人の好いことだ」
神皇産霊の述懐に高皇産霊も口の端を吊り上げた。
「まあ、それはともかくとして姉者は父者の指示を待つことに専念するようだから、万物の生成は俺たちでしなければならないな」
「下の子たちも忘れてはいけませんよ、高皇産霊」
身を隠す前に空亡が新たに創った二人の別天津神たちは、可美葦牙彦舅尊および天之常立神と名付けられていた。
葦牙彦舅は繁殖の、天之常立は天の力を神として祀った。
それは天において高皇産霊と神皇産霊が生成した万物を繁殖させるためのものだった。
「さて、俺がそれ以外に忘れていることはないだろうか、神皇産霊?」
「……あらまあまあ」
天浮橋に差し掛かった高皇産霊が神皇産霊に問うた。
高天原には地上に対し、天浮橋なる橋が突き出ていた。
そこに二人ではなく、五人の神人がおり、神皇産霊は微笑んで片手を頬に添えた。
◆
五人いる神人の内、二人が葦牙彦舅と天之常立であるのは高皇産霊と神皇産霊にも分かった。
同じ別天津神として通じるものがあった。
葦牙彦舅と天之常立でない三人にはそれがなかった。
しかし、彼らには別天津神に劣らぬ力があるようだった。
高皇産霊と神皇産霊が自然と発する神威に接しても怯まなかったからだ。
高皇産霊は厳父のごとく恐ろしげで、神皇産霊は慈母のごとく優しげだったが、大自然の恐怖と慈愛が表裏一体であるがごとく二人の本質は共通しており、どう振るうかに違いはあっても彼らの力が強大であることに変わりはなかった。
そのような二人の神威に接しても怯むことがないのだから、有する力は相当なものであると考えられた。
高皇産霊と神皇産霊は相手の力を知るため、その気を読もうとした。
すると、何故か葦の芽が二人の脳裏に浮かんだ。
典拠は以下の通りです。
高皇産霊尊と神皇産霊尊が日月星辰などを鎔化鋳造する:『献芹詹語』