第一段 天地開闢
「ここに天つ神諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に、『この漂へる国を修め理り固め成せ。』と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき」(『古事記』)
空。
無は有でないことを、有は無でないことを意味するが、それは無とは別に有が、有とは別に無があることを前提としており、裏を返せば有あってこその無、無あってこその有と言え、有と無はどちらも己のみでは成り立てない。
他に依って己が成り立つことを縁起と言い、そのようにして成り立つものを空と言うが、あらゆるものがそうだ。
それゆえ、無と言った時、そこには既に有が孕まれており、世界の始まりが無であっても最初から有への胎動が起きていた。
そして、十方から風の吹くがごとく世界は揺らぎ、無から有へと爆発的に展開していった。
そうして生まれたのは、鶏の卵のような混沌で、形が定まっておらず、仄暗いけれども全てが何にでもなり得る可能性を有していた。
そこにいたのが无品無明王で、千の頭と二千の手足があるかのように無限の可能性を湛えていた。
無明王が太陽のごとき大光明を放つと、その中に梵天王が結跏趺坐しており、この世の黎明を告げた。
梵天の他にも多くの子が無明王から生まれた。
その子たちはそれぞれ天地人民を生んだが、それは無限の可能性に開かれた世界が一定の形に限定されていったことを意味する。
震旦において世界を有限なるものにした無明王の一子は盤古真人と名付けられた。
盤古は天地を創造し、その肉体から日月を初め震旦における宇宙の万象を出現させ、仙人の祖となった。
震旦の東では盤古とは別の子である虚無太元尊神こと空亡が大虚空に一物を創造し、それで天地を創ろうとした。
天譲日天狭霧国禅月国狭霧尊とも称される空亡は、軽いものを高いところに昇らせ、重たいものは低いところに降ろした。
軽いものは素速くて直ぐ天になったが、重いものは動きが鈍かったため、中々に固まって地になろうとはせず、土壌はその内に水気だけ抜け、魚が浮遊しているように水の上を漂い、水上には万物を生む兆しとして葦の若い芽が萌え上がった。
◆
こうして世界が生まれ、万物が造られていった。
それは有への急激な傾斜で、生み出された万物は生きることに執着した。
しかし、この世は空で、宇宙が余りに有へ傾きすぎては反動で無へと激しく揺り戻され、死に向かう衝動が燃え盛り、世界が焼き尽くされてしまいかねなかった。
そこで、あらゆるものに全ては仮のものに過ぎぬと悟らせ、有無に偏らない中道を歩ませようとする如来たちが現れた。
如来たちは生きとし生けるものである衆生を悟った者たる仏陀にするため、万有を存在せしめている法について説き、仏法に帰依する僧伽を組織した。
どのようにして衆生を悟りへと導くか、それを彼らはおのおののやり方で探った。
釈迦如来も仏法を流布するに相応しいところを探すべく海の上をふわふわ飛んでいた。
説法すべき霊地の当てがあったわけではない。
寧ろ釈迦は何も考えずに行動しているのではと思われるくらい捉え所のない如来だった。
それゆえか、今でこそ成仏して如来と称されているが、仏となる前は、化け物の類いであったのではないかと噂されるほどその正体を怪しまれていた。
それでも、釈迦は如来であって教説によって衆生を悟りへと導いた。
八万四千の法門とも言われるその教法は、相手に応じて話がころころ変わったが、それは聞き手が抱える問題の本質をものの見事に射貫いていた。
そのように変幻自在な語り口を誇る釈迦の耳に漫々たる海上から不可思議な音が聞こえてきた。
それは波の音で、「一切衆生悉有仏性、如来常住無有変易」と唱えているように聞こえた。
その音に興味を示した釈迦は、躊躇うこともなしに勢い良く海へ飛び込み、波と一体になってその流れへ身を任せた。
(こがあなことがあんのは、どこぞの如来が仕組んだんじゃろ。波に揺られて旅すりゃ、そいつんとこに流れ着くはずじゃ)
半ば枯れた緑のような神や小豆色の袈裟が水浸しになってしまったが、釈迦は気にしないで楽に構え、にやにや笑いながら十万里の蒼海を越えていった。
すると、突然に波は青海原に群生する葦の一本に留まった。
そこでは空亡が日月星辰や人間、鳥獣草木、虫魚など万物を生成しようとしており、それを見た釈迦は、波を留めた葦の葉に触れ、片眉を上げて面白がるような表情をした。
◆
波と一体になっていた釈迦は、空亡に見付からずにその下を去り、東方浄瑠璃世界にいる薬師如来を訪ねた。
東方にある浄瑠璃世界は瑠璃のように清浄だった。
その国土は瑠璃を大地としており、建物や用具は七宝で造られ、自他を仏にならしめんとする菩薩らが多く住んでいた。
そこでは全てが徹底的に浄められ、あらゆる病魔が根絶されていた。
しかし、不自然なまでに浄められた空間には生活感がなかった。
瑠璃は青い色をしていたが、青は毒の色でもあり、生物は本能的にそれを避けた。
そのようなところにある薬園の茶室で薬師は薬草を煎じた。
室内に通された釈迦は、縁側に半跏の姿勢で坐り、差し出された薬茶を受け取ると、膝に頬杖を突きながら、音を立てて啜った。
白い看護服を着た薬師は、包帯を巻いていない方の目で瑠璃のように冷ややかな視線を釈迦に向けた。
「貴方はいずれ釈迦族の王子として天竺に生まれることになっているのでしょう? そのように行儀が悪くては先が思い遣られます」
「これはその件で悩みがあって思惟しとるんじゃ」
「付ける薬のない貴方に悩み事があるとは如来の仏眼を以てしても見抜けませんでした」
「抜かしよるのう!」
煌びやかな装身具を揺らして呵々大笑した釈迦は、茶碗を縁側に置き、懐から煙管を取り出して火を点け、薬師が指一つ動かすこともなしに煙草の煙を浄めると、我が意を得たとばかりに釈迦が煙管を振ってみせた。
「おう、それじゃ。その力を借りたい相談事があって来たんじゃわ」
「……他の仏から力を借りるなんて情けないこと、本気で言っているのですか?」
「方便は言うても嘘は吐かんし、格好付けることなんぞに執着しとらん」
その言葉に薬師はやっと釈迦に向き直った。
典拠は以下の通りです。
天地が開闢するより前は法性(空)のみが存在した:『日諱貴本紀』
因縁の力で十方から風が起こって大水を湛えると、水上に化生したものから梵天王たち八子(多くの子)が生まれ、八子が天地人民を創造する:『大和葛城宝山記』
原初の天空と地上の中間に神聖(盤古真人)が生まれる:『日本書紀』
大虚空に現れた一物が天地と化す:『三大考』
虚無太元尊神から万物が分かれ出る:『神道大意』
根源神の名は天譲日天狭霧地禅月国狭霧とも伝えられている:『先代旧事本紀』
天譲日天狭霧地禅月国狭霧が一物から日月精神や人間、鳥獣草木、虫魚など万物を生成する:『自然真営道』
釈迦如来が仏教を流布すべき地を探し、海上を飛行して「一切衆生悉有仏性、如来常住無有変易」と唱える波を見付け、その流れに身を任せて葦の葉に寄留する:『太平記』