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日本神紀  作者: flat face
巻第二 神祇本紀 天照と素戔嗚
18/228

第十七段 妣国

 山が枯れ山となり、川や海原の水が涸れ乾いた。

 それほどまでに伊邪那岐と素戔嗚の戦いは凄まじかった。

 その争いが終わると、水の涸渇した海原で素戔嗚が大の字に倒れていた。


「少しは頭が冷えたかい?」


 仰向けに天を仰ぐ素戔嗚の顔を伊邪那岐が覗き込んだ。

 父子はどちらともぼろぼろだった。

 それでも、年季の違いであろうか伊邪那岐にはまだ立っていられるぐらいの余力があった。


「……どうして俺を止める、父者?」


「子どもが余所様に迷惑を掛けるのを親として放っておけないからね」


「俺は母者がいるところに、妣国ははのくにに何としてでも往きたい。父者はそうじゃないのか?」


 その問いは伊邪那岐の心を抉った。

 伊邪那美を恋しがる素戔嗚の想いは、伊邪那岐にとっても他人事ではなかった。

 息子の希求は自身が内に押し込めたものでもあり、伊邪那美と別れざるを得なかった痛みを伊邪那岐は改めて想起させられた。


「……君がやろうとしているのは、伊邪那美の望むことじゃない」


「会いに行こうとさえしていない男が気持ちを代弁するか」


 伊邪那岐が抜剣してその刃が素戔嗚の頬を掠め、地面に深く突き立てられた。


「……追放だ。二度とここへ帰ってくるんじゃない」


 体力が回復したのか素戔嗚は立ち上がった。

 そして、別れの言葉もなしに立ち去っていった。

 伊邪那岐もそれに背を向けたまま振り返ることはしなかった。



 伊邪那岐は国津神たちの暴走した呪力を分解して山や川、海原を元通りにすると、疲れてその場にへたり込んだ。

 流れる汗を彼は旅装で拭った。

 伊邪那美と再会するまで伊邪那岐は旅装で通すと決めていた。


 まだ旅路は終わっていない。

 その思いで素戔嗚の教育にも励んできたつもりだった。

 しかし、素戔嗚が抱えているものに気付けなかった。


 いや、気が付きたくはなかったのだろう。

 素戔嗚たち三貴子は伊邪那岐にとって今も伊邪那美と繋がっている証だった。

 そのような三貴子に瑕疵があるなど伊邪那岐には耐え難かった。


 それゆえ、素戔嗚の様子がおかしくてもそれから目を逸らしていた。

 伊邪那岐が黄泉国で心に負った傷は、未だ癒えていなかった。

 だが、それは素戔嗚と向き合わないでいた言い訳にはならなかった。


(これじゃ国之常立さまたちにも顔向けできないな)


 素戔嗚を海原で修行させていたのは、彼に高天海原でも神道を開かせて仏法を広めさせるためだったが、欠如の痛みに苦しんでいればそれも成し遂げられまい。

 伊邪那岐が素戔嗚を追い遣ったのは、息子が旅に出ることで見聞を広めて自省し、母の不在を受け入れるようになるのを期待してのことだった。

 もっとも、追放には伊邪那美への恋慕を掻き立てる素戔嗚を遠ざけるという目的も含まれていた。


 余りの未熟さに伊邪那岐は自嘲した。


「僕はまだまだ親になれてないようだよ、伊邪那美」


「あんまそう気張んなや」


 ふと口にした言葉に応答され、驚いて振り返ってみれば、黒眼鏡を掛けて胡服を着た背年と黒髪をお団子にした乙女が立っていた。


「親がいなくても子は育つ時もありますから」


 その男女に見覚えはなかったのだが、どうしてか伊邪那岐の胸に懐かしさが込み上げ、自然と涙が零れた。



 高天原の居酒屋にて天照はご飯を口一杯に頬張りながら愚痴った。


「ああ、もう好い加減にうんざりなのじゃ! 明けても暮れても修行に勉強、神を祀るのに必要だと言いおって機織りや舞踊まで!! しかも、わたしをまだまだ未熟であるかのように子ども扱いしよって!!!」


 彼女は黄泉神のように強大な呪力を天津神のごとく安定して制御できた。

 それゆえ、別天津神に並ぶ神人として将来を嘱望され、その教育には大いに力が注がれていた。

 しかしながら、それは天照にとって過保護なものだった。


「それが嫌で抜け出してはうちで飯食ってんだから、そう思われたって仕方ないさね」


 厨房から豊受が天照に向かって言った。

 豊受は割烹着を着て金髪を三角巾で覆い、食いしん坊な天照のために追加の料理を作っていた。

 彼女は高天原に昇ると、そこに一軒の居酒屋を構え、天津神を相手に酒食を売った。


 豊受の居酒屋で喧嘩は御法度だった。

 その決まりは別天津神たちも守ったので、天照も豊受の居酒屋によく逃げ込んだ。

 もっとも、決まりが適用されるのは食事の間だけだったので、それが終われば天照といえども豊受に叩き出された。


「姉御殿、大変なことが起こった」


 そのような憩いの一時を月読が来店して遮った。


「大変~? どうせ高木たかぎの義父上か神魂かむたまの義母上が何とかするんじゃろ。わたしはまだ子どもじゃから関係ないの~」


 伊邪那岐と伊邪那美のいない高天原で高皇産霊と神皇産霊は天照と月読にとって親代わりのような存在だった。

 彼らは二人から高木神たかぎのかみおよび神魂命かむたまのみことと呼ばれていた。

 天照がいじけるのを気にしないで月読は話を続けた。


「素戔嗚が高天原に昇ってきたそうだ」


「何じゃと!?」


 面倒臭そうに肘枕をしていた天照が月読の言葉に大きく反応した。

 素戔嗚は問題児であると天照も風の噂に聞いていた。

 そのような弟が来るという話に天照は胸が躍った。


「素戔嗚め、きっと何か邪心があるに違いない。弟の不始末は姉が落とし前を付けねばならんのう。ふふん、姉の手を煩わせおってからに」


 年長者として振る舞える相手を見付けて彼女は勇み立った。


「下がああなら上もこうで、アンタも色々と大変だねえ」


 調理を終えて皿を出した豊受は煙草を吹かしながら、呆れ顔の月読を慰めた。


典拠は以下の通りです。


素戔嗚尊が仏道の妨げとなる:『天地神祇審鎮要記』

天照大御神が高皇産霊尊を親と見なす:『日本書紀』


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